7、コンビニ店員、フラグ折りに熱中する
目を覚ますと、俺は柔らかな布団の上に横たわっていた。体内時計が正しければ、時刻は早朝。
俺はくわっと目を見開く。
「寝過ごした! バイトっ! ……は、もういいのか」
身に付いた習慣というものは恐ろしい。
異世界巡りに巻き込まれて一週間が過ぎたというのに、目が覚めた時、一番に心配するのがバイトのことであるほど自分が仕事熱心だとは知らなかった。
「まっ、そもそも、バイトもクビになっちまっただろうしなぁ」
雇われ店長の鬼の形相が目に浮かぶ。
なにしろ仕事の最中に突然失踪してしまったのだ。あの日おなじシフトに入っていた大学生アルバイトにも申し訳なく思うが、いったい誰が、勇者にお釣りを渡した途端異世界召喚に巻き込まれると予測できる。
こっちだって不可抗力だったんだ。広い心で許していただきたい。
「つーか、ここ、どこっすか?」
視界に映るのは、見知らぬ壁と天井。記憶は宿に入ろうとしたところでぷっつり途切れている。俺は随分ぐっすりと眠っていたようだ。
「宿屋にしては、ずいぶん豪勢な部屋のような気……ぐぎょっ!?」
呟きながら身を起こそうとした俺は、しかし次の瞬間、奇声をあげて身悶える羽目になった。
「い、痛い痛い痛いっ! 全身がくまなく痛い! あにはからんや痛い! 天網恢恢疎にして痛い!」
枕詞に深い意味はない。
とにかく体中のあちこちがギシギシと軋み、あまりの痛みにベッドから起き上がることすらままならない。見る見るうちに目に涙が溜まる。
「くっ、なんだこれは! 俺はいったい何の呪いを掛けられちまったんだ!?」
「それ、呪いじゃなくて、ただの筋肉痛じゃないの?」
はっと振り返った途端、首の痛みに悶絶する。涙目でどうにか視線を向けると、お盆を手にした見知らぬ人間が呆れた様子で立っていた。
「筋肉痛か!」
油の切れた機械のように身体を軋ませながら、俺はぽんと手を打つ。
確かに一日中馬に乗っていた俺には、筋肉痛フラグが幸せの黄色いハンカチレベルで翻っていた。うぬ、どうやら俺はずいぶん恥ずかしい言動をしていたようだぞ。
「てか、それよりも先に気にすることあるんじゃない? あんた、今、自分がどういう状況にあるか分かってる?」
「うんにゃ、さっぱり」
お盆をサイドテーブルに置いて、腰に手を当てたのは、真っ赤な髪の少年だった。短くそろえた髪が、動きやすそうな黒い衣装によく映えている。何故か野暮ったい黒ぶち眼鏡を掛けているが、それさえなければ女の子と見紛うような美少年だ。
さすが異世界。右を向いても左を向いても、美形ばかりである。うん、イケメンは末永く爆☆発しろ。
「あんたは、ボクたちに誘拐されたんだよ。ここ、魔王城にな」
「へぇ、ここが魔王城だったのか」
俺が答えると、少年は口をヘの字に曲げ、不満そうな表情を浮かべる。
「のん気な奴だな。もっと怯えるなり驚くなりしろよ」
「いや、ちゃんと驚いてるぞ」
魔王城といえばもっとおどろおどろしい内装をしていると思い込んでいたが、これがなかなかセンスがいい。驚きだ。
「……そうじゃなくって」
少年はがっくりと肩を落とす。
だが、目覚めた場所が薄暗い牢屋とかではなくふかふかのベッドの上で、しかも武装もしてない少年が明らかに俺用の食事を持ってやってきたりしている状況のどこに、怯える要素があるのやら。
ぶっちゃけ、筋肉だるまのマッチョメンに取り囲まれるほうがよっぽど恐ろしかったぞ。
「まぁ、いいや。悪いけどあんたには勇者が来るまで、この場所で人質になっていてもらう。行動の自由はないが、身の安全と衣食住は保障してやるから感謝しろ」
「おお、感謝するする」
お盆の中の食事を見ると、どうやらニャンまげ陛下の日光江戸村王国よりもずっと量が多い。これだけでも、俺としては大感謝だ。
それを素直に口にすると、少年は見下すように鼻で笑った。
「まぁ、そうだろうな。なにしろあの国は、失った領土を取り戻すための軍備増強ばかりに必死で、農地の大規模開拓とかそういう生産的な方面にはちっとも金を回さない。だからこの程度の天候不良で食糧不足が起こるんだ。しかもかつての大国というプライドが邪魔してか、商売も下手糞だから香辛料の買い付けも上手くいかない。笑っちまうよ」
刺々しいというか、ずいぶん険のある物言いだ。
まぁ、お姫さまを攫った魔王の国と攫われた国じゃ、仲が良いほうが不思議だ。お互い思うところがあるのだろう。
「まぁ、いい。あんたに愚痴ってもしょうがないな。とりあえず、食べたりなかったり、他に何か用があったら言ってくれ。そうそう。勝手に扉の外を出歩くんじゃないぞ。どこで恐ろしい怪物が、口を開けて待ち構えているか分かったもんじゃないからな」
少年はにやりと笑うと、物騒な言葉を言い残して扉から出て行く。
まぁ、こちらもそこまで言われてふらふら冒険に行くほど、勇敢でも無謀でもない。
「……でも、言ってくれってどこにどうやって言えばいいのさ」
つうか、その前にお前は誰だったんだよ。
名乗りもせずに要件だけ告げて去っていくとは、なんという不遜っぷり。まぁ、仮に配膳係君と呼んでおこう。
あと、主に生理機能に関する重要な問題も言及されないままだった。便所とか便所とか便所とかな。
なにやら非常に不吉なフラグが立っている気もするが、それでも俺はそんなフラグは断固としてへし折る心積もりだ。
「まぁ、いざとなればそこら辺の立派な植木鉢に……」
なんとなく、人として立ててはいけない方面のフラグも立ちつつある気がするが、今は意識から追い出す。
とりあえずは用意された食事を食べようと、俺はお盆に手を伸ばした。
何の肉が入っているのかは分からないけれど、爽やかな酸味が食欲をそそるスープ煮込み。ちょっと固いが香ばしい匂いの黒っぽいパンに、甘さとコクが嬉しい豆のパテ。
料理そのものは江戸村王国で食べた料理とそう変わらない献立であるが、味付けはもうちょっと濃くて、俺の口にはこちらの方が美味しく感じられる。
まぁ、魔王領と人間領という違いがあるものの、隣国同士ならばそれほど文化に違いが出ないと言うところだろうか。
「つうか、そもそも魔王ってなんなんだろうなぁ」
お姫さまを攫い、暴虐の限りを尽くしているらしい魔王。
一番目の世界の魔王はまるっきり巨大なコモドドラゴンという感じだったが、こんな立派な城を持っているのを見ると、この世界の魔王が少なくとも人と同程度の知性を持ち合わせているのは想像に難くない。
そもそも、今食事を持ってきてくれた配膳係君だって、人間にしか見えなかった。
「それなら、ここの魔王は人間っぽい姿をしてるのかねぇ」
それを退治するよう言われた側の人間からすると、なんとなく嫌な気分が胸をよぎるが、難しいことはこれからやって来てくれるに違いない勇者に丸投げすることにする。
料理に舌鼓を打ちながらそんなことを考えていた俺は、気付けば再び一眠りしていたらしい。
食っちゃ寝食っちゃ寝と、人質とは実に優雅な身分であるらしい。医者と人質は三日やったらやめられないとは、良く言ったもんだ。
さてはて、今は何時なんだと考えていると、ふいにこつんと扉を叩く音が聞こえた。
今朝、連絡方法を伝え忘れたことに気付いた少年が、今度は昼食でも持ってやってきたのかと思いきや、扉はなかなか開かない。
「ん、なんだ?」
何か両手に荷物を持っているせいで、開けられないのか。
そんな風に考えて扉に向かった俺は、しかしドアノブを手にしたところではたと止まる。
「もしかして、これなんかのフラグが立ってる?」
まさか、扉を開けた瞬間トラブルに巻き込まれるというお約束的展開が待っているんじゃないだろなとも思うが、
「でも、まぁ、扉から出るなとは言われてるけど開けるなとは言われてないし。なんとかなるでしょ」
俺は楽観的に考えて、扉を開ける。扉は鍵がかかっていることもなくあっけなく開いた。が。
「あれ?」
右を向いても左も向いても誰もいない。
「ノックの音がしたと思ったけど、気のせいだったか?」
だが不意に、俺は足元に気配を感じて視線を降ろす。そして、
「ええええええっ!?」
俺は思わず声を張り上げた。
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