第13話 さよなら

 「これ、飲む?」そう言った彼女の右手には、オレンジ色の小さなカプセルが乗っていた。「僕が飲んでいた薬と、似てるね?」「そう?」そう言った彼女の誤魔化しを、僕は見付けた。「ありがとう、助かった。このごろ切れかかっているって感じてたんだ、メジャートランキライザー」「そうなんだ、良かった」それを気付かれていると、彼女も分かっているのだ。だから話題は僕が変えた。「朝、そこの川で上がった死体、あなたが殺ったんでしょ?」「どうして?」「何となく、かな」「彼も私が見えるって言ってから。それに人間のくせに死神に惚れちゃったらしいから。彼、ストーカーが趣味なんだって。好きになった相手が振り向いてくれないと、どうなっちゃうか自分でもわかんないんだって。この前もそれでひとり、彼の大好きな川で消したって言ってた。だから殺されたんじゃない?彼の大好きな川で」「そうなんだ。彼は僕のことをずっと見張っていたみたいだから、てっきり僕の体を求める彼の生霊かと思ってたのに、普通の人間だったんだね。ただ君に買ったハンバーガー、駄目になっちゃったんだ」「そっか。でもお腹空いてなかったから、丁度よかったね」頷いた彼女に、僕の中のサドが目覚めた気がした。「それと、以前君が担当した老衰で死んだって言っていたお婆ちゃん。あれも、殺ったでしょ?」「どうして?」目を丸くした彼女が、これには流石に驚きましたと顔に書いていた。「昔、まだ父親が生きていたとき、だから僕は部屋に閉じこもっていた時期だけど、そんなときに一度だけ、僕の体を乗っ取っている彼の仕業じゃない出来事があったんだ」「どんな?」「彼は姿を持たないから、目に見えることはないわけじゃない」「そうね」頷く彼女の表情は険しい。「でも唯一、見えたんだ」「何が?」「婆ちゃんの幽霊」「そうなんだ」「言っていたよ。死神に殺されたって。次はあなただって」「そっか。あのばばあ告げ口したんだね」自らが付箋を引いたはずが、それに躓いたことへの苛立ちからか、唇を噛んだ。「そうだね」だから代わりに僕がほくそ笑んでおいた。でも彼女の行為に意味なんか求めてない。意味なんかないのだろうから。

「居場所ってなかなかないね」彼女は無言だ。聞こえてはいるだろう。怒っている素振りもない。思い詰めても居ない。強いて挙げるなら、今という時を楽しんでいるようだった。だから僕も真似てみた。スーッと何かが抜けて行く感じがして、そして何かが入り込んで来る。「居場所欲しいの?」「うん」「変わってるよね、人間は」「どうして?」「面倒なだけじゃない。期待されて、それに答えて、面倒くさいよ」「そうかな?」「そうだよ」「でも誰かに期待されたり、誰かに必要とされるということは、誰かに愛されているということだよ」「何、愛されるって、何なの?」彼女は何処か必死だった。だからではないだろうが、「もう、名前教えてくれても良いよ」そう言っていた僕は、無意識ではなかった。「いいの?」「うん」「彼に、体あげるんだ?」「こんな体で良いなら、あげようと思う」「そっか」「僕はもう疲れたから、少し休みたくなったんだ」「そうだね。疲れただろうね」優しく答えた彼女の名前を聞くことに意味を感じても、彼女の奥に眠るモノが、何者なのかを探ることには意味を感じなかった。

僕の左手が温かくなった。彼女の右手が僕の上に重なったから。彼女が口ずさんだ曲。「帰りたい心抑えて。抑えて、抑えて、抑えて、抑えて、悲しくなるのを抑えて」たった一回だけ口ずさんだ500マイル。それを僕は黙って聴いた。「人は誰かに愛され、期待されると、それに答えなきゃって頑張るんだよ」「そうだね。愛してくれる人が期待したら、それに答えたくなるかもね」目を瞑ったまま、僕が応える。「それで頑張り過ぎて、自分の限界を遥かに超えたときに気が付く。もう無理だって」前を見ている彼女の目線が微かに下がる。溜息にも似た間合いを取ったあと、また静かに語り始める。「でも愛する方は、許してはくれない。あなたは私の愛を全て受け止めてくれると、心の底から信じ抜く。そこに愛があるからと訴え続ける。だから愛される方は逃げ場がなくなるんだ。残酷だよね」「残酷?」「そう、残酷。この前の質問」目を開けてから、どの質問という顔をした。「母親が娘を殺すのは何故かって、質問」「あぁ、それね」「あなたは多分、私の回答、一目惚れした男に娘の葬式で会えるからって聞いて、私を愛に欠けた人間だと思ったのかもしれない。あるいは本当に死神だと感じたのかもしれないわね。でも私からすれば、邪魔になったからって方がよっぽど怖い。そこには相手が求めたからという思いがある。相手の男が、娘が、僕は、私は、あなたを愛している。でも娘が邪魔だと言われたから、私だけを愛してと言われたから。だから邪魔に思えて、それが彼の願いだったから殺したとしたら、本人の意思じゃない。他人の愛という力が、女を殺人者に仕立て上げた。娘を死へと追いやった。ごめんね、何言ってるんだろう?」一呼吸置いた彼女のそれは、やはり人間でいう溜息だった。「私ね、中学卒業まであなたの言った通り、津軽半島の中泊に居たの。そのあと逃げるように上京。この歌はその時近くにいた乗客のラジオから流れていたの。自分も丁度同じ距離を旅してたからハマっちゃったんだろうね。田舎には何の未練もなかったんだけどね」冷たいモノじゃない、とても悲しい目を持った彼女は続けた。「小学生のとき、学校から帰った私は母親の姿を探した。お母さんってね。で、裏庭に顔を出した時、木の枝にぶら下がって、変わり果てた母親を見つけた。父親は暴力を振う人間だった。母がいたときは、その全てを彼女が受け止めていた。でもその彼女がいなくなると、あの男は反省するどころか、次のターゲットを探した。そして私を見つけた。悪魔のDVは物凄かった。でもそのとき死んだはずの母が、ざまぁ見ろって、夢に出てきて、言った。おまえのせいで私は死んだんだって。おまえが私に期待し過ぎたから、私は無理が効かなくなって、死ぬ道を選らばざるを得なくなったんだろって。実際にそんなこと思ってはいなかったのかもしれない。でも当時、夢を見た当時は、大好きな母の本性を知ってしまったようで、いつも私には笑い掛けてくれた母が、実は私を恨んでいたんだって、わかった。それ以来、私は誰かを愛することも、そして愛されることもしないって心に誓ったの。だからそういうのって面倒としか思えないんだ。どうしたんだろう?喋り過ぎだね」震えていた。彼女の震えは右手を伝って僕の左手にも伝わった。「でも、あの女のせいで、私は悪魔に散々な目に合わされたんだ。あの女が私から逃げたから、私の愛に答え続けられなくなったから、いけないんだ」その手から段々と熱が逃げて行く。「そして悪魔は、死神を産み出した」血がなくなった彼女の手は冷たかった。震えも止んでいた。結果、彼女に表情がなくなった。それでも、それをどうしたのと確かめることも、無意味だと感じた。

それから、彼女に今夜会えたら、一番訊きたかったことを尋ねた。「何で、嘘ついたの?」「嘘?私が」「そうだよ」「でも私、あなたに嘘をついてばかりだからな、因みにどんな嘘?」せせら笑っていても興味はあるようだ。「君はあのペンダントの中身、僕の母親の骨だって言ったよね?」「そうだった、かな?」「忘れちゃった?」「うん」「そうか、なら仕方がないね」結局アヤフヤになっても、それはそれで構わなかった。僕は僕で獲たモノがあったから。

 「私の名前だったね?」「うん」思い出したように彼女が言った。もしかしたら、少し躊躇っていたのかもしれない。それでも彼女は死神だ。「私の名前は、奈良 小夜」「なら さよ」「そう。いい名前でしょ?」「そうだね」既に立ちあがっていた彼女の体が、元々上にあったからじゃない。唯一だった月の光を、この世界から彼女が無くしたからだ。昼間の時の太陽のように。だから今、僕の周りは真っ暗なんだ。「そろそろなんだね?」僕が尋ねると、「そうだね」暗闇でも彼女は優しく言っていた。「僕の魂を拾ったら、君はどうするの?あっ、魂なんてなかったね」クスクスと笑い声を立てた彼女が、「どうして欲しい?」と聞いてきた。「魂があるなら、僕の魂をあの世に運んで欲しかったけど、何もないなら、何も期待しないよ。ホッとした?」「そんなことないよ。でも私も、あなたの死を手伝ったら、私の死を誰かが手伝ってくれるみたい」「どういうこと?」「感じるんだ。あなたの次は私なんだって、第六感が教えてくれるの」「力ないんでしょ。神様に嫌われた、死神だから」「そうだったね」「あっ」目を閉じていた僕は、「やっぱり、魂はあるから、だから魂、運んどいてよ。君のと一緒でいいからさ」それだけを伝えた。「魂はあるんだ?」「うん」彼女は死神だから、教えてあげたいと思った。「用意はいい?」今度は彼女の方が尋ねてきた。「うん」だから小さな声で答えた。「行くよ」彼女は静かに言った。「いいよ」だから静かに答えた。最後の彼女の表情がどんなだったかを、僕は見ることが出来なかった。泣いていたのか怒っていたのか。でもそのどっちでもないんだろうね。「お父さんを殺したの、私。ごめんね。でも、太郎はバケモノなんかじゃないよ。ばいばい。私の名前……」そして二つの体が夜空の下で重なった。「ザクッ……」「英語の順番なら、さよなら、だね。表情がなってなかったんだろうね。世の中で一番怖いモノ。それは顔がないことだよ。そこに全く感情がないこと。でも小夜が月の光まで消し去ってくれたから、何も見えなかったから、だから僕は何も怖くなかった。奈良小夜さん」

君が付いた嘘。ペンダントの中身が発信機だって知って、君はその中身を変えることなく、また僕に返したね。僕があれを賽銭箱に入れたあと、二人の男がその中を覗いているのを見たとき、正直驚いたよ。君は何も細工をしないばかりか、それを僕に戻した。それって、君は僕が警察に捕まれば良いと考えていたってことでしょ。裏を返せば、君は僕を処分することに戸惑いを覚えてしまったんだ。もしかしたら恐れていたのかもね。

本当は見えていたよ、君の表情。月になんか隠れていなかったからね。だから小夜、君があの顔、とっても冷たい目を、していなかったこと知っていたよ。人を殺す人間の表情を考えたときに、出てきたモノに似ていたあの表情。全く血の通わない、恐ろしいというよりも、人を悲しくさせる、そんな目を君は持っていたのに、今日はその顔を見ることが出来なかった。もしかしたら君は、あの顔を、もう持ってはいないのかもしれないね。それに黒い目、ここの富士の頂みたいに、雪なんかなかった。全く凍っていなかったね。だから怖くなかったんだ。

ぎゅるるるるっぎゅるるるっるるぎゅるるっ……何かが唸り声を上げる。「ぎゅるるるっ……俺のせいにするな。やめろっ……ぎゅるるる、う、うわーっ」飲み込んだ。何かが彼を飲み込んだと分かる。そのせいで息苦しくなる。喉に詰まりを感じ、それがどんどんと膨張を始める。どんどんと、食道ばかりか気道までも押し潰す。あの蛇だと思いつく。あのとき、父の首筋に現れたあの蛇。アイツが僕に入り込んだんだ。あのとき気が付くことが出来なかったが、アイツは僕に入り込み、そして僕の中で成長を続け、このときの為に潜んでいたんだ。だからソイツを飲み込むことにした。苦しくても大きく酸素を吸い込む。ソイツが邪魔をする。そのせいで悶え目ん玉が飛び出しそうでも、構わず深呼吸を繰り返す。頭の中で血管が破裂しても、心臓からの大動脈を最大限に広げ、血という血を流し、細胞全部でソイツをどうにか飲み込んだ。いつしか苦しみは止み、蛇も何処かへ消え失せた。あれっ、そのあとで小さくなった僕がいて、それを傍から見る僕もいる。だが、傍から見ている僕に姿かたちがないことは、最初から分かっていた。だから昔の家の玄関で、小さくなっている僕の傍に誰かが近づいて来ても、傍から見る僕が身を隠すことはない。ドラえもんもびっくりのタイムトラベルをしたようだ。どんな方法でそれをなし得たのか、多くの科学者が目から鱗で僕の偉業を讃へ、方法を嗅ぎ回るだろう。教えてくれと、大金を積み上げて来る業者もいるかもしれない。ごめんなさい。教えてたくても、自分に何が起きたのかも解らないんだ。科学者諸君に言えることは、気が付いたらこうなっていましたということぐらい。それでも僕は過去に戻っていて、そして僕の前には、小学生低学年の僕がいる。解ることは、誰にも言ってなかったけど、アインシュタインの生まれ変わりだと信じていたら、二十年ほど前に戻ったということ。そこに既にいた小さくて可愛らしい僕は、何かに怯えている。「何に怯えているの?」と聞いてみても、姿同様に声も届くことはない。小さな僕は、周りで起きる物音にいちいちビクつく。それは二十年後とそれほど変わらいことかと感心していると、「ガチャッ」居間のドアが開き、僕がその方に潤んだ目を向ける。媚びている目だ。そこから出て来たのは、父親。彼は僕の方に一応目は向けるが、そのまま通り過ぎる。そのあとも、永遠と僕は玄関のホールに立っていて、何かに怯え続ける。どれだけ時が経ったのか分からないが、さっきは薄暗かった玄関ホール内を照らす光が、天井に取り付けられたシャンデリアにとって替わっていたことからも、相当長い時間、僕はそこに居て、そしてビクビクしていた。父が今度は違う方向から現れる。このときも彼は、見慣れた置物のように僕を一瞬目に入れただけで通り過ぎて行く。そうだった、父親は一度として僕に興味を持ったことがない。テストが悪かろうが、万引きで捕まろうが、大学に合格しようが、閉じ籠もりになろうが。だから真新しかったのだ、僕に首を絞められて、目を剥き出し、苦しそうにした表情を新鮮だと感じれたんだ。父は僕に興味がなかったんだ。生まれたときからずっと。だから僕のことで喜んだこともなければ怒ったこともない。怒るとすれば、それはいつも母だった。彼女は僕に対して、飴と鞭を上手く使い分けていた。それは教育上当たり前のことだし、生んだ以上は育てるのが親の責任というやつを、彼女は全うしたんだと思う。父が余りに子供に興味を示さないから、彼女は相当苦しんだ。妹が生まれ、母親が出て行くまでのたった数ヶ月、父は娘だけを溺愛した。そんな頃から母は酒を飲むようになった。息子ばかりか、自分にまで興味を示さなくなった父に、溜まるばかりのストレスをどうすることも出来ずに、酒に浸った。酒乱と化した母を見るのがどうしても耐えられず、僕はそんなときには出来るだけ、外へと逃げた。しかしその日は、たまたま外は大雨で、だから仕方ないから玄関から雨が止まないかと見続けた。雨は止まないまま、帰宅した父は、僕は無視して、珍しく母に話し掛けていた。「おまえ、ぶっ壊れて、もうオンボロだな」それは罵りだった。そして彼が向かった先にベッドに寝かされた妹・由岐が居て、彼がそれを抱き上げたときだけに見せる笑顔をしていた。それを疎ましそうに見ていた母が次に見付けモノは、母親のことを、ドア越しにビクビク覗く玄関にいる僕だった。そのとき彼女は言ったんだ。決して大きな声ではない。奥の部屋に居て、いまだ娘とじゃれ合う父を気にしていたから、声は決して大きくはなかった。「おまえが壊れればよかったんだ」そう僕だけに鋭い眼光で送った、念力みたいなモノで伝えてきた。そのとき花瓶なんかが割れたんじゃない。重厚感があると感じたのは、僕の中では途轍もなく重いモノが、心の中で割れる音がしたから。茶色かったのは、僕自身が当時すでに自分のカラーを悟っていたからだ。紅い菊の花言葉、愛情。それが壊れた瞬間だったんだ。父が言ったんだと思いたかったのは、ずっと優しかった母が、父のせいでこうなってしまったことを、子供ながらに分かっていたから。それから少しして、母はこの家を出て行った。最後は酒乱になった母でも、僕の中で唯一愛してくれた人間であることに変わりはない。だから母という存在を長い月日が美化し、死んでしまったと信じた結果、虚像を作り上げ、僕の心のよりどころの存在にしたのだ。それが生きていたという事実が、砂の城を脆くも土台から崩していった。それは母自身が拒んだ結果なのだろう。私はもうあなたの母親じゃないと。支えだった母はいなくなった。本当は愛されてなどなかったんだ。拠り所がなくなった僕は崩壊した。この体を欲した彼さえもいなくなった。僕は己自身の存在意義存続の為、優しさを知ってしまった死神を葬った。僕が死神になるには、最後に君がくれた光が、邪魔だったから。

「ウォー」田嶋富士の上、僕はそう叫んでいた。「取り押さえろ!」富士の周りでその音を合図に、大勢が迫ってくる。数にしても相当数、面食らった僕には数える余地もない。それだけの数が一斉に迫りくる。僕が立つ砂の城の牙城を崩そうと物凄い勢いで、形相で、男たちが追い詰める。小夜、君が感じていた第六感、当たったね。あのときの君の躊躇い。それは僕に優しさを見せたんじゃなかったんだね。いや違う。あれは君の優しさだ。これから僕が生きる糧にしていく為の優しさ。それを僕だけのモノにしたかったから、僕は君を奪ったんだよ。君の全てを僕の中へと閉じ込めたんだよ。でも君は死神だ。閉じ込めても、消えてなくなるんだったね。僕みたいに、富士山を物凄い勢いで登る多勢にビビることはない。僕に何度も見せてくれたじゃないか。何度も何度も消えて見せたじゃないか。それを使えば、君はこんな男たちに怯むことはない。僕みたいに飛び掛かって来た大勢に揉みくちゃにされることもない。どれだけ多勢で攻め込まれようが、消えてなくなれる。僕みたいに手錠を掛けられることもない。「救急車!急いで救急車呼べ!」僕は死神にはなれないんだね。「三山太郎、殺人容疑で逮捕する」みんなには僕がよーく見えているみたいだから。良いよね、君は。僕は捕まっても大丈夫。だから君は逃げて。ぴーぽーぴーぽーに乗って逃げてね。

今でも父親を殺したかはやっぱりわからない。でもね、あの朝に鏡に映る自分の顔の頬に伝っていた跡、横になって寝ていたら着く跡じゃないよね。だから僕は父親が死んだその時、その場所に居たんだと思う。だから君が殺していてもいなくても大きな問題じゃない。もう君は自由だよ。死神の仕事に縛られる必要はなくなったからね。


政治家のお陰なのか、せいなのかは分からないが、世界経済は円安に進みデフレを脱却しつつあるとある新聞は伝えていた。それが右寄りの新聞社なのか左よりの新聞社なのかは知らないしどうでもよかった。ただあれから3回、寿ののし紙が付いた弁当を食べたから3年くらいが過ぎたみたいだが、もしあの時逃亡をしていたら何処かの場面で自ら命を絶っていた気がした、何となくだけれど。などと考えた一日を部屋のドアが自由に開かないベッドの上で過ごした。

それからまた、寿ののし紙が付いた弁当の回数を数えてきたんだけど、それを覚えておくことがこの頃面倒に感じている僕は、自ら命を絶つ必要がなくなった。毎朝、お呼びが掛かるのを待っている。父親ばかりかバンドエイドの男も僕のせいで死んだ事になったらしい。精神病は完治したと判断が下った。今の僕にはそんなことはどうでもよくて、ただ死んだ時に死神の奈良小夜は僕の魂を彼女がいる世界へと運んでくれるのだろうかということが気になっている。彼女はやっと死神の仕事から解放されたわけだから運んでくれるはずはないのだけど、少し期待してしまう僕がいる。ホラ爺さんがしてくれた診断テストのように、ただ彼女に一目会いたいだけで僕の命を差し出そうしている自分は異常なのだろうけど、やっぱりそれもどうでもいい気がする。今の悩みは、許可されることもないのだろうけど、誰かが面会に来た時に同情の顔や説教をされた後にみんながするであろう自分が僕の立場ではなかった事に幸せを感じる表情、それがいつか怖れた人を殺すときの表情以上に恐いモノのように思ってしまう自分がいることだ。最後にこうなったからかもしれないが、僕自身が歩んできた人生が好きではない。でも、僕の人生で死神を殺したとき、そのときに彼女が言った一言、聞き違いかもしれないけどその一言を思い出し、白い壁を眺めながら顔をほころばせる。

そう言えば彼女の名前は本当にならさよだった。

だから彼女は天職が嫌いな本物の死神だったんだと思う。

                 

おわり 

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メジャートランキライザー @himo

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