第3話 医師
船上に助け上げた途端に、波に
持ち物らしきものは何も持っていなかったし、漂流者プレートも携帯していなかったので、その男が一体誰なのか知る方法は、彼の目覚めを待つのみだった。
状況は三月の時とよく似ていた。しかし、彼は白衣のようなものを着ている。もしかしたら、彼は医療従事者なのかもしれない。
その可能性を父に言われて、私はこの近辺に医療船がいなかったかどうか調べた。すると、消息を断ってしまった医療船があると分かった。
白衣の男のことは冬馬に任せ、私は昼食を作り始めた。一応、五人分を目安にしたのだが、完成して食べる時間になっても、男は意識を取り戻さなかった。
四人でテーブルを囲み、ケチャップ色に染まったお米を食べている間、私はスプーンを動かす手を止め、何気なく言った。
「調子はどう?」
「ああ、順調だ。日が暮れるまでにはなんとかなりそうだな。三月のお陰だよ」
私は取り敢えず胸を撫で下ろした。私の隣りに座る冬馬も同様の思いに達したようで、それまであまり進んでいなかった手が、元気を取り戻して、せっせと動き始めた。
一方、三月に目を移すと、彼は黙々と食事に手をつけるだけだった。ふと上げられた顔に浮かんだ表情は、神経質そうに硬直していた。
何故こんな顔をしているのか。このチキンライスが、彼の口に合わなかったのではないだろうか。私はそんな馬鹿らしいことを考えていた。
食事が終り、ちょうど私が後片付けをしている間に、白衣の男が意識を取り戻したと知らせがあった。
それを聞いて、私は洗い物を残したまま客間へと急いだ。
部屋には既に父がいた。しかし、三月の姿はどこにもない。
ドアの前で壁にもたれて立っていた冬馬に、「三月は?」と、小声で尋ねる。
「修理を早く終わらせないといけないから、来られないって」
彼はやはり小声で答えた。
その間にも、白衣の男への質問は行われていた。形式的にまず名前を尋ね、それから乗っていた船を尋ねる。三月の時と同様だった。
だが、帰ってきた答えは「わかりません」「覚えてません」などではなく、具体的だった。
男の名はグレータス。乗っていた船は、この近辺で行方を眩ませてしまった医療船と完全に一致した。
グレータスは、白衣の内ポケットからケースに入った黒縁の眼鏡を取り出すと、それを掛けた。
そして、頭を下げながら、「どうも、助けていただいてありがとうございます」と言った。
「あんたが乗っていた船、難破したのか?」
父は無愛想にそう聞いた。
グレータスは首を傾げ、眼鏡の縁を指で上げながら答える。
「さぁ。よくわかりません。ただ、船が大波に襲われたとき、私は甲板にいたので振り落とされてしまったのです。その後の事はちょっと……。もしかしたら、あのまま難破してしまった可能性もあります。それはもう、酷い嵐だったので」
そこまで言って、グレータスは悲しそうに目を伏せた。
「そんなに酷い嵐の中、あんたは何で甲板にいたんだ?」
グレータスは怪訝そうに父の顔を見た後、問いに答えた。
「ちょっと人を探していたんです」
「……そうか」
父はそれだけを吐き捨てるように言うと、「冬海、俺はエンジンの修理に戻る。後は頼んだ」と、部屋を出て行ってしまった。
去りゆく足音が聞こえなくなったのを確認して、私はグレータスに言った。
「医療船に乗っていたっていうのなら、あなたお医者さん?」
「え、ええ」
「やっぱりそうなの。だったらごめんなさい」
「あの、どういう意味ですか?」
「うちのお父さん、愛想が無かったでしょう? いつもはあんなじゃないんだけど、ちょっとお医者さんにはいいイメージがないみたいで」
「失礼かとは存じますが、誰かを、医療船で亡くされたのですか?」
「え、ええ。ずっと前に多季さ……私の母さんを」
「そうなんですか」
呟くようにそう言うと、彼は眼鏡の縁を何度も触りながら、考え事をし始めた。癖なのだろう。
私は、その眼鏡の蔓を滑るように指の動きに、しばしの間、目を奪われていた。
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