第4話 嵐の進路
甲板に出ると、一層風が強くなっていて、風に捕えられた衣服や髪に引き
遠くに見えていた雲たちも、今はさっきよりも近付いて、空から垂れ下がっているようだし、波も次々に砕けて白波の飛沫を飛ばし、かなり荒れている。足下から突き上げてくるような強い力、そうかと思うと突然重力が弱まって、浮遊感を覚えたり。
私は自分で体感した嵐の接近を確認するために、操舵室から気象情報センターに問い合わせた。少ししてから送られてきた現在の天気図を見て、私は妙なことに気が付いた。そして、遅れてからことの重大さと異常さを悟った。
「こんなの、ある訳ない」
私は無意識にそう呟いていた。
私は操舵室を飛び出し、父がいる筈のエンジンルームへ真っ直ぐ駆け出した。
探していた父とは、途中の甲板上で出会った。何をしているのか、彼はぼんやりと嵐そのものでもある真っ黒な雲を、細めた目でじっと眺めていた。
「あれ、エンジン治ったの？」
「お、冬海か。いや、まだ治ってないんだが」と、彼はエンジンルームへ通じる階段の方に目を遣った。
「だが。何？」
続きを
「三月がよぉ、後はもう自分だけでできるから、俺は嵐に備えろって言いやがった。ま、実際エンジンの修理はほとんどアイツがやってたからな。俺はその助手みたいなもんだ」
彼は、軽く
「ふーん。三月って一体どういう人なのかなぁ」
「さぁな。監獄船から逃げてきた囚人じゃないことだけは確かだろうな」
父が否定したそれは、私の中で消し去った不安でもあった。けれど、それを聞いた時、私は確かに安心感を得ていた。それは同時に、私の中で不安が消え去っていなかったことをそのまま表していた。
それを実感しつつ、私は、こんなことを悠長に話し込んでいる場合ではないと思い出した。
「そうだ、大変なの！ とにかく来て！」
「おいおい、落ち着けよ」
そう言いながらも、父は私の後をどかどか足音を響かせ、走って着いてきた。
「見て！ あの天気図」
操舵室に入るなり、私はモニターを指差し言った。気象センターから先ほど送られてきた、今現在の海上を移した衛星写真のイメージ映像。そこには、これまで嵐が進んできた軌跡が、幾度も曲がりくねった一本の黄色い線で表されていた。
「これは」
父は一目でその異様さに気が付いたようだ。それから、私たち二人が失っていた言葉を続けた。
「まるで、この船を追い掛けているみたいじゃねーか……」
嵐の軌跡はある一点で、それまで進んでいた方向から明らかに逸れ、私達の船の方へ曲がっていた。
さまざまな気象データから父が割り出した予想進路によると、嵐はあのまま北上を続けるか、北北東へ僅かにずれることになっていた。
それは、西に強い勢力を持った高気圧が張り出していたからだ。
私たちが今いる北半球では、天気は西から東へ移り変わっていくことが多く、その為、この高気圧は今後、東へ移動する確率が高いと考えられた。
「ねぇ、逸れる筈じゃなかったの？」
私の発した問いは、その場で空気に溶けて消えた。
父は、何やら呟きながら機器類を操作した。やがて、モニターに移っていた天気図に、今度は等圧線が重なって表示された。気圧の差や、勢力が一目で分かる。
「さっきの高気圧は？」
私は父に尋ねると同時に、自分の目で見た。
消えていた。
父は微かに震える手で過去の天気図を呼び出し、現時点まで気圧配置がどのように移り変わっていったのか、動画で表示させた。
次々と移り変わる天気図。画面下から迫ってくる真っ白な渦と、西から大きく張り出していた高気圧に目がいく。
信じられないことだったが、問題の高気圧は、どこに移動したのでもなく、ある瞬間から唐突に消え去っていた。
「馬鹿な」
父が毒づくでもなく、淡々と言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます