第2話 保護区へ

 その日から数日が経過した明け方、船はアンデス海域の近くに着いた。ここは数少ない陸地がある場所なので、保護区になっている。許可なく立ち入れば、強制退去を命じられた上に罰金まで払わなければならない。

 だが、許可さえ貰えれば、ある一定の条件範囲において、入ることが許される。その許可を得るために、七海連合の支部へと通信を繋ぐ時、全員が操舵室へ集まっていた。別に集まらなければならなかった訳ではないのだが、自然とそうなったのだ。

 冬馬は普段来ることのできない場所を訪れると聞き、飛んだり跳ねたりして、喜びを全身で表現しているし、ここへ来るきっかけを作った三月は、何か含みのある微笑を浮かべている。

 私は。まあ、楽しみにしていないわけではない。お腹の下あたりがムズムズして、ちょっとこそばゆいし、口の端が自然と吊り上っていくのを隠すのに大変だ。

 そして、父は、どうやら緊張しているらしく、通信機のモニターをじっと見て黙っている。

「よ、よし。通信回線を開くぞ」

震える声で彼が言うと、相手は間もなくして応答した。

「こちらは七海連合第六海支部、そちらの船籍をどうぞ」

通信交換手の名乗った通り、このアンデス海岸を含む海域を管理している。

 父は借りてきた猫のようなおどおどした声色で、船籍を述べた。

「船籍を照合しました。代表者はイリヒ・ニイミヤさんで間違いありませんか?」

「あ。ああ、間違いない」

「それでは用件をお願いします」

「アンデス海岸への立ち入りを許可してもらいてーんだ。保証人は、リカルド・フォータイナー教授」

「少々お待ちください。……はい、要請は受理されました。しばらくその場でお待ちください。そちらに巡視船が向かいます。許可は査察の後になります」

 巡視船が来る前に、父は三月だけを呼んで自室へ入っていった。数分後出てきた三月に、私は何を父と話していたのか尋ねた。

「何話してたの?」

彼はキョロキョロと周囲に誰もいないことを確認した上、小声で答えた。

「査察を受けた時に、保護区に入る明確な目的を訊かれるらしいんだ。その目的をどう答えるか、相談されたんだよ。言い出したのは僕だからね」

「それで、査察官にはどう言うことになったの?」

「正直に、泳ぎの練習という理由にするよ」

 巡視船がやって来るまでの間、四人はエノキタケのように一箇所にまとまって立ち尽くした。

 誰も言わなかったが、何か知らないものがやって来るらしいと察知した冬馬も、さっきまでのはしゃぎようが夢だったのかという程消沈していた。

 巡視船がやって来た。査察官は、船の乗組員を確認し、船の装備を点検し始めた。この時、もしも不信な点が見つかれば、許可されないことも大いにあり得る。

 査察官は三月の身分について詳しく尋ねてきた。正直に言ってしまうと、彼は漂流者ということになってしまうのだが、そうすると彼は連合の保護の対象となってしまい、査察官に連れて行かれるだろう。

 しかし、そういう訳にはいかないので、結果的にここでは嘘を吐かなければならなかった。三月はこの船にエンジニアとして雇われているということになったのだ。実際、それが最も自然なように思われた。

 巡視船に乗っていた査察官は、査察の結果が問題ないとわかると、許可証をくれた。そして、最後にこう付け加えた。

「そう言えば、他にも休暇を楽しんでいる家族が一組いますので、ご了承ください」と。

けれども、そんな話、私たちは特に気にも留めなかった。

「ふいー」

入日が安堵した様子で、溜め込んでいた空気を吐き出す。

「お父さん、緊張しすぎよ。別に悪いことしてる訳じゃないんだから」

「お前だって、猫かぶるだろう。大人ぶってよぉ」

図星を当てられた私は、いつもならこっぴどく言い返していただろうが、今の私は上機嫌だったので、鼻で笑って許してやった。

 私は操舵室を後にした。すると、廊下を走って行ったり来たりしている冬馬に体当たりを食らわされた。言い換えると、嬉しさのあまりそこらじゅうを走る弟と衝突したのだ。

「冬馬!」

彼は廊下に仰向けで倒れていたが、大声で名前を呼ばれたことで、すっくと立ち上がり、軍人さんのように背筋をピンと伸ばした。

「もう。暴れないで」

私は穏やかに言って、ニコッと笑った。

 冬馬は何か恐ろしいものを見たみたいな顔で驚愕し、後ずさった。それから、彼は走って逃げていった。

「姉ちゃんがおかしくなったー!」

と言いながら。

 私は最初意味が分からず、少しその場でぽかんとしたものの、徐々に事態が飲み込めると怒りがふつふつと沸きだした。

「待て、冬馬ー!」

 そんな様子で、我らがニイミヤ艇は、アンデス海域へと入っていった。

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