第3話 カナヅチ
お昼を過ぎた頃、船は停止した。いくら古い船だとはいっても、今回ばかりは故障なんかじゃない。ただの休憩だ。誰の或いは何の為の休憩なのかは不明瞭だったが。
太陽はじりじりと照り付けていて、気温はぐんぐんと上昇していく。その上、どういう訳か風も
何もすることがないとは言っても、部屋の中で本など読んでいるような気分には到底なれないので、私は気晴らしに泳ごうという思いに至った。
私はこうして船が停止している間、よく海に飛び込んだりすることがある。だから、
波は穏やか、水は
私は海側を向いて
初めこそ、潜ったり浮いてきたり、船から離れてみたり近づいてみたり、いろいろしていたが、一番気持ちのいいことは、ただ波に任せて仰向けに漂っている事なのだと悟ると、ずっとそうしていた。
「ああっ、いいなぁ!」
突如、甲板の上から三月が言った。彼は、額と言わず顔中から滝のような汗をかいていた。
「そっちは暑そうだね。三月も入ってけば?」
「そうだなぁ。そうしたいけど、もうすぐ出発するかもだから」
「いいじゃない、水に入ってるだけで気持ちいいよぉ」
そう言いながら、私はその場で一旦潜り、甲板に近付いて勢い良く顔を出した。水飛沫が空中で、粉々になったガラスのように輝き、海に帰っていった。
「うーん、どうしよう」
三月は
「そうやって考えてる時間がもったいないわよ」
その言葉で、揺れている彼の心が決まった。もう、そういう顔をしていた。彼は一つ頷き、
浮き上がり、水面から顔を出した三月は、「ひゃー……気持ちいいねぇ」と言った。
「でしょう?」
そこへ、冬馬が通りがかった。
私の心に、ちょっとした
「冬馬ぁ! アンタも泳いだらぁ? キモチーよぉ!」
「い・や・だ」
彼はそっぽを向いてそのまま歩き去った。
私は彼の言動を三月に説明した。
「冬馬ね、実は泳げないの」
「へぇ」
特にこれといって大きな反応を予想していた訳ではないが、それでもその薄い反応は、私にとって少し意外だった。
その後、すぐに父が船へ上がるよう私たちに言った。冷たい誘惑から離れるのは
船の上から見る海面は、午後の光が反射して、風に揺れる金色のカーテンのようだった。見えないけれど、それと同じものが今も私たちを包んでいるのだと、改めて気が付くと、憎らしかったその陽光が、少しだけ愛しいもののように思えてきて不思議だ。
私は、釣りをする冬馬を船尾の甲板で確認すると、父のいる操舵室に行った。全員が船に乗り込んでいる事を報告するために。
部屋に入ると、せっかちな父は早速、「全員揃ったのか?」と尋ねた。
「冬馬は後ろの方で釣りしてたし、三月はシャワー使ってる。あと、私はここにいるから、全員揃ってるわよ」
「おっし。じゃ、行くか」
船はエンジンを始動、やがてゆっくりと動き出した。
私が部屋を出ようとした時、父が呼び止めた。
「何?」
「お前が今着てるTシャツ、なんか昔どっかで見た事があるような気がするんだけどなぁ。元からお前のだっけか?」
「これ?」
私は少し古くなって色の褪めたTシャツの、ロゴ部分より僅かに下を両手で摘まみながら返した。
「これはねぇ、
そう言ったとおり、Tシャツなのに膝上十センチくらいの長さである。私が着ていると、さながら短いワンピースと言っても通用しそうだった。
だが、そんな話はさておき、父は苦いものを口に入れたような顔をした。
「お前まだ、そんな呼び方してるのかよ」
「え?」
「一応、お前の母親なんだぞ」
「そんなこと分かってるわよ。だけど」
声は徐々に小さくなり、私は
今まで私は、ずっとあの人を『多季さん』と呼び続けてきた。それは、物心付いた頃からずっとそうだったので、特に疑問を持つことなく今に至っている。
確かに、ちょっと考えればそれはあまり良くないと分かる。いや、考えなくたって分かっている。だけど、今更呼び方を変えるのは難しいし、大体変える意味などないように思えるのだ。
私があんまり長い間、無言で俯いていたので、最後に父はこう告げた。
「もういい」
そう言われてやっと、私の足は動くことができた。
部屋を出ると、私は今すぐこのTシャツを脱ぎ捨てたい思いに駆られた。けれど、そうすることはいろいろな人に対しての裏切りになるような気がしたので、結局そうはしなかった。
その時何故か、外では
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