第5話 この世界

 普通、私たち子供は、自習という形で必要最低限の教育を受けていく。とは言っても、全く一人だったのでは何をどう勉強していいのか、それさえ分からないで終わってしまい兼ねない。そうならない為、定期的に教材と課題が送られてくるのだ。言わば、通信制の学校をもっと大雑把にしたような感じだ。

 教材は紙の形式ではなく、データでMID(モバイル情報端末)に、送られてくる。

 MIDは、初等教育を受ける際に、一人一台、七海連合ななかいれんごうの然るべき機関から配布される。もちろん、私は持っているが、冬馬にはまだ配布されていない。

 ある一定のレベルまで来ると、それ以上は全寮制の教育施設に入ることもできるが、多くは進学せずに両親の仕事などを学び始める。

 だから、今の時代、仕事は親から引き継ぐケースが多い。

 商店を経営している親の子供は、店を継ぐし、サルベージャーを親に持っている子供はサルベージャーになる事が多いのだ。


 夜になって辺りが暗くなり始める頃、私は自分の部屋ではなく、書斎で本日分の課題をしていた。

 歴史。かつてこの星には、陸地があった。と言っても、地表のほんの三割程度でしかない。残りの七割である海は、その頃から広い範囲を占めていた。今は、ほとんど十割だ。

 何故、世界がこのように海だらけになったのか。たくさんの海洋考古学者がその理由を探っているが、実は決定的な原因が未だ分かっていない。

 不意に廊下の床板がキッと鳴った。私は無意識にそれに続く音を拾うとして、息を詰めた。しかし、それ以上の音は聞こえてこない。

 十秒くらい頭の中で数えた頃、私は肺に留めていた空気を一気に吐き出した。同時に、書斎のドアが静かに開かれた。私は驚きながらも、それを悟らせないように平静を装った。

 入って来たのは、三月だった。

 三月は不思議な人だった。特別、何が? と訊かれれば、どう答えていいかわからない。しかし、全体に漂う雰囲気が、なんというか不思議なのだ。それは、私だけが感じているものではないだろう。

「どうしたの?」

私は彼に顔を向けて、声を掛けた。無表情を無理に繕って。

 彼は本棚を見ながら、答えた。

「ちょっと本でも借りようかと思って」

三月はでたらめに本棚を眺め回し、一冊の古びた本を取り出した。『古びた』といっても、古びていない本などここには無いのだけど。

 彼は手に取った本のタイトルを確認し、どうやらそれを持っていくことにしたらしい、こちらに軽く笑みを見せ、そのまま部屋を出ようとした。

 私は呼び止めた。

「待って」

彼はピタリと止まり、「何?」と尋ねた。

「ちょっとわからない事があるの。聞いていい?」

「僕に分かることなのかな。それならもちろんいいよ」

 私は、今し方思い出したことを尋ねた。

「昨日のお昼くらいに、調理場で生の魚食べたでしょう?」

その途端、三月はびくっとして、ばつの悪そうな顔をしてこちらをゆっくりと見た。

「う、うん。確かに食べた。あんまりお腹が空いて、錯乱していたから、つい」

「あ、別にそれを責めようとしてるんじゃないの。もう、ひどい目に遭ってるでしょ?」

「それはもう」

「私が聞きたいのは、あのとき船中捜したのに、あなたが見つからなかったことなの。あの時、どこにいたの?」

 ああ、それね。そう言いながら、彼は少し間をおいてから答えた。

「この部屋の本棚の裏に、小さなスペースがあって、そこに隠れていたんだ」

 彼の言うことは理解できた。それは要するに、隠し部屋の事を言っているのだ。

 隠し部屋というのは、この船を作るときに多季さんが酔狂すいきょうで作ってもらった、広さ一畳程度のスペースの事を言う。なんでも、書斎には隠し部屋が必要不可欠なのだと熱心に主張したらしいのだ。

 だが問題は、その隠し部屋を何故彼が発見できたのかということだ。普通、初めて入った部屋の本棚の一つがスライドするなどということを、偶然発見することができるものだろうか。

 私は、そのことを彼にさり気なく言った。

「よく見つけられたね、あんなの」

「まあね。偶々部屋に入ったら、本棚が少しずれていたから、何かあるのかと思ったんだ」

本棚がずれていた? 私はそれで納得した。冬馬が戻し損ねたのだろう。弟には、あの無意味なスペースが、何故か好評なのだ。

「分からないことって、それ?」

「うん。お陰でスッキリした」

 彼が部屋を出て行った後、私は奇妙な虚脱感に襲われた。よくよく考えてみると、その虚脱感は虚無感から来ているものなのだとわかった。三月が部屋を出て行ったことによる虚無感。

 何故かは分からないが、私は三月から何やら得体の知れない安心感を得ているようなのだ。そうやって彼の事を考えている今も、最初に彼と目が合った時、感じていたあの親近感。あれの延長みたいな感覚が、今も私を包んでいる。

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