第3話 失踪

 朝食はみんな勝手に食べるが、昼と夜だけは私が作らなければならない。他に誰もまともな料理などできないのだから仕方ない。

 私はついさっき冬馬が釣った小魚を三枚に下ろし、から揚げにでもしようと思い立って、今度は衣の用意をし始めた。そんな時に、父が調理場へ入ってきた。

「昼食ならまだよ」

この部屋に父がやって来るとしたら、食事時以外にはあり得なかったので、先手を取った。だが、彼の返答は、私の予想が間違っていたという事を表していた。

「そうじゃねー、大変なんだ」

私はその時初めて振り返り、手を止めて問い返した。

「大変? 何があったの?」

「昨晩拾った男がいなくなっている」

「え? さっきはちゃんといたのに」

「さっきって、どれくらい前のことだ?」

「えーっと、二時間。ああ、全然さっきじゃないか」

 私たちは即座に調理場を後にした。まずは船内、それから甲板とエンジンルームまでをくまなく捜し回り、それでも見つからなかったので、最後には波間にまで男の姿を捜した。

 結局どうしても見つからず、私は調理場へ戻ってきた。部屋に入ってまず、何かが違っているような気がした。

「あれ?」

私は入り口に立ったまま、見渡せる限り部屋中を見渡した。しかし、その時は何がさっきとは違っているのか、気付かなかった。

 どうであれそれは小さな違和感だったので、目を瞑って昼食作りを再開しようと調理代の前に立った。

 そこで気が付いた。三枚に下ろしてあった魚が無くなっていることに。

 最初に浮かんだのは、誰かのつまみ食い風景だった。早速、甲板で釣りをしている冬馬のもとへ向かった。

「つまみ食いしたでしょう」と、問い詰めるつもりだったのだが、冬馬が思わぬ大物と格闘中だったので、成り行きで手伝うことになった。

 かなり大きめのシイラを釣り上げた後、問い詰めた。冬馬はこう答えた。

「今までずっと釣りしてたんだよ。それに、誰がこの辺の魚を、生のままでつまむんだよ」と。

 彼の言うことは尤もで、この近海で取れる魚は水質の関係で、加熱しなければ食中しょくあたりを起こしてしまう、とても生で食べられたものではないのだ。

 やっぱり何かが変だと思いながらも、私は納得しながら調理場へ帰った。

 今し方釣り上げたシイラを下ろし、細かく切って再び衣をまぶしていく。その間もずっと、誰が魚を食べたのかぼんやりと考え続けていた。だが、深刻に考えていた訳でもないので、結局昼食の完成までに明確な答えは出なかった。

 食事の用意が出来たと知らせるため、まず冬馬のいる甲板へ向かい、その後父のいる操舵室に行った。だが、操舵室へ至るその途中、書斎前で不思議な音を聞いた。ちょうど、何かがきしんでいるような音だった。

 耳を澄ましてよく聞いてみると、軋む音は人の呻き声に聞こえてきた。場所は、目前のドアの向こうからだ。

 まさかという思いと共に、私はドアを開けた。一歩入った部屋の床、すぐにそれは見つかった。いなくなったあの男が、そこに倒れていたのだ。


 男が腹痛で喘いでいるようだったので、魚を食べたのが彼であると、私はすぐに思い至った。

 父は、彼の喉に指を突っ込んで、胃の中の魚をむりやり吐かせてしまうと、胃腸薬を飲ませた。程なくして腹痛が治まると、彼はまたあっさりと眠りに落ちてしまった。

 結局今回も、彼がどんな人物であるのか、聞けず仕舞いだった。一つだけ、彼について分かることは、つまみ食いをして食中りを起こすような、どこか抜けた人だという事だけだった。

 食卓に戻り、昼食を三人でとった後、今度は例の男が逃げ出さないように、誰か見張りを付けておくことになった。誰かと言っても、候補は二人しかいない。私か冬馬か。

 こんな事はこれまでにもよくあったので、あらかじめ公平なくじを作ってある。中の見えない空き缶に突っ込まれた二本の棒きれ。この先端に、赤い印が付けてある方を引いた方が当たりで、言いつけられた仕事をすることになるのだ。普通の当たりくじならいい思いする方が当たりだが、それだと芸が無いということで、そういう風に決めてしまったのだ。どちらにしても、確率は変わらない筈だ。

 今回の場合、当たりを引いたのは冬馬だった。

 それで私は、てっきり楽ができるかと思っていたのだが、そうはならなかった。父がこう言ったのだ。

「おい冬海、暇だよな。サルベージに使う道具の整備をしておいてくれ」

サルベージとは、海底に沈んだ様々なものを回収することであるが、父はそのサルベージを仕事とするサルベージャーなのだ。

 今は、久々に仕事を依頼され、その現場に向かっている途中だった。予定では、明後日あさっての夕方頃に到着することになっている。

 私は、普段の生活に必要のないものをいろいろを置いていく内に、やがて倉庫と名を変えた地下室にやって来た。ここは、ちょうど船室の真下に当たる場所で、明かり取りの窓も無ければ、空気の通る道も無い。

 中に入ったときはいつも、この嫌な匂いのする空気に慣れるまで、思い切り鼻から息を吸い込まないようにと、私は気を付けていた。

 早速、潜水服に穴が空いていないかを、水を張ったタライで確認し始めた。もしも穴が空いていた場合、服の中の空気が泡となって漏れ出し、穴の場所も特定できる。

 今回は異常なしだったが、穴があった時には補修しなければならない。

 潜水服のチェックがが終わると、ヘルメットのガラス部分を洗浄し、曇り止めを塗る。

 それから、予備も合わせて足鰭の数があるかどうかを調べ、最後にボンベの気体残量が十分かどうかのチェックをして作業は終了となる。

 以上のことを全て終わらせた頃には、もう三時を回った頃だった。夕食のことを考えなければならない時間帯だ。

「あーあ」

目を細め、明るい外界に出ると、思わずそんな溜め息が洩れた。

 こんな生活を続けていると、一体自分は何をやっているのか、ふと疑問に思うこともある。朝起きて、昼食を作り、器具の整備をして、夕食を作る。

 何だか、忙しくて退屈な一日が、毎日続いているような気がする。だけど、私がそれらの仕事をしなくなったら、数日の間に死人が出そうだ。だからと言う訳ではないが、こういうこともやらない訳にはいかないのだ。

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