第108話 質問ポイント制度

「――そうそう、僕の同志で面白い話をしてくれた人がいるんだよ。

 この世界のジョブを持つ人間の素質――つまり、ジョブランクの格付けについての例えを、彼はこう表したんだ。『世界陸上の100m走みたいだ』って。つまりね、Cランクの人は100m走を11秒台で走り抜けられる人で。Bランクの人は10秒台。Aランクの人は9秒台。そして、僕たち選出者に至ってはSランク、本来、人の身では到底到達することのできない8秒台で100mを駆け抜けることができると言ったんだ。

 それぞれ1秒の壁があって、自分の立ち位置がそこでわかってしまう。各ジョブの人口比を鑑みれば、Sランクで9秒台と言いたいところなのだけど、彼が言うにはそうではないらしい。

 この世界の人が、努力や才能、資質や常識で到達できないからこその8秒台であって、自分たち選出者はそれだけ異質な存在だと言うんだ。

 当時の僕は、酒宴の席だったこともあって、言い得て妙だと同意していたんだ。

 だけど、彼が口にした『世界陸上』という言葉が少しだけ引っかかって気になっていたんだよ。どうして他にいくらでも例えがあるのにその言葉を使ったのかってね。


 ――それで最近になって、その意味がようやくわかったんだ。

 世界陸上にはパラ部門があるらしくてね、両足が義足の人も特別な競技用義足を装着することで健常者と同じように――それ以上に走ることができるらしいんだ。

 その競技用義足っていうのがね……つまりここでいう、――。

 ……といっても、まだまだ8秒台にはほど遠いのだけど、近い将来、台頭して僕たちを脅かす存在になることは間違いないと思うよ。

 おや、魔力の供給源が上手に切り替わったみたいだね。よかった。あと五分もすれば起き上がれるようになるよ」


 あはは、と彼女は朗らかに笑った。

 競技用義足が、この世界で言うところの何に当たるというのだろう。

 彼女の言うとおり、魔力の切り替わりを感じる。


「じゃあ、次はゴブリンの話でもしようか。トーダ君はゴブリンのことは知っているかい? それとももう遭遇したのかな?」


 俺は微かに頭を振ると、彼女は俺の頭の砂を払い自分の膝に乗せた。

 どういうつもりか知らないが、大変結構なふとももでいいと思います。


「ゴブリンは、僕たちがいた世界じゃ“鉱山や洞窟、森などに住み、時折人里に現れては悪さをするイタズラ好きの妖精 ”とあるけれど、ここでは妖精扱いではなくて、小人種族に属している、狡猾で醜悪、邪悪な小鬼という理解でいいと思うんだ。

 体長は80~100cmほどで、人の幼子ほどの背丈しかないけれど、見た目ほど弱くはないんだ。力はそれでも10歳前後くらいはあるのだろうね、錆びたショートソードや骨ナイフ、それに石斧を振り回して攻撃してくることがあるのだから。

 知性は低いけど、馬鹿じゃないんだ。本能で生きているような感じだけど、こちらを値踏みするような性根のようだね。暗闇を好み、火を恐れる性質からか、鉄を自ら生み出すようなことはしないけれど、弓矢を作ったり石を研磨することはできるようなんだ。

 あとは……冒険者や探索者から盗んだり奪ったり、警戒態勢が緩い集落を襲ったりして鉄製の道具を手に入れたりしてね、クワとか鎌とか。見よう見まねで扱うことができるんだ。手入れをしないからすぐにボロボロにしてしまうけどね。

 容姿は『醜い』の一言に尽きるだろうね。なにせそれがゴブリンの特徴のひとつなものだからね。毛のないコウモリのような顔つきにとんがった鷲鼻。ぎょろぎょろと大きな目。何度も生え替わる乳歯のような乱杭歯。体毛はまばらでね、いろんな所に生えていたりして一貫性がなくて、よく言えばそれが個々の個性なのかもしれないね。

 肌の色は地域によって様々だけど、このあたりじゃ……うん、その森にはいないと思うけれど、地域色は薄い黄土色だと思うよ。


 ――さて、トーダ君が独りの時にこのゴブリンに出会ってしまったときの対処法だけど、勇敢に戦って殲滅させることをおすすめするよ。ゴブリン達は5~6匹の集団でいることが多いんだ。まるで僕たちのパーティを真似るようにね。逃げることは推奨できない。弱みを見せることも。ゴブリンは自分よりも弱い者がとても好きだから、決して諦めたりはしない。ずっと追ってくる。わざとこちらを逃がすようにして、仲間内で楽しみながら少しずつ動けなくなるまで攻撃を繰り返してくる。

 ゴブリンは雑食性だけど、狩りや罠でネズミやコウモリなど小動物を捕って、生で食べている。集団で魔物を襲うこともある。

 当然、僕たちも見つかれば捕食の対象になるわけだ。

 対象を見つけると、じっくり吟味して、どうすれば勝てるのか、弱点はないのか、観察するくらいには知恵が回るね。


 そうそう知っているかい? この世界でのゴブリン社会は、蟻社会と同じで女王様制度なんだ。ゴブリンの女王がたくさんのゴブリンを産んでいく。蟻社会と違うのは、ゴブリン同士の交配で生まれてくるゴブリンはすべて雄だけなんだよ。

 ゴブリンの雌――つまり、新たな女王が生まれるのは、他種族との交配をしたときのみ。さらわれてゴブリンの雌に無理矢理交配を迫られるなんてぞっとしないよね。

 でも、ゴブリン女王は、基本はフェロモンを使って雄を誘惑するんだ。多くの場合は自分の子供をね。母性愛と交配欲がごっちゃになっているのかもしれないね。笑っちゃいけないところなんだけど、ゴブリンの雄は同種族の『醜い』異性には興味ないだろうからね。ましてや相手はろくに子育てをしない母親だ。

 逆に、ゴブリンの雄に強制的に交配させられた場合、生まれてくるのは『赤帽子レッドキャップ』と呼ばれててね――、……」


 こくん、と彼女は言葉を飲み込む。

 レッドキャップがどうなのか、気になって頭を動かすが、まだよく目が見えない。ただ、それでもうっすらと彼女の輪郭だけは理解できた。

 ちなみに、俺の唇は彼女に軽くつままれたまま。頑張って鼻呼吸ですたい。


「ん~、次はそうだね、食糧事情を話そうか。トーダ君はここに来てから黒パンを食べたかい?」


 俺は頷いてみせる。

 見つめる先の輪郭がころころと鈴の音が揺れるように笑った。

 うぶな俺は頬が赤くなるのを誤魔化すために思わずうつぶせになって、クンカクンカしたくなってしまうが、そこは良質な大人なので耐える。


「おいしくなかったろう、あははは。でも、一応は完全食を謳っていて、栄養分はそこそこ入っているんだよ。この世界の、とりわけ人族の主食になってきてるね。

 黒パンと水と、それに食べられそうな野草でも食んでいれば飢え死にはしなくて済む程度にはね。問題は――ふふふ、味だよ。あははっ。

 黒パンは、萌芽麦という品種の小麦に黒アシガという虫が付いたものをそのまま収穫して脱穀、製粉したものなんだ。収穫時期には黒アシガは交配も済ませ、卵も小麦の中に無数に産んでいる。おかげで小麦の粒が本来の3倍まで膨れあがっているんだよ。

 小麦のパンを食べていると言うよりも、栄養価でいえば、黒アシガの卵を食べているといった感じになるかもしれないね。もっとも、黒アシガの卵も麦と一緒に地面に落ちなければ孵化することもないし、そのまま食べても、実は人体には影響しないんだ。黒アシガの成虫の方はね。まあ、小麦粉の方は生だとおなか壊すと思うけれど。

 製粉してからの発酵の過程は僕たちの世界と同じで、パンを焼くときの行程で黒アシガの卵は全部死んでしまうし、つまり虫の卵はそのまま人の栄養になるわけだ。

 黒アシガが小麦の穂を覆ってしまっているおかげで多くの鳥たちは近寄ってこないし、他の虫も寄りつかない。病気にもかからないし、黒アシガのフンが萌芽麦にとって肥料にもなるし、卵巣針からの唾液が小麦の生長を助けている。僕たちにとってはいいことずくめさ。

 萌芽麦は品種特性で日照りにも強い……わけだけど、黒アシガのおかげで、まずいし、焼き上げたパンは真っ黒なんだ。

 これって、栽培からパン作りまでの工程が同じなだけで、できあがったものは実は『パン』じゃないよね。……いや、それでもやっぱりパンなのかな。


 ――さて、この黒パンは、この黒アシガのおかげで、痩せた土地でも降水量の少ない土地でも、ある条件がそろえば連作が可能な貴重な品種なんだ。ああでも、雨が多すぎるところと、湿地帯は向かないけどね。

 不思議なことに、この萌芽麦以外の小麦の品種には黒アシガはよってこない。実はこの萌芽麦の栽培方法には唯一無二の秘密があってね――といっても、教科書に載っているくらいのことだけど、なんと耕地に『ダンジョン内の土』を混用させることなんだ。堆肥や肥料じゃなくて『ダンジョン内の土』。つまりは、微量な魔石を含んだ土が必要ということなんだ。たぶん、魔石を砕いた物を直接蒔いても同じ効果あると思うんだ。もったいないからそんなことをしないけどね。

 だから、攻略済みのダンジョンの周りには広大な畑作地帯が広がっていくわけなんだよ。魔物から荒らされないように徹底的な管理の下にね。

 そして、世界の――、っと『世界』は言い過ぎだね。でも少なくとも周辺の国々は黒パンを主食としていて、萌芽麦を重要穀物として大規模栽培し、『無料配給』されているんだ。なんせ同じ耕作面積でも、取れ高は通常の小麦の3倍増しだからね。しかも黒パンの賞味期限は、冷蔵や密封しなくても数週間保ってしまうし、乾パンのように水分を抜いてしまえば、数年は保つんじゃないかな。……もっとも、年数に比例して味だけはことさらに劣化していくようだけどね。あははっ。

 

 と、ここまでは食糧事情の有意義な話だけど、ここからはもう少し深い話になるよ。

 各国は『無料配給』として黒パンをタダみたいな値段で各地に配っているけれど、本当にタダってわけじゃないんだ。配給を受ける届け出をした家族は、もしくはその町は、生まれてくる子供に王都での『選定の儀式』を受けさせることを義務づけ、素質がB以上であれば冒険者や探索者になるために、王都で暮らさなくてはいけないという“約束”をさせられるんだ。

 どうしてそれらが義務化されているかというとね――、……」


 彼女はまたそこで口をつぐんでしまう。

 気になるところでCMに行ってしまう意地の悪い放送番組のようだ。


「もう少し。あと、ひとつだけ」


 そう言って今度は俺の目を隠すように手のひらを置いた。

 なぜ話を聞かせようとするのか、その時初めて疑問に思ったけれど、興味深い話ばかりだったのでそのまま聞くことにした。

 目を覆う手のひらがひたすら心地よい。


「ジョブスキルと、一般スキル習得の基礎について話しておこうか。

 トーダ君もすでに10の基本スキルと、5つの必須スキルを習得済みなのは知っているよね。簡単な説明はイザベラから聞いているだろうから省くけど、基本スキルはオンとオフによって魔力の切り替えができる。

 レベルアップしたら小玉が手に入るから、ジョブ専用スキルや一般スキル習得画面を開いて、ほしいスキルを選ぶことで小玉と交換でスキルを手に入れることができる。それを基本スキルのなかに入れて、オンにすることで使用できるんだ。僕たちはすでに10個の一般スキルを習得しているから、それと入れ替える感じでね」


 知ってます、と俺。

 そろそろと魔力が回復し始めたおかげか、少しずつだが頭が回るようになってきた。

 このまま話に呑まれないように慎重に行動をしよう。でも俺自身、お膝の沼に呑み込まれているからなぁ。このまま融合したい。


「たとえば、トーダ君が基本スキルで『遠見』のスキルを持っていたとしよう。このスキルは通常より、より遠方をはっきりと視るとこができるスキルのことで、だいたい倍率7~8倍と言うところなんだ。望遠鏡みたいなものさ。

 100m先の文字が10m先の文字のように見えたら倍率は10倍だっていうから、それよりも少し勝手が悪いよね。

 だったら、遠見スキルのレベルを上げて倍率を20倍くらいに引き上げよう、と思うだろう? 遠見レベルが2になると、倍率は21倍になるみたいなんだ。だいたい3倍くらいかな。


 ――ただ、注意が必要なのは、遠見レベル1から遠見レベル2に上げるための小玉は1つじゃなくて2つ必要になるということ。1つで済むのは新しいスキルを手に入れるときだけなんだ。

 ちなみに、レベル1から2へは小玉2つ。レベル2から3へは……なんと倍の4つも必要になるんだよ。つまり、遠見スキル3を習得するためには、合計小玉が6つも必要になるっていうことなんだ。

 それなら新しいジョブスキルを6つ揃えた方がいいよねって言うことになる。深い拘りがないのなら、そのほうが利口だって言えるよ。 

 でもね、【鑑識】と【暗幕】については少しだけ考えてもいいんじゃないかって僕は思うんだよ。

 【鑑識】は、相手のステータスや情報を視覚的に手に入れることができる選出者専用のスキルだってことは知っているよね。相手のジョブやレベル、性別や名前まで、たとえ相手が堅く口を閉ざしていても僕たちはそれらを無理矢理引き出して識ることができる。しかもレベルを上げることで、より細かな情報を手に入れることができるわけなんだ。

 でも、この話はイザベラからも聞いていたよね。ごめんね、僕は順を追って説明していかないとうまく話せなくってね。結論からでも言えるあの子はすごいと思うよ」


 ――あの子?

 もやっとした疑問符が首をもたげてくる。


「重複するけど、【鑑識Lv1】で調べられることは、相手の【名前】【年齢】【ジョブ】【種族】の4つ。Lv2になると、倍の8つ。Lv3になると――、と言う具合に相手のステータスを勝手気ままに知ることができる。【暗幕】はその逆で、【暗幕Lv2】になると【鑑識Lv1】じゃなにもることができないんだ。まさに個人情報に暗幕がかかった状態だね。

 【暗幕Lv2】には【鑑識Lv2】に上げて、ようやく初期の4つをみることができるんだ。Lv3にはLv3、Lv4にはLv4と言う具合に、“見られたくない”と“知りたい”は、いたちごっこになってしまうね。

 ああ、ちなみに、【暗幕スキル】を持っていない一般人を【鑑識】で調べたのになんで4つしかわからないのか問題だけど、実際は5つ調べているんだ。つまり、セカンドジョブ情報というわけさ」


 俺の目元から彼女の手のひらが離れる。

 ジャンルバラバラに結構興味深い話をするのに、彼女の最後に言いたかった話はそんなことなのかと、内心肩すかしを食らった感じがしたが、小玉の扱いについては知らなかったこともあり、学ばせてもらった礼もしようと、俺は回復した両目で彼女を見た。


 ――――……。

 息を呑むほどの 美女 が月の明かりを横顔に受けてそこにいた。

 頭の片隅に「誰かに酷似している」「頬に治療の跡がある」と警鐘が鳴っていたが、それは早朝4時半に鳴る目覚まし時計みたいなもので、無意識に止めた。止めた部分が壊れた。止めた手も壊されていた。


 仄昏く蒼く灯る両の真眼が、その揺らめきが、俺の眼球を深くこじ開けて侵入を開始する。

 ばきばき、ぼきぼき、ぐしゃぐしゃ、ぐちゃぐちゃ……。

 彼女を拒もうと抗う俺のすべてがその蒼い光に喰い荒らされる。ついにはメキメキと音を立てて俺という存在が折りたたまれていった。

 首を外側に先ず1回。自分の中で大きな音がする。続いて背骨から外側にいっかい。さっきより少し遠くから。さらに腰骨から外側に一回。さらにさらに遠くなるのに、幻痛いたみは何故かすべて一緒だ。

 折り曲げられるたびに視界が反転する。チカチカと目映い光から逃げ出せない眼球が視界狭しと暴れまくる。

 ――と、


「僕に嘘をついてはいけない」

 

 言葉に目の焦点が吸い寄せられる。

 今まで見させられていたものが夢であったかのように、一瞬で我に返る。


 美女が天女のような微笑みを浮かべて俺を見つめかえしてくれている。

 これ以上の幸福はあるだろうか。


 ――病的なまでの美しさだ。肌が泡立ち、うすら寒気さえした。


 目、鼻、口のパーツがそれぞれの場所にあるだけなのになぜ美しいと思うのか。

 美しいとはなんなのか。彼女にこそあるべき言葉ではないか。

 疑問を持つこと、考えること、不安になること、警戒心を持つこと。

 それこそ不敬の極み。

 あがめよ。彼女を上に見ろ。俺はゴミくずだ。ささげよ。俺の命はこのためにあ――


 ふっと、また彼女の手のひらが目元に被さってきた。


「――もういいよ。『魅了の魔眼』はオフにしたから、落ち着いて」

 

 俺は彼女の手のひらの中で、ようやく瞼を閉じることができた。

 だがむしろ、ドクドクドクドクと動悸が収まるどころか、波のように大きくなり、震えと吐き気が同時に来た。

 おぇぇ、おぇぇ、と嘔吐感に襲われるが、のど元を過ぎてやってきた『ソーマの滴』を両手で口を覆い根性で飲み下した。

 彼女の膝元を汚すわけにはいかない。


「すまないね、存外トーダ君の魔眼に対する抵抗力レジストが強くってね、少し長めにかけてしまった。ちょっと驚いたよ。これってネクロマンサーの特性なのかな?」


 彼女の謝罪の声が耳に届くが、押し寄せる吐き気の波に俺は口を押さえて耐えた。

 あのままだったら、たぶん彼女から目を離せないでいただろう。瞬きもできずに、『魔眼』の光を浴び続けていた。そうなれば今以上に反動が大きかったはずだ。そのまま死んでいてもおかしくない。

 閉じた目の中で彼女の顔が何度も何度もフラッシュバックした。まるで脳の海馬に彼女という存在を擦り付けるかのように繰り返される。

 身体は動かない。息を止めて全力でそれに抗っているからだ。叫び出したいようなむず痒さが脳から全身に向かって走り出していくようだった。

 彼女の指が俺の眉間のしわを数回伸ばすようになでると、その手は離れていった。


「もう、治まったかい。今度はトーダ君から僕を見てごらん」


 彼女を見るのが怖かったが、その言葉に逆らえなかった。

 息を詰まらせながら目を開けた。すると、そこにさっきの美女がいた。――だけど、さっきのような異常なほどの美しさは感じられなかった。いや、綺麗だが。

 『魅了の魔眼』とやらに魅せられていたのが、ようやく解放されたのだろうか。


「勝手なことをしてすまないね。でも、僕もこの身体を守る義務があるからね、堪忍しておくれよ。以前、状況が同じで、違う相手を前にして、話ができるほど魔力が回復した途端、喉を裂かれてしまったことがあって、警戒だけはしているんだ。

 『魅了スキル』だけど、使い方を限定しているから後遺症は残らないはずだよ。それでもなにか不都合なことが起こったら何でも言っていいからね」


 彼女は綺麗な顔でほほえむが、俺は転がるように身を起こすと彼女と対峙し、短い呼吸を繰り返しながら言った。


「あんたは誰だ」

「僕もトーダ君に聞きたいことがあるんだ。どうかな、お互い聞きたいことを交互に質問をしあって、相手のことを知るというのは」

「嫌だね。あんたが敵だって知れただけで十分だ」

「僕はトーダ君の敵ではないよ。むしろ味方だと思ってほしい」

「ふざけんな。俺はあんたなんか知らないし、さっきの『魔眼』で俺を操ろうとしていたのはどう説明つけるつもりだ」


 彼女は表情を変えず、膝を崩したままこちらを見つめ続けている。 

 俺にとっての味方や援軍は、ザイルさんやクレイたちのことだ。

 沈黙が怖くて、息も絶え絶えに俺はまくし立てた。


「あんたどうして、お頭と同じ格好をしているんだ? 同じ髪型で、頬の傷もそうだ。どうして俺に『ソーマの滴』なんて飲ませた? 何が目的だ?」

「やっぱり聞きたいことがあるんじゃないか。ざっと5つの質問や、知りたいジョブスキルや世界情勢やダンジョンのこと。ひょっとして、自分のオーブのことだって知りたいんじゃないのかい。

 いいよ。トーダ君には『10ポイント』あげよう。これだけあれば、。一つの質問につき、1ポイント消費して、僕は正直に知っていることを答えるよ。知らないことは知らないと答えるけどね」

「あんた……管理人イザベラみたいなことを言うんだな」


 より警戒度が深まる。

 

「ははは。でもね、使ってみると案外おもしろいシステムだよ、それは。情報をやりとりするツールにもなる。あくまで『僕』と『相手』とのね」


 彼女はおかしげにころころと笑った。まるでこの状況がわかっていないかのようだ。

 俺は、このまま離れるか、もう少しだけ状況を飲み込むためにこの場に残るのか、逡巡した。

 

「最初は、トーダ君からでいいよ。答えにくいような変な質問はなしにしようか」

「あんたの目的は何だ? なんで『ソーマの滴』を飲ませた」


 殺し合いの最中さなかだ。殺せるならすでに殺していたはずだ。生かしているのは理由があるはずだ。……ただ、それを本人から聞き出そうって言うのが間抜けの極みのように思えるのだけど。

 いつでも逃げ出せるように注意を払いつつも、俺は彼女に疑問を投げかけた。


「1ポイント消費するよ。トーダ君のポイントは現在9ポイントだ」


 彼女はうれしそうに言った。まるで俺との繋がりを得たと言わんがばかりに。


「僕がトーダ君の前に現れた目的はいくつかあるけど、『ソーマの滴』を飲ませたのは、トーダ君が危険な状態だったからだよ。さっきも言ったけど、魔力が15%を切ると、意識混濁が始まる。五感の不調も起こる。自身の魔力は鑑識スキルによって“数値化”されるけど、使用しているスキルがある限り魔力の数値は変動し続ける。その瞬間とき見た数値を盲信していると、今みたいな状態に陥ってしまうことをゆめゆめ忘れてはいけないよ。全体を100%として、50%を切るようなら消費を抑えて行くべきだと思うよ。ギリギリまで使うのはデメリットでしかないんだから。


 僕はね、トーダ君と話がしたかったから跡を追いかけてきたんだ。ただ、こんな状況だからね、お互いの立場もあることだし、迂闊に声をかけられなかったんだ。

 そうそう、途中でジェイル君に見つかってしまってね、ここ数年、僕はあれだけびっくりしたことはなかったよ。すぐにロー君が助けに来てくれて事なきを得たわけだけど、腰が抜けてしまってね。せっかく【交代】したのにすぐに殺されたんじゃ、あとであの子にどれだけ叱られるかわかったものじゃないからね。

 質問の答えだけど、トーダ君の体調が心配だったことと、話がしてみたかったこと。その両方を解決するものが手元にあったからね、使うことにしたんだ」


 彼女は俺の質問にすらすらと答えてしまう。

 俺たちが今どんな状況のまっただ中にいるのか、彼女はわかったうえでこんな会話をしてくるのだろうけど、なんというか、うさんくささが増しただけだった。


「あんたの、その2はなんだ?」

「次は僕の質問の番だよ。僕の質問に答えてくれれば『1ポイント』贈呈だ。つまり、交互に質問をしあっている限り、ずっと『10ポイント』を維持できるわけだよ。

 もっとも、トーダ君が『その質問はパス』と言えば、僕は身を引くし、トーダ君は次の質問をポイントを消費してすることができる。これでどうだい?」


 彼女は身振り手振りで『質問ポイント制度』を説明してくる。


「じゃあ、パス1」

「うん。わかったよ。じゃあ、次はトーダ君の番だね。さっき言った、僕の目的その2が質問内容でいいのかい? ポイントを消費するよ。トーダ君のポイントは、現在8ポイントだ」


 彼女は、とくに嫌な顔もせずに架空のポイント制度の管理を公言する。

 かまうものか。

 聞きたいことを聞いて、余計なことは答えず、自分で判断して、自分で行動しようと思う。


「僕の目的その2はね――『時間稼ぎ』になるのかな。意地悪するのもなんだから言ってしまうと、あと52秒くらいでトーダ君のこの村からの脱出経路が全部【黒い淵】で塞がれてしまうんだ。たぶんだけど、トーダ君はこの先の広場の前の空井戸から村の外に出ようとしていたんじゃないかって思っていたんだ。違うかい?

 もしも狙いが“村からの脱出”なら急いだ方がいいね。トーダ君がジャンプして飛び越えられる【黒い淵】が少なくなってきているんだ。今ならまだ間に合うと思うよ」

「そうかい、じゃあな」


 俺は身を翻すと、彼女に背を向け一目散に空井戸に向かって走り出した。

 民家の角を曲がる直前に振り返ってみると、彼女は取り乱した様子もなく穏やかな表情のまま、こちらをずっと見つめ続けていた。


 俺は民家の角を曲がると、呼吸もそのままに、民家の壁にアタマをぶつけてみた。

 ごつんと、大きな音がして頭の奥がしびれた。


「~~~~~っ」


 思い切りが良すぎたせいか、思わぬダメージを受けてしまった。

 うずくまって、彼女が言った52秒を口頭で数え消費すると、黒い淵がないか気をつけながら民家の角をもう一度曲がり、てってこてってこ歩く。


 どちらにしろ、空井戸から村を脱出する気はなかった。

 どうせ出るならみんなで一緒にだ……なんて、それがかなわないことだと、うすうす感じつつあったけど、とにかく、もうたった独りであの空井戸の数十メートルもある横穴を進みたくはなかった。

 きっと途中で進むことも戻ることもできなくなって、深淵のまっただなかで泣き出してしまうことだろう。


 俺は大きく深呼吸をした。何度も繰り返す。

 星が瞬く夜空には、アンジェリカのヒレイの姿はない。


 俺はふと、腰の道具箱からトルキーノの投げナイフを取り出してみた。

 ぶんぶんと振ってみて、シュッシュと棘突の練習をしてみる。

 なんだか急に笑いがこみ上げてきて、「あ~あ」と口にして、ナイフを腰の道具箱にしまった。あとは笑いながら歩いた。


 そのままひだりひだりと民家の角を曲がると、彼女が見えた。

 彼女は月をまぶしそうに見上げていた。俺に気がつくと、うれしそうに手を振った。

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ネクロマンサーは泣かない あど農園 @adonouen

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