第107話 考察

『じゃあ、俺を殺すことより【黒い淵】に落とすことに固執した理由って、やっぱりアンジェリカを引っ張り出すためってことか――』

『マスターが【黒い淵】に落ちてしまっても、すぐには飲み込まれないように、樹に縛り付けたロープでも用意してあったのかもしれませんね。それに捕まらせて時間を稼ぎ、アンジェリカさんに直接交渉のテーブルに着かせることが目的だったのでしょう』

 

 マチルダさんが先を繋ぐ。

 つまり、お頭がやろうしていたのは、俺を【黒い淵】に落とし、アンジェリカとの人質外交だ。

 アンジェリカがそれに乗ってくるかは未知数だけど、言い換えれば、お頭達だけで問題を解決することが難しくなったということだろう。


『村を【黒い淵】が完全包囲してる状態なら逃げ場はないし、それがジワジワと広がっている状態だから、やがて本当に身動きが取れなくなる。それまでに決着を付けることがお頭の最低限の勝利条件だったわけだ』


 “だった”、ってまだ過去形にはできないことだけど。

 お頭達は次の一手を打ってくるのか。それともこちらから打って出るべきなのか。


『マスター。アンジェリカさんに連絡は付くのでしょうか』

『連絡用にブロブがまだ1ぷにょいるから、俺の居場所は把握していると思うけど、直接会いに来るかはわからないな。トラウマ級の怪我もしたし、その加害者たるハルドライドも野放し状態だ』


 ダダジムにアンジェリカを即死コロさせたことは、ダダジムも了解済みだ。

 口裏を合わせるように言っておいたから、教えなきゃハルドライドにでも撃たれたと思うだろう。前後数秒は記憶飛んでるはずだから。ふふふ。完全犯罪。


『……でも、ダダジムが4匹もいるから、ひょっとしたら大きく迂回してでも来るつもりなのかもしれないけど、できればうろついてほしくないんだよなぁ。ダダジムを2匹ほど派遣してくれればそれに俺が乗って迎えに行くことはできるけど』


 おまえ、それをアンジェリカに伝えられるか?

 右指のブロブに口頭で説明してみるが、ぷるぷるきゅっきゅっとシゴキ上げるだけだった。


「――――……」


 ……ねぇ。キミ、いい仕事するね。右指よりもずっと安全で有意義な場所があるんだけど、ちょっとそこに移動してみない? すぐそこだよ。すぐそこ。なぁに時間てまは取らせないからさ。にちゃぁ……。

 なぁに電話番みたいな仕事なんだ。今までとそう変わらないよ。

 そこは暗くて暖かくてふわふわしてて、ちょっとだけ湿っていて。でも、右指よりもとっても居心地のいいところなんだ。おっと、こんなステキな提案はアンジェリカには絶対に内緒だゾ☆

 そこでは今みたいに元気よくお返事するたびにね、ほらギブアンドテイクみたいにね。食べ物がね……、って君らホントは何食べるんだっけ。ダダジムが人なら、君らは……山羊? 共食い? 親食い? 君ら――本当はいったいどこからきたの?


『……マスター? 聞いてらっしゃいますか? マスター?』


 マチルダさんの声にはっと気がつく。

 いかんな、安心したらうっかり寝落ちしそうになった。えっと、何の話だっけ。まったくもって何も思い出せない。うっ、頭が……。

 俺は髪の毛と頬に着いた砂を落としながら身を起こした。

 鼻血は止まったようだけど、お頭に切りつけられた頬がミミズ腫れになっていて痛い。


『ん? ああ、もちろん。今ブロブと世界の少子化と貧困について語り合っていたところだ。“地方の過疎化が進んでる。若い人を呼び込まなければ”って、この村を含め、各地方自治体が若者を誘致する施策をしたりしてるけど、(中略

 俺はアンジェリカと早々にこの村で山羊酪農・成人玩具取り扱い会社を設立して、高齢者問題と過疎化の両方を解決する方法を――ふぁぁ……』


 あくびが止まらない。今何時なんだろう。いつまで続くんだろう。


『そうではなくてですね、もし仮にアンジェリカさんの力の及ばない事態にまでコトが及んでいる場合、マスターはこの村からどのようにして脱出するか早急に考えないといけないと思うのですよ』

『んあ? この【黒い淵】はアンジェリカが召喚士としてのスキルを発動させてできたものなんだろ? だったら、アンジェリカに俺の周りにだけ【黒い淵】を寄せ付けないように頼めばいい話じゃないかな?』

『そうだとよいのですが、私はこの【黒い淵】自体、アンジェリカさんの管理下にあるとは到底思えないんです。つまり――なんと言っていいものか、ええと、制御不能状態に当たるのではないかと思うんですよ』 

『制御不能状態?』


 制御不能状態ってのは管理人イザベラから聞いたことがない言葉だ。召喚中に指輪を外すと召喚獣が“暴走状態”になるってことは聞いていた。

 ダダジムもブロブも普通だったので、指輪を外してはいないだろう。指輪を外したときの暴走状態と何が違うんだろうか。


『はい。私の知っている召喚士にはこのようなことができる方はひとりもいらっしゃらなかったのですが、それでも、共通して言えることは、“己の魔力の限界以上のモノは呼び寄せられない”という常識です。

 自身の有している魔力を媒介にしてあらゆるモノを召喚士ですが、基本は【ひとつ得るとき、同価値のモノをひとつ失う】と言う当たり前の考え方です。失うと言っても、差し出したものを相手が受け取るわけではありません。ええと、【等価交換の原則】だとか、なにか難しいことを言っていた気がします』


 ――呼び寄せる、とマチルダさんが言った。

 きっとマチルダさんが知っているのは、召喚士のなかでも“運送屋A~Cクラス”のことを言っているのではないかと思う。

 電話やネットで注文、商品が届く。そのお代を支払う――それが召喚士だと。

 

『アンジェリカさんは本当に召喚士なのでしょうか。

 マスターの話から、ヒトからお猿ちゃん――ダダジムを6体。お馬ちゃんからアラゴグを4体。山羊からブロブを4体、召喚しています。

 それらがイコールとして等価価値であるかはさておき、これらの現象は生物の“生まれ変わり”ではなく、宿主を媒体として再構成させた生き物でもありません。

 私的な考え方ではありますが、アンジェリカさんの【生け贄召喚】は、【魂の種子】を宿主に植え付け、ごく短期間で体内の生命を吸い取り成長させ、寄生生物を誕生させる超生体実験のように思えるのです』


 俺は頷くだけにした。

 アンジェリカが【無属性】の持ち主であり、それがペタング級なのだと言うことを、時間のないなかマチルダさんに説明するわけにいかない。

 「も~、やだ~、嘘ばっかり~」って仲の良いカップルが野外でよくやる性行為ペッティング――その手がたくましい彼の胸元にヒットするだけで、数十秒後には「おめでたです。なんと六つ子です。残念ですがお母さん(?)は出産のショックで亡くなられてしまいました」となるのだ。

 映画『エイリアン』を見た俺だからわかる。

 アンジェリカの本性は、寄生蜂じゃない――もっと恐ろしいなにかだ。


『マスターの話だと、彼女は“即死”しても【身代わりにダダジムが召喚されて死ぬ】と言うことですが、にわかに信じがたい話です。真偽はこの目で見ていないので何も言えませんが、そのあとの【黒い淵】は、本当に彼女自身が発生させたものなのでしょうか』

『……よく話が読めないんだけど、結局マチルダさんはなにが言いたいんですか?』


 村に火を付けて回ってたアンジェリカと俺がダダジムで併走していたとき、アンジェリカはたしかに“魂との等価交換”だの“身代わり召喚”だののたまっていたのを覚えている。

 そして、“【黒い淵】に引きずり込んでやる”みたいなことを呟いていた。

 盗賊達の前にわざわざ姿を現し、危険な目に遭って殺されたこともあった。ゼゼロの時なんか相手が油断しなかったら返り討ちに遭っていただろう。

 ただ、そうまでして【即死】にこだわったと言うことは、少なくともアンジェリカ自身が【黒い淵】のことを知っていて、それを利用するための行動だったと考えられる。

 【黒い淵】が発生する原理や道理、理屈がわからなくても、それが手段として利用できるなら利用する。そもそも理屈や原理なんて転移者の俺たちにわかるわけがない。

 俺だって、より複雑で煩雑な方法でクグツを生み出しているのだ。召喚ルールと煩雑さはどっこいどっこいだ。

 結局、案内人イザベラから送り込まれた“転移者”はそうやって、それぞれのジョブ特性に折り合いを付けて生きていくしかないのだ。


『……もしも、“等価交換の原則”が基盤にあるのなら、彼女が“即死”……つまり、身代わり召喚を使用した数だけ、【黒い淵】に“魂を持つ者”が引きずり込まれるのではないでしょうか。私やボルンゴさんはネクロマンサーに【魄】で造られた魂を与えられたクグツですから、【黒い淵】に落ちても飲み込まれはしないようけど、抜け出すこともできません』

『身代わり召喚の数だけ、か。……そうかもしれない。ロドルクが引きずり込まれた分はゼゼロで埋めたとしても、残りは……えっと、3回……かな? たぶん。俺の知る限りじゃ』


 追憶に【アンジェリカ】ってキーワードを入れて見てたわけじゃないからな。

 それに、俺に出会ったときに血まみれだったってこともあるから、ひょっとするともう少し多いのかもしれないけど。


『頭領、黒い槍の魔族、ハルドライドさんにアーガスさん。それだと、ひとり余りますが……』

『いや、それでちょうどいい。…………お頭を死なせてクグツにするのはあきらめた。わけは後で話すけど、たぶんお頭はクグツにはできない。それより、いよいよ行き詰まったとき、お頭は“自殺して”離脱エスケープする可能性があるんだ』

『……自殺、ですか。あの方が? 私の意見でなんなのですが、頭領のような性格の方は決して自死を選んだりはしませんよ。他人を【黒い淵】に蹴落として、その人の頭の上を踏んで飛び越えるタイプです。最後まで上手に足掻くでしょう』

『俺もそう思う。今詳しく話している時間はないから簡潔に、俺のネクロマンサーとしての“確信”から言うと、お頭は死んでも自分ちの地下にある【予備の肉体】から現在の記憶を引き継いで復活できるんだ。つまり、お頭はいざとなればいつでも全部を捨てて逃げ帰ることができるわけなんだ』

『――ネクロマンサーとしての“確信”ですか』


 微かに驚きのような吐息が、糸を伝って漏れてきた気がした。


『ああ。荒唐無稽な話だと思うかもしれないけど、そうである可能性が高い』

『いえ、もちろん信じますよ。マスターのおっしゃることは白と言えば白。黒いものも白く見えますし、マスターが馬を見て「あれは鹿だ」とおっしゃったのなら、私も周囲もその瞬間から巻き込んで、首を絞めてでも認識を改めさせましょう』

『あ、ありがとう。でも今は信じてくれるってだけで十分です。理由はちゃんと後で話しますから』


 いえいえ、とマチルダさん。

 話の通じる仲間がいるって本当に頼もしい。うれしい。助けたい。


『話は戻すけど、お頭とロー公と、それにハルドライドを【黒い淵】に放り込んで、アーガスは殺害してジェイルにくれてやろうかと思う』

『頭領を【黒い淵】に叩き込むとなると、生半可な作戦や罠では難しいと思います。今こうしている間にも頭領は逃げ出す算段を考えついているかもしれません。

 ――ああ、すっかり話が逸れてしまいましたが、アンジェリカさんに会うことができて、仮に説得や話し合いが決裂し、「盗賊全員を捕らえるまで【黒い淵】の解除はしない」という方針を聞かされた場合ですが、マスターがこの村で見つけたあの井戸から村の外に避難する方法があると考えておいてください』

『あの井戸ですか?』


 ロドルク戦のときアラゴグと一時身を隠したあの井戸だ。


『いいですか、マスター。【黒い淵】は現実の存在ではありません。【黒い淵】の外側の地面に指をかけても崩れはしますが、触れることができました。逆に、【黒い淵】の内側から地上へと手を伸ばして地面に触れようとしても空を掴むばかりだったのです。あれはきっと【異空間との境界線】のような存在で、目に見えているような黒い液体ではありません。

 ですから、村の中心にある井戸にまで【黒い淵】が来ていないのでしたら、中に入り横穴から外に出ることは可能なのだと思います。ロッドと連絡を取り合って、民家の下に掘られた穴から移動することもできると思います。……そういえば、ロッドは今どこにいるのでしょうか、マスター?』


 ロッドの名が出て来てしまう。

 遅かれ速かれわかってしまうことだったのに。

 

『ロッドはしばらく前から連絡が付かないんだ。……アンジェリカを退避させたあたりから』


 卑怯者の俺は、喉の奥を詰まらせたまま続きの言葉を紡げない。

 感情云々ではなく、これ以上は言っても仕方がないとわかっているからだ。


『……そうですか。連絡が付かないと言うことは、死んでしまったか、ひょっとすると、うっかり【黒い淵】に飲み込まれてしまったかもしれませんね』


 マチルダさんがロッドの死をあっさりと受け入れるような発言をしたことにまず驚くが、この瞬間、泣き崩れてしまう人ではなかったことに改めて敬意を表した。

 動揺や涙をこぼすことで、今後の俺の方針を自分のせいで変えさすまいと奥歯を噛んで耐えているのかもしれない。


『ああ、この村の住人がとうとういなくなってしまいましたね。……悔しいですねぇ。こんなに悔しくても、すみませんねぇ、まだ【黒い淵】から抜け出せそうにありません……』


 言葉のイメージから、糸を通じていろんな感情が流れ込んでくるような気がした。

 ひょっとして、マチルダさんがアンジェリカに対して懐疑的だったのは、そのことに気がついていたからだったのだろうか。


 俺はネクロマンサーなので、クグツであるロッドが死んでしまっても【魄】を消費して蘇らせることができる。

 だけど、ロッドは俺の“クグツリスト”から消えてしまった。死体状態ですらない。どれだけ左手を伸ばしても、いないものはいない。連絡が付かないものはつかないのだ。

 ロッドは【傀儡転生】というスキルで死の淵から蘇らせた――いわゆる“生きているクグツ”で、マチルダさんやジェイルとは少し違う。

 それ故【黒い淵】に魂を選別され、飲み込まれてしまった可能性がある。


『……とにかく、呼吸も落ち着いたし、脱出するにもアンジェリカに連絡をつけておきたいな』


 というか、ダダジムら召喚獣抜きじゃ、俺はどこにも行けない気がする。


『もう少し待って動きがないようなら探しに行ってみる。会話はこのまま続けるよ』

『ああ、はい。それはもちろん……はい、そうですねぇ。本当はマスターおひとりでは動いてほしくはないのですが。次第に閉じられていく場所にいつまでもいるわけには行きませんからね。

 盗賊達もほぼ全員が出口を塞がれてしまったことに気がついているでしょうし、おそらくは、ハルドライドさんや頭領は、今頃よく周囲が見渡せる屋根の上にのぼって、動きがないか警戒しているでしょう。

 屋根の上と言えば、アーガスさんは私と会って膝の皿を砕かれていますから、まともに動くことができません。頭領が彼を置き去りにするか、それはわかりませんが、……ただ、あくまで【黒い淵】が発生しているのは地面と接触がある地表面だけで、民家を飲み込んだり、民家の床上まで浸食してくるということがないようです』


 井戸まで足下に気をつけながら進むべきか、アンジェリカの応答を待つべきか、迷ったが結局俺は進むことにした。

 俺は慎重に周囲を確かめながら民家の壁沿いをそろそろと進んでいく。

 ブロブは【黒い淵】の探知機能でもあるのか、もにゅもにゅと安全な方向を指し示してくれる。

 少なくとも従っていれば【黒い淵】に片足を突っ込むことはなさそうだ。

 すでに右指のブロブにはアンジェリカに連絡するように伝えてある。

 ……ちなみに、ブロブ君はどうやら右指の指輪のそばがお気に入りのようだ。言葉巧みに誘ってみても頑なに離れようとしない。ちっ。


『ハルドライドあたりは……なんか、弓矢で狙ってきそうだな』

『その可能性はあります。村には数軒だけですが住人の道楽で弓矢が置かれている家がありました。ただ、弓術士用の魔石の入った弓ではありませんが、戦士ならどんな武器でも魔力を込めて扱うことができます。なるべく軒下を通るようにしてください』


 そうは言うが、民家と民家は離れていて、どうしても月明かりに俺の影が映ってしまう瞬間がある。

 やけにシンとした周囲の静けさが、ただひとり影を纏って草音を立てている俺をあざ笑うかのようだ。

 いくつか【黒い淵】が派生している箇所を横切り、時には民家の中を通り抜ける。

 その間、ヒレイには遭遇も発見もできていない。


ダダジムを得た今、アンジェリカは【黒い淵】を使って、すべてを犠牲にする覚悟で盗賊退治優先で動いている可能性もあるんだよな。大人しくしてればいいのに。……実はまたハルドライドに追いかけられたりして』


 マチルダさんと笑い合う。

 もしそうだったらとても笑える状況じゃないのだけど、ダダジムがいる限りやすやすと捕まったりはしないだろう。

 移動を再開する。さっきから脳内でピンクパンサーの音楽が流れているが、それが運動会でよくかかる“天国と地獄”に変わらないことを願う。


『…………そういう意味であいつ、ホント、自分で“即死”を誘ってまで行動を起こしていたんだよな。よっぽど悔しかったんだろうな』

『すべて覚悟の上だったのかもしれませんね。ロッドがいなくなったのも、ロッドをわざと【黒い淵】に落とすとは考えにくいですから、事故かなにかでしょうが、引きずり込まれそうになっても【黒い淵】を止めなかったのは、覚悟か、それとも単に自身では止められなかったか、ですね』


 ――長かったが、ようやくマチルダさんが言いたかったことがわかった。

 制御不能状態。

 “止めなかった”、ではなく、もう自分じゃ“止められなかった”、であるなら、【黒い淵】は次の【魂の贄】を誰にするかを決めていないことになる。

 それが、俺でないと誰が保証してくれるのだろうか。もしもの場合、俺を助ける方法なんてあるのか。


 考えろ、考えろ。

 最悪を避けて、最善を尽くすんだ。


 ――と、剣戟の音と共に、近隣住民の安寧を脅かしそうな通報案件DQNが近づいてきた。


「――あ゛あ゛?! じゃあよ、テメェは本気で俺のこと羨ましいとか思ってんのかよ?!」

「そうだヨー。ジェイルはボクみたいにお金やヒトと交換で売られたりしてないヨー。お父ちゃんの『見聞を広める』なんて言葉、嘘だヨー。長老達はボクがネクロマンサーの力が足りないことを嘆いていたし、集落の子達はボクを指さしてゲラゲラ嗤っていたヨー」

「それでもお前の家族はお前が売られることに抗議して最後まで守ろうとしたんだろうが。テメェの不甲斐なさに家族を巻き込んでるんじゃねーぞ。

 だいたい、族長の次男が村で一番才能がないってなったら、そりゃ売るしかねーだろうが」

「売らないでほしいヨー」

「馬鹿かテメェ。兄貴が村で一番才能があって、次期当主確実なのに、その弟がクズってんなら集落を追い出されて当然じゃねーか。……いいか、テメェが世間知らずで馬鹿だから言ってやる。

 お前の尊敬するその兄貴がどれだけの傑物かは知らねぇがよ、その才能と当主の座を妬んだり、引きずり下ろそうとする腹のやからってのは必ず存在するもんだぜ。そして、いざってときにはよ、その兄貴の弱点を突いて盤石だったはずのテメェんとこの組織体系が瓦解させられるかもしれねぇだろ」

「お兄ちゃんは頭がいいヨー。ボクなんかよりみんなにずっと好かれてて、なのにボクにも優しくて、弱点なんてないヨー」

「弱点はテメェのことだろうが。馬鹿で才能のないテメェが有能な兄貴のそばにいること、仲のいい弟でいることが最大の弱点になるんだよ。馬鹿なお前をそそのかして、取り返しの付かない事件を起こさせて、その責任の所在を過大解釈してお前の兄貴にまでおっかぶせてしまうんだろうぜ」

「み、みんなはそんなことしないヨー」

「はっ、どうだかな。お前の兄貴やその親父さえいなけりゃウチが一族の長に収まっていたのにってブツブツぼやいているのぐらいはいただろうが。そういうのがお前を虐めてた連中じゃなかったのかよ?」

「そ、そんなの……ヨー」


 二人が隠れている俺の頭上を駆け抜けていく。

 ただ、会話とは裏腹に屋根瓦をまき散らすほどのロー公の槍裁きの雷襲と、屋根の上を氷上とでも思っているのか、滑るように華麗に移動していくジェイルとお付きのアラゴグペア。 

 ぱっと見、致命傷こそはない感じだったけど、真新しい傷がいくつもついていた。

 あと今の会話でロー公の槍裁きが精巧な棘突連撃から、振り回して叩き付けるような、怒りや憤りにまかせた乱暴で雑な攻撃に変わっていた。

 ジェイルとの会話でロー公も動揺しているのかもしれない。


 ぽけっと口を開けたまま見送っていると、ジェイルからキャッチが入った。

 マチルダさんに断りを入れて、ジェイルに応答する。


『上から丸見えだぞ。ボケたじじいじゃあるまいし、ウロウロしてねぇで家に閉じこもって布団でもかぶっていた方がいいんじゃねーか? 顔色悪ぃぞ』

『ほっとけ。あと、今の話おまえのか?』

『さあな。……それより、ハルドライド見つけたんでレンガ投げつけといたぜ。相変わらず女のケツを追いかけていたからよ』

『アンジェリカか?! でもあいつ、ダダジムに乗ってなかったか?』

『いや、追いかけられてたぜ。この忙しいのにわざわざ助けてやったってのに、なんか指さして睨まれたぜ。礼ぐらい言えばいいのによ』


 よかった。ダダジムと合流する前のことか。

 

『……ちなみに、お前はアンジェリカとヤったのか?』

『あん? やってねーよ。ハルドライドが突っ込んだやつ、そのまま抱くとか考えられねぇぜ。気持ちわりい。あいつらどんな神経してんだって感じだ。まあ、最初に指輪盗んで引っぱたいて気絶させたのは俺だけどよ』

『ああ、まあ、それなら、まあ』


 アラゴグ背負ってるのが見えただろうし、俺のクグツってこともわかっただろう……たぶん。


『それより、大丈夫だってんだからトーダはほっとくけどよ、ローのヤツの相手はいつまで続けるんだ? 姿は見えねぇけど、糞ガキとマチルダはまじめに仕事してんのかよ』

『ロッドはどこにいるのかわからないけど、マチルダさんがお頭の罠に引っかかって【黒い淵】に落とされた。抜け出せないみたいだから、ジェイルが行って助けてやれないか?』

『――ハッ、まぬけな女だな。テメェで何とかしろって言っとけよ。こっちはローの相手で精一杯なんだよ。なんならトーダが代わるかよ』

『……いや、お前はそのままでいい。またどっかでアンジェリカが困っているようだったらなんとなく助けてやってくれ。お前の背負ってるそれ、大蜘蛛のアラゴグはアンジェリカからの借り物なんだからな』

『ま、見かけたらな。そういやあのクソ女をチラッと見かけたぜ。すぐに隠れたから殺せなかったけど、トーダの跡を追ってるみたいだったからよ、一応用心しとくんだな』

『ああ、わかったよ』

『じゃーな』

『あ、ちょっと待て。さっきの通信をすぐに切ったのはロー公の猛攻をしのいでいたからなんだよな? 精一杯にしては今回はやけに饒舌じゃないか』

『あん? だから、屋根に上っている兄ちゃんを見つけて介抱してたんだぜ。トーダがさっき兄ちゃんの居場所を俺に教えたろ』

『……助けたのか? お前さっきロー公で精一杯って……』

『当たり前だろ、俺の兄ちゃんだぞ? 膝の皿が割れてたから脚を固定するもの探してきて、黒いヘドロが付いていたから取ってやって、下に降りたいっつーから下ろしてやったりとかな。兄ちゃん、急にしおらしくなっててよ「ありがとう、弟よ」だってよ、カーーーッ~~。トーダにも聞かせてやりたかったぜ。ローの野郎が槍振り回す中、兄ちゃんの世話で忙しいのにトーダと話なんかできるかよ――いちゃ……が』


 通信が切れる。

 俺がうっかりを装って切ったのか、ジェイルが切ったのかわからないがフェードアウトするように通信が切れてしまう。

 まあいいやと思い、マチルダさんと連絡を取ろうとして――ぐにゃり、と身体が揺れた。そのまま顔面を地面にぶつけてしまう。

 倦怠感がひどい。気怠けだく纏わり付く眠気に頭を振りながら身を起こそうとして、視界が暗くなっているのに気がつく。

 

 暗視……、たぶん、暗視スキルがオフになったのかもしれない。

 それにしてはすべてが暗い。昏い。目の前の自分の指すら見えない。

 まいったな。お頭と対戦したときに一般スキルが全部オンになっていることを確認したばかりのに。

 いや違うな、ずっとオンになっていたから時間が来てオフになっただけだろう。

 ……疲れた。

 俺も少しだけオフにしよう。


 ――ふと、誰かが歩み寄ってくるような気配がした。

 ああ、起きないと。でも起きるってどうやるんだっけ。唇が細かく痙攣する。


「そのままでいいよ。無理に身体を動かさない方がいいね。君は魔力の使いすぎで心身に負担をかけ過ぎている状態なんだよ」


 柔らかな声音は若い女性のものだった。

 聞いたことがあるような気もするし、初めてのような気もする。

 ……なんだろう、とても安心する声だ。


「僕たち“選出者”の魔力の最大値は、基本的にレベルに依存しているんだ。レベルを上げるごとに最大値が上がっていく。だからといって、レベルが上がったところで上昇分がすぐさま補填されるわけでもないからね。自身の魔力を回復させるには、何もせずにただ休むことなんだ。

 最初は自身の魔力の許容量がとても低く設定されているからね。だから、慣れていない低いレベルのうちから、たくさんのスキルを同時に使おうとすると魔力が活動限界値を下回って身体が悲鳴を上げ始める。

 ――たとえるなら、喉の渇きと同じだね。十分な食事を終えた状態が100%とするなら、トーダ君の今の状態は15%をわずかに切ったところだろうか。喉がカラカラな状態だよ。日陰に入って、休んで、十分に水分を取るべきなんだ。幸い、僕たち“選出者”は魔力の回復も比較的早い。過度な魔力放出状態や、一般スキルを多用していない状態なら、1分に1%くらい自動的に回復してくれるはずなんだ」


 ……『僕っ』だ。アンジェリカでないことだけはわかる。 

 額に当てられた手のひらは柔らかく、いいにおいがして、とても落ち着く。

 

「イザベラを覚えているだろう? 彼女が言っていたんだ、『この世界での選出者の死因、第一位は“自殺”』だと。もっとも、こんな世界に送り込まれて、本当に自殺してしまった子は少なくないと思うよ。でもね、実際に死んでしまった子の大半は、自身の魔力の枯渇によるものなんだ。スキル依存による魔力の使いすぎ――つまり心身冥々だね。一般スキルは自動制御が働いてオフに切り替わるけれど、自分の意志で行うジョブスキル系は、使い方を調節しないと今のように魔力が枯渇して動けなくなってしまうんだ。

 トーダ君、口を開けてもらえるかな。今から魔力を回復する飲み物を口元まで持ってきているから」


 俺は何も考えず、口を開けた。毒では死なない自信があるからだ。

 頭を抱えられ、少しだけ身を起こされる。ぼんやりとなすがままだ。

 唇に、遠慮がちに小瓶の縁があたり、そっと液体が流れ込んできた。

 少しずつ、小分けに、ゆっくりと傾けられる。


「転生者のほとんどは学校や親、周囲の仲間達から教わることができることだけど、転移者はそうはいかない。ジョブ専用スキルは――、ああ、トーダ君は初めてレベルが上がったときにステータスの上昇方式を“ジョブ専用方式”に切り替えたようだね。……うん、僕もそれが正しいと思うよ。

 僕たちはそれぞれのジョブでSランクの才能を持つ選出者だろう? Aクラス以下を寄せ付けない理由はね、レベルアップ時のステータスの上昇にあるんだ。

 ステータス上昇には“ジョブ専用方式”と“一般方式”の二つがあってね、トーダ君も初レベルアップ時に読んだと思うけれど、“ジョブ専用方式”を選んだ場合、ネクロマンサーのジョブスキルが、『通常の10分の1』の魔力であつかうことができるようになって、“一般方式”の場合はレベル上がるごとに底上げされる魔力の上限値が『通常の10倍』になるんだ。どちらも一長一短があるのだけど、魔力枯渇で死んでしまう可能性があるのは断然、“一般方式”の方だからね。魔力枯渇は事故扱いにはならなくて、自殺と見なされるらしくてね、それで死因の1位がずっと変わらないままなんだよ。

 トーダ君は一般スキルを常時オン状態にして、立て続けに専用スキルを使い続けたものだから全体の15%を切ってしまった。もし仮に10%を切ることがあれば、昏睡状態に陥っていたかもしれないね。さっきも言ったけど、喉が渇いて脱水状態になっているわけだから、しばらく、一般スキルをオフにしたまま、せめて20%を越えるまでこのまま休んでいるといいよ」


 ――どうせ動けないのだから、誰だかわからないが、お言葉に甘えるとしよう。

 飲み下した液体が『ソーマの滴』であるのことは舌が覚えている。

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