第106話 負けるものか

 不思議と恐怖感はなかった。

 相手が錬金術師という非戦闘ジョブであることと、【神経属性】の液体を塗りまくった出刃包丁が武器であること。 

 その出刃包丁を腰だめに構えるお頭の姿が堂に入っているのが少し笑えたくらいで。


 対してこちらも決して無防備というわけではない。

 右手の人差し指に待機したブロブ達が俺の合図を待っていた。

 バーサーカーのロドルクには効かなかったが、圧縮ブロブ弾をまともに食らえば瞬く間に肉が灼け、軟骨すら一気に溶かしてしまうのはロッドで実践済みだ。

 お頭は頬の黒淵召喚口を隠すため頬周りをマフラーで覆っているが、目元や頭部は剥き出し状態だ。

 頭部を狙って撃ち込めば、一気に脳まで溶かし尽くせるだろう。


 お頭は俺が無防備だと勘違いして、腰溜めした出刃包丁を手に俺に体当たりを仕掛けてくる――それを、俺は正面からブロブバーストで切って捨てる。

 それで終わりだ。

 お頭はもがき苦しんで死ぬだろう。

 戦闘ジョブでもない錬金術師がブロブ弾を避けきれるはずがない。俺でも急に顔に飛んできたらまともに食らってしまうだろう。


 俺は全身でもって“白鳥しょうりの舞い”を表現し、そのときを待った。ばっさばっさ。

 お頭が小さく一歩、ぐっと踏み込んできた。


「――――っ」


 俺は反射的に右手の指をお頭に向けたが、お頭はそれ以上踏み込んでこようとはせず、俺も放たなかった。なぜか不思議な緊張感のまま動きが止まった。

 ふたりの距離は6メートルとないのだ。

 お頭からすれば2秒もかからず俺の懐に飛び込めるだろうし、俺もブロブもこの距離から外すはずもない。


 お頭がすぅっと目を細めるのを見た。

 しまったと思った。単純なフェイントに引っかかってしまった。

 「たまぁとったる!」突っ込んできたらカウンターで喰らわせてやろうと思っていたのに、それが完全にバレてしまった。


 あれ――? “バレてしまった”、だよな。「予想通りの反応だ」じゃないよな?


 ふと、さっきお頭が突然声をかけてきたとき、とっさに指を構えてしまっていたことを思い出した。

 そのときはお頭は何も反応を示さず、俺も気をそらすために美しい真白の白鳥キグナスを演じきって誤魔化したのだが……。


 お頭は隙なくジッとこちらを観察するような目で俺を見ている。

 ……十数秒経った。

 なぜ、とっとと突っ込んでこないのだろうか、疑念がわいた。

 俺の心は落ち着いている――からこその疑念だ。

 そしてその答えが俺の中でむくむくと膨らみ、二極化して選択をせまってきた。


 ブロブを頭部に放てばお頭は脳を灼かれて死ぬ。

 …………死ねば、サブンズの追憶であったように――お頭の意識は大旦那のいる町の地下タンクのなかの“予備ボディ”から復活する。


 ――なんてことだ。俺は愕然とした。

 これじゃカラのボディに100%+の【魄】を注ぎ込んでもクグツとして蘇らせることは出来ないぞ?! お頭が死んだ瞬間、予備ボディで復活? 転移? 転生? するんだからな。

 よもやお頭が二人この世界に並び立つことは考えにくい。どちらかひとりというのなら、今まで通り、転移先の予備ボディが選出者としてのお頭の復活先に選ばれるだろう。

 ちぃぃ、クグツにしたお頭に眼鏡としっぽと首輪と猫耳と靴下だけ付けさせていろいろエッチな命令を下してやろうとか考えてもいなくなかったのに、水泡に帰してしまった……。


 もうひとつは、俺のこのブロブの存在をお頭はすでに知っていて、対策を講じて現れた可能性だ。

 ……そういえば、少し前「れいがーん!」って圧縮ブロブ弾をロドルクに放っていて、そのブロブを回収できていないじゃないか。その場に残してきた……。

 錬金術師のスキルである『分析・解析』で生態を調べられていてもおかしくない――というか、俺ならあの時間を使って調べているに違いない。


 平常心スキルのおかげでココロに変化はない。

 隠しようがないので右手の指はお頭に向いたままだ。俺にはこれしかないのだから。


 なら、この時間は何だ?

 何を待つ?


 錬金術師は無駄なことはしない。

 この時間も使って策を講じているはずだ。考えすぎか? いや、もっと考えろ。相手は錬金術師、思考回路のエキスパートだ。

 なんせ、あのマチルダさんを黒い淵に落とした――……。

 あのマチルダさんを、どうやって、罠にめた? 盗賊たちを次々葬っていった歴戦の猛者だぞ。

 ……彼女には誰も敵わなかった。マチルダさんは戦闘のエキスパートだ。

 それなのに……?


 ぞくん、と感情以外のところで何かが動いた。シマッタ、コレハジカンカセギダ。


「手首だ! ブロブショット!」


 俺は圧縮ブロブ弾をお頭の腰だめの手元に向かって放った。

 ばちぃ、と伸びていたでかい輪ゴムが縮み、皮膚に当たったような音が響いたが、ブロブ弾はその手首に張り付き溶かすことなく、弾かれた。

 ロドルクほどでもないが、どうやってなのか、お頭はブロブ弾を無効化していた。


「っっ~~」


 お頭が痛みに顔をしかめるのが見えたが、それを見越して両手で出刃包丁を構えていたのか、武器を取り落とすことはなかった。

 ――残弾5発。

 どう、切り抜ける?!


 右足を引いた。

 とん、と背中が樹にぶつかった。

 前を向いたまま、左手でその存在に触れ、左足の位置を整える。


「今さら痛みなんて効くか!! 死ね!! お前はかすり傷だけでも動けなくなるんだからな!! わぁぁぁぁ!! やぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」 


 お頭が俺を追い立てるように吠えた。腹から絞り出すようなドスの利いた大声だった。

 これから絶対の意志を持って俺を刺し貫くのだと、自分を鼓舞するような、そんな雄叫おたけびだった。

 俺は身を翻すと、逃げの一手を打った――――なのに、ぐん、と樹にはりついた左手がまるで手枷てかせの鎖のように俺をつなぎ止め、逃がさなかった。 


 なんで、と思ったが、振り払おうとして藻掻いても左手は樹から離れなかった。

 どうやら5発のうち1ぷにょがいつの間にか左手に移動していたようだった。

 その1ぷにょが反旗を翻したのだ。


「死ねぇぇぇぇぇ!!」


 お頭が吠えて突っ込んでくる。


 裏切り? 仲間はずれ? 統制取れてない? 嘘だろ? なんで、今、どうして?

 感情はコントロールされているせいか、焦りではないなにかに背を追われているような感覚を覚えたが、それをなんと形象すればよいのか知覚できないでいるもどかしさがあった。


 肩が外れんばかりに左手を引くと、べりっと樹の皮が剥がれた。 

 安堵すると同時に、左掌の皮が無事なのに気がつく。


 ひょっとして、“逃げるな”って言ってるのかな? “立ち向かえ”って。


 お頭が勢いよく突っ込んでくる。

 もう一刻の猶予もなかった。


 右手が勝手に跳ね上がる。

 驚く俺を尻目に、自分たちで勝手にブロブバーストを放った。

 2発ともお頭の持つ出刃包丁に当たる。

 鉄を溶かせるものか??

 刹那の思考でそう思ったが、次の瞬間、その出刃包丁がひるがえり、俺は頬を切られていた。


 ガツン、とした堅い衝撃に頬骨がきしむのを感じた。


 ――チッ、とお頭の舌打ち。


 舌打ちをしたいのはこっちの方だと思ったが、それよりも速く、お頭はさらにドロップキックを仕掛けてきた。 

 なんで――? と思ったが、殺し合いに“なんで”もなにもあったものではないと頭の片隅で気がつく。

 小柄のお頭とはいえ、飛び上がってのドロップキックは俺を背後の樹に叩き付けるだけの威力はあった。背骨がきしみ、肺が絞られる。

 ぐぁっと喉の奥から悲鳴が漏れるのを、俺は他人事のように感じた。


「くそっ!」


 またお頭の罵声。

 その台詞はこっちが言いたい。なんで攻撃を加えているお頭が悔しがっているんだ?

 さっぱりわからず、俺は痛みに耐えるために奥歯を噛みしめる。

 お頭はさらに追撃しようと出刃包丁を振り上げ、こちらに駆け寄ってこようとして――派手にずっこけた。

 バナナの皮でも踏んづけたかのような派手なすっころび具合だった。


「チッ、くそが! 邪魔ばかりして――、ぁ、しま――」


 お頭が踏んづけたのが馬糞だったのだろうかという勢いで靴を脱ぐと、すぐさま俺の後ろの草むらに投げ捨てた。

 そして言った「――、ぁ」の言葉。まるで失言のようだなぁ、なんて思――


 ――その後に続く、ぼちゃ、という池に靴でも落としたような音が俺の耳に届いた。


「???」


 それが何を意味するのか、鈍い俺にはさっぱりだったが、その音が聞こえた瞬間、お頭は俺の反応を伺うようにこちらに目を向けていた。

 水音のした草むらの先は、さっきアンジェリカとハルドライドがいた場所につながっている。俺がトラビスのカラダを操ってヨチヨチ歩いていったときには水たまりなんてなかったはずだ。

 まだ状況がよくつかめないが、俺は背中の痛みを無視して身を起こすと、二、三歩お頭から距離をとった。


「逃がすか!」


 逃がすか? その言葉に違和感を感じつつも、俺は呼吸を整えた。

 お頭は手にした出刃包丁を手放すと、懐から何かを取り出し、今度は躊躇ちゅうちょなくこちらに向けて投擲してきた。

 無意識だったのか、それともブロブが勝手に動いたのか、圧縮ブロブ弾がそれを撃ち落とした。


 それはダーツだった。

 お頭が続けざまもう1発を投擲する。だがそれは、投げた瞬間、別方向から撃ち落とされた。

 射出口は――お頭の足下の出刃包丁だった。正確に言えば、出刃包丁に貼り付いていたブロブ2ぷにょの内、1ぷにょが射出されたのだろう。

 そういえば、と俺は頬に手を当てた。

 じんじんと痛む頬から血が出ていないことに気がついた。出刃包丁で切られたはずなのに。

 ……おそらくは、あのブロブ達が出刃包丁の刃の部分を自分たちのカラダで覆って、切れなくしたのだろう。


 そしてもうひとつ。

 ダーツの先にも【神経属性】の劇薬が塗られていて、そっちが本命だったのだろうと、お頭の歯がみするような目が俺に訴えかけていた。


 さらに2歩、3歩と俺は慎重に距離をとって行く。

 お頭が出刃包丁を拾って投げる格好をした。俺は思わず右手を構えたが、お頭は出刃包丁を投げては来ず、代わりに、


「逃げるなら、後ろに捨てるぞ。……いいんだな?」


 よくわからないことを言った。

 よくわからなかったが、どうやらお頭にはもう俺をこれ以上追い詰めるための策が尽きたとみえて、俺がさらに後ろに下がり続けるのを黙って見ていた。

 12メートルほど距離が開くと、お頭は出刃包丁を後ろに投げ捨てた。


 ――ぼちゃん、とまた水音がした。

 右手人差し指のブロブがきゅっと締まるのを感じた。


 俺はさらに数メートル後ずさりし、お頭が追ってくるような仕草を見せないのを確認すると、俺は一気にかけだした。


 走って、走って、もう安全だろうって所まで走ると、俺は倒れ込むように地面に大の字で寝転がった。

 そのまま呼吸が整うまで待った。

 身を起こして、額の汗を拭う――ふと、残弾数が残り1ぷにょだったことに気がついた。


「危なかった……。もしも俺が気がついていたら、お頭が俺の表情から察して出刃包丁を投げて来ただろうし、俺はそれを避けられなかった……」


 お頭が出刃包丁を投げてこなかったのは、俺に撃ち落とされることを想定してだろうけど、最後の「後ろに捨てるぞ。……いいんだな?」はなんだろう。脅迫するような意味合いだっただろうけど、「本当に武器を捨てていいんだな?! 捨てるぞ。丸腰になるぞ。今ならまだ間に合うぞ。悲しくて泣くかもしれんぞ。それでもいいんだな?」ってな感じだろうか。

 意味がわからない。

 女の考えることはよくわからない……。


 とにかく危機は脱したのだ。

 次はマチルダさんの問題を解決しないといけない。

 俺は連絡網の糸を引っ掴むと、マチルダさんに声を飛ばした。


『マチルダさん、今どんな状態ですか? 危機は脱せそうですか?』


 一拍の後、


『申し訳ありません、マスター。不甲斐ない報告で申し訳ないのですが、未だに黒い淵からの脱出は困難を極めています。一時は身体の半分までは抜け出せたのですが、重力と張力、そしてあの黒い手に捕まってしまうんです』

『わかりました。俺も考えますから、一緒に頑張りましょう。今どこにいますか? 場所を教えてもらえませんか?』

『いいえ、申し出は有り難いのですが、来てはいけません。黒い淵はすでに直径10メートル以上に広がって来ています。マスターが来られても決していいことはないでしょう。それよりもアンジェリカさんを探して、この黒い淵を閉じてもらうことは出来ないでしょうか。このままいても、私がこの黒い淵に飲み込まれてしまうことも脱出することもできそうにありませんから』

『そう――ですね。それが最も堅実的な方法かもしれません。わかりました。アンジェリカを探してみます』

『はい――、あとひとつ気になったことをお伝えします。私を黒い淵に落とした頭領のことです』


 気になったこと? お頭のことで?

 俺はマチルダさんの言葉を一字一句漏らすまいと、糸を掴む手に意志を込めた。


『頭領を見つけた私は彼女を追い詰めました。彼女は“ガラスの粉”を私にぶつけて抵抗を試みていましたが、私には効果がないことを知ると逃げの一手でした。

 たいして足も速くなく、すぐに捕まると高をくくっていた私も悪いのですが、ある民家に飛び込んだ頭領を追って私も中に入りました。

 中に入ってすぐに、血の臭いを感じて私は慎重になりました。村人の血ではありません、真新しい、あの頭領の血であることは疑いようもありませんでした。

 血は転々と廊下に落ちていました。私も左腕を失っていますが、出血は止まっていて、こうなっている今も順調に回復しつつあります。まだ時間はかかりそうですが。

 ……先ほどお伝えしましたとおり、頭領の頬には黒い淵の召喚口が取り付けられていましたので、私は頭領を追うのも難しくなく、そして頭領も決して立ち止まることが出来なかったわけです。立ち止まれば、すぐさま地面にあの黒い淵が発生してしまいますから。ただ、家の中では血痕と同じように、ただ点点てんてんと、足跡のようにそれは続いていました。地面にさえ落とさなければ黒い淵は発生しませんし、家の中ではただの黒い水滴が零れたに過ぎません。

 血痕は家の中を転々と続いていました。どこで怪我をしたのかわかりませんが、それは黒い滴よりも多く、ずっとひどい出血でした。

 私はより慎重になって頭領を探しました。

 そして見つけました。

 頭領は顔に黒い布を巻き付けていて、首元から下を血で濡らしていました。手には自分の血で汚れたシーツを持っていました。

 私は追いかけましたが、頭領はまた別の民家に飛び込んでいきました。

 ――もう、誰も住む人はいないのだから壊してでもすぐに捕まえてしまえば良かったのですが、私にはそれが出来ず、ただひたすら家々を追いかけ回す羽目になりました。

 マスターからご連絡を頂いて、報告させていただいたのがこのあたりです』


 ああ、と俺が相づちを打つ。

 この時点でマチルダさんにミスはない。ないと思う。ないんじゃないかな。


『頭領は家々を回って、シーツをかき集めているみたいでした。少なくとも3軒から集めたシーツは四枚ほどでした。どれも抱えながらの移動だったのでしょう、白いシーツが頭領の血で汚れていました。

 なぜシーツの枚数がわかったのかというと、ある民家の一室にまとめて――いえ、3枚広げて、でもそれも中途半端で、投げ捨てられたような状態で残されていました』


 マチルダさんは情景を思い出すようにゆっくりと、確認するように言葉を繋いでいく。

 それとも、今の彼女の現状がそうせざるを得ないほど、逼迫ひっぱくしているのだろうか。


『大量のシーツは出血や黒い滴を隠すためだったのだと思い、気にもとめなかったのですが、それが大きな間違いでした。

 頭領はその乱雑に散らばったシーツの向こう側にいました。窓から逃げようとしていました。その3枚のシーツには頭領が踏み越えたのだろう血染めの靴跡がありました。

 残りの1枚は頭領が顔を隠すように持っていました。

 頭領は私をみとめると窓を飛び越えて走って逃げようとしました。私は内心これで捕まえたと思いました。よく知ったその先のみちは袋小路だったからです。

 私が窓のさんに足をかけたところで、こちらに向かって手にしていたシーツを、まるで目くらましのように広げてきました。

 小賢しく思い、私は窓を乗り越えると、シーツを踏み越えて頭領に手を伸ばそうとしました。

 ですが、その手が宙を掻きました。

 足下が沈んだのです。一気に身体が黒い淵に沈みました。シーツの下すべてがいつのまにか黒い淵だったのです。

 まさか、と思いました。

 見間違いではありません。窓のところで見かけた頭領は窓から庭に降り、地面を確かに走っていました。

 シーツも私が窓の桟に足をかけたときに初めて広げたのです。シーツでもともとそこにあった黒い淵を隠そうとしていたわけじゃありません。それは、広げたシーツの下から一瞬で現れたのです』


 マチルダさんが一気に自分に起こった出来事を俺に語った。

 そして、マチルダさんは恐ろしいことを口にした。


『――もしや、と思うのですが。アンジェリカさんと頭領が私たちの知らないところで手を組んでしまっていたとしたら、どうでしょうか。

 召喚士であり、黒い淵を自在に操ることの出来る彼女が、シーツを広げた、その一瞬で黒い淵を展開させ、私を黒い淵に落とし込んだと言うことは考えられませんか?』


 俺は絶句せざるを得なかった。

 マチルダさんはアンジェリカを知らないはずだ。その知らない彼女に対して、俺から得た情報だけを頼りに、自分が陥った状況を整理し、考察を重ねてきたのだ。

 そして出て来た答えが――アンジェリカの裏切りだ。


 それは違う。

 それは違うだろう。

 だってさっき、ハルドライドに襲われかけていたアンジェリカを救出ころしたばかりなのだ。 

 それに、アンジェリカがお頭と組むなんてことはあり得ないだろう。

 そもそも何のために? 

 ……………………俺への復讐のために?


『違うと思う。アンジェリカは――そりゃ盗賊達に捕まったとわかってからもすぐに行動を起こさなかったけど、こっちの事情もあったし、結果的にダダジムを取り上げてしまったけど、こっちの事情もあるし、何度も故意に即死ころさせているけど、こっちの事情もあるわけだし……、でもあいつはそのたび【身代わり召喚】とかいうので復活を遂げてるし、ついさっきもダダジムを使って、その、助けコロシたし……』

『動機は十分ですねぇ』


 しみじみと、しんみりといった感じのマチルダさん。

 まるで孫の悪事を叱らないおばあちゃんといった感じだった。


『だから違うって。アンジェリカはそんなヤツじゃない。今から俺がアンジェリカの濡れ衣を晴らしてみせるから。――真実は、たったひとつだから』

『マスターがそう信じていらっしゃるいうのでしたら、私も考えを改めることにします。……ただ、考えるにしても行動するにしても、地面でないところでした方が良いかもしれません。

 ――おそらくですが、この村はすでに黒い淵で村の周囲を取り囲まれています』

『なんだって?!』

『少なくとも、破壊された板壁周辺は黒い淵が広がっていましたし、村の入り口も同じように塞がれていました。それに頭領も転々と移動を繰り返しましたし、その都度、頬の黒淵召喚口から黒い滴が地面に落ちていたのを確認しています。

 さすがに点々としずく程度ですから、わずかな時間で人ひとりが飲み込まれるような大きさには広がらないでしょうが、足下をすくわれる可能性があります』

『マチルダさんはお頭を追いかけている間、それをずっと警戒していたんですか?』

『はい。何か仕掛けてくるだろうということはわかっていました。先ほどお伝えしたとおり、アーガスさんにも一杯食わされて、私は片腕の状態ですから、より慎重に行動していたつもりでした』


 トーンこそ変わらないが、しょんぼりとした感じが糸を伝って流れ込んでくる。


『いや、いいんだ。マチルダさんは慎重に行動をしていた…………、お頭が一枚上手だったということなんだ』

『認めたくはありませんが、そういうことなんでしょうねぇ』

『今は反省会をしている場合じゃない。マチルダさんも今から話すことを聞いて推理してほしい。俺だけじゃ理解しがたいことが多すぎる』

『わかりました。私なんかでよければ――いえ、私だけがマスターのお役に立てるはずです』


 ずしん、と熱い想いが伝わってくる。

 俺はマチルダさんにさっき起こったことを話すことにした。

 アンジェリカと出会い、ハルドライドを振り払い、お頭と接触し、危ういところで命からがら逃げ出してきたこと。

 それらを相づちを打つマチルダさんに聞かせながら、自分なりにすべてを再構成してみる。

 最後まで聞き終えると、マチルダさんは言った。


『マスターが聞いた“水音”というのは、おそらく【黒い淵】のことでしょう。

 頭領は出刃包丁に液体をかけたとおっしゃいましたが、目の前でそう見せることで視覚に真実みを与え、“神経属性”で危険な武器として認識させるのが目的だったのでしょう。振り回すことで十分牽制になります。それにどうしても目で追ってしまうため、他の重要なことを見落としてしまいます。

 続いて、頭領が大声を上げたと言いましたが、これは完全に威嚇と虚勢、それに追い込みが目的でしょう。マスターから戦意を喪失させ、背を見せて逃げ出させるためです。ダーツを2本所持していたとおっしゃいましたが、もし仮に“神経属性”なる劇薬を所有しているのでしたら、そのダーツの針にたっぷりと塗られていたでしょう。

 途中、ドロップキックで攻撃されたとおっしゃいましたが、これは完全に背後の樹に守られましたね。おそらくは、そのすぐ後ろに――いえ、さっき言いましたか、【黒い淵】が展開していたと思います。体当たりでは捕まれてしまう可能性があるため、両足で体重を乗せたのでしょう。

 ――でも、それが明暗を分けたわけですからね』

『というと?』


 一拍の後、


『左手のブロブがそのときに頭領の靴に貼り付いたのでしょう。ブロブは2体――失礼しました、2ぷにょ以上いないと射出されないとのことですから。ゼロ距離で役立てるのは左手のブロブの方でしょう』

 

 マチルダさんは丁寧に訂正を入れてくれる。この人のこういうところ好きだなぁ、とほっこりする。


『その靴がブロブの粘液で溶かされ始め、頭領は急いで靴を脱ぎ捨てた――それが、うっかり黒い淵に落ちて水音を立てたというわけです。

 続いての謎ですが、頭領の“逃げるなら、後ろに捨てるぞ”との言葉ですが、マスターが、黒い淵が自分のすぐ背後にあると気がついていると見越した上での発言だったのでしょうが、乗らなくて正解です』

『………………』


 小さく吸った息を胃の中に、喉を鳴らして飲み込んで、目を閉じる。深く、強く。

 息を閉じて強く――。


『乗ってはいけません。マスター、いけません。それはいけないことです』

『ああ。乗らない』

『これからもですか?』

『ああ。乗らない。相手がマチルダさんであっても、ジェイルであっても、ロ――、アンジェリカであっても、俺は乗らない』

『よく出来ました』


 マチルダさんが喜んでくれた。

 それが糸から伝わってくる。ロッドのことはまだ伝えられない。

 ぽたり、と鼻から鼻血が零れてきた。

 先ほどまで止まっていたのに、俺が無意識に力を込めたせいだろう。鼻血は俺の手のひらにぽたぽたと落ち、なにか止めるものはないかとポケット等を探していると、それが地面に落ち、ぽたぽたと吸い込まれていった。

 

 ――あれ? と気がつく。

 とたんに血圧が上がり、さらにぽたぽたぽたと鼻から流れ落ちてくる。

 耳の奥がじんじんと痛み、視界が赤く染まるようだった。


『謎はすべて解けた――』


 俺は一度だけ鼻血を袖口で拭くと、マチルダさんに言った。

 今度は俺の番だ。


『お頭が一瞬にして【黒い淵】を造りだして、マチルダさんを嵌めたか、わかりました』

『本当ですか?』

『マチルダさんは、お頭が怪我をするところを見てはいないんですよね?』

『あ、はい。いくつかの民家の中を逃げ回るうちに、いきなり手負いになったといった印象を受けました。一瞬、ジェイルがやってきて切りつけたのかと思いました』

『違います。ジェイルはロー公との戦闘でそれどころではないんだと思います。いつの間にかお頭は顔に黒い布を巻いていていて、首元が血で濡れていたと言いましたね?』

『はい、その通りです。肩か首元を転んだ拍子に切ったのかと思いましたが』

『俺と会ったとき、お頭は出刃包丁を持っていました。それで自分の頬――つまり、黒淵の召喚口を切り落としたと思われます』


 そんな、とマチルダさんが言った。


『それで“頬から”の黒い滴は止まったでしょう。黒い布は時間のないなか、それを悟らせないためだと思います。そして、手に入れた【黒い滴の湧き出る肉片】をマチルダさんを嵌める罠に利用したわけです』

『そんな?! でも一瞬ですよ。といっても、確かに毎回違う民家に逃げ込むので数秒は姿を確認できない時はありましたが、それでも一瞬で私の身体を沈めさせるような量の黒い滴を集めたり、ばらまいたり、黒い淵が広がる時間を与えたりしてはいないはずですよ?!』


 そうなのだ。

 話を聞く限り、マチルダさんとお頭は一進一退で民家という民家を駆け回り、鬼気迫る追いかけっこをしていた。しかも同じ場所は二度通っていないという。

 そんな状態で、なぜマチルダさんを嵌めることができたかというと――


『お頭は村の襲撃のあと、すべての民家――いえ、追いかけっこに使った民家すべてに入ったことがあり、その内部構造を【記憶】していました』

『まさか……。でも記憶していただけであんなに動き回れるでしょうか』

『確信は持てませんけど、その【記憶】を元に逃げルートを構成し、途中でシーツを集め、血を拭って汚し、自分の足跡まで付けて……あることをカムフラージュさせたわけです』

『あること――とはなんでしょうか』


 俺は息を吸うと、言葉を紡いだ。


『【黒淵の召喚口の肉片】をわずかな時間を稼ぎながらシーツの裏にねじり付けていったんです。たとえばペンキでシーツの裏を汚していくように。召喚口は無限増に黒い滴を排出しているでしょうし、塗りたくるには十分でしょう。

 少しずつ少しずつシーツの裏側ばかりを塗っていったのでしょう。幸いにも地面に落ちなければ黒い淵は発生しませんし、シーツでくるみ続けていたら勝手に黒い滴がシーツに染みこんでいったかもしれません。

 自分の血の赤は、黒い滴を意識的に見せないためのカムフラージュ』

『ですが、なんのためにそんなことを――、ぁ?!!』


 マチルダさんからある感情が届けられる。

 俺と同じ答えにたどり着いた、そんな感情だった。


『先の3枚のシーツは4枚目を欺くためのもの。同じように汚れた4枚目のシーツの裏には――』

『黒い滴が塗られていて、それを下にして広げて置けば――地面と接触して、その瞬間【黒い淵】が……発生する。それも一瞬で。ああ、だから――』


 マチルダさんがそうとは知らずに4枚目のシーツを踏み――抜いて、黒い淵に全身を捉えられてしまったのだろう。

 おそらくこれがすべての真相だ。


『きっと同じ手口で――、あらかじめ俺の背後に回り込んで、【黒淵の召喚口の肉片】でもって地面に直接ねじり付けて……手で直接は危ないから、使ったのはあの出刃包丁か? あの小瓶の液体はただの水で、演出と刃に着いていた黒い滴を……それとも自分の血を洗い流すためか? 

 それで、黒い淵を発生させ、ある程度以上に表面積を広げるために時間を稼ぎ、俺をチキンのように追い込もうとしたわけか……』


 でも残念でした。

 俺はチキンではなくて、醜いアヒルでもなくて、水面を優雅に浮かぶ白鳥スワンだったのだよ。

 白鳥っぽく、いつもいつでも水面下で必死で足をバタつかせているけどね。

 沈まないように。

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