幕前

物憂く城山の主

 ここは城山ザームコヴァ・ホラー。もとは小さな丘の神殿から始まった。

 村を起こし、町を築き街を作り上げ、次第にそれらすべてが一つの集落、一つの領土となり、それ以後この城山が建設されてから300年間この地を守り続けてきた。

 街は固く堅牢な壁に覆われ、頂にはいかめしい佇まいの城がある。人々は長い年月をかけて街を盛り立て、時に外敵と戦い、この城とともに生きてきた。

 城の背後には霊峰女神の鬣ヴェレッサグリーヴァがそびえ立ち、何人も寄せ付けない威圧感を放ちこの地を見下ろしている。

 来る全き時の再来を願い、女神の眠るこの山を見守るために、天神ペルンの神子がこの地に根を下ろしたのがすべての始まりだ。


 山の頂を見上げていた男は突如胸にこみあげてきたものをどうにか飲み込んで、下を向いた。

 真っ黒な生地に包まれた自身の膝を見つめ、固く目を閉じる。

 男の名はリヒテル・アレクサンドロヴィチ・ケィウ。城山の主であり、目の前で眠る女性の義理の息子であり、無二の友でもあった。


「兄上」


 背後から聞こえた声に、リヒテルは振り返った。

 少し離れたところに、目の覚めるような美しい青年が立っていた。

 女のような細面に、ややたれ目の瞳は新緑のように透き通っている。薄茶色のゆるく波打つ髪は、後ろで束ねていた。

 今日の彼は、白い詰襟の長衣に刺繍の施された紐を腰のあたりでゆるく結び、灰色のコートを羽織っていた。首にコインを束ねたような装飾品を吊り下げ、頭にも似たような装飾品がかかっている。これはこの地に伝わる神官の正装だ。

 青年の名はイリヤ。

 彼はこの城に住まう最高位の神官であり、リヒテルの義弟でもある。


「兄上、もうそろそろ」


 遠慮がちに、けれど促すようにイリヤが申し出る。イリヤの後ろに立つのは穴を掘るための土工具を持った男の使用人数人と、これから永久の別れを告げる女の世話をしていた使用人が数名。

 この場にいる全員合わせて数えたところで、葬儀と呼ぶにはあまりに閑散としすぎている。

 男は自身が跪いていた場所からゆっくりと立ち上がり、黒い上着に付着した土を払った。


「いいぞ。やってくれ」


 そこから数歩後退すると、土工具を持った男たちがそろそろと近づいてくる。寄せられた花ごと白い布で冷たくなったその身体を覆い尽くすと、ゆっくりと湿った土をかけていく。

 ほどなくして土は人ひとりぶんに盛り上げられ、白い布も花のひとかけらも見えなくなった。

 父のときにも思ったものだが、人をこうして送り出すのは、どうしてこうもあっけないものなのか。

 何の実感も沸かないままその土の塊を見つめるリヒテルの傍らで、イリヤが葬送のための祈りの言葉を静かに唱えていく。

 リヒテルはそっと弟の横顔を盗み見る。

 いくら見ても何の感情も見いだせず、やり場のない感情だけがリヒテルの中にわだかまっていく。

 どうして、と問いかけたら何と答えるのだろうか。

 自身とうり二つのかんばせを持つ女性を見送りながら、一体何を想っているのだろう。或いは、何も思っていないのか。

 とりとめのない考えを抱えることに嫌気がさして、リヒテルは片手で額を覆った。

 疲れた。一時期に色々なことが起こり過ぎた。


「……うえ」


 なぜこうなってしまったのだろう。

 幾度となく振り返っては思い浮かべてきたこの問いに、いつも自分は答えることができない。

 いつだって、気が付いたらこうなっていた。どうしたら違う未来が選べていたのか、考えたところでいつも答えは見つからなかった。いつだってその時は、これでいいのだと、感じることができたというのに。


「兄上!」


 はっと顔を上げると、イリヤが心配そうに自分の顔を覗き込んでいた。

 見ると使用人たちは横一列に並び、頭を下げている。リヒテルが呆然としながらもご苦労、とだけ声をかけると、使用人たちはゆっくりと頭を下げて皆一様に去っていった。


「兄上、どうなされたのです。やはり疲れがたまっておいではなのでは……」

「あ、ああ……いや、大丈夫だ。問題ない」

「しかし……」


 あらためて弟の顔を見ると、胸がざわめく。今しがた送ったばかりの女がこちらを見つめているような気がして、リヒテルはざわつく心臓を必死に押しとどめながらも、イリヤから目をそらした。


「本当に大丈夫だ。……すまない。おれがこんなことでは示しがつかないな」

「そんなことはありません。兄上はいつだってご立派です。ぼくはあなたを尊敬しています」

「……ありがとうな」


 こう純粋な敬慕の眼差しを向けられると、余計にリヒテルのなかにある罪悪感が煽られる。いつものようにゆるく頭を撫でてやると、イリヤは嬉しそうにはにかんだ。

 イリヤの中にある純真さはいつだってまっすぐにリヒテルに向けられてきた。

 それを解っているからこそ、自分の力不足が招いた歪みが恨めしい。誰にも罪はない。あるとしたら己の中にある。

 再び意識が暗く沈みかけたとき、手の甲にそっとぬくもりが触れた。


「あの、兄上。よろしければ、提案があるのですが……」


 手に触れるぬくもりは確かなのに、見上げてくるその微笑は、ゾッとするほどに記憶の中にある笑顔と重なって見えた。

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