第二十八話 午後七時 ロッテ
その時、ロッテは見知らぬ男とともにホテルの一室にいた。
彼女はあまりの出来事に驚き、言葉を失っていたが、そうなった理由を正しく説明するためには、ここで少々時間を
*
ビルの屋上から落下したロッテを空中で抱き止めると、男はそのまま二人分の重さをものともせずに舗装された道路上に着地した。
その際、衝撃を吸収した足腰の柔らかな動きで、彼女は次のことを確信する。
――この人、私と同じだ。
そして、まずは礼を言うことにした。
抱きかかえられた姿勢から、地面に足をつける。
と同時に、彼女は男に向かって頭を下げた。
「有り難うございます」
「ああ」
「このまま着地したら足の機能に障害が出るかもしれない、って心配していたところでした」
「ああ」
「だから、おかげでとても助かりました」
「ああ」
そこでロッテは言葉を切る。見知らぬ男も黙った。
――これぐらいでいいかな。
彼女は、これで相手に対する礼儀を
「ところで、フローラさんを物陰から監視していたようですが、ストーカーか何かなんですか?」
「君には関係のないことだ」
「あります。フローラさんは兄のお客様ですから、その妹としては大いに関係があるのです」
「ということは、君は姫君なのか?」
「その通りです。それで分かりました。兄がこの星の王子――今は国王代行ですけれど、そのことは知っているのに、私が王女であることを知らない。つまりは、外から来た方ということになりますね。まあ、フローラさんをここまで追いかけてきたわけですから、当たり前ですけど」
「いや、追いかけるとか……」
「そうじゃないのですか? 理由もなくこそこそと物陰に隠れて見張っているだなんて、余計に変です。絶対におかしいです」
「だから、君が考えているようなことは……」
「ないと言うのですか? じゃあ、何をなさっていたというのですか?」
「……」
男は黙り込む。
それでロッテは内心考えた。
――やっぱり、この男は悪人ではない。
怒鳴ったりする前に黙り込むのが、その証拠である。
それに畳み掛けてくる女に弱い男は、だいたいが姉がいて、小さい頃からその姉に可愛がられたタイプだ。だから、女に対して強い態度に出られない。
妹がいる方だと、逆に「お兄さん」として主導権を握ろうとしてくるのが普通だろう。
「悪いが忙しいので失礼する」
そう言って
「駄目です。ちゃんと答えてくれるまで絶対に離れません」
「いや、ちょっと待て」
「いいえ、待ちません。用事があるのならば、どうぞそちらに専念なさってください。私はその様子を見守りますので」
「無理をすると、またさっきみたいにビルから落ちることになるぞ」
「別に構いません」
「いや、構う」
「私は構いません」
「俺が困るといっているんだよ」
「どうぞ困って下さい。嫌ならば事情を説明して頂けますか。ここで何も言わずに逃げようとされた場合、そして私が貴方を見失った場合には、兄に『不審人物がフローラさんを見張っていた』と告げます」
「……それも困る」
「だから、大いに困って下さい」
「……」
それまで無表情だった男の顔に、
――めんどくさい奴だな。
という表情がちらりと浮かんだので、ロッテはさらに攻勢に出た。
「今、『面倒な女だな』って思いましたね。その通りです。私はこの星の王女で、この星に来て頂いた正式なお客様に、安全に滞在して頂くという責任があります」
「先程の理屈で行けば、俺も客になるはずだが……」
「その通りです。貴方も他の星から来たお客様ですから、基本的には歓迎したいと思いますが、不審な点があります。だから、お客様扱いは保留にしています」
「……なんだ、その理屈は? 全然筋が通らない」
「承知しています。だからなんだというのですか?」
王女がそう言い切ると、男は明らかに面倒そうな顔をした。
論理を重視する男ほど、女の非論理的な発言に弱い。きっとこの男は、そのタイプだろう。
「……分かった。好きにすればよい」
「好きにします」
そして、男は背中を向けて歩き出し、その後ろをロッテが追いかけた。
それからというもの、ロッテは男の後ろにずっと張り付いていたのだが、特に不審な行動は見られなかった。
いや、その言い方は正確ではない。
他の星から来た観光客のはずなのに、彼はそれらしい行動を一切見せなかったから、それが不審といえば不審である。
男は路地から路地へと、軽い足取りで歩き続けた。
目的が見えない。まるで猫のように気ままな行動に思える。
そうこうしているうちに夜になり、とうとう宿泊先のホテルまで追いかけてしまった。
「あの、俺はもうホテルに戻ろうと思うのだけれども」
「私は絶対に離れない、そう言ったじゃありませんか」
「しかし、まさかホテルの部屋まで押しかけるつもりではないよな」
「当たり前です。そこまで非常識ではありません。ちゃんとホテルのロビーで待たせてもらうつもりです」
「いや、それだって非常識だろう?」
*
翌朝、ホテルのロビーにあったソファにロッテが腰掛けているのを見て、男の表情は案の定曇った。
「本当に一晩中そこにいたのか?」
「いけませんか?」
「いけないというか……どうしてそこまでするんだ?」
「理由をご説明頂くまでは、安心できないからです」
「いや、しかし、君の護衛役とかは……」
「いません、そんな人」
「……この星の姫君だろう?」
「でも、いません」
男が唖然としたのを見て、ロッテは内心嬉しくなった。心のガードが外れかかっている証拠だ。
「今日も一日中、俺につきまとうつもりなのか?」
「そのつもりです」
それからまた、昨日と同じような一日が始まったが、ここでそれを詳細に描写することは控える。
「ああもう、分かったよ。ちゃんと理由を説明しようじゃないか」
日が暮れて、また昨日と同じようにロッテがホテルのロビーに座り込もうとしていると、男はうんざりしたような口調でそう言った。
「さすがに二晩もレディを放置する気にはなれないからな」
「なら、昨日のうちに諦めていただければ良かったのに」
「さすがに昨日は、そうは言っても帰るはずだと思っていたからな」
「あら、ずいぶんと見くびられたものですわね」
「いや、それが普通だろう?」
男は心底うんざりした顔になったので、ロッテはつい笑ってしまった。
「ごめんなさい。馬鹿にしたわけじゃないんです。ずいぶんと我慢強い方だなと思ってしまったので、つい」
「ああ、別に怒ってはいない。それに――」
男は盛大に眉をひそめると、溜息をついてからこう言った。
「――もっと容赦ない人を知っているのでね。まだ君の方がましだ」
ロッテは男の言葉に驚いた。
まさか自分より容赦ない人物がいるとは思ってもいなかったからである。しかし、それが顔に出ることをかろうじて抑えた。
「それで、お話を聞かせていただけますか」
ロッテが話の流れを元に戻すと、男は頷いて言った。
「じゃあ、他の人に聞かれないように、俺の部屋に来てもらいたい。いいかな」
*
ということで、ロッテは男と二人きりでホテルの一室にいた。
部屋に入ると、男は室内を一通り調べ始めた。
ベッドの下はもちろん、バスルームやトイレの配管まで念入りに覗き込んでいる。
その様子を、後ろに付き従いながらロッテは見つめていた。
男は室内のチェックを終えると、今度は部屋の片隅に置かれていた旅行鞄を持ち上げた。
彼の手荷物だろう。ただ、それにしては随分と小さい。二・三日分の着替えすら入らないほどの大きさである。
しかも、男はその鞄の中から大人の頭ぐらいの大きさの黒くて丸い装置を取り出した。それでは、残りのスペースには着替えすら入らない。
部屋の中にあった椅子に座ってロッテが成り行きを見守っていると、男は鞄から取り出した装置の表面を、慣れた手つきでなで回し始める。
それで、ロッテにもその装置の正体がわかった。
――ジェスチュア認証機能付の通信装置!
大学の公開講座で一度だけ見たことがある。
表面に登録された手の動きを正確に繰り返さないと、接続できない仕様になっているもので、許容誤差はミリメートルの百分の一と聞いた。
まるで
それが三十秒ほど続いたところで、装置から小さなアラーム音が流れ出た。
解錠が完了した合図である。
黒い装置の表面に小さな緑色のランプが灯り、それと同時にロッテの眼前に共用ディスプレイ画面が表示される。
そして、しばらくするとそこにある人物が表示された。
「キール、昨日はすまなかった。こちらも取り込んでいて――」
ロッテの姿に気がついたその人物が、即座に黙り込む。
その姿を見ていたロッテは、呆然とし、そして呟いた。
「どうして貴方が――」
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