第二十六話 午後三時 フローラ

 お客様の列が途切れたところで、私が少しばかり放心していると、

「フローラさん、お疲れではありませんか?」

 と、マリオンさんが声をかけてくれました。

「あ、有り難うございます。その……実は疲れました」

 私は少し躊躇ってから、正直にそう言います。

 それを見たマリオンさんは可愛らしく微笑むと、

「お客様も切れましたので、ここでまた休憩にしましょう」

 結局、私は王宮の食堂でマリオンさんと一緒に、朝食から昼食にかけてのお手伝いをしてしまいました。

 状況が逼迫ひっぱくしていることは分かっていたのですが、だからといって私に出来ることは現時点でこれ以外には何もありません。

 もちろん記者ですから、本来はあちらこちらに顔を出して取材をすべきなのかもしれませんが、しかしながら、そもそも私は「ほのぼの担当」です。

 それに、この星の住民の皆さんの様子を拝見していると、あまり第三者が第三者視点でとやかく言ってはいけないようにも思いました。

 また、王子を始めとした関係者の皆さんは、最初から何も隠そうとはしていませんでした。必要な話は後でゆっくり聞くことが出来るでしょうから、私は今の私に出来るお手伝いをするだけです。

 とは言っても、時折、他の人と交替して休憩を取りながらのお手伝いでしたが、その休憩の時にとりとめのない話をしたことで、マリオンさんとはだいぶん打ち解けることが出来ました。

 私は、自分自身があまり良い家庭環境の中で育ってきたわけではなかったので、他の方の家庭環境を聞くことをあまり好みません。

 そのため、マリオンさんのご家族については何も聞きませんでした。

 また、マリオンさんも私の『ひかり園』での失態から何かを察していたのでしょう。その点には一切触れませんでした。

 だから、話題の中心は共通事項であるアルバート王子のことになります。

 マリオンさんはアルバート王子とは年齢が一緒だったこともあり、また、幼い頃から一緒に過ごすことが多かったために、彼の幼い頃の様子をよくご存知でした。

 昔の王子のやんちゃな所業を楽しそうに話すマリオンさんを見ていると、私のトラウマは刺激されませんが、別なところが刺激を受けます。

 切りそろえた黒くて癖のない前髪と、その下にある二重瞼の瞳。

 透き通る様に白い肌と、健康的な赤い唇。

 男の子ならば一度は夢に見そうな可憐な容姿です。

 そして、穏やかで家庭的な性格と優しい表情。思いやりに満ちた仕草。

 こちらは絶滅危惧種、ないしは既に絶滅した歴史上の生物のような希少価値です。

 そして――なんといっても『幼馴染』という後付できない絶対不可侵なポジション。

 いやもう、こんなに好条件が揃った物件はなかなかございません。

 私はにこやかに話をしながら、内心では、

 ――これは無敵だわ。 

 と、変な溜息をついてしまいました。


 まあ、それはともかく。


 午後三時になると昼食をとりに来る人もいなくなります。休憩を挟みながらの単純作業でしたが、朝からだったので流石に疲れてしまいました。

「ご苦労様でした。足が痛くはないですか?」

 そう、さほど大変そうには見えない顔でマリオンさんが言います。

「はい。もう棒みたいになっています」

 私は笑いながら、また素直にそう言いました。

 そこで、急に別なことが気になります。

「ところで、女王様は大丈夫なんですか? 昨日からずっと食事の準備にかかりきりのはずですが」

「そうですね。ちょっと様子を見に行きましょうか」


 *


 厨房に入ってみると、ロザリンド女王は共用ディスプレイを見つめながら何かを考えているところでした。

 どうやら調理システムへの指示を検討しているところのようです。

 大規模な食堂には、食材の保存から下ごしらえ、過熱や盛り付けまでを全自動で行う調理システムが完備されています。

 しかしながら、それをどのように使いこなすのかが重要で、僅かな設定の違いが最終的なできばえに影響を及ぼします。

 組み合わせ可能な手順は膨大にありますから、それを調整する料理人の手腕は決して簡単なものではありません。

 例えると、フル・オーケストラの楽器全てを最高の音で日々渡らせるために、指揮者が発揮する手腕と同じものです。

 ですから、直接手を使うわけではなくても、料理というのは一種の重労働なのでした。

「お疲れではありませんか?」

 マリオンさんが、彼女特有の空気を乱さない穏やかな声で問いかけます。

「あら、お二人ともお疲れ様でした。私のほうは大丈夫ですが、夜のレシピがちょうど準備できたところなので、一緒に休憩しようかしら」

 と、ロザリンド女王はこちらを向いて微笑みました。

 とはいえ、疲れないはずはありません。

 それに女王様の表情にはその影が色濃く反映されています。

 にもかかわらず、先に他の人の疲れをねぎらうそのあり方に、私は驚きました。

 それだけではありません。

 王様は今、ターミナルケアの監視下にあります。

 王子様は緊急事態への対処に奔走しています。

 王女様の姿が見えませんが、彼女も同様に奔走していることでしょう。

 そんな中であるにもかかわらず、王女はとても落ち着いて見えました。

 そのことが不思議でならなかったので、私は厨房の中に置かれていたテーブルを囲んで、椅子に腰を下ろしてから、率直にこう尋ねてみました。

「あの、お疲れではありませんか。その、いろいろと重なっているので」

 私がマリオンさんに気兼ねしていることに気づいたのでしょう。女王様は微笑むと、

「ああ、王様のことならマリオンさんは承知ですから、大丈夫ですよ」

「はあ……そうなんですか」

 ここで私が気の抜けた返事をしたのには理由があります。

 昨晩の病院での一件は、王子様の特別な計らいによるものだとてっきり思っていたのです。

 それが、マリオンさんまで情報共有済みであることを知って、力が抜けたためでした。

 そんな私の様子を穏やかな目で見つめながら、ロザリンド女王は話を続けます。

「まあ、確かに大変ではありますね。王様はあんなご様子ですし、子供達はそれぞれ姿が見えません。ただ――」

 そこで女王様は、軽く背筋を伸ばします。

「――みんな決して人のためにならないことはしません。連絡ができないのは、それが出来ない理由があるからで、後でその理由を聞けばすむことです。まあ、少しは怒るかもしれませんけど」

「怒るんですか?」

「はい。理由次第ですが『一言連絡ぐらいして下さい』と。不思議ですか?」

「はい。あ、その……怒るというのが、なんだか似合わないなぁと思いまして」

「フローラさんは本当に素直ですね。それはとても良いことですよ」

 女王様に褒められると、なんだか嬉しくなります。

「また、正直と言われたついでに、前から疑問に思っていたことを質問してみました。

「あの、女王様は別な星から来られたんですよね?」

「あら、それは記者さんとしてのご質問かしら?」

「いえいえ違います。ただの興味です」

「そうですか。それでは非公式に――要するに率直にという意味ですが、お答えしましょう。ただ、その前に――」

 そこで、女王様は右手の人差し指をぴんと伸ばしながら、こう言ったのでした。

「――フローラさんはどうしてこの星の居住区がここに集中しているのか、その理由が分かりますか?」


 *


 答えが分からなかった私に、女王様が教えてくれた「人類の居住エリアが限られ、惑星の大半が未開発である理由」は次のようなものでした。

 まず、最初の住民達がこの惑星に漂着するようにたどり着いた時に問題となったのは、「惑星固有の病原菌の存在」でした。

 しかも、原生生物が存在していることは着陸前の生体スキャンで分かっておりました。

 生物がいない場合には、病原菌の宿主が存在しないわけですから、リスクは格段に小さくなります。しかし、生物がいる場合には、それを媒介としたウイルス感染が考えられます。

 そこで、通常、原生生物が存在する惑星への移住においては、未知の病原菌による感染症の蔓延を防止するために、まずは殺菌措置が大規模に行われます。

 それは、人類が安心して居住するためには欠かせない処置ではあるのですが、多くの場合、原生生物を滅亡させる結果となります。

 それを避けるためと、遺伝子多様性の維持に鑑み、現有種のサンプルは保存されることになります。絶滅しても、サンプルからコピーすることは可能になるからです。

(まあ、とはいえ逆に、原生生物が人類由来の病原菌に対する耐性を持たないことも考えられますが)

 ところが、最初の住民達にはサンプル保存の余裕もなければ、そもそも殺菌措置の手段がありません。

 それに他の惑星に移動するという選択肢もありません。

 そこで、原生生物との接触を最小限に抑えるために、居住区を狭い範囲に限定しました。

 とはいえ、生きるために必要な「食材」として利用しなければなりません。

 保存食料は底をつきかけており、原生生物保護を優先しようとすると、もっと根源的な問題に直面せざるをえない状態だったからです。

 そこで、必要最小限の動植物以外には極力手を出さずにいたのです。

 もちろん、食材として活用するに当たって、素材の毒性を分析する必要がありますので、そのサンプルとして捕獲・採取したものはあります。

 その記録は二百年後まで大事に保管されており、彼らが再び人類に見出された際に、統合政府のライブラリに移管されたのでした。


 *


「実は、そのライブラリを偶然目にしたのがきっかけだったんです」

「生物学に興味をお持ちだったのですが?」

「いえ全然。未知の食材、というのに惹かれただけなんです」

 そして、ロザリンド女王は『貴重な生物資源(ただし食用に限定)の宝庫』であるこの星にやってきて、その結果、この星の住民から「王様のお嫁さん」として選ばれたのでした。

「運命的な出会いですね」

 そう私が言うと、ロザリンド女王は小さく笑いました。

「まあ、そう言うと聞こえはよいのですが、最初は交通事故みたいなものだと思いました。まったく想定もしていなかったことでしたからね。しかも――」

 そこで女王様は苦笑しました。

「――最初にこの星の成り立ちを教えて頂いた後、王様からこう言われたのです。『貴方までクラウス家の原罪を背負う必要はありません』と」

「それはまた……馬鹿正直と言いますか、無神経と言いますか」

「そうでしょう? 普通そんな風に思いますよね。まあ、事実その通りではあるのですが。私はこの星の住民でもなければ、クラウス家の血筋を受け継ぐものでもありませんから。でも、私はそこで言ってしまったのです」

 そこで、女王様は何かを思い出すように眼を細めて、斜め上方向を見つめながら言いました。

「でも、星の住民は私を選び、王様は私を選び、私はこの星と王様を選んだのです。だからもう無関係ではありません」

「自ら進んで火中の栗を拾いに言った、と」

「はい。もう熱々のところをしっかりと握りにいきました」

 女王様は右の拳をしっかりと握り締めます。

 そして、その拳から力を抜くと、小さく息を吐いて言いました。

「まあ、やっぱり大変なことではありましたけどね。祖先が犯した罪を償い続けるというのは」

「……」

 私が何を言うべきか少しだけ迷っていると、女王様はにっこりと微笑んで言いました。

「でも、王様はそれを生まれてからずっとやってきたわけですし、これからもずっとやっていくわけでしたから、その重い荷物を一人で背負うのは可哀想だなと思いまして」

 そして、何の気負いも感じさせずに、さらりとこう付け加えた。

「ほら、二人で持てば重さは半分じゃありませんか」

「あ――」

 そこで、その言葉で、私は悟りました。

 多分、星の住民達はこんな女王様の心のあり方――負債すらも承知で受け入れてしまう度量の広さを知っていて、王様を託す気になったのでしょう。

 ただ、そこで女王様は急に少しだけ寂しそうな顔をしました。

「ただ、本当のことを言うとね――」

 彼女は少し目を伏せます。そして、溜息をつくように言いました。


「――最後の瞬間だけでいいから、荷物をすべて横に置いて『私だけの王様』になってくれないかな、って思うんですよ。贅沢なお願いなんですけどね」

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