第二十四話 午前七時 ハリソン管理官

「国王罷免の住民投票ですか? しかもこのタイミングで?」


 伊藤はハリソン管理官の言葉に驚いたが、ハリソンのほうは「当然だ」という顔をしながら話を続ける。

「だからこその情報統括管理官権限です。治安維持軍による惑星自治の制限は、基本的に国家レベルの犯罪行為が明白か、あるいはそれが疑われる場合に発動されます。ということは、クラウス家に対する疑惑がその根本にあることは明白です」

 そこでハリソン管理官はアルバート王子のほうに視線を向けると、眼を細めて言った。

「これは真偽とは関係なく、昔からの取り決めによるものでして、多少なりとも疑惑がある場合には発動することになっています」

「ああ、お爺様から話は聞いております」

 アルバート王子はそう言って笑ったが、表情がぎこちなかった。

「国王代行の王子も了承済みということで、それではこれより国王罷免に関する住民投票の準備に入ります。投票手順については初代国王が残した『代表者の罷免』に関する記述に従いますので」

 そこでいったん話を切ると、ハリソン管理官はアルバート王子のほうを見つめ、それからゆっくりと言った。

「システムが未整備な開拓時代の手書き記録についても、当然のことながら王様から伊藤さんには開示済みですね」

 その時、王子は『罷免』という言葉の意味を考えていたため、少しだけ戸惑うと、

「あ、もちろんだよ。彼が着任した時に全て開示してあるはず」

 と答えた。ハリソン管理官は満足そうに微笑むと、

「では宜しいですね、伊藤さん。治安維持軍への通知はお願いしますよ。それから住民投票用の専用回線を宜しく。こちらは都市管理者の権限の範疇ですから」

 と念を押す。

「……承知しました」

 伊藤は、彼にしては珍しく、微妙な間の後でそれを承認した。


 *


 立体画像による打ち合わせを終えたハリソン管理官は、大学の会議室にある簡素な椅子に座ると、大きく息を吐いた。

 その傍らで成り行きを見守っていたプリシラが、

「お疲れ様、そしてお見事でした」

 と短く感想を述べる。ハリソンは苦笑した。

「いや、本当は私が得意とするやりかたではないのだけれどね」

 彼は、朝早くに妻のアリスが届けたコーヒーを一口飲んだ。いつもよりも濃い。頭の中に火花が散ったような気分になる。

「美味い」

 ハリソンがそう呟くと、プリシラは笑いながら言った。

「アリス様に睨まれてしまいました」

「そうなのか?」

「はい」

 にこやかなプリシラの顔を見ながら、ハリソン管理官は頭を捻る。

 秘書としての「マリア・ササキ」嬢とは家族同然の付き合いで、ハリソンが不在の時にマリアがアリスを訪ねてくることがあったと聞く。だから、アリスの懸念事項はプリシラそのものにあるのだろうが、その理由が分からない。

 彼は腕組みをすると、本格的な思索を展開しようと試みる。しかし、思考の糸口となるものがなかった。

 プリシラは、彼が要領を得ない表情をしていることがおかしくて仕方がない。

「星間物流学の泰斗にも分かりませんか」

 と、からかうような口調で言う。

「いや、まったく。これはお手上げだ」

 ハリソン管理官も軽い調子で、両手を挙げる。

 プリシラは「おやおや」という顔をすると、

「例えば、昔、親密なお付き合いをしていた相手が最近になって目の前に現れたと分かった時、今の恋人ならどう思いますか?」

「それは――心穏やかではいられないだろうね。しかしながら、私とプリシラの間には面識はないわけだし――」

 そこでハリソン管理官は思い出した。プリシラと直接の面識がないはずの父親が、プリシラのことを話す時の誇らしげな様子と、その傍らで話を聞いていた母親の微妙な顔。

「ああ、そうか。そういうことか」

「そういうことです。それから――」

 プリシラは急にうっとりとした表情になると、身体をもじもじさせながら言った。

「私を睨んだ時のアリス様の表情が、それはもう可愛らしくて」

 立体画像で顔を赤らめる。

 ハリソン管理官は小さく息を吐くと、言った。

「さて、仕事に戻ろうか」

「承知しました」


 *


 その数時間前の早朝、研究室では次のような議論が行われていた。

「物流の本質は、必要な時に必要な物を必要な量で必要な相手に確実に送ることにある。送るものが情報であっても、その点に大きな差はないが、情報の場合は特に注意すべき点が二つある。それはなんだろうか」

 その場に詰めていた学生の一人が手を上げた。

「正確性と秘匿性です」

「その通り。君はエドワード君だったね。今年後半の私の講義は欠席しても構わない」

「あ、有難うございます」

「さて、正確性については異議はないだろうね」

 ハリソン教授は研究室にいた七名の学生の顔を見回す。

「物を送る場合、緊急時であれば多少の傷やへこみは容認される。しかし、情報は送る過程で欠落が生じたり、送り手の意図と受け手の理解に齟齬があってはならない。伝えたい内容が正確に伝わる必要がある」

 学生全員が頷く。ハリソン教授は満足そうに眼を細めると、話を続けた。

「一方、正確な情報はそれゆえ秘匿性が低い。必要なことが正確に表現されているから、漏洩したら元も子もない。そこで、情報は秘匿性を高めるために加工されることになる」

 間を空けるハリソン教授。頷く学生。

「しかし、秘匿性の高い情報は再現性が乏しくなる。それは例えば暗号化技術が特殊になればなるほど、その解読が困難になることと等しいが、そうなると問題となるのは何かな」

 先ほどの学生とは別の学生が手を上げて、言った。

「情報共有が困難、ないしは即時性に乏しくなることです」

「その通り。ミリエル君、その厳密さは実に素晴らしい。今年の評価は優にする」

「あっ、あっ、有り難うございます」

 ミリエルが顔を真っ赤にしながらそう言うところを、ハリソンは誇らしげに見つめる。

 それから顔を引き締めると、話を続けた。

「つまりは、秘匿性は高いものの技術的にはさほど高度ではない方法を取るのが最前、ということだね」

 ハリソン教授は再び学生全員を眺めて、言った。

「さて、それでは私は敵の所在を確認してくる。君達にはこれからの戦いの準備をお願いするわけだが――」

 そこでハリソン教授は管理官の顔をした。

「宣戦布告は可能な限り分かりにくくしておいてくれ」

 

 *


 それは、とても普通の出来事だった。

 ハリソン・クライスラー情報統括管理官名で、午前八時に「重大な発表がある」ことが宣言され、治安維持軍の監視下で特定回線での情報公開が許可される。

 そして、その時間になると画面の緊急表示に問題がないと判断された星の住民の前に、広報画面が展開され、

「王子におめでとうと言おう」

 という

メッセージと数字が表示されて、それが即座に消去された。

 治安維持軍が後で確認した頃によると、誕生日の式典用に準備されていた画像が混入したものらしい。

 その後、ハリソン情報統括管理官による「立憲君主制の是非に関する緊急住民投票」の動議が行なわれた。

 動議に対しては二十四時間の間、異議申し立てが受け付けられ、異議申し立てが一定数を超えなかった場合、動議の通り住民投票が行われることになった。

 続いて説明された投票方法の詳細は、以下の通りとなる。

 ・投票日時は、七月六日の午前十時から午後十時までの間とする。

 ・投票権は、その時点で惑星広域ネットワークに有権者ステータスでログイン可能な者すべてにある。

 ・異議申し立ておよび投票のための接続先は、都市管理者による専用回線が割り当てられる。

 ・専用回線は投票の正当性を確保するため、その時間内は治安維持軍といえども関与が出来ない。

 ・午後十時以降の修正は一切認めない。

 ・投票行為の集中を避けるために、エリアごとの投票時間を設定するので厳守すること。


 放送終了後、回線を切断したハリソン管理官は、プリシラに顔を向けると、

「さて、ここまでは我々の想定の範囲内であるわけだが――」

 と言い、苦笑した。

 プリシラは眉を心持ち上げると、こう言い切った。

「まあ、彼女達が黙っているわけがありませんね」

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