第二十話 午後十時 フローラ

 官僚の皆さんが出ていかれた後の大会議室は、とても広々としていました。

 それで、今までどれだけ大勢の人がここで状況を見守っていたのか、よく分かりました。皆さん、口ではいろいろと言っておられましたが、結局のところは心配だったのでしょう。

 先程までなごやかだった空気は、一瞬にして緊迫したものに変わり、そして今はまた静かな時間が流れています。私はしばらく耳を澄ましていましたが、大会議室から出て行った人は誰も戻っては来ませんでした。

 アルバート王子は先程から黙って、治安維持軍の配置図を見つめています。

 私はその背中を、後ろから黙って見つめています。

 アルバート王子は、何かを一所懸命に考えているようでした。私は王子の邪魔がしたくなかったので、ずっと黙っていました。

「治安維持軍による王族引き渡し要求」という緊急事態の真っ最中だというのに、ここにはとても穏やかな時間が流れています。

 暫くすると、アルバート王子は私のほうに振り返ってこう言いました。

「フローラさん、この調子ですと暫くは帰国出来そうにないですね」

 まさか自分の心配をされるとは思っていなかったので、私は少しだけ焦りました。

「はあ、まあ、そうですね。船舶の往来が出来ないとなれば、どうしようもありませんね」

 それでも、すぐに気分を切り替えて付け加えました。

「ただ、もし今会社に連絡が取れたとしたら、『すぐに帰って来なくていいから、そこで現地密着取材していろ』と、言われるに決まっていますけど」

「確かに」

 私とアルバート王子は、そこで顔を見合わせて笑いました。

「ところで、フローラさんは不安ではありませんか?」

 王子は、またもやそう言って私を気遣ってくれます。今、この星で一番苦しいはずの人が、他の人をいたわろうとします。私はその驚きを顔に出さないようにしながら、言いました。

「私ですか? そういえば、全然そんなことは考えていませんでした」


「では、どうしてここにいらしたんですか? まあ、いらっしゃったら少しでも情報を差し上げたいと思いまして、守衛さんにお願いしたておいたのはこちらなのですが」

 多分、これは「こちら」ではなくて、「私」。


「それは、その……住民の皆さんのことが気がかりだったからですが、皆さんがむしろ状況を楽しんでおられたので、とても驚きました」

 本当は、これは「住民の皆さん」ではなくて、「王子」。


「そうなんですよね。この星の住民はみんな、いつも、そうなんです」

 アルバート王子は明るく笑って言いました。

「まあ、王様からしていつもそうなんですけどね。ということで、フローラさん。折角ですから、これから王様と話をしに病院へ行きませんか? 私の報告があるので」

「えっ、今からですか?」

 まさか、病室に伺って王様にお会いすることになるとは、思ってもいませんでした。


 *


 カール国王が入院している国立病院は王宮から五百メートルほど離れたところにあり、そこまでは徒歩で移動します。

 時刻は午後十時になろうとしており、オフィス街である王宮周辺には殆ど人影がありませんでした。普通の時であればそれでおかしくないのかもしれませんが、今は緊急事態が発生している最中です。

 もう少し人の動きがあっても良いように私は思うのですが、それは見事に静まり返っているのでした。

 アルバート王子は、やはり何かを考え続けているようで、物静かに前を歩いてゆきます。

 私はその背中を見つめながら黙って歩いております。

 それが特に気詰まりではなく、とても自然なことのように思われました。アルバート王子は国王の代行者であり、現在発生している状況の当事者です。

 その人が考えなければいけない問題が、目の前にあるのですから、私の相手をしている場合ではないのです。

 ただ、そう考えると、私を病院に誘ったことがいささか奇異に思えます。しかし、私はその理由を王子に訊ねたりはしませんでした。

 どんな理由があるにせよ、王子が私を一緒に連れて行きたいと考えたのですから、私としてはそれに従うまでです。もちろん、そこには記者としての興味もないわけではありません。

 しかし、むしろ誘って頂いたことが素直に嬉しかったのです。


 国立病院は、正面にポッドの待機場所が設けられた立派な建物でした。

 病院の面会時間としては少々規格外でしたが、王子にそのことを気にする様子はありません。

 正面玄関はさすがに外来の時間外ですから閉じられておりましたが、その先に夜間救急外来の窓口があり、そこからは明るい光が外に流れ出ておりました。

 扉を開けると、目の前には受付用のカウンターがあり、そこに中年の女性が座っております。彼女は王子の顔を見ると、穏やかな声で言いました。

「お帰りなさい、王子。今日もお疲れ様でした」

 事件のことを知らないはずがないのですが、彼女はそれに触れようともせず、ただ家族の帰宅を迎える母親のような声でそう言います。

 王子も、

「サマンサさんこそ、いつも夜遅くまでご苦労様」

 と、穏やかな声で答えました。私が頭を下げると、サマンサさんはにっこり笑って、

「記者さんもご苦労様」

 と言ったので、私は驚きました。どうして私のことまで知っているのか不思議だったからですが、ただ、その理由をどのように訊ねるべきか迷ってしまいます。

 その私の様子に気がついたのでしょう。サマンサさんはこう言葉を繋げました。

「この星には、王様の一日の行動を紹介するプログラムがあるのです。そこで記者さんを拝見したので知っておりました」

「あ、そうですか。取材する側が取材されているとは思ってもいませんでした」

「あら、それでは逆に驚かせてすみませんでした。ただ、とても人気のあるプログラムですから、恐らくこの星の住民の殆どが記者さんのことをもう知っておりますよ」

「えっ、そうなのですか?」

「はい」

 私は思わず王子のほうを見つめてしまいました。王子は頭を掻きながら説明してくれます。

「最初に言っておくべきでしたね。僕はいつものことなので何とも思いませんが、そういえばフローラさんにとっては違いましたね。本当に申し訳ございません」

「あ、いえ、嫌だったわけではないのですが――すると、王子の行動は国民の皆さんに筒抜けなのですか?」

「流石にすべてではありませんが、まあ、公務に関してはそうですね」

「えっと、それも王様としての仕事の一部なのですか?」

 そう訊ねた私の言葉に、サマンサさんが小さく笑います。

「あら、失礼しました。ちょっとおかしかったもので、つい。王子様の行動が国民に知らされているのは、それを国民が望んでいるからなのですよ。この星で一番見られているプログラムですからね。私も、いつも楽しみに見ておりますのよ」

 そういって、サマンサさんは楽しそうに笑いました。


 病院の中は夜であるにもかかわらず、お医者さんらしき方や看護婦さんらしき方が忙しそうに歩き回っておりました。

 夜間救急外来の穏やかな様子とは段違いの慌ただしさです。皆さん、王子に目で挨拶しながら走りまわっております。廊下の向こう側では困惑した顔で看護婦さんが声をあげておりました。

「佐藤さん、昨日手術が終わったばかりなんですから、おとなしくしていて下さい!」

「いや、寝ている場合じゃないだろ?」

「寝ている場合です」

「王様の一大事じゃないか」

「だからと言って佐藤さんがそんな姿で家に帰っても、何の役にも立ちませんって」

「いや、分からないだろ。俺の力が必要な時がくるかもしれないじゃないか」

「その時は私が代わりになんとかしますから、佐藤さんは寝てて下さい」

「だってよう……」

 そこで王子様が苦笑しながら間に入りました。

「佐藤さん、お気持ちは有り難いのですが、王様本人が寝ているぐらいですから、佐藤さんも病気を治すことに専念して下さいね」

「――王子がそう言うならしかたがねえ、分かったよ」

「じゃ、お大事にね」

 そう言って王子が手を振ります。看護婦さんがほっとした顔で言いました。

「王子、忙しい時に済みません。助かりました。さっきから入院患者の皆さんが似たような調子だったので、こまっていたところでした」

「こっちこそ、迷惑かけてごめんね」

「いえいえ、王子が悪いわけじゃありませんから。あ、まただ。本当にもう、この星の住民は馬鹿が多いんだから。王様と王子様の一大事なんだから、病人は大人しくしていればいいのに」

 別な部屋で呼び出しがあったらしく、看護婦さんはそう言い残すと眉を潜めながら走っていきました。

 彼女の背中を見送りながら、王子は苦笑しておりました。


 さて、王様の病室に向かうわけですが、病院の中でも最上階の特別室になるのかなと思っておりましたところ、王子はエレベータに乗り込むと、地下二階のボタンを押しました。

 ベッドがそのまま乗りそうな大きめのエレベータは、ゆっくりと地下に降りていきます。

 地下二階で扉が開くと、そのフロアには落ち着いた空気が流れておりました。看護婦さんも落ち着いた足取りで歩いています。

 その中を王子と私は、奥にある部屋に向かって歩いて行きました。廊下には複雑そうな医療機器が無造作に置かれています。何に使うのか見当もつかないほど複雑な機械もあります。

 その脇を抜けると、王子は一番奥にある部屋に入ってゆきました。

 私もその後に続いて、病室に入ります。するとそこには女王様がいらっしゃいました。

「こんばんは、フローラさん」

 女王様は私がいることに驚きもせずにそう言いました。

「初めまして、フローラさん」

 女王様の前にいた男の人がそう言いました。

「あ、こちらこそ初めまして、カール国王陛下」

 私は、椅子に座っているカール国王の姿を見て、一瞬自分の目を疑ってしまいました。病気療養中と伺っていたので、まさか普通に椅子に座ってご挨拶をされるとは思ってもみなかったからです。

 しかし、直ぐにその状況が実は何を意味するのか、理解出来ました。私も昔、同じような状況を見たことがあるからです。

 女王様の目の前にいる国王には、どことなく重さが感じられませんでした。それもそのはずで、王様はホログラフとしてそこに投影されていたのです。

 実施の王様はさまざまな管が身体中に差し込まれた状態で、ベッドの上に横たわっているのでした。

 状況を理解した私は、ホログラムの王様に向かって頭を下げながら、改めて自己紹介をしました。

「私は共同通信の記者をしておりますフローラと申します。病気療養中のところにお邪魔しまして、大変失礼いたしました」

 それを聞いたカール国王のホログラムの表情が綻びます。

「いやあ、こちらこそこんな姿で申し訳ない。ちょっと身動きがとれる状態ではないので勘弁してください」

 そのあまりにも気負わない言い方に私は感心しました。

 なにしろ、私の目の前にあるのは、ターミナル・ケア用の医療器械に他ならなかったからです。


「さて、現在の状況については、私も様々な情報源から聞いて、理解しております」

 カール国王のホログラムは、当人が置かれている状況からは考えられないほどに生き生きとしておりました。

「また、ご覧いただきました通り、私自身はどうしようもない有様なので、この件はアルバートに任せるしかありません。私が治安維持軍に出頭できるのであれば、是非そうしたいところですがね」

 そこで私は、カール国王に訊ねました。

「その、質問しても宜しいでしょうか?」

「もちろんです、お気になさらずなんでも聞いて下さい」

「王様の現在の病状について、星の住民の皆さんは正確にご存じなのでしょうか」

「いえ、誰も知りません。私は過労で寝込んでいることになっています」

 カール国王は穏やかな顔でそう言いました。

「知らせると五月蠅いものですから。国王の死は最後の瞬間まで国民に伏せなければならない――それがクラウス家のやり方であり、ですからアルバートは代行と言う位置づけなのです」

 そこで少しだけ眉を寄せます。

「ただ、治安維持軍が国王引き渡しを要求してくるほどの緊急事態ですからね。今回ばかりは最終的に、私の現状を皆さんに公開しなければならなくなるでしょう」

「しかし……流石に治安維持軍がそこまで要求するとも思えませんが、仮に連行ということになると王様の命が危険に晒されることになるのではありませんか?」

「その時は従うまでです。どうせこのままでも長くはありませんから。それならば、最後にこの国のお役に立つのも、王としての務めかと思います」

 王様は何の気負いも衒いもなく、それが至極当然のことであるかのようにそう言います。

 そして、アルバートのほうを向くと、こう尋ねました。

「ハリソン教授が情報統括管理者権限で、プリシラを起動したと聞いているが、本当か」

「うん、本当だよ。それでL&L大学のメインサーバを独自運用している」

「そうか、では明日にも管理官宣言が行われることになるな」

「そうだね」

「あの――口を挟んで申し訳ございませんが、管理官宣言というのは何でしょうか」

「ああ、フローラさんには教えていなかったね。済まない」

 王子がまた頭を掻きます。

「ハリソン教授はこの星の情報統括管理者をお願いしているのです。このような国家的な緊急事態の時、情報管理は重要ですからね。それに、その職務には選挙管理委員長という役職も含まれます」

「選挙管理委員会――とは、どういう意味でしょうか?」

 戸惑う私に、アルバート王子は少しだけ寂しそうな顔で言いました。

「国王罷免のための国民投票を管理する委員会の代表ですよ」

 それで私は、前にアルバートから聞いた話を思い出しました。

「あの、百人を超える同意があった場合、国王はその任を解かれるという、あれですか」

「その通りです」

 私の問いに、今度はカール国王自らが答えます。

「そのためにプリシラがおります。彼女には国王が罷免される際の見届け人をお願いしております」

「見届け人――ですか? まるで昔からそうなることが初めから決められているようなお言葉ですが」

 私が頭を捻りながら尋ねると、カール国王は静かな瞳で私を見つめながら、こう仰いました。

「はい、それもその通りです。クラウス家は最終的に王位を罷免されることになっております。それが私たちの望みなのですから」

 私はアルバート王子と女王様のほうに目を向けました。お二人も、カール国王と同じような静かな目をしております。

 そこで、私はこう申し上げることにしました。

「宜しければ、どうしてクラウス家がそのような望みを抱くことになったのか、その理由を教えて頂けませんでしょうか」

「もちろんです。そのためにアルバートは貴方をここにお連れしたのでしょうから」

 カール国王はそう言うと、ホログラムであるにも関わらず、椅子の上で居住まいを正しました。


「今から二百年ほど前の話になります。当時、クラウス家はある星系の官僚を務めておりました」

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