第十七話 午後六時 フローラ

 アルバート王子と昼食をご一緒した後、私は彼と別れて滞在先のホテルに戻りました。

 本当はロッテ王女から、「立憲君主制国家におけるお姫様の日常生活」というテーマでお話をもう少し詳しく伺いたかったのですが、

「ごめんなさい。なんだか急に用事が出来たみたいで、今、帰ってしまいました」

 と、ロザリンド王妃から丁寧に謝罪されてしまい、諦めざるをえませんでした。

 この星を離れるのは明後日、明日の朝には軌道エレベーターに乗って宇宙港まで移動しなければいけません。

 その前にもう一度食堂に伺う時間はありませんから、残念ですが時間切れでした。

 次の機会があるかどうかも、さだかではありません。いえ、おそらくは二度とないでしょう。

 個人的な興味で取材先を選べるほど私は売れっ子ではありませんし、会社に戻れば次から次へと回ってくる穴埋め記事に翻弄されてしまうはずです。

 ホテルの机に向かって取材した内容をまとめながら、私は不完全な思いを抱いていました。

 今回の目的である、アルバート王子の王様代行についての取材は、問題なく片付きました。事前に編集長から指示を受けている分量の記事を書くには充分です。

 それに、取材相手か同意して下されば、会話の内容はリアルタイムで文字情報に変換されます。今回、王子は最初からそれに同意されておりましたし、内容の確認や事後の校正についても、

「おかしなことは言っていませんから、そのまま使って下さい」

 と、全権を委任されておりましたから、面倒なことは何もありません。自分が考えたことは、その会話にコメントとして付記してありましたから、焦って整理する必要すらありませんでした。


 しかし、今回の取材目的とは違うところが、私には気になって仕方がないのです。


 官僚組織と住民の関係――通知の誤字や誤表記を勝敗の対象として利用してしまう、良い意味での相互チェック体制はどのような過程を経て作り上げられたのでしょう。

 王家と住民の関係――王家が特別な存在ではなく、かといって軽んじられているわけでもなく、自然な形で尊敬されているこの距離感はどうして出来上がったのでしょうか。

 そして、王家のノーブレス・オブリージェ――彼らは権力を自ら拒否し、そこから何かを得ようともせず、それでも常に国と住民のことを考え続けています。どうしてそう思えるのでしょう。

 これまで見聞きしたこの星の特異な仕組みが、私の興味を掻き立てます。

 ――本当はまだ戻りたくない。

 抑えても抑えても、そんな気持ちが湧き上がってきます。クラウス王家のありようは、私にとってはとても斬新でした。

 そのような記事にならないことを、あれこれと文章にしていると時間を忘れてしまいます。

 それに一区切りついた時には、既に午後六時を過ぎていました。

 ――そろそろ食事にしようかな。

 私は椅子の背もたれに身体を預けて両腕を伸ばします。それとともに、少しお腹がすいていることに気がつきました。


 ところで、私の会社がある惑星とこの星では時間にずれがあります。

 星を跨ぐ話をする場合には、時制に混乱が生じないように地球の自転周期を用いた「全天標準時間」が使用されますが、当然のことながらそれと個々の惑星の自転周期とは全然異なります。

 そのため、日常生活にはその星の自転周期から見て違和感のない「個別標準時間」が使用されており、星によって使っている「一時間」の長さが異なっています。

 それによって時差ボケが生じないよう、宇宙港で待機している間に体内時計の調整を行いますから、私の身体はこの惑星の時制に従って空腹を覚えるのでした。

「さて、と」

 手荷物を取り、ホテル内のレストランに行こうと私が立ち上がった時――


 それは訪れたのです。


 緊急通報システムが起動し、部屋の中に設置されている共有ディスプレイが私の目の前に展開されます。

 続いて画面に表示された紋章を見て、私は強い違和感を覚えました。

 何故なら、この星に最も似合わないものだったからです。


 それは、統合政府直属の軍事組織――『治安維持軍』の正式紋章でした。


 その紋章がフェードアウトして、画面に治安維持軍の上級将校服を身に着けた男性が現れます。

「惑星IHAD〇五四三Dの皆さん、お騒がせしまして申し訳ございません。私は治安維持軍第三百二十五方面統括本部第三百二十五艦隊司令官のマクシミリアン・フェドリクスと申します」

 マクシミリアン司令官は落ち着いた重い声で、流れるように滑らかに宣言しました。

「この放送は惑星IHAD〇五四三Dの管理者である伊藤貞之さんのご協力を頂いて、緊急割り込みを行っても問題のない方に対して、治安維持軍の強制通信権限を行使して行っております。現在、惑星IHAD〇五四三Dは治安維持法の定めに従い、治安維持軍の管理下に置かれています。今回の治安維持活動に対する、統合政府による正式な承認と法的な妥当性の根拠につきましては、惑星IHAD〇五四三Dの管理者である伊藤貞之氏の協力により、町単位の共有フォルダに『治安維持軍派遣指示書』という文書名で保存されておりますので、興味のある方はそちらをご参照下さい。一般住民の皆様の日常生活や発言内容に制限は行いませんが、治安維持法に基づいて個人情報保護法の『本人同意』に関する条項が無効になりますので、皆さんのすべての行動及び発言は管理者により記録されることをご承知置き願います。その法的根拠につきましても、前述の文書にてご確認願います。また、今回の治安維持活動の目的につきましては、現在進めております調査の結果とともに、後ほど皆様にご説明致しますので、当面は落ち着いて行動なさって下さい。くれぐれも軽挙妄動はつつしむよう、宜しくお願い申し上げます」

 マクシミリアン司令官は、最後までよどみのない言葉で説明しました。お陰で、彼が疑似人格であることが分かります。

 話が終わった途端に彼の姿は消えて、再び治安維持軍の紋章が画面全体に威圧的に表示され、そして全てフェイド・アウトしました。

 緊急メッセージが消えたホテルの部屋の中、私は唖然として立ちすくみます。

 同時に、既に食事をしている場合ではなくなったことを悟ります。

「ほのぼの担当」とはいえ、私も記者のはしくれですから、この状況を見過ごすことは出来ませんでした。

 それに、これが「実に馬鹿げたこと」のように思えました。

 治安維持軍が統合政府の承認を受けて動くということは、その目標が国家そのものか国家元首レベルであることを示しています。

 例えば、ある国家が統合政府や近隣星系に対して武力的侵攻を画策している場合がそうです。

 しかし、この惑星IHAD〇五四三Dの場合は、警察はあっても独自の軍事組織は持っていませんでしたから、そちらの可能性はないと断言できます。

 すると、次に考えられるのは「国家元首自身による犯罪行為」です。

 この場合、最初に主権を剥奪はくだつしてしまわないと隠蔽いんぺいされる恐れがありますから、今回のような治安維持活動の可能性があるでしょう。

 しかし、今回、その相手が「クラウス家」なのです。彼らにどんな犯罪が出来るというのでしょうか。

 また、治安維持活動は明白な根拠もなく出来るものではありませんから、何か確実な証拠に基づいていると推測出来ます。

 そして、それを提示可能な人物といえば、伊藤さんぐらいでしょう。

 この星の特殊性を知らなければ、私もこの出来事を「よくある惑星管理者のコンプライアンス違反通知事案」の一つとして、普通に受け入れていたかもしれません。

 しかし、関係者全員を取材した後の私には、この状況がいかにもちぐはぐに思えます。

 ステロタイプな王政国家ならばありえることかもしれませんが、ここに限ってはありえないことなのです。

 伊藤さんならば、気がついた時点でアルバート王子に諫言かんげんするはずですし、それを聞かない王子ではありません。

 私は手荷物を掴んで走り出しました。


 *


 ――さぞかし王宮の前は住民で混乱しているに違いない。

 そう覚悟していたのですが、実際に到着してみると、そこはいつも通りの落ち着いたオフィスビルでした。

 王宮の玄関には相変わらず守衛さんが一人立っているだけです。私が近づくと、彼は普段通りの陽気な顔で、

「やあ、フローラさん。いらっしゃいましたね。来ると思っていましたよ」

 と愛想よく言います。私は驚いてしまいました。

「あの、部外者は立ち入り禁止とか、そんなことはないんですか?」

「そんな必要、ここにはありませんよ。むしろ、フローラさんが来たらすぐに大会議室に案内するように言われています」

 彼は大きな身体を機敏に動かすと、私を先導して歩き出しました。その躊躇ためらいのなさにも驚かされます。

「あの……入口の警備は必要ないのですか?」

「ないです。それに、あったとしても一人じゃ意味ないですよね。だから、私がいてもいなくても同じです」

「はあ……」

 万事がいつも通りで、慌ててやって来たことが馬鹿げたことのように思えます。

 その空気を感じ取ったのか、彼は先導しながらこう言いました。

「この星の住民は、たとえ治安維持軍がやって来たとしても、それがイコール悪いことの始まりとは思わないのです。むしろ全員が、これから何か面白いことが起きそうだ、と待ち構えているはずです。そういう星なのですよ、ここは」


 大会議室には大勢の人がいました。

 全員が深刻な顔で現状分析を試みているかと思いきや――奥に展開されているディスプレイを興味深そうに眺めています。

 テーブルの上にはコーヒーと軽食が準備されており、おのおのそれを自由に手にしていました。

「ああ、フローラさん。お待ちしていました。こっちです、こっち」

 オフィスでお会いしたエドガーさんが、嬉しそうな顔で手招きしています。

「お腹が空いているのでしたら、目の前のものをご自由に召し上がって下さい」

「はあ、ではお言葉に甘えまして」

 確かにお腹が空いていたので、目の前にあったサンドウィッチを食べてみました。

「あ、美味しい」

「でしょう? 近くにあるお勧めの店のやつです。後で場所を教えましょうか」

「ええ、それは是非――じゃなくて」

「あれ、それほどでもなかったですかね」

「いえ、お店のほうは知りたいのですが――皆さん、何だか楽しんでおられませんか?」

「ああ、そっちですか。そうですね、楽しんでいますね」

 エドガーさんはそう言い切りました。それで、私は守衛さんの言葉を思い出します。

「治安維持軍が来て、不安じゃないんですか?」

「どうしてですか? こんな星に大層な用事が、あるわけないじゃないですか」

 彼はそう言いながら、ディスプレイを眺めています。そこで、私も眺めてみました。

 画面上には、この星と、宇宙港と、虚数空間門付近に展開している治安維持軍の艦船が表示されていました。

 艦船にはそれぞれ、HやMやSという記号が頭に着いた通し番号が割り当てられています。

「この、HやMはなんでしょうか?」

 そう私が訊ねると、エドガーさんは、

「これは艦の大きさです。Hは戦艦や空母クラス、Mは巡洋艦や駆逐艦、Sは突撃艦ですね。全部で百艦近くあります。随分と力が入っているなあ」

 と、感心したように言います。とても「力を入れられている側の発言」とは思えませんでした。そこで私は、

「ところで、この『はてなマーク』はなんでしょうか?」

 と訊ねました。艦隊が固まっているところのちょうど真ん中に、「?」という記号があるのです。

 エドガーさんが頭を捻りながら言いました。

「それが、正体不明なのですよね。なにしろ宇宙港と連絡が取れないので、地表から望遠鏡で確認しているものですから」

「そうなんですか――それでしたら、むしろ突撃艦とか区別できるほうが驚きですが?」

「そういうのが好きな奴がいるもので」

「はあ、そうなんですか」

 それで何とかなる問題かな――と疑問に思うものの、そこは今重要なところではありません。

 艦艇数が百というのは多いように感じられますが、治安維持軍では小隊レベル、最小の編成です。

そのため、逆に本気であることが伝わってきました。さらに私は別なことにも気がつきます。

「あの、ということは伊藤さんから情報を頂くことが出来ないのですね」

「そうですねえ。彼は治安維持軍の調査に協力している最中ですからね。忙しいんじゃないでしょうか。別にすべての権限を相手に渡して、好きなように見てもらえばいいのに、どうして立ち会うかなあ。見られて困るものなんか、何もないんだけどなあ」

 エドガーさんは呑気な声で言いました。

 そこにアルバート王子がやってきます。

「あ、フローラさん。こんな時間に済みません」

 彼も呑気そうな顔をしています。

 私は次第に、心配していた自分が本気で馬鹿馬鹿しくなってきました。

「どうしたのですか。なんだか疲れているように見えますが」

「……いえ、お気になさらないでください」


 *


「それにしても――」

 王子は画面を見つめながら口を開きました。

「――このハムレタスサンドは、いつ食べても絶品ですね」

 私は脱力してしまいました。皆さんの関心はそこにしかないのでしょうか。

 王子は話を続けます。

「虚数空間門から出てくる船はないんですね」

「はい、治安維持軍の出現以来、誰も門から出てきておりません」

「ということは、軍権限による強制閉鎖だね。こうなると、統合政府の評議会メンバーじゃないと開けられないね」

「その通りです。五大王家ならば無理押しできるでしょうが、こんな辺境に用はないでしょうから」

「ということは、他の星系と連絡を取ることは出来ないな」

「光の速さだと、一番近い有人星系で千五百年ですね。虚数空間通信用に電文を作るにしても、アメデオの回避に有効なサイズにするには二日ほど時間が必要ですし、それでも相手に届くのに二日。受け取った相手がここに来るのに二日かかりますね」

「そんなに時間をくれるわけないよなあ」

「そうですねえ」

 王子とエドガーさんはサンドイッチをつまみながら、お天気の話でもしているかのように、深刻な話をしました。


 そこに、治安維持軍からの割り込み通信が入ります。


 各自の目の前に小さなディスプレイが開いて、そこに同じ紋章が表示されました。

 その律義さが、ちょっとコミカルでもあります。

 続いて、先程のマクシミリアン司令官が表示されました。

「治安維持軍の活動にご協力頂きまして有り難うございます。現在までに判明した事実についてご報告致します。治安維持軍は惑星惑星IHAD〇五四三Dの管理者である伊藤さんのご協力で、惑星惑星IHAD〇五四三Dの全保存記録を確認させて頂きました。この調査の手順と、それに伴う個人情報の取り扱いについては、『治安維持軍調査報告』という文書を参照願います。クラス三以下の文書につきましては、今回の調査においてその犯罪可能性を判断する対象としておりませんので、ご安心下さい。クラス二のデータが五十三件見つかりましたが、これらは全て多星系企業の支店で発見されたものですから、そちらの本社に対して訴追を行います。クラス一のデータが、メインフォルダレベルで一件、その下のサブフォルダレベルで三十件発見されました。これが事前の通報に合致する内容でありましたため、治安維持軍は治安維持法に定められた逮捕権を行使したいと思います。罪状は『王族による惑星資源の不正輸出とその利益独占』であり、サーバに秘匿されていた当該文書データにつきましては、共有フォルダに証拠品としてコピーを保存――」

 そこまでマクシミリアン司令官が語った途端、大会議室の空気は一変しました。

 室内にいた王子と私を除く全員が、無言で一斉にサブディスプレイを開いて文書を呼び出します。

 そして、それを真剣な眼差しで読み、それが終わると厳しい顔をして大会議室を出てゆきました。

 あまりの急変に私が驚いていると、アルバート王子は落ち着いた顔でこう言います。

「ここからが彼らの仕事なのです」

 緊急ディスプレイからはマクシミリアン司令官の声が流れ続けていました。

「――従いまして、治安維持軍と致しましては、四十八時間以内に容疑者である王族の身柄引き渡しに応じるよう、要求する次第です」

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