第十五話 午前十時 フローラ
朝、ホテルで目を覚ました途端に私は、
「雨が降っている……」
と感じました。
もちろん、ホテル中の温度や湿度は集中管理されています。そして、室外の雑音が中に響いてしまうような安易な構造でもありません。さらに、昨日確認した今朝の天気予定は晴れでした。
にもかかわらず、室内にいて雨の気配をなんとなく感じるのです。私は屋外に面している壁の光透過割合を上げて、外の様子を可視化しました。
「やっぱり……」
細かい雨が静かにホテルの壁を濡らしていました。私は寝不足の重く冴えない頭で、外の景色をしばらくぼんやりと眺めていました。
私が宿泊していた部屋はホテルの高層階にあるため、首都を囲む森まで見渡すことができます。ただ、昨日行った「ひかり園」がある方向は、雨の中に霞んで見えません。
私はため息をつきました。
昨日、久し振りにやってしまったからです。
途中で副園長先生が気を利かせて、フローラをお茶に誘って下さったから良かったようなものの、あのままでは彼女がどんな失態を演じたか分かりませんでした。
フローラが事件記者になれないのには、理由があります。
それは、彼女が取材対象に必要以上に感情移入してしまうためでした。特に家族の絆や親と子供の強い結び付きに弱く、それに流されてしまうのです。
王女様とお姫様のような大人の関係であれば問題は生じませんが、子供が絡むと途端に自分が抑え切れなくなります。そして、最悪の場合、自分の中に押し込まれていた子供が顔を出してしまいます。
今回の取材対象が王子でしたから依頼を受けたのですが、児童保護施設を訪問して、実際のケアを見学することになるとは思ってもいませんでした。分かっていたら、引き受けなかったかもしれません。
これはフローラの初期設定の問題であり、代わりに細やかな感情表現が可能になるなどのメリットもあります。しかし、どう考えても事件記者向きではありません。
昨日のことは、王子も気がついているはずです。なのに、首都に戻るまでの会話で、王子は全くそのことには触れようとしませんでした。
そのような配慮は大変に有り難いのですが、その後、一人になれば蓋の隙間から思いが漏れてきます。お陰で昨日はよく眠れませんでした。
今日は王子の提案で、都市管理型HIMの伊藤さんとお会いすることになっています。
時刻は午前十時。
それまでに復活しなければいけません。
*
昨日、「ひかり園」からの帰り道、王子は私のことに触れない代わりに、伊藤さんとの出会いのことを話して下さいました。
そもそも、惑星IHAA〇五四二Dには別な都市管理型HIMがおりました。
その方はとても優秀で、都市の管理にも全く遺漏はありませんでしたが、ある日突然、本人から「仕事を変えたい」との申し出があったそうです。
カール国王がその方と話し合いをして、
「事情はよく分かったから、せめて後任が見つかってからにしてほしい。あるいは誰か推薦してくれないか」
とお願いしたところ、その方から後任として推薦されたのが、別な惑星で都市管理型HIMをしていた伊藤さんだったのです。
他の星から管理者を引き抜くのは、容易なことではありません。しかも、伊藤さんは優秀な都市管理者として名高く、報酬も高額でした。
さすがに無理ではないか、というのが大半の見方でしたが、カール国王は、
「駄目でもともとなら、やったほうがよい」
と言って、アルバート王子を伴って、直々に話をしに行きました。
話を聞いた途端、伊藤さんは苦笑したそうです。
「まったく彼女らしいなあ」
「そうなんですか?」
「そうなんですよ。昔とちっとも変わっていない。あの人が愛して、骨を埋める覚悟までした惑星なのだから、きっと良いところなのでしょうね」
そして、伊藤さんは後任要請を快諾したのでした。
伊藤さんは、自身の後任となる広域管理型HIMを探して、それまで管理していた惑星に関する業務を引き継ぎました。
とはいっても、伊藤さんが休息を取る際に使っていた仮想人格に進行中の処理に関する記憶を同期させて、切り離して後任に委ねるだけのことですから時間はかかりません。
その上で惑星管理機能から自分を切り離し、星間航行用の汎用モジュールを接続して、伊藤さんは惑星IHAA〇五四二Dまで自力で移動しました。
広域管理型HIMであっても作業船舶を操る専門技能型HIMと同じように、恒星間移動を行なう程度の基本的な知識や技能を有しています。
ただ、専門技能型HIMのほうが精度が高いために、特殊な作業や客船業務に関しては専門技能型HIMでなければできないという規制があります。ただそれだけのことなのです。
惑星IHAA〇五四二Dの軌道上に到着した伊藤さんは、宇宙港で星間航行用モジュールを切り離し、今度は短距離移動用の汎用人型モジュールに乗り換えて、宇宙エレベータ経由で惑星に降下します。
そして、惑星IHAA〇五四二Dの管理モジュールに乗り換えたそうですから、よく混乱しないものだと思います。
*
伊藤さんが勤務している惑星管理局は、王宮に隣接するビルの中にありました。
ビルの入口で王子と待ち合わせをしていたので、少し早く現地に着いてお待ちしようと思ったのですが、私がそこに到着した時には王子が既に入口の前に立っていました。
しかも、楽しそうにビルに入ってゆく人々と挨拶を交わしています。
「お待たせして申し訳ございません」
と、私が慌てて頭を下げると、
「あ、そんなことありませんよ。僕もちょっと前に来たばかりですから。暇なのでちょっと早めに来たんです」
と言いながら、王子は笑いました。
とても国家元首とは思えない発言でしたが、そのフランクさが王子の持ち味なのだと、前日の出来事で私はすっかり理解していました。
さて、惑星管理局が入っているビルの入口は、王宮と同様に旧式の『一旦停止型生体認証ゲート』が設置されているだけの簡単なものでした。そこを通り抜けて、地下一階にある惑星管理者室に向います。
惑星全体の行政を司る部署なのだから、途中にセキュリティゲートぐらいはあるだろうと思っておりましたが、それらしきものを目にすることもありません。
王子と私は『惑星管理局』と書かれた表示板のあるドアの前につきました。
王子はドアをノックしてから、
「伊藤さん、アルバートです」
と大きな声で言い、ドアを開けました。
これは礼儀としては正しいのですが、よく考えてみると不必要なことです。
伊藤さんは都市管理型HIMですから、生体認証ゲートをくぐった時点で既に私たちが来たことを把握しているはずですし、廊下にあるセンサーで動向をモニタリングされているはずです。
しかし、いかにも王子らしい折り目正しい行動でした。王子に続いて私も部屋に入ります。
すると、部屋の中は小ぢんまりとしており、その中央に事務机が一つだけ置かれていて、男性がそこに座って仕事をしていました。
黒髪に白髪が混じり始めた四十代後半ぐらいの男性で、頭髪をきっちりと七三に分け、太いセルフレームの眼鏡をかけています。
白いワイシャツにネクタイ姿。ネクタイの柄がペイズリーだという点だけが人目を惹きますが、他は典型的な事務員の姿です。
その男性が、広域管理型HIMの世界では著名な、伊藤貞之さんでした。
より正確には、事務机の前に座った状態の伊藤さんの立体画像が表示されていたのです。
てっきり室内には大勢の人がいて、虚数空間配置型サーバが並んでいるのだろうと想像していた私は、ちょっと驚きました。
「やあ、王子。そしてフローラさん」
伊藤さんは事務机から身軽に立ち上がると、部屋の入口に向かって軽快な足取りで歩いてきます。
これも全く無駄な画像処理なのですが、あまりにも自然な動きなので違和感を受けませんでした。
私の前までくると、伊藤さんは直立不動の姿勢になって、こう言いました。
「フローラさん、どうも初めまして。惑星IHAA〇五四二D管理者の伊藤貞之です。立体画像なので、握手が出来ない無礼はお許し下さい」
そして、握手の代わりにきっちり三十度に身体を傾けてお辞儀をしたのです。
「あの……はい。どうも初めまして」
私は、想定外のことに少しだけ動揺してしまいました。
「伊藤さん。そのフェイス・トゥ・フェイスという古風な趣味は、慣れない方にはなかなか刺激的ですよ」
アルバート王子が、そう言ってにこやかに笑います。
「確かに、広域管理型HIMといえばせいぜいが疑似画像止まりですね。立体画像で自由に動き回るのは、流石に私ぐらいでしょう。私としてはこのほうが仕事がやりやすいのですが……」
そう言いながら、伊藤さんは頭を掻きました。その仕草まで滑らかです。
「あの、本当に申し訳ございません。私もすっかりサーバーが並んでいるところを想像していたものですから」
私は、なかなか動揺から立ち直れずにいました。
それを察したのか、伊藤さんは隣の部屋から椅子を二つ移動させます。
汎用品の家具の場合、床との接地面には室温超伝導用の素子が必ず埋め込まれていますから、床側に室温超伝導体が張り巡らされていれば、活性化してジョセフソン接合状態を作り出すことができます。
さらに、その状態の家具を磁場によって誘導すれば、重い家具でも触れずに好きな場所に移動することができるのです。古めのオフィスビルとはいえ、床に超伝導素子が敷設されていたのでした。
「ふう」
私は椅子に座ると、小さく息を吐きました。
同じく隣から移動した椅子に座ったアルバート王子と、事務机のほうの椅子に座った伊藤さんが、穏やかな視線を私に向けています。
恐らく、私が伊藤さんの姿に驚いてしまったのだと理解しているに違いありません。
私にとっては実に好都合な展開ではあるのですが、しかしその一方で、自分の心の中に疑念が湧いてくるのを抑えることができませんでした。
そこで、記者らしく質問で真偽を探ることに致します。
「あの、アルバート王子。私の本来の目的とは違いますが、都市管理者として有名な伊藤さんに初めてお会いしたものですから、少々お話を伺う時間を頂いても宜しいでしょうか」
「もちろん結構ですよ。そのつもりでご案内したのですから。それで都市管理業務が滞ることはありませんよ」
「有り難うございます。それでは、いくつか質問をさせて頂きますね、伊藤さん」
「なんなりとどうぞ。ただ、既にご承知とは思いますが、広域管理型HIMは基本的に事実を語るか、黙秘すること以外は出来ませんので、お手柔らかにお願い致します」
「承知しております。こちらこそ宜しくお願いしますね」
そして、私は手元に小さく情報確認用のウィンドウを開きました。
「さて、基本的な個人情報は公開されておりますので、そこは飛ばすことと致しまして、今回この星に移動されたご感想はいかがでしょうか」
「移動する前から、惑星に関する情報収集は行なっておりましたが、実際にやってきて都市管理を始めてみると、惑星IHAA〇五四二Dは思った以上に楽しいところだと分かりました」
「具体的にはどのような点でしょうか」
「そうですね――」
伊藤さんはそこで微妙に考えるような仕草をします。これも必要のないことなのですが、人間側の感覚からするとこの方が自然です。
「――まず、この星の行政と住民の間の距離が極めて近いことでしょうか。他の星であれば住民が行政に口を出すことは、よほどの不都合がなければありえません」
「私もここにくるまでは同じように『ありえない』と考えておりました」
私がそう同意すると、伊藤さんはにっこりと笑いました。
「ところがIHAA〇五四二Dの住民は、行政通達ですら言葉通りに受け取らず、表現の不適切さを指摘してきます。また、そのことを行政官たちが当然のこととして受け入れているのが凄いと思いました」
「伊藤さんのご経験で、他に似たような事例はありませんでしたか」
「皆無ですね。行政と住民の折り合いが悪く、何をしても抗議を受けるというケースはありましたが、和やかな間違い探しというケースはありませんでした」
「確かにそうかもしれませんね。この星の住民は極端な例ではないでしょうか。ごく些細な点まで事細かに指摘しているように見えます」
「あの、ちょっと宜しいですか」
ここで、アルバート王子が申し訳なさそうに口を挟みます。
「今は、フローラさんが伊藤さんにインタビューをする時間なので発言を差し控えておりましたが、補足したい点があります」
「どの点に関する補足でしょうか?」
私は驚いて訊ねました。王子の表情が今まで見た中で一番真剣であるように感じられたからです。
「フローラさんの『些細な点まで事細かに指摘している』という点です。この星の住民が、単なる誤字や脱字を指摘することはありません」
「そうなんですか?」
「はい。彼らが指摘するのは行政通達の表現が曖昧な部分で、しかもそれによって通達の趣旨が誤解されかねない場合に限られるのです」
「先日伺った王子と官僚の勝負もそうなのでしょうか?」
「同じです。明文化されてはいないのですが、それが基本的なルールとして定着しています。彼らは『通達の考え方自体がおかしい』とも言いません」
「一般的な行政と住民の関係では、むしろそちらの指摘のほうが普通であると思うのですが」
「確かにそうかもしれませんね。その点、僕はこの星の常識にとらわれ過ぎているかもしれない」
アルバート王子はそこで急に笑顔を浮かべました。
「彼らは行政官が万能だとは思っていませんから、考え方に多少の齟齬があっても気にしないのです。そこは気がついた人がフォローする領域であって、行政にそこまで押し付けるのは酷だと考えています」
「あの――行政のフォローを住民がするのですか?」
「はい。昔からそうなんです。行政官はそれを専ら考えるのが仕事であって、行政の機能は住民全員が参画して維持するものだと考えています」
「それでは行政の機能が混乱するのではありませんか? 各自が勝手に解釈して補足しても構わない、という風に聞こえるのですが」
その点は実際の都市管理に影響すると思われたため、私は伊藤さんに向かって訊ねてみます。
伊藤さんは苦笑しながら答えてくれました。
「そうでもないから不思議なのです。それがこの星の楽しい点の二つ目なのですが、意見調整や意思疎通がいつの間にか行われているのです。私も一応は管理者ですから、この都市で生じている出来事は把握しているのですが、住民達は通信手段を介している訳でもないのに、いつの間にか意見調整を行なっているのです」
「あの、申し訳ございませんが、ちょっと意味が分かりかねます。ネットワークを経由しないで、どうやってやりとりをするのでしょうか?」
「それが私にも分からないのです」
「都市管理者にも分からない手段、ですか?」
「はい。しかも、その点について誰も教えてくれないのです。この星で生活を始めてから丸一年経過しないと、そのネットワークには参加できないらしいので」
伊藤さんはそう言うと、アルバート王子のほうに視線を向けます。
今度は王子が苦笑していました。
「いや、それほど排他的に運用する必要はないのですが、まあ、昔からの慣習ですから」
そう言われてしまうと、部外者であるところの私には何も言えません。
それに、この星の行政と住民の特殊な関係を暴くことが今日の目的ではありませんので、私は伊藤さんに関する話に戻すことにしました。ついでなので、気になっていた点のリサーチも試みます。
「ところで伊藤さんはこの星まで自力で移動されたとのことですが、大変ではなかったですか。通常は都市管理モジュールからポッドに移動して、後のことはお任せというのが普通ではないかと思います。しかも、都市管理モジュールから、星間航行モジュールに乗り換えて自力で恒星間移動し、さらには宇宙港で移動用のポッドに乗り換えて――」
「あ、そこは違います。宇宙港からは汎用人型モジュールに乗り換えました」
「えっと、そうでしたね。大変申し訳ございません」
私は即座に謝罪しつつ、心の中では、
――さすがに、そんな簡単な間違いは犯さないか。
と考えていました。もちろん、それは表に出さずに質問を続けます。
「都市から船へ、船から擬態へ、何度か自分の身体を入れ替えていると混乱しないのでしょうか?」
「惑星管理者の時は常に何らかの処理が流れていますから煩雑ですが、宇宙船で星間航行している間や人型モジュールで移動している時は、自分のことだけ考えればよかったので、結構ゆっくりできましたね」
そう言って、伊藤さんはにっこりと笑いました。
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