七月四日
第十二話 午後五時 亜呂蔵親方
亜呂蔵親方の
昨日の夜に送った回状通り、全員が自分の長屋で今日の身支度を整えている。
おのおの自分の一番使い慣れた得物を、あるものは抜き身のまま素手で、あるものは凝った意匠を施した鞘を腰や背中にくくりつけて、携行していた。
人数が増えるにつれて、場にひたひたとした熱気が積み上がってゆく。
若い奴等はその熱に浮かされてやたらと饒舌になっていた。
逆に青くなるほど力んでいるやつもいる。
そこを、
「おい、お前、なんだよこの包丁は」
「あ、兄貴。いえね、時間がなかったもんでちょっと」
「ちょっとじゃないよ、貸してみろ。ああ、こいつ緩んでるじゃねえか。締め直すからちょっと貸せ」
と言いながら、古参の奴等が声をかけて、宥めすかしていた。
そうするうちに浮ついていた熱気が徐々に、落ち着いた青白い覇気に置き換わってゆく。
亜呂蔵も、幾多の小競り合いで彼の右腕を果たし、すっかり掌になじんた短刀を懐に飲んでいた。
先代の親方が、亜呂蔵の襲名にあわせて職人に特注した短刀は、鞘にしても本身にもこれまでの出入りで作った細かい傷が無数に入っている。
切れ味を維持するためにまめに研ぎに出しているが、拵えに手をいれたことはない。
今日はまたいくつか傷が増えることだろう。
そんなことを考えながら亜呂蔵が集まった連中を見回していると、片隅のほうに仁吉がいた。
いつもの緩慢な動きで集団に加わろうとしている。
亜呂蔵は慌てた。
回状の宛先には仁吉を入れていない。
誰かかお節介な野郎が教えたのだろうか。
しかも、仁吉は『物干竿』を持ってきている。
まずい。彼を出入りに加えるのはなんとしても止めなければならない。
「仁吉、ちょっとこっちにこい」
亜呂蔵に呼ばれた仁吉は、他の者の邪魔にならないように大回りしながら、ゆっくりと動き出した。
背中に括りつけられた異様な長さの得物が目だつ。
仁吉が移動するのにあわせて、こそこそ話が移動していた。
「なんだよあれは」
「釣竿じゃねえの、ずいぶんと反っているし」
「なんでこんな時に釣竿持ってくんだよ」
「そいつぁおめえ、伊江賀の子分を、こう竿を一振りして釣り針に引っ掛けててだな」
「んなわけあるかよ」
失笑すら漏れている中を、悠々と仁吉はやってきた。
「仁吉、お前、今日のことを誰に聞いた」
「誰からも聞いてねえ」
仁吉はぼそりと呟く。
「じゃ、どうして来た」
「出入りの気配がした」
「背中の得物はなんなんだよ」
「必要だから持ってきた」
「おい、俺はお前の親父と御袋に約束を――」
「俺も行く」
「いいから、俺の話を終いまで――」
「俺も行く」
「お前を危険なところに連れて行くわけには――」
「俺も行く」
(駄目だ。こいつは無理だ)
亜呂蔵は仁吉が「言い出したらまったく引かない」性格であることをよく知っていた。
同じ言葉を繰り返しはじめたら、もう仁吉は親父と御袋以外の言葉には一切耳を貸さない。
それに出入りの前に押し問答をするわけにはいかなかった。
場は生き物である。些細な傷から大きく変化する。
既に空気が微妙に変化し始めているのを感じる。
もう、これ以上の問答は士気にかかわる。
「分かったよ、連れては行くが俺のそばから絶対離れるな」
仁吉は承諾したらしく、またのっそりと動き出すと元の位置に戻っていった。
亜呂蔵には分かっていた。
仁吉は出入りに参加したくてここに来た訳ではない。
むしろ彼にとっては、見境なく敵味方が入り乱れる喧嘩の場は、大いに負担に違いなかった。
それをわざわざ得物まで担いで出てきたのは、亜呂蔵の護衛のためである。
(まったく、昔のことだから忘れろと言っているのに……)
亜呂蔵は嘆息した。
仁吉は親父と御袋の言葉には絶対服従する。
そして、親父と御袋と亜呂蔵のためであれば、命を投げ出そうとするのだ。
*
代貸を務めている佐平次が、自慢の背丈ほどもある赤い棒を持って前に出た。
「おう、野郎ども。準備万端整ってるか」
「へい」
威勢のよい声が重なった。
佐平次はその反応を満足した様子で見回すと、軽い調子で先を続けた。
「よし。分かっていると思うが、今日は出入りだ。これまで、伊江賀のやつらにはさんざん嫌な思いをさせられたが、こちとら大人だから『泣く子と犬を相手に喧嘩はできねえや』と、今の今まで無視してきた」
笑い声が漏れた。
佐平次も少しだけ間をおいて場が和らいだところを確認すると、今度は声を少しだけ尖らせて言った。
「しかし、定が怪我をしたとなれば話は別だ。噛み付く犬には自分を弁えさせないといけねえな」
「おう」
威勢のよい声が再び重なった。
落ち着いた青白い覇気は、場で練られて眩いばかりの闘気へと移り変わってゆく。
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