第九話 午後六時 亜呂蔵親方

 亜呂蔵親方のねぐらに、仲間の一人が駆け込んできた。

「親方、亜呂蔵親方、大変だぁ!」

「安、大騒ぎしてどうしたい?」

「定兄いが怪我しやした!」

「なんだって!?」


 *


 事の次第はこうである。

 その日、定と留の二人組は港のはしけで荷降ろしの作業をすることになっていた。これは、お芳の周旋による仕事である。

 彼女も、現在の亜呂蔵一家と伊江賀一家の確執はよく理解していたから、普段は伊江賀親分の縄張りとは関係のないところを亜呂蔵親方には割り当てていたのだが、今回ばかりはそうもいかなかった。

 大手の口入屋の出店は、この街にも多数ある。それが、理由はよく分からないのだが、ここ数日前から遠方に出稼ぎに行って戻っていない者が増えているのだ。

 同時に、ここ数日前から入港する船も減少していた。こちらも理由はよく分からない。

 いずれにしても、それでなんとか割り振りが回っていたのだが、定期的にやってくるこの船便は、毎回のお馴染みだけあって、作業時間にうるさかった。

 大手が出払っているとなると、どうしても地元密着型の人足を手配するしかない。となると、選択肢は二つに限られる。亜呂蔵親方と伊江賀親分のところから回すしかなかった。そこで、せめていずれか一方の人足を優先的に回して、なんとかそれで充足させようと頑張ってはみたものの、どうしても二人分だけ人足が足りない。

 それを事前に連絡したところ、船主からは、

「作業賃は前払いなんですから、ちゃんと頭数は揃えて下さいよ」

 という懇願(に見せかけた恫喝)があった。船主の言い分はもっともである。船側に港側のいさかいは関係がない。

 仕方がなく、定と留の二人組に事情を話したところ、彼らは二つ返事で応じた。困っているお芳を見放す彼らではない。

 しかし、今度は「できるかぎり一方の人役で充足しよう」としたお芳の配慮が、裏目に出ていた。はしけについた二人は、そこが見事に伊江賀親分配下の独壇場になっているのを知った。

 作業のやりやすい荷は伊江賀親分配下に割り振られており、扱いが面倒な荷物だけが定と留の担当分として残されていた。二人で扱うには形状が不適切なものが多く、かといって大八車などの補助的な道具も残されていない。

 それでも定と留の二人は、お芳への義理からなんとか作業をこなし始めた。

 そもそも二人は実に優秀な作業員である。目端も聞いて段取りも早い。伊江賀親分配下の者たちが目を見張るような勢いで、受け持ちの荷物を片付けていき、とうとう最後の一つを運ぶだけになった。

 残ったのは、扱いこそ容易だが、重量物である。本来は人足四人ぐらいが、きっちり縄を張り巡らして引っ張る代物だが、それを彼ら二人だけでやらなければならない。

 念入りに縄を掛ける位置を探って、なんとか引っ張った時の具合がよいように調整した。二人は慎重に、そろそろと荷物を船から引き出す。

 そして、そのまま受け取り先の倉まで運んで行こうとしていた時、


 二人の失敗を虎視眈々と狙っていた伊江賀親分配下の代貸が、業を煮やして強硬な手段に出た。


 彼は、手元が滑った振りをして、定と留がいる方向に大八車を走らせたのである。二人が向かってくる無人の大八車に気が付いた時には、もうさほど取りうる策は残っていなかった。

 その一、二人は逃げて積荷と大八車が衝突する。

 この場合、作業員の過失として記録される。ただし、二人は無事だ。

 その二、二人のうちのいずれかが大八車を抑える。

 この場合、大八車を放置した者の過失として記録される。ただし、止めるためには大怪我も覚悟しなければならない。

 定は即座に判断した。彼らの過失は、親方である亜呂蔵の過失であり、お芳の過失でもある。留に積荷を任せると、定は単身、迫りくる大八車に向かっていき――


 見事にその方向を変えて積み荷は守り通したものの、定自身は大怪我を負った、らしい。


 *


 亜呂蔵親方が療養所に駆け込んでみると、情けない顔でしょげ返った留と、背筋を真っ直ぐに伸ばしたお芳がいた。定は医者が治療中なので会えないという。

「すまねえ親方、おいらが未熟者だったばかりに、兄貴が怪我をさせちまった」

 留はそう言って泣く。

「私が至らなかったばかりに無茶をさせてしまったよ。しかし、まったく舐めたまねをしてくれたもんだね」

 お芳はそう言って、静かに怒っていた。

 亜呂蔵親方は、その二人の様子を見ながら覚悟を決めた。

(こいつぁ、伊江賀のところと直接話をつけなきゃ収まらんな)

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