七月三日

第八話 午前十時 フローラ

 軌道エレベータで惑星IHAD〇五四三Dに降下した日の、翌日。

 宿泊先のホテルは軌道エレベータのターミナル付近あり、王子のインタビュー場所として指定された首都中心部からは少し離れています。そこで、私は朝早めに起きて身支度を終えると、ホテル内のステーションから乗り合いのポッドを利用しました。

 旅行先での移動も基本は『ポッド』です。

 ポッドは全天で規格化されていますから、他の恒星系からの渡航に使用したポッドもこの惑星上で利用可能なのですが、よほどの特殊仕様でもない限り宇宙ステーションから地上まで専用ポッドで移動する方はおりません。さすがに恒星間移動の場合、検疫や殺菌処理などの手順を踏まなくてはならないからです。

 それに都市部であればポッド・ステーションは街のいたるところにあり、そこに設置されているパネルで行先を登録すれば三分程度で行先のポッドがやってきます。

 大昔の公共交通機関には定まった『路線』というものがあって、出発地や目的地がそのステーションから離れていると大変だった、と保存記録で読んだことがあります。現在では『路線』なるものが存在せず、すべてのポッドが個人のオーダーに従って出発地から目的地まで運航しています。また、社会インフラも基本的に公共交通機関であるポッドを前提に設計されておりますので、私的な移動手段を使うと停める場所の確保など、むしろ不便なことが多いのです。

 さて、乗り合いのポッドに腰を落ち着けると、私は窓の外を流れてゆく風景を眺めました。

 エレベータ・ターミナル周辺は旅行客用のホテルや飲食施設などがありますが、少しでも離れると途端に自然環境真っ只中となります。ホテルを出てから一分も経たないのに、見える景色は緑の木々だけになってしまいました。上空から見た通り、衛星都市が発達しておらず、都市機能は首都に集約されているようです。

 変わらない車窓の風景に見慣れてしまうと、私の脳裡には今回の取材の件が浮かんで参りました。 

 今回の企画が私のところに回ってきた時、

(立憲君主制ということは、王子様は広壮な宮殿で執務していらっしゃるのかしら)

 と想像しました。

 しかし、調べてみると王の執務場所は普通のオフィスビルの普通のオフィスフロアの一つであり――しかも、驚いたことにマップ上で一般公開されていました。

 公共の場所はもちろんのこと、自宅のような私的空間であっても所有者が了解すればマップ上に一般公開されますから、別な恒星系の誰かのご自宅に訪問する際であっても、事前に訪問経路や訪問先の室内の様子を承知しておくことは可能です。

 しかし、恒星系政府の代表者の執務室が一般公開されている例は、寡聞にして聞いたことがありません。

 極端なケースでは、為政者の住居を中心とした半径十キロは非公開になっているケースや、惑星全体を非公開としているケースすらあります。いずれ防犯の観点であったり、政治的な秘密保持の観点であったりしますが、大なり小なりの機密保持対策は取られている場合が普通なのです。

 そのような制限が、まったくありません。

 実際に訪問する前に、端末上で体験できてしまいます。そして、そのあまりの質素さに意表をつかれました。

 

 *


 この時代に『煌びやかな宮殿』を想像した私のほうがどうかしているのですが、それにしても機能一点張りの、何の装飾も施されていないビルの潔さには恐れ入ます。

 一階エントランスには旧式の『一旦停止型生体認証ゲート』が設置されており、それを通ると目的地までのナビゲーション・ウィンドウが展開されました。ちゃんと来客登録されていることが分かります。

 ウィンドウの指示に従って、エレベータで王子のいる最上階の執務エリアまで移動します。

(ところで、セキュリティチェックはどうなっているのだろう?)

 最新式の生体認証ゲートが設置してあるところであっても、政府中央官庁の入口であれば係員による目視確認は必ず行われています。

 しかし、ここでは係員すらおりません。怪訝に思いながら、私はエレベータに乗りました。

 途中階で乗り降りする人はおらず、移り変わる回数表示をぼんやりと眺めながら最上階まで上がり、そこでエレベーターを降ります。


 すると、目の前に王子が立っていました。


「おはようございます、フローラさん」

 王子は、弾むような明るい声で元気よく挨拶してくれました。星間連絡船の中で見た映像と同じく、柔らかな金髪の癖毛が適度な長さで頭を覆っており、目はスカイブルーです。いきなりの国家元首本人のお出迎えに、私は少々戸惑いました。

「あ――おはようございます。殿下、本日は宜しくお願い致します」

「堅苦しい言い方は抜きにして下さい。私のことはアルバートで結構です」

「あ、はい、そうですか。では、アルバート王子――」

「王子もいらないんだけどなあ。まあいいや。インタビューの場所はこっちです」

 アルバート王子に先導され、道案内をされながら奥に進むと、途中にはデスクが所狭しと並んでいて実際に人が忙しそうに働います。その光景がとても新鮮でした。

 私の驚いた様子に気がついたのか、王子は、

「ああ、そうか。人が集まっているなんて他の世界からすると変わってますよね」

 と言いました。

 そうなのです。今日、オフィスまでいちいち通勤するというのは、よほど秘密を要する会議をする時だけで、通常は自宅のリビングでバーチャルな出勤をすれば事足ります。さすがに通信に時差が生じるほどの遠距離であれば直接訪問しなければなりませんが、今回の王子との会見も話だけであればホテルの部屋からのバーチャル接続でも失礼には当たらないのです。

 にもかかわらず、王子とのインタビューは「実際にお会いして話がしたい」という指定がなされておりましたし、この階のオフィスには生身の人間がいて彼らが発する熱が確かに感じられるのです。

 私が物珍しさに辺りを見回していると、とんでもないことを王子はさらりと言いました。

「一番暇なのがぼくなので、お客さんがくるとぼくが案内しているんです」

「――アルバート王子が、ですか?」

「そうです。もっとも父の代行としてですが」

「すると、ご病気になられる前は王自らが案内係を勤めていたのですか」

「それが王たる者の勤めです」

 アルバート王子は「それが当然」とばかりに胸を張って言いました。

「星での出来事すべてを知ることも必要な決裁のすべてを王が自らの責任でこなすのも、物理的に不可能です。だから、一般的な事項については、それを熟知している官僚が決済も含めて処理をします。統治者たる王は特殊な事項の決済にしか関与しません。もちろん、官僚が決済した結果に対して差し戻しを命じることは可能ですが、この国の官僚は優秀ですからなかなか隙をみせてくれません」

「あの――」

「はい、なんでしょうか」

「ということは、官僚が決裁した結果をすべてチェックされているのですか」

「もちろん、すべてという訳ではありませんが、まあ大体はチェックしているかな。彼らとの真剣勝負なんです。僕が何かおかしなところを見つけて指摘し、彼らがその過ちを認めた場合には、僕の勝ちです」

「勝負ということは、彼らの勝ちとなる条件もあるのですか」

「うーん、なにもなくて当たり前ですからね。官僚が勝つということはないかな。ああ、そうそう。この星の民が官僚の誤りを見つけた場合は、僕も官僚たちも負けです。反省文を書いて掲示しなければいけない」

「――反省文、ですか?」

「そう。反省文です」

 アルバート王子は右手の人差し指を上に向けて、くるくると回しながら言いました。

「この星にいるとだんだん分かってくると思うけれど、この星の民はとても真面目で懐が広くて鷹揚なのですか」

「ですが?」

「敵に回すと大変です。しつこくて狡猾ですから」

 そう言いながら、アルバート王子は楽しそうに笑います。

「そうそうエドガー、先週の君の反省文は実によくできていたよ」

 名指しされた男性は、立ち上がると私たちのほうに近づいてきました。

「誉められているのが反省文ではね。王子にもご面倒おかけしました」

「いやいや、あれは見つけた民のほうがすごい」

「まあ、ハリソン教授ですから」

「ああ、彼か。なるほど」

 アルバート王子は私に向き直ると、頭をかきながら言います。

「あ、これは大変失礼しました。つい関係のないことを」

「あの――住民がいちいち政府の発表をチェックするのですか」

「うん、昔からそうです。そして間違っていた時は指摘してきますし、非常にできがよかった時には称賛のメッセージが届きます」

「なぜそこまで住民が口を挟んでくるのですか」

「ああ、それは楽しいからでしょうね」

 アルバート王子はさらりと言います。

「まあ、それはおいおい説明するとして。まずは概略の説明をしましょう。ところでコーヒーはお好きですか?」

「はい、あの、でも――王子が?」

 王子に代わってエドガーが当然のことのように言いました。

「王子が入れるコーヒーは絶品ですよ。何しろ年期が入っている」

 

 *

 

 たまに『昔の人が書いた物語』を読むことがあります。

 昔の人が『さらに昔のことを書いた物語』や『今のことを書いた物語』も興味深いのですが、私は『未来を想像して書いた物語』を好んで読んでいます。そして、その多くに『人類全体を統治する政府』が登場するものですから、私はその記述を見ながら「随分と長閑だなあ」と思わずにはいられません。 なぜなら、広大な人類の居住範囲全体を統治して、そこで生じる個々の問題を集約して解決する『中央集権体制』は、どう考えても物理的に無理があるからです。

 虚数空間を利用することによって、人類の居住範囲は短期間で各段に広がりました。しかし、その間を埋めることが物理的に出来ていません。物流は何とかなりますが、それよりもリアルタイムが要求される情報伝達が追い付かないのです。虚数空間通信が試みられたこともありますが、単なる『情報』では処理が単純すぎて、逆に虚数空間側の処理に時間がかかりすぎます。無意味な文字列を配置して複雑さを増したところで、太陽系を転移することに比べれば手間は僅かですし、それ以上複雑にするには、通常空間側の端末処理に時間がかかります。個人間の通信は別な手段でなんとか充足させたものの、組織の命令伝達のような秘匿性の高いものは、どうしようもありませんでした。そして、上意下達がスムースにいかない中央集権に何の意味もないことは、どう考えても明らかです。もちろん、これはこれまでの途中経過と現状を知っているからこそ言えることであって、人類がそれを理解するまでには無意味な犠牲が多数払われなければいけませんでした。

 ところで、矛盾するように聞こえるかもしれませんが、人類の居住領域全体をカバーする組織として、現在は『統合政府』が設置されています。しかし、この統合政府は最小限のガバナンスを司るだけの、言い換えれば『人類全体を対象とした巨大な官僚組織』にすぎません。官僚組織であれば、上意下達は事前の指示で事足ります。あとは権限を委譲して現場判断とし、問題があれば事後に処分すれば良い訳です。

 そして、『人類全体を対象とした組織』が必要となることは、確かにあります。

 その分かりやすい例が『治安維持軍ピース・プリザベーション・フォース、PPF』です。

 個々のIUA内で生じる紛争については、その政府が問題解決にあたればよいのですが、IUAに跨る問題の解決には、その上位組織が乗り出さなければ丸く収まりません。PPFは、そのような政府間に跨る治安上の問題が発生した場合に、早急な対応を行なうための機動性の確保と広範囲の権限委譲が行われています。一方で、独走に歯止めをかけるために、実際に武力行使を行なう場合にはIUAレベルの複数承認が必要であるなど、シビリアン・コントロールもかけられています。そのために動きが制限されて遅くなるという批判もありますが、まあまあ機能していると見られています。

 それ以外の統治行為については、基本方針はIUAが、具体的な規則とその運用はLGU単位の自治政府が所管しています。そしてLGUの形態は、IUAの基本方針との齟齬がなく、LGU居住者の合意形成がなされていれば、民主主義でも絶対王政でも構わないことになっています。実際に絶対王政や専制君主制のような極端な政体を取っている例はありませんが、立憲君主制についてはいくつかあります。

 クラウス家のように惑星単位の立憲君主制をとっている政府は、珍しくはありますが稀少ではありません。IUA単位で立憲君主制をとっている例は、現時点で『ソ家、ンパウ家、サラム=タリム家、ボーランジェ家』の四王家です。


 *


 アルバート王子の執務室はとてもシンプルでした。

 窓がある面を除く残りの三面の壁には、扉を覗いて全面に埋め込み式のキャビネットが設置されています。そして、部屋の中央部に執務用の机と椅子、そして応接セントが置かれています。窓際にコーヒーメーカーらしき機械を載せた移動式の棚がおいてあります。絵画や彫刻などの室内装飾品は一切なく、執務机は使い込まれたものであちこちに傷がついています。それが決して見苦しくなく、むしろ使い込まれた深い味が感じられました。

 それしかありません。

 それ以外のものが見当たりません。 

 しかし殺風景とは感じられませんでした。

 室内に入ると、王子は私を応接セットに着席させて、自分は窓際のコーヒーメーカーのほうに歩いて行きました。コーヒーは作リ置きではなく、その都度ドリップするようです。王子は楽しそうに豆をミルで引き始めました。

 さてさて、こんな表現をしていると、昔の物語作者は驚くかもしれません。

「どうして未来のお話で、コーヒーをわざわざ手で入れる描写なんか出てくるんだ。おかしいんじゃないか。未来はもっと画一的で自動的で、そして効率化が進んでいるはずだ」

 その見方は確かに正しいのです。画一化され、自動化され、効率化されている分野は確かにありますし、その中で、何もせずに生きていくことも可能ではあります。コーヒーにしても、味や香りを再現する技術は完璧ですから、人工物であっても人間の知覚が気付くことはありえません。

 にもかかわらず、技術がある程度進んだところで、人類の大半は画一化され、自動化され、効率化された世界の構築を断念して、部分的に手作業や昔のやり方を残した生活様式を維持しました。

 なぜなら、全自動に近づいた生活は、決して楽しくはなかったからです。

 コーヒー豆にしてもわざわざ栽培しなくても、同じ味で同じ香りのする合成物は作れますが、これを趣味で栽培して、販売している人が、あちらこちらの星系におります。そして、このような小ロットの特殊品こそが、虚数空間を越えてやり取りされる商品となっているのです。

 そしてなによりも、こうやって手間をかけているのを見てから飲むコーヒーは絶品なのでした。


 *

 

 さて、本来の目的であるアルバート王子へのインタビューです。

 王子は公人ですから、基本的な事項、例えば正式な氏名や生年月日、年齢程度であれば、一般に公開されている情報なので、事前に入手することが可能です。また、取材の申し込みに際して、お伺いしたい事項の一覧表をお送りしてあります。

 先程、王子は自分の分のコーヒーを啜りながら、

「事前にお送り頂いた資料に補足を加えたものをお送りしますから、認証して頂けますか」

 と、言いました。

「承知しました」

 と私が応じますと、王子は微笑んで、

「それでは送ります」

 と宣言します。

 それで「私」に割り当てられたストレージに資料を送る処理が完了しました。

 IPPで入国の手続きを行なうと、それにあわせて汎用生体認証に対応した「訪問先惑星の個人ストレージ」が設定されます。資料の類はそこを経由してやりとりができますから、インタビューする側もされる側も、紙を抱えて右往左往する必要はありません。

 私は資料のステータスを確認して、既に全項目が「回答済み」になっていることを確認しました。ですから、改めて質問する必要はありませんでした。

 インタビューは、基本的な事柄を通り過ぎて、いきなり各論から始まります。

「アルバート王子は、恒星系政府の統治形態としては珍しい『立憲君主制』の、代行とはいえ君主の立場になられる訳ですが、任命および解任の手続きはどのようになっていらっしゃるのでしょうか」

「王の任命および解任や罷免については、憲法の中に条件が明記されています」

「えっ、罷免が可能なのですか?」

 私はいきなり基本的なつまづき方をして、赤面してしまった。

 まさか、立憲君主制下の国王について、任命や解任であれば理解できるものの、罷免というある意味『立憲君主制の廃止』に当たる事項までが、憲法の中に明記されているとは思ってもみなかったため、その条項を確認していなかった。

「大変失礼致しました、勉強不足でして」

「いえいえ、そんなことはありませんよ」

 王子はにこやかに笑うと、背後にある棚から躊躇することなく、ファイルを一つ取り出した。背表紙に見出し文字が書かれているものの、それを吟味した気配はない。いや、今さら紙のファイルというのがおかしい。

(なぜ、端末上のライブラリに保存してある電子ファイルを使用しないのだろうか)

 訝しい顔をしているはずの私に気にもとめず、彼はファイルを無造作に開いて私の前に置きました。

「ここにあります」

 私は王子が指差しているところを見つめました。


 一呼吸分の間が開きます。


「どうしたんですか、何かぼんやりされているようですが」

 その言葉で私は我に帰りました。

「あの――」

「なんでしょうか」

「これ」

 私は憲法条文を指さしつつ、彼の顔を見つめながら言います。

「――もしかしてラテン語ではありませんでしょうか」

 王子はは一瞬、身体を硬直させると、それから赤くなってうめき声をあげながら、ファイルを接着させるかのように勢いよく閉じました。

 そして、先程とは逆回転した動画を見ているかのような無造作さで、ファイルを棚にしまうと、その下の同じような並びの中から、またしても躊躇なく一冊を取り出して、開きました。

「大変失礼致しました」

 絞り出すような声でそう言うと、深々と頭を下げました。全身が微かに、細かく、小刻みに震えています。私はラテン語でもプラグイン済みなので問題はありませんし、さきほどの指摘は「どうしてラテン語の憲法まで、紙で準備しているのでしょうか」という意味だったのですが、王子は「読めません」という抗議として受け止めたようです。

 一国の君主が即座に非を認めて陳謝する、というのは言葉にするとすごい出来事に聞こえますが、王子は普通に躊躇ためらいもせずに謝罪をしました。そもそも、自分で資料を準備する君主というのも、私の経験では初めてでしたので、驚くとともにこの王家の親しみやすさに関心した次第です。


 さて、憲法には『国王罷免の手順』について、こう記載されています。

『国王は、住民による直接投票において、百名を超える者より否認された場合は罷免される」

 

 ――百名?


「あの……百名ですか?」

「そうなんです」

 この恒星系の人口は一億人でしたから、有権者数をその七割程度と見積もっても七千万人です。その中の百人が否認すれば立憲君主制は廃止されるのです。

「随分とハードルが低いように思われるのですが」

「そうでしょう?」

 王子は楽しそうに続ける。

「初代の国王が、さっさと立憲君主制を廃止したいがために、この部分を入れてくれるように要求したらしいです。これが受け入れられなければ、自分は国王にはならない、とまで言い切ったそうです。最初の要求は『一名でも否認したら』だったのですが、さすがにそれは許してくれという支持者たちの説得もあって、初代は百名ということで合意したようですね。それでもすぐ廃止されるだろうと思っていたようですが、残念ながらそうはなりませんでした。初代がもう少し頑張ってくれればよかったのですが」

「それで、過去に直接投票が行われたことは?」

「それが、一度もないんです」

「……ないのですか」

「はい」

「直接投票を行なうための条件が厳しく、容易に出来ないということではありませんか」

「ありません、こちらも百名の発起人がいれば政府に実施を請求できます。それを受けた場合には、政府は必ず投票を実施しなければならないんです。請求するということは反対派ですから、容易に罷免できるはずなんですが、ここの住民は我慢強いようですね」

 私は他の君主制と比べて、いかにこの惑星が特殊であるかを思い知らされました。

 

 *

 

 王子へのインタビューは、事前の資料提供もありスムースに終了しました。

 これで私がこの惑星に来た所期の目的は達成し、取材は完了です。

 しかし、この惑星IHAD〇五四三Dと、共同通信社の本社があるDAAA三四一七Dとの定期便は、主に中央側の虚数空間門の順番待ちがある関係で、明後日に出ることになります。別の星系を経由して帰任することも可能なのですが、どのルートを経由したとしても明日の遅い時間にしか社に戻れないこともあり、そもそも明日が会社の休日にあたることもあり、直通便の席を確保して、その待ち時間を使って惑星のあちらこちらを見て回る予定にしていました。

 インタビュー後の雑談で、そのことに触れたところ、

「それでしたら、僕がこの星をご案内しましょうか」

 と、王子が言いました。

 記者として「願ってもいないほどの好機」でしたが、仮にも一国の君主です。そんなに簡単に予定を変更してもよいのか、と疑問に思った私は、

「しかし、公務がお忙しいのではありませんか」

 と、率直に尋ねてしまいました。

 すると、王子は苦笑しながら、答えます。

「そもそも、君主である私が自ら担当しなければならない案件が、始終山積みになっているほうがおかしいと思いませんか? 君主は神ではありませんから、すべてにおいて正しいとは限りません。案件ごとに最も適切な担当者が、適切に処理したほうが有効なのです」

「しかし、権限の委譲範囲であるとか、指示命令系統であるとか、国家元首として責任を持たなければならない事項があるのでは?」

「ああ、そうですね。そうか。普通の君主制ではそうなのか――」

 王子は一瞬考え込むような表情を見せたが、すぐに元の明るい表情に戻ると、こう言った。

「まあ、その辺はおいおいご理解頂けるでしょう。いずれにしましても、私が忙しくなるのは緊急事態の時だけですから、なんら問題はありません」

「はあ、そうなんですか」

 罷免条件の低さといい、公務による拘束の少なさといい、この星の『王家』の位置付けは、軽すぎるのではないかと思いましたが、さすがに口にはしませんでした。

 王子は屈託もなく話を続けます。

「時間も時間ですから、まずは昼食でもいかがですか。もっとも、さほど高級なおもてなしはできないのですが」

「あ、お気遣いなく。私はその星の一般的な生活が知りたいだけですから」


 *


 さて、王宮が間借りしているオフィスビルを出ると――


 王子と私は近くにあるレストランへ、徒歩で向かいました。


 聞いたところによると、遠距離でもない限り、公用車あるいは公用ポッドを使用することはなく、外出時に対テロ装備を身に着けたボディガードやロボットが同行することもない、とのことでした。

 その見事なほどの潔さに、私は驚きました。

 また、王子のオフィスを出てから、執務室にいた官僚の皆さんや、隣接するオフィスの従業員の方、エレベータで一緒に階下へと降りた同乗者や、ビルの出口に立つ守衛さん、外を歩いている一般市民に至るまで、実に気軽に王子に声をかけてきます。

「おや、王子。お客さんと早めの食事ですか?」

 オフィスビルを出る時に、守衛さんがそう声をかけると、

「そうだよ、アルフレッド。申し訳ないけどお先に行ってくるね」

 と、王子はにこやかに笑いながら手を振り、外に出ていきます。

 途中の歩道では、向かいからくるお婆さんが、

「王子、今日は天気がよろしいですわね」

 と声をかけられて、

「そうだね。とても気分がいいよ、オルコットさん」

 と笑顔で答えていました。

 私はその彼の開けっぴろげな行動や言動に驚かされっぱなしでしたが、更にあることに気づきました。

「――あの、先程からお会いする方全員のお名前を呼んでいるような気がするのですが」

「ああ、そうですよ。知り合いですから」

「まさかとは思いますが、この星に住んでいる一億人全員の名前を記憶しているということは」

「いやいや、それはさすがに無理ですよ」

 と言いながら、王子は右手を振る。

「少なくとも三回は会ったことのある人じゃないと、名前まで覚えられませんよ」

 ということは、逆に言えば挨拶を三回以上交わした相手は、すべて記憶しているのだろうか。

 その点について尋ねようとしたところで、王子に先手を取られます。

「さて、目的のレストランはあそこにあります」

 王子は右手で前方を指し示す。

 そこにはレストランというより「食堂」と言ったほうが相応しい、入口ドアが開けっ放しのお店がありました。人々が楽しそうに笑いながら、そのドアから出入りしているのが見えます。

 さらに近付くにつれて、入口の上に店の名前が表示されているのが分かりました。


『跪いて女王様の料理をお食べ』


 しかも「女王様」と「の料理」の間に、「と王女様」という吹き出しが打ち付けられています。

「――あの、もしかしてですが」

 私は唖然として伺いますと、王子は爽やかに言い切りました。

「そう、名前の通り僕の母親と妹がやってる店なんだ」

 

 *

 

 店の中はお客さんで一杯でした。

 カウンター席が十、テーブル席が四人がけで二十あり、合計で九十名が一度に食事できる計算になります。

 が、団体の客は四名を超えると奥から勝手に椅子を持ち出しているようで、一つのテーブルに五名以上座っている場合もあります。

 また、逆に三人しかいなテーブルがあると、後からきた個人のお客さんが自主的に相席を申し出ているようでした。

 カウンターの向こう側には厨房があり、そこに女性が二人並んで、忙しそうに調理をしています。

 店内にはいろいろな香りが入り乱れていましたが、それは決して不快ではありませんでした。

「おう、王子。こっちこっち、二人分いけますよ」

 窓際の席、入口に近い方のテーブルからそんな声がかかります。

 見ると、大柄な男性が四人も一緒に座っていました。

「ベルヌーイ、それはいくらなんでも無茶じゃないかな」

「いーえ、問題はありませんよ」

 ベルヌーイと呼ばれた髭面の大男は、他の三人を促すとテーブルの片側に無理やり巨体を詰め込み始めます。他のテーブルの客まで協力して、少しずつ隙間を有効活用していき、とうとう立派に二人分のスペースを空けてしまいました。

 四人の男たちは「どうだ」と言わんばかりの顔で、にこにこしています。

「有難う、それでは遠慮無く同席させてもらうよ」

 王子と私は席に付きました。

「で、今日は何にします? 俺はいつもAだけどね」

「俺はB」

「俺はAとCで半々」

「その時次第」

「お前は優柔不断だから」

「ほっとけ」

「今日のAは何だっけ」

「王子、ちゃんと政府広報は毎朝チェックしてくださいよ」

「ごめんごめん、今日はここにくる予定じゃなかったもので」

「今日のAは――えっと、何だっけ」

「お前さっき頼んでたろ」

「いや、俺はいつもAだからさ」

「結局、お前も広報見てないんだろ」

「へへへ」

「へへへじゃないよ。今日のAはチキンライス」

「あ、当たりだ」

「じゃあ、僕もAにするよ」

「はいはーい、王子はAね。お連れのお嬢さんは何にします?」

 ぽんぽんと続く会話に驚いていた私は、急に話を振られてまごつきます。

「あ、私は、その」

「ところで、つかぬことを伺いますが王子の彼女? いつから付き合ってます?」

「えーっと、その」

「お前、いきなり突っ込むなよ」

「いいじゃんか、どうせこの周辺十メートルのやつら、全員聞き耳立ててんだろ」

 周囲を見回すと確かに視線が集中していました。


 *


 約二時間後の午後十四時ちょっと前。

 昼の混雑が嘘のように引いて、レストランの中には穏やかな空気が流れていました。

 王子と私は、王子の母親、つまり女王であるロザリンド・クラウスさんと話をするためにカウンター席に移ります。

「不躾な質問が多くて大変だったでしょう。お疲れ様」

 と言って、女王は冷たいレモネードを目の前に出してくれました。

 こんなに気さくな感じでいいのかと逆に恐縮してしまいます。

「本当はもっと丁寧に接客して、好きなもの食べさせてあげたいんだけどね。なにしろ人数が多い上に、客の方で勝手に気をきかせるものだから」

 女王はそう言って苦笑しました。

 食堂のシステムはこうなっています。

 メニューは価格別に「A、B、C」三種類のみ。

 その内容は政府広報として毎日配信されている。

 客は席についたら速やかにいずれかを注文する。

 出来上がったら手の開いている客が席まで運ぶ。

 食べおわったら自分で食器を運び、簡単に洗う。

 最後のお会計は、生体認証任せです。

 レストランが繁盛しすぎて対応に追われる女王と王女を見るに見かねたお客さんのほうで、勝手にルールを作って押し付けてしまったそうです。

 店の看板についても、客が勝手に作って設置していったものです。

 女王はそのような勝手な振る舞いに苦笑しつつ、こう言いました。

「この星の民は王室のことを勝手に決めるのが好きでねえ。私なんか、勝手に王様とくっつけられたのよ」

 料理の勉強の一つとして、各地の郷土料理を食べ歩いていたロザリンドさんが、この星でアルバイトがてら食堂で働いていた時に、その料理を食べた王様がいたく気に入ったそうです。

 ただそれだけのことで、ロザリンドさんは星の住民たちから女王様候補として受け入れられてしまったのでした。

「まあ、最初は相当戸惑ったんですけどね。こういうものは周囲が勝手に決めてよいものではないとも思いましたし。しかし、王様がそれは格好が良くて性格の良い男でね。これならまあ文句はないかと。結婚する時の市民の騒ぎがすごかったね。星中がどんちゃん騒ぎでね。ただ、歓迎されていると分かって嬉しかったねえ」

 女王は懐かしそうに目を細めて笑いました。

 奥の方からはロッテ王女が皿を片付ける音が聞こえてきます。

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