17.カエル「(無表情) ――ブランチさん」


「ケエエエエエッ!!」

「コケエエエエエエエエッ!!」


 門から出てきてたのは一対のハーピーとコカトリス。

 弾丸のように飛び出し俺たちに襲い掛かる!

 マリウスが色を失いうろたえる。


「どうしよう!?」

「スコップ!」


 俺はリュックを捨てて、相棒のスコップを拾い上げる。

 敵との距離は後二十メートル。迷っている暇はない。戦うだけだ。


「で、でも毒が、」


 しかし相棒は尻込みする。鋭い痛みと緩やかに広がる紫色の染みに恐怖を煽られたのだろう。

 しょうがないの。

 俺はスコップを相棒の右手に渡し、毒に冒された左手を強く握ってやる。


「我慢しろ」

「ケエエエッ!!」


 先に到達したのはハーピー、設定全無視の超硬い奴。

 相棒を狙い、カギ爪をいからせ滑空する。


「そらっ」

 ドゴッ!


 相棒の手を引っ張り飛び退く。爪と石畳が打ち合わされ、火花が散った。

 相棒はまだ動揺しているが、俺は反撃に転じたい。

 ここは硬い敵と戦う時の定番、内側を攻める。


「おおおおおっ!!」


 翼の一振りを見切り、接近すると地べたに着いたままの鳥脚に足を掛け、左の拳をハーピーの口に突っ込んだ。


「ゲグッ」


 歯に幾分か肉を削られつつも深くまで到達、原寸の二倍サイズのオニババフェイスが苦悶に震える。


「ふっ」


 毒で不自由ながらも舌を掴んで引っこ抜く。


 ブチリッ

「ン゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッ」


 ハーピーがどろどろ血を吐きながら倒れる前にその場を離れ、翼の下を潜り抜ける。

 走る。


「コケエエエエエッ!!」


 次に立ちはだかるは三メートルの巨大ニワトリ。

 疾走しながら死の光線を発射寸前。


「避けないの!?」

「屈め!」


 ようやく立ち直ってきた相棒と息を合わせる。腕に魔法を込める。


「せーの!」

「コギャッ!?」


 ズンと重い音と共に巨体の風圧が俺達の背中を押した。

 二人で身を低めたまま駆け、繋いだ手にコカトリスの足を引っ掛けたのだ。


「トドメは任せた」

「う、うん」


 俺は相棒の手を放し、門へ向かう。後続は出てこないが、ひしめいているのは今の半開きでもよく見える。

 しんどいが重い門を閉じる。閂の代わりは無いので、とりあえず背中を門の真ん中に押し付けてみる。踏ん張ろうと思ったが座り込んでしまった。

 一息ついて見れば相棒は二羽をスコップで片付け、俺の方にリュックを持って寄ってくるところだった。


「カエル!!」

「うるせえな。応急処置ならしてやるから、早く手を出せ」

「お前が先だ」


 マリウスはリュックからスニーカーの紐を取り出し、右手と口を使って俺の左腕を根元から縛る。Tシャツの胸元をめくってみると、既に肩まで紫色の染みが広がっていた。

 メチャクチャ痛いのにかなり怠い。息をするのもきつくなってきた。

 やはり鴆毒は強力だ。このままならじきに死ぬ。

 相棒の方も上腕まで達していたので、そこで縛って進行を抑えた。


「どうしてもっと来ないんだ?」


 相棒は不審そうに疑問を投げかける。


「多分時間制で、逐次投入されていくんじゃねえの」


 リビング、ここの通路、そして門の向こう、と戦う場所やタイミングを戦闘のスタイルに合わせて変えられる仕様だったのだろう。今は少しの休憩時間というわけだ。

 一見親切設計だが、門の向こうには正気とは思えない数の生命を感じる。これ全てを倒さないと先に進めないというのか。鬼畜過ぎる。


「ポーションが無きゃまず無理だな」

「ブランチさん……」


 さっきの依頼人とのやり取りを思い出す。

 彼があんなに思いつめているとは想像もつかなかった。また失敗してしまった。

 一人で帰るだなんて、台風の日に田んぼを見に行くようなもの。自殺行為だ。

 しかし、愚鈍な俺たちは彼になんと言葉を掛ければいいのだろう。俺たちでは彼を救えない。いたずらに傷つけることしかできない。

 追いかけたとして、どうすれば。

 沈思黙考に入る手前、相棒が俺を引き上げた。


「カエル、迎えに行って来い」


 マリウスは俺の腕を掴んで立たせる。


「なんで俺一人なんだよ」

「誰かがここでボスを引き留めなきゃいけない」


 相棒は頑として言い張った。


「お前はヘロヘロだし、ボクの方が強い」

「今毒にビビッて動けなくなったばっかじゃん」


 だが相棒は聞こえてないふりをして、リュックから電気ドリルと鍋を取り出し、ベルトにねじ込む。


「足止めは俺がやるから、」

「煙草、どこ?」

「おい」


 落ち着いているふりをしているが、相棒はいつもの癖で髪をねじっていた。イライラしているか、ストレスから逃げ出したい時はいつもこうするのが奴だ。

 俺は上から小さい頭を握って、無理やり首を向けさせる。


「聞けって」

「お前じゃなきゃダメなんだよ!」


 青ざめた相棒は、それでも俺に吠えかかった。


「依頼人はお前にならわかるって言ってた。ボクじゃダメだ」

「で、でもよお、」


 お前一人を残していくのは不安だし、一人でブランチ氏と話すのも不安なんだけど。

 そう言いたかったが、マリウスは俺の手を振り払い、拳を握りしめると真っ向から俺に挑む。


「お前は頼りなくてトロくてキチガイで、信じられないほどキモオタだし、知らない人と話すときに『あ、』とか付けないと喋れないほどコミュ障だ!」

「否定はしねえけど、それ今言うこと?」

「でも…………」


 威勢よく俺を罵った相棒はきゅっと口を噤み、また開くまで少し時間をかけた。


「困ったときはいつも何とかしてくれたじゃないか。今度だってそうなんだ。

 カエルにしかできない。だから、ボクにもできることをさせてくれ」


 負けず嫌いの相棒からは悔しさと、どういうわけか確信が感じられた。

 もしかして、お前にはわかったのか。

 それを聞くことは憚られた。マリウスの唇を噛んで強がる顔を見た時に、俺はすでにその根拠のない自信にそそのかされていた。

 マリウスでなく、俺にしか……。ピンときた、かも。


「でも上に行く方法もわかんねえし」

「どん臭いなあ。ハーピーとコカトリスの死体を積み上げて後は気合でなんとかしろ」


 話の流れは完全に俺が行く方向になっていた。

 いつもどおり相棒に小馬鹿にされながら死体を積み、壁を使えばどうにかジャンプで行けそうになった。

 時間はもうない。ポーションがあろうと、ブランチ氏がどこまで逃げられるかわからない。死んでいるかもしれないし、ポーションも持ってないかもしれない。

 それでも行く。俺も相棒も、彼ともう一度話がしたかった。


「最初の寝室を覚えてるか? オニババは首絞めが弱点かもしれねえ」

「うん」

「コカトリスは狡賢い。後ろに固まられると面倒だ、最初にやっつけろ」

「うん」

「〈揚げる〉魔法は鴆の為にとっとけ。あと、他のボスも巻き込んでみろ」

「うん。言われんでもわかるから、もう行け」

「おう……」


 素っ気ない態度のマリウスに無理やり回れ右させられ、背中を押される。

 毒のせいで相棒の動作は少し重たげだ。髪は乱れ、パーカーもカーゴもズタズタ。せっかく綺麗な顔しているのに、痛みと不安を押し込めているせいで怒っているみたいだった。

 俺より頭一つは小さい彼女を見ていると、「やっぱり役目を交換しよう」と言い出したいがきつく睨み返されてしまう。

 仕方ないので死体を登ろうとした。


「あっ、忘れてた。煙草」

「ん?」


 不意に相棒が声を発し、俺は振り返る。



 相棒の唇が目と鼻の先にあった。



「えっ!? あ? え、な、何?」


 目を白黒させる俺に、背伸びする相棒はキョトンとする。


「? 早くくれ」

「タ、煙草……?」

「吸いながらじゃないと、火がつかないんだろ?」


 あどけない表情で、相棒は無防備に桜色の唇を突き出してきた。

 ドキドキが止まらない!


「お、おま、お前。それはちょっと、甘酸っぱすぎんよ……」

「あっ」


 ようやく気付いたマリウスの青いツラに瞬時に朱が入り、なんだか紫色で毒が全身に達したようになった。ぽかんとおデコを殴られ、奴は目を反らす。


「ボクは真面目にやってるのに、このバカ!」

「す、すまん……」


 俺は照れ隠しに顔を伏せ、ジャケットから煙草の箱を出す。そそくさと相棒に一本火をつけてやり、箱をライターと一緒にパーカーのポッケに押し込む。

 ちょうど次の中ボスたちが雄叫びを上げ、門から出てくるのが見えた。


「よろしく」


 まだ恥ずかしげな相棒は答えず、ドリルを抜いてモンスターの方に突っ走っていった。

 俺も死体の上に登り、穴を見上げる。



 俺はこの世界が嫌いだ。

 でも、可愛いボクっ娘は最高だと思う。





 ラッドの逃避行は約十五分で終了しようとしていた。


「……」


 ゴーレムの黒曜石の瞳が、静かに彼を見下ろしている。

 もう逃げ場はない。行き止まりに追い込まれていた。

 まともな精神状態で無かったとはいえ、見通しが甘すぎた。「ポーションさえあれば怪我を負っても逃げ切ればいい」などと言う浅はかな考えは、モンスターにエンカウントした瞬間完全に打ち砕かれた。

 いや、実の所一人でダンジョンを歩くだけでもう挫けていた。あの少年たちといることで麻痺していたのだろう。強烈な閉塞感と立ち込める邪悪な雰囲気ですぐにパニックに陥り、来た道を思い出す事さえままならなくなった。

 挙げ句ゴーレムに出会うや否や錯乱し、泣き声をあげて逃げ惑い、こんな袋小路で人生を終えようとしている。

 お笑い草だ。嘘と裏切りを重ねた自分にお似合いの結末で、もう涙も出ない。

 ラッドは息を止め、死を受け入れようとしていた。


「あー! いた」


 しかし、間の抜けた声がゴーレムの腕より先に訪れた。


「オ、オウチ君」


 あの状況で追って来られるとは。


「……」


 ゴーレムが声を察知して後ろを向く。カッと光り、少年の〈切る〉魔法が放たれる。

 ゴーレムは巨大な質量と彼らを凌ぐ怪力を兼ね備えるが、基本的にはただの土人形なので額の『emeth(真理)』の語を傷つけて『meth(死)』にすればモロモロと崩れ去る。


「はっ」


 思わず安堵した気分が一瞬で引き締まる。

 無言で死亡したゴーレムの背後から、自分が殺そうとした少年が現れた。

 少年がこちらに一歩ずつ近寄ってくる。何時も連れ添う少女の姿は無い。この三日間に浴びた血飛沫で衣服を染め上げ、新たに左腕は骨が見えるほど抉られて鮮やかな紫色になっていた。顔色は著しく悪く、しかしそこに死相は無くて、透徹した意志があった。

 死神。

 彼の正体はそうに違いないと思わせる凄味があった。

 ラッドにできるのはへたり込んで裁きを待つことだけ。

 冷え冷えとした瞳に射竦められる。右手の包丁が鈍く光る。


「ブランチさん」


 カエルは相変わらず人間味を感じさせない声音でラッドに語りかけた。


「とりあえず私は死にそうなので、ポーションを返していただけますか」

「あ、あ、ああ」


 ポーションの小瓶はラッドのウィンドブレーカーのポケットに入る程度の大きさだったので、彼は色々ポケットの中身をひっくり返して全て彼に渡した。

 彼は一気に二瓶ほど飲み干すと、ぷはーっと息をつき、肩口に巻かれていた紐を外してブンブン回した。

 まだ体調は悪そうだったが、カエルはラッドを見た。


「さて、マリウスが穴の中で頑張っています。急いで戻りましょう」

「戻るって、私も?」

「もちろん。その為に来たんです」


 とてもラッドには信じられない。


「しょ、正気か。私が君に何をしたと思ってるんだ!?」


 しかし、カエルときたら腹が立つほどケロリとした顔で答えるのだ。


「冒険者にはよくあることです。私も相棒とはしょっちゅう殺し合いになりますよ。

 まあ、その辺も歩きながら話しましょう。時間がありません」


 納得はいかないが、カエルの口調には有無を言わせぬものがあった。それでラッドはすごすごと従い、来た道を遡る。

 三分、五分と時間は過ぎていく。話すと言っておきながらいつまでも少年は何も言わなかった。少年のひょろっとした背中を追いながらラッドは困惑を隠しきれない。だが、黙して歩くうち、彼の中で麻痺していた思考回路は正常化しつつあった。

 この三日間で自分は途方もないほどの醜態を晒し、それをみな彼らに見られてきた。彼らに当たり散らし同情を求めて喚き、理解されなくて拗ねた。さらに誰にも隠してきた秘密まで知られ、それに耐え切れず年端もいかぬ子どもたちにあんな真似をした。

 それでもなお彼らに助けられてここにいる。自分が情けなくて仕方なかった。

 とても謝罪のしようもないほどで、特に目の前の少年には合わせる顔も無い。

 ラッドは自分が少年に嫉妬していたことに気付いた。彼と同じく帰る家を失った人間なのに、ダンジョンのあれこれを力づくで切って捨て、一度乱されてもすぐに平静さを取り戻す心の強さがうらやましかった。そんな彼に「自分の気持ちがわかってくれ」と甘えるみじめさと言ったらない。

 と、思考が暗い方に暗い方に流れていくうち、ラッドはカエルの背中にぶつかった。


「あうっ」

「ごめん」


 彼は立ち止まっていたわけではない。歩くスピードが極端に遅くなっていたのだ。

 ちょっと竦んだカエルは、歩くスピードを戻しながらやっと喋り出す。


「ブランチさん、私にもう一度チャンスをください」

「チャンス?」

「考えました。なぜダンジョンを攻略するのか、なぜ我々冒険者がここにいるのか。

 そして、『君にならわかる』と言うヒントの意味」


 前を見て歩き続ける彼の語り口は重々しいが滑らかで、彼もまたこの数分の間話すことを考え続けていたことが察せられた。

 黙っているのを肯定と受け取り、少年は答弁を開始した。


「穴から出る前、相棒はヒントについて『ボクじゃダメだ』と言ったんです。それでピンと来ました。私と相棒の違いから考えれば、その答えは簡単です」

「あの、そのことは、」


 ラッドは粛々と彼の話を受け止めるつもりだったが、自分の幼稚な嫉妬心を無慈悲に暴かれる流れになりそうで、思わず制止の言葉が出てきてしまった。

 ところが、少年は予想の斜め上を行く。


「私は相棒と違い、冒険者として高い職業意識を持っています! つまりそういうことでしょう?」

「え」


 何言ってんだこいつ?


「マリウスのバカはいつまで経っても敬語すら使えないお子さまです。それに引き替え私は物腰もやわらかいし気配りも結構できています。冒険者の理念を語る上では私で無ければ話にもならない、ということだったんですね」

「……」


 カエルは自分の答えに余程自信があるようで、ラッドの表情をうかがうことすらせずに話し続ける。


「時に、どうして冒険者を別にプレイヤーと呼ぶかご存知ですか?」

「……さあ」


 ラッドはなんとなくカエルがドヤ顔を浮かべているのが見えた。


「冒険者ギルドのイメージ戦略です。この国で冒険者といえばヤクザ以下のクズという印象が強すぎますからね。洋菓子をスイーツと呼ぶのと同じノリです」

「……」


 ご高説はますます勢いを増す。


「プレイヤーは冒険者の原型として、前世紀の文化人類学者ゲイリー・テイブルトークの論文から採用された言葉です。

 歴史の常識ですが、ダンジョンができて数十年の間はあまりの危険さと政治的な事情から立ち入ることは固く禁止されていました。しかし、それは徹底されていたというわけではなく、リスクを承知で中に入る人たちもいて、テイブルトークはそういう人たちにインタビューを試み、その理由や行動をまとめたのが研究のあらましですね。

 それらはこの国でいえば、町の拝み屋や霊媒師のような宗教的職能者でした。彼らは必ずしも我々のように『確実に効果のある祈り』を使えない、むしろ生計を立てる手段として祈祷を使う人々でした。遺族や近隣の者に請われてダンジョンに入るのは、近代化の波に商売を脅かされた結果の新しいビジネスだったと言われています。

 テイブルトークの採集した典型的なダンジョン儀式はこうです。

 『ダンジョン内にいるその家の人々の幽霊と対話しその願いを叶え、鎮魂を祈る』

 要するにお使いイベントのことですね。このとき、祈られる魔術的生命現象を、〈Non Prayer Character〉、祈りを与える人々を〈Prayer Character〉と彼は表現しました。そこに未開の地を踏破し占有する英雄的な『冒険者』の性格が与えられるのは大戦後の……

 ……あの、なんで笑ってるんですか?」

「い、いや、す、すまない、う、く……」


 ダメだ。ラッドはカエルの話を聞くうちに笑いが止まらなくなってしまった。歩くこともままならない。


「は……ははははっ!」


 あんまりにも見当はずれで、なのにあんまりにも自信たっぷりにベラベラ喋るのが、おかしくておかしくて。


「ははっ、はーっはっはっはっはっ!」

「ど、どうしたんです?」


 なんてことだ!

 彼らはゲームと現実の区別しかついてない。後のことは何一つわかっていない。

 頭が悪いにもほどがある。きっと長年一緒にいる相方のことさえわかってないのだろう。間違いなく一度精神科で診てもらうべきだ。

 でも、すごい。心からそう思った。

 魔法が使えるからでも、愚かだからでもない。

 ラッドは彼らに自分の汚点や醜悪さを尽く見せたつもりだった。この家の憎しみや苦しみも全て見てきたはずなのに、本当に気にしていないのだ。

 まるでゲームかマンガから飛び出してきたような軽やかで短絡的な存在。

 哀しみや苦しみの全てを踏みにじり、越えていく。後には何も残らない。

 ラッドの哀しみや苦しみなんて、それっぱかしのことだったのだ。

 ずっとそう思いたくて、今初めてなれた。


「はは、はあ……。す、す、まない。どうか、気にせず話を続けてくれ」

「……あ、はい」


 カエルは若干気勢を削がれた様子だったが、歩行と一緒に調子を取り戻した。


「私たちはこれまでダンジョンをゲームだと捉え、ラスボスを打倒することで攻略をしてきました。でも一昨日ブランチさんから攻略にも別のアプローチがあると教えていただき、プレイヤーの意味を思い出したんです。冒険者としての我々も、生命魔術師としての我々も、何かを殺すか壊すことしかできません。

 でも、そうすることで貴方の辛さが無くなればいいと祈ることはできると思うんです。前時代のプレイヤーやその依頼人も、自分たちの祈りに確実な効果が無いと知っていたと思います。それでもそうすることで、辛さを振り払い前に進む糸口を見つけようとしていたんでしょう

 ダンジョンの攻略は徒労です。この世界の人々はもしかしたら永遠に遊ばれ続けるのかもしれません。それでもダンジョンのプレイの仕方は我々の自由です。

 私たちは、貴方が前に進む為に祈ります」


 カエルはいつかのラッドのようにただ綺麗ごとを並べているだけ。きっと思いつくままに言ってるだけ。それさえわかっていないのは、この三日でよく知っていた。

 青年に向き直ると、少年はにじり寄って真剣な表情を見せる。


「ブランチさん、これで答えになりましたか?」


 その冷め切った瞳の奥にラッドが映っていた。

 やつれて隈ができてはいるが、そこそこ見れる顔だ。

 離れた街のアパートで彼を待つ婚約者は、誰に似ていると褒めてくれたんだっけ、などとどうでもいい感慨がわいた。

 おっと、不安そうに頭を掻く彼に答えねば。


「ああ。私の為に祈ってくれ、プレイヤー」


 少年がはっと顔を崩し、瞳の中の自分の像は歪んで消える。

 クエスト・クリアー、とカエルが小さく口の中で呟くのが聞こえた。





「本当なのかい? 今の君たちを見ていると想像できないんだけど」

「嘘じゃないですよ。昔は俺の真似をしてばっかりで、一体いつからあんなこまっしゃくれてムカつく喋り方になったんだか」

「やっぱり盛っているんだろ?」


 俺はリビングのドアを開け、穴の方に向かう。

 打ち解けた依頼人との会話は気楽なものになったが、こう疑われてはシャクだ。


「いえ、事実です。何してもついてくる妹みたいだったんだから! なあ!?」


 俺はそう怒鳴りながら穴を覗き込む。


「遅いよ、お兄ちゃん」


 死骸で築き上げた山頂に大の字になった相棒は、俺たちを見て皮肉げに笑う。

 『ね?』、とばかりに俺もブランチ氏を笑ってみた。



 俺はブランチ氏を抱えてその横に降り立ち、酷い有り様の相棒の治療をすませる。腕が折れて、腹を抉られメチャメチャだったのでポーションをガバガバ飲み、これで今回の仕事は完全に赤字となった。まっ、しゃあなし。しゃあなし。


「残りは?」

「一本」


 マリウスは首をコキコキ鳴らして、体調を確かめている。


「正直……ヤバいぞ。門の向こうを見たら後悔する」


 相棒は武者震いしつつ、ユニットが折れたのを確認して電気ドリルを放り捨てた。


「じゃあ逃げっか?」

「冗談」


 平素より前衛を務める相棒は両手にスコップと鍋を握り締め、門へと進む。

 俺もリュックを背負って後に続き、依頼人と離れないよう配慮しながら行く。

 門を越える。


 キュー! キュー!

 ケエエエエエエエエエエエッ!!

 コケエエエエエエエエエエエエエエエッ!!


 そこは以前のミニゲームと同じくリビングの広大な食卓上だった。俺たちは十分の一サイズの小人だ。

 俺たちが入りきると同時に門は消滅する。

 ボスたちはリビング中を埋め尽くすほどいた。空に地に幾千、幾万とひしめいている。しかも、よく見ると今もって分裂、増殖している。


「軋んでる」


 マリウスが冷や汗を滲ませた。壁や地面が小刻みに震えているのだ。

 ダンジョンの空間が軋んでいた。あまりに多過ぎるモンスターに処理落ちが発生している。動くたびに俺たちの身体にも重く負荷がかかる。魔法で強化しても本来のパフォーマンスは発揮できまい。

 だからテストプレイしろって言ってんのに!


「こんなの、倒せるわけがない……」

「嘘だろ……」


 あんまりな展開にマリウスが尻込みする。ついでにブランチ氏もベソをかく。


「コケエエエエエエエエエエッ!!」


 コカトリスの一羽が俺たちに気付く。続いてハーピーが、鴆が鳴く。

 窮屈げに部屋中に散開していた三種のモンスターが濁流のようにまとまり、俺たちに降り注ごうとする。

 ブランチ氏が俺の後ろに隠れて泣きわめく、


「お終いだアアアッ!!」

「どうしよう、カエル?」


 押し寄せるハーピー。コカトリス。鴆。

 うーん、もうだめぽ。

 走馬灯のように楽しかった頃の記憶が頭の中を巡り出す。

 ああっ、沢渡さん。お懐かしゅうございます……

 記憶が巡る……。


「オウチ君!」


 巡る?


「カエル!」


 巡るといえばコウモリテント。巡るといえばオルゴール。

 唐突に、ハバネラの音色と夕闇の一室が俺の脳裏に蘇る。


『――そういえばそれどこから持ってきたんだ?』

『父さんたちの寝室、あの人のクローゼットの奥んとこ』

『バレたらどうするんだよ』

『だって何言っても「私は知らないし、知ってても絶対ダメ」の一点張りなんだもん。漁っても見つからなかったけど、これは戦利品だよ』


 と、ミリーは、自室の開かない窓を恨めし気に睨んでいた。

 オルゴールのシリンダーが回りながらゆったりと曲を奏でる。



   捕えた鳥は

   羽ばたき すり抜け 籠の外



「あっ」


 あの時、彼女は何を探していたのか。

 俺の鈍い頭の中にあった根本的な誤解が解かれ、バラバラだったイメージが、その関係性がようやく一つに繋がっていく。

 男、女、子ども、大人、妻、夫、息子、娘、兄、妹……



『ここはもう僕たちの家だ。頼れる夫がついている。そうだろう、お母さん?』

『しっかり妻の私を支えてよ、お父さん』


『戻ろう、オレたちの家に』

『うん!』


『みんな、仲良く!』



 この家の本質。本当のテーマ。

 なぜ彼らはここまで傷つけ合い、苦しめ合ったのか。その結末は。

 ……恋は野の鳥。

 これはボスラッシュじゃない。


「マリウス!!」


 俺は相棒に叫ぶ、モンスターどもの濁流の第一波はすぐそこ!


「ガラス戸だっ!! ガラス戸を、割れっ!」

「うん!」


 俺の指差す先、ベランダへと続く、夕闇を湛えたガラス戸。


「おりゃああああああああああっ!!」


 マリウスは身体をぐっと引き絞ってからスコップを投げつけた。

 スコップは矢のように唸りを上げて瞬く間にガラス戸に命中し、一瞬で全て砕け散る。


「!!」


 すると外が発光し、俺たちを含めたリビングの全てが純白の光に包まれる。

 腕で目を覆う寸前、鳥どもの濁流が光へと針路を変えるのが見えた――



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