16.ラッド、崖っぷちにたたずむ。





 第五階層はゴミが多い。あまり掃除が行き届いていないのが特徴だ。

 ラッドの母は家事の手抜きはしない人だった。この荒廃した有り様がラッドが家を逃げ出してからのことなのは容易に理解できた。

 出てくる怪物は相対する少年たちの二三倍の大きさで押し潰すように攻めたが、少年たちは傷一つ負わずに退けていた。

 少し大きめの部屋を見つけて、今は昼休憩をしている。

 今までの休憩と違うのは、ビスケットを水で流し込む彼らに会話が無いことだ。ラッドも昨日の夕刻から一言も口を開いてはいないので、部屋の中は重苦しい空気が垂れていた。彼にはちょうどよかった。考え事に集中できる。

 早く外に出たい。過去と向き合うだの前に進むだの、そんな綺麗事はもう頭に無い。

 間違いだった。冒険者を雇ったことも、この家に戻ってきたことも。

 間違いは正す。それだけを考えていた。


「……」


 部屋の隅に腰を下ろすラッドは、頭を抱えるふりをしてカエルの方を見ている。

 先ほどは初めて彼が本気で取り乱す姿を見せたが、今となってはどうでもいい。ラッドは彼らとのコミュニケーションにもう価値を感じてはいない。

 第五階層の戦闘も彼らにはさしたる障害ではない。ではないが、カエルもリュックサックを降ろして前線に出ることが増えた。

 ラッドは目的を達成する方法を考えている。静かに少年を窺っている。





 第五階層は最終階層、終わりは近い。

 形はどうあれ、噛めば噛むほど味が出る潤滑油のような人間だったラッド君の離脱によりこの家の趨勢は決まった。

 待ち受けるのは惨劇。父母と妹は死なねばならない。

 それは並大抵の憎悪では起こりえないことだ。その根源を探すために俺たちはここに来てかなり真面目にイベントを観察していた。会話が減ったのは単に俺が不機嫌になっただけではなく、そういう理由もある。


『お父さん』

『ああ……』


 第五階層の昼食場所に選んだ部屋では、父と妹による情事が繰り広げられていた。

 ここは夫婦の寝室。裸体の二人によれば母親は現在美容院に行っている。


「やっぱ近親相姦になったか」


 〈BGM〉はハバネラ。AVよりは日活ロマンポルノの雰囲気か。見たことないが。

 ミリーの発育はアバンタイトルで見た時とそん色ない。ベッドの上で、彼女の長い栗毛を、男が手ぐしで梳く。まだ少女の域を出ない娘を父親が愛でていた。

 和えかなミリーの乳首を舌の上で転がしながらブランチチは幼いころのように彼女の頭を撫でる。エアコンの温風で二人の濃厚な体臭がこちらに届く。うーん、インモラル。

 押収した裏ビデオを検査する警察官の気分が味わえる。ビスケットが進む。


「一応の庇護者だった兄貴はもういないもんな」


 マリウスが誰かに伺うような声色で呟く。異論はないので答えない。


『ミリー、これは本当はいけないことなんだ』

『ごめんね、パパ……でも私、一人だと不安で仕方ないの。暖かさ、教えて?』


 臆面なく言ってのける二人のむつ言は、どこか空疎で情感に欠ける。

 ミリーは自ら新しいコンドームを手に取り、ブランチチは不精の表情を装って摘まんだ。彼はいそいそと装着して、娘にそれとなく次の体位を指示する。

 バックにて二発目開始。


『んふっ、うっ……』

『ミリー、いいよ、いい』


 何を賞賛しているのか知れないが、男の喘ぎ声に意味なんて求める奴もいないか。シチュエーションモノにシナリオや演技力を求めるのはナンセンスだ。

 それでも男も女もあまり楽しそうじゃないのが鑑賞のポイント。二人はお互いを気づかうことにかけては親子として阿吽の呼吸だが、あまりに打算的で、かつ相手を知ろうという好奇心を感じられない。『好奇』とは『好き』だ。好意も情熱も足りてない、そのわりに二人は相手を満足させようとして必死。このチグハグさは素人モノAVの『演技っぽいけど頑張ってる感はスゴい』感とも通じる。味わい深い。

 俺には娘がいないから確かめるべくもないが、全国の娘とヤッてるお父さんはこんなにも義務的なセックスをするものなのだろうか。夢が無いね。

 と、まあこき下ろしてしまったが、ともかくこれで家内に新たなファクションが誕生した。父と妹の連立。与党母親との対立軸は明確。


「先に手を出したのは、こいつらかオニババか」


 意図せず疑問が口をついて出た。最大の関心事だ。

 相棒は『誰かではなくみんな悪い』というのがこのダンジョンのメッセージ性だと言うが、俺はキャラクターとシチュエーションからダンジョンをとらえる。

 このダンジョンにおいては恐らくキャラクターがラスボスになる。

 なぜならばダンジョンマスターはそれを望んでいるからだ。登場人物を悪しざまに描き、その汚点ばかり見せつけてきた。俺たちに犯人探しをさせようとしている。

 誰の殺意から始まった? 誰が誰を殺したか? 最後に死んだのは誰?


「誰の憎悪がこの家を滅ぼしたのか?」


 それを俺たち自身に決めさせる。その後で無意味なメッセ―ジを突きつけ、また俺たちに徒労感を与えるつもりだ。

 けったくそ悪い。


「……」


 マリウスは俺の呟きを聞いて何か言いたげだったが、俺は聞こうとしなかった。余り気分が乗らないし、結局、似たようなことを考えているだろう。


『パパッ、もっと、もっと激しく!』

『ああっ、ああっ!』


 二発目が終わって三発目の途中で、昼休憩は終わった。



 崩壊の兆しはすぐにボロボロ出てきた。

 ミリーも今や高校生。隣の市立高に進んだことで彼女の生態圏は拡大した。性体験と言い換えてもいい。中学から売春や売春斡旋のノウハウを学んだ彼女は、さらに生徒数の増えた高校でも商いを開始した。最大で八人ほどの集団を形成していた。

 やり過ぎ。

 オニババも女だ。娘の不埒に勘付いてきた。その鉄拳もパワーアップする一方。マップの汚れが目立つようになったのは息子を失くしてもう気を張る必要も無くなったかららしい。髪や服装にも気を配ることも減った。

 決壊寸前。

 ブランチチは公然とミリーの肩を持つようになった。愛着が湧いたらしく、率先して家に帰ることが増えた。

 バレバレ。

 以上の状況を説明するのにもうミニゲームなどの凝ったイベントは起きない。ただムービーの垂れ流しと、モンスターを倒して階層内のどこかにいるミリーに上納金を渡すというお使いだけだ。

 出てくるモンスターはつるっとした土の巨人ゴーレムが中心。耐久力が高く、相棒はアイスピックからスコップに武器を持ち替えた。スコップはマリウスの最強武器で、以前グリードラゴンの首を刎ねたこともある。ラスボスへ向けて意気込みは充分だ。

 しかしどうにも調子が出ない。

 決定的な決め手に欠けるのだ。何か引っ掛かることがあるのだが、俺も相棒もそれが見つけられないでいた。加えて一度むっつり黙りこんでしまうと気が重くて喋り難い。

 思案にふける相棒一人に前を任せるのもちょっと頼りないので、俺もリュックを置いて戦うことにしたが、うっかり〈切る〉魔法を相棒に誤射してしまう体たらく。


「あ、すまん」

「気を付けろ!」


 途中まともに話したのは、この一回だけ。

 楽な仕事だと思っていたのに、どうも上手く行かないことが多くなってきた。

 上手く行かない、それはブランチ家の人々も感じている様子だった。ミリーの〈NPC〉も金を渡すたび何故か不快そうな顔をするし、オニババやブランチチも根拠のない焦燥に駆られるように余裕の無い表情を浮かべることが多くなった。

 破綻が近いのは三人とも感じているのだ。もう長くはないと。だがそれがどこからなのか皆目見当がつかない。その行き詰まりを俺たちもまさに共有していた。

 一体、どこから。



 地図と照らして一通り歩き回り、ミリーに三度目の五十万を収めたことで、ついに最後の部屋のドアが出現した。


「……行くぞ」


 ドアノブを握る相棒が顔を向けないまま俺に宣言する。

 ここまでで、ラスボスが誰なのか正直見当がつけられていなかった。誰に問題の責任を帰すべきか、次で答えが出る。

 相棒は右手にスコップを固く握り、左手でノブを捻った。

 ドアが開く。



『エミリア!』


 リビングに母親の怒声一発!

 ブレザーを着た少女の頬がビンタされる。


『ミリー、なんてことをしてくれたんだ!』


 三人はテーブルに座らず立っていた。

 昼間だ。会社は愚か学校さえ終わってない時刻だというのに揃い踏みしている。

 来たか。


『相手の親御さんは訴えると言っているんだぞ!』

『それが何!? セーラにだって分け前はやってたのよ!?』


 思いっきり怒鳴り合う父と娘。

 初めて見てから十は老けたように見えるブランチチの頬は皮肉げに吊り上がった。


『ミリー、悪いことをしたってわかっているのだろう?』

『悪いことぉ?』


 小馬鹿にした鼻抜け声で彼女は問い返す。ピクッと父のコメカミがひくつくが、オニババの怒りは一瞬で振り切れた。


『この、クソガキッ!!』


 頬をグーで殴り、怯んだところを爪で引っ掻く。


『売春なんて……それどころか斡旋して他の家の子を孕ませるなんて、何考えてるの!?』

『あのバカ女がアホみたいな男に絆されて中絶失敗したのはわたしのせいじゃないし、バックれて学校にチクっただけのことよ? 知らばっくれればそれまででしょ』


 そうか、引き金はミリーからか。

 狂戦士オニババは肩で息をしながら、娘に軽蔑の視線とともに吐き捨てる。


『アンタなんて生まなけりゃよかった!』

『ッ!? こっちだって!』


 冷めていたミリーの瞳に力が籠る。


『ママのせいで人生ずっと地獄だった! 誰も彼もわたしをバカにした!』

『自分の事を棚に上げて……! アンタのせいでアタシだって』

『よさないか二人とも、見苦しい』


 着ていたコートを脱ぎながらブランチチは二人の間に立とうとした。下のスーツはまだ卸し立てで、糊がきいていた。


『お隣さんに聞かれたらどうするんだ?』

『貴方、この期に及んでまだ他人の事ばかり気にするの!?』


 オニババが驚愕の表情を取り、すぐに怒りで塗りつぶされる。


『当たり前の事だろう!? 僕が君のため、どれだけ普通の人であろうと努力してきたか……』

『嘘? それジョークでしょ』


 腹を抱えたミリーが哄笑を上げた。途端ブランチチの顔色が悪くなる。

 察する物のあったオニババは娘に詰め寄った。


『まさか』

『あっはっはっはっは!!』

『アンタ、私の、男を……』


 オニババの身体に神妙な力が溢れていく。

 母親のささくれた手は娘の首に引き寄せられ、見る間にミリーの首は絞め上げられた。


『かっ、かはっ』

『よくも、よくもぉ……』


 今オニババが何を考えているか。彼女はラスボスか。

 違う気がする。やっていることは殺人未遂だが、彼女の目は潤み、なおかつ手は震えていた。案の定、ミリーは彼女を突き飛ばし、オニババはテーブル近くの観葉樹にぶつかってその鉢を横倒しにする。土がフローリングを汚す。


『げほっおごっ!!』

『ミリー!』


 その場にへたりこむミリーの元に、ブランチチは駆け寄り、その背中をさすってやる。

 光景を目の当たりにしたオニババの顔が歪む。慟哭がリビングに響き渡った。


『平気かい』

『ぐっ、大丈夫。でも……』


 妻を気にも留めない亭主に抱えられて、彼女はわざとらしくお腹を抑えて苦しむ。

 ブランチチの表情が凍った。


『おまえ、それ』

『あ、バレちゃった? まだそういう時期じゃないからもっと隠せると思ってたのに』

『だ、だって避妊はちゃんとしていたのに……他の男だろ? なあ!?』

『あっはっはっは……。パーパ、よろしく?』


 ブランチチは無表情のまま彼女を殴った。


『うっ』


 ブランチチは立ち上がるとテーブルの上にあったペーパーナイフを右手に取った。刃はついてないが先の尖ったステンレス製だ。


『あ』


 ブランチチはミリーをもう一度殴りつけ、その肩を掴み、ペーパーナイフを握る手でブレザーとシャツのボタンを外す。

 ミリーのオヘソが見えた。


『い、や……』

『貴方!』


 ここまで自動的に行動していたブランチチははっとしたように妻の方を見た。

 オニババの手には電話の子機が握られていた。


『警察、呼ぶわよ』

『けいさつ……』


 父親は奇抜なイントネーションでそう呟き、手の力が緩む。


『イヤっ!』


 ミリーは咄嗟に離れることに成功して走り出した。自分の部屋へと。

 両親は追うことなくそれを見届け、改めて向き合った。


『……』

『……』


 低い地鳴りのような〈BGM〉が挿入されている。大地の奥底から迸ろうと膨張する何かの躍動を、すべてを滅ぼし灰燼に帰そうとする企みの発動を想像させる低い低い音が足元から伝わってくる。

 三人に何が起きようとしているのか。目を見合わせる二人の心中は?

 夫婦のペーパーナイフと子機を持つ手が肩の位置まで上がり、そして。

 ムービーはそこで終わった。


「あっらーん?」


 二人はそこで忽然と消えた。

 消えたものはそれだけでなく、テーブルとその下の空間が丸ごと刳り貫かれて穴が生成された。〈BGM〉はその穴からなおも続いていた。


「中途半端だな」

「……」


 みんな衝動的で結局誰の憎悪と殺意が決め手なのかはわからないままだった。相棒も首を振って両手を上げた。仕方ない、穴の調査に移る。

 敵の気配は無し。俺と相棒とブランチ氏しかいない。

 俺と相棒は穴に寄るとウンコ座りになって覗き込んだ。


「ビンビンくんな」

「ああ」


 穴は深かった。十五メートルはある。穴の底は古式めいた石畳で、何処かに続いているのが見えた。

 問題は生命知覚の魔法の範囲外からでも伝わる巨大かつ多数のモンスターの反応だった。


「ボスラッシュ」

「詰め込んできやがったな」


 これまで登場してきた中ボスたちを再登場させて勝ち抜きをさせる。

 しかも反応は尋常じゃない数なので、それを何度か繰り返してから魂入りの強力な奴をぶつけてくるだろう。


「こいつは面倒だぞ」

「ああ、用意をし、」


 トン


 不意に、背中が強く押される。

 バランスを崩して俺たちは穴に真っ逆さまに落ちた。


「ぬわあっ!」

「うおぅっ!」


 トサッドサッ!


「ガフゥッ」


 数十キロのリュックの重みが俺にのしかかった。肋骨が軋む。


「アタタ」

「いってぇ」


 打ち身は激しかったが、幸い上手く落ちれたので動けないことは無かった。

 起き上がると俺たちは穴を見上げた。


「……」

「え、えー」


 穴の縁には、ブランチ氏がぽつねんと佇んでいる。

 その瞳の中に憎しみと殺意があった。


「ブ、ブランチさーん?」

「君たちがいけないんだ。この家のことを知ってしまった」


 依頼人はだるそうに首をすくめた。


「大丈夫でーす! 契約には守秘義務も含まれていますから―!!」


 焦りながらも俺は空間の壁に目をやる。石畳の床と違ってバカにツルツルした素材で、登攀は不可能だと推察された。

 ブランチ氏は顔を覆い、聞きにくい声で喋った。


「ダメなんだ、もう、耐えられない。こんなところ一秒だっていられない」

「だったら早く攻略してしまいましょー! 一人じゃヤバいですってー!」

「すまないが、もう見たくないんだ。君らといるのも、辛すぎて……」


 ヤバい、この人メンヘラってる!


「すまない……すまない……」


 彼はそういうと縁から消え、どこかに走り去っていった。

 うーわ。

 俺は少しの間遠く天井の蛍光灯を仰ぎ、それから現実に戻った。


「どどどどどないしょ!? 依頼人がバックれた場合はどうすればいい!?」

「おい、多分そんなこと悩んでる暇はないぞ」


 ゴウン!


 相棒の指差す先、轟く音がした。

 石畳の行く果ては穴の高さと同じほどある巨大な石門だった。

 閂は今にも折れかけている。ゴウン、ゴウン、と中から中ボスたちが打ちつけてきているのだ。

 俺が目を向けたのはちょうどその先遣隊が隙間から飛び出す瞬間であった。


 キュー! キュー!


「ひえっ」


 そいつらはちん。ミリーの毒鳥たちの数十羽が俺たち目がけてすっ飛ぶ。

 急いで立ち上がり応戦する。


「キュゲッ」「キューッ!」


 俺が包丁で魔法を乱射し、撃ち漏らしをスコップでマリウスが薙ぐ。

 が、いかんせん対応が遅く、数が多過ぎた。


「アイダッ」

「ヒイーッ!」


 全て片付けると俺も相棒もまた身体を羽根の毒に冒されていた。


「ちっ」


 俺はリュックを降ろし、中身を探る。

 左手をやられて、右手だけだと中々難儀する。


 ゴウン! ゴウン!


 門は今にも破られそうだ。

 ザリリと耳元でスコップが地面に落ちる音がした。相棒の左手もまた毒で紫色に染まっている。


「カエル、早くポーションを!」

「……やられた」

「え?」


 俺は黙ってリュックの中身を相棒に見せる。奴の目が点になった。

 ブランチさん、それはないでしょう。


「ポーション、無い。持ち逃げされた」


 メキャッ!


 その時閂が折れ、門が破られた。




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