15.妹「みんな、仲良く!」

 俺はダンジョンマスターにはかねがね言いたいことがある。


『頼むからテストプレイをしてくれ!』


 この一言に尽きる。レミリーングスはこれまでやって来たミニゲームでも最悪レベルだ。はっきり言ってスベってる。

 まずプレイヤーがネズミ側になったことでコースの全貌がさっぱり見えないのだ。小学校のデザインに変わったところで床を掘るとマグマがぐつぐつしていて、そこから進むには穴をまたぎながらせこせこと壁か天井を掘り進める必要がある。その間はBlockerとしてミリーがどこかに行かないよう防ぐ必要がある。失敗してもNukeしてやり直すわけにもいかない。イライラが溜まる仕様だ。

 そんなわけでかなりストレスフルだったが、二面でそこまで致命的につっかえることはなかった。一時間ほどで俺たちはゲートの先、教室に到着した。


『はやくたべなよォ』

『そうだよゥ』


 給食時の賑わいの中でも美少女ミリーはすぐに見つけられた。彼女はある意味クラスの中心にいる。

 俺は窓の外に目をやる。校庭の並木の葉っぱが赤みがかっている。十月かその辺り。

 まだストーブを入れるほどでもなく、教室には半袖の生徒も多い。


「この季節でもあんなゴキブリ集められんのな。ランスレーは怖い街だ」

「寒いところから来た設定だったっけ?」


 ミリーの机の上のポタージュには大量の黒い虫が浮いている。目を吊り上げて頬を紅潮させたクラスメイト達は、彼女がそれを食べるのを今か今かと辛抱していた。

 教師はいない。忙しい仕事だもんな。

 俺たち三人は手持無沙汰に、後ろの方で事の次第を見守る。なんか授業参観みたい。

 マリウスは髪の横をねじねじしながら、俺の『設定』を茶化そうとする。


「お前の世界ではいじめられっ子は何を食べさせられるんだ?」

「んなハードないじめはそうそうねえよ。まあ異物を混入したことならあるけど」

「何を入れた」

「運搬前の給食の缶に、理科室から拝借した骨格標本を、ちょっとな」


 チキンカレーまみれのシャレコウベ……お玉にすくった当番の悲鳴……。

 傑作だった。今でも思い出し笑いできる。


「はっ、楽しそうじゃんか」

「ああ、その後二日にわたって学級裁判に掛けられなければな。……おう、いった」


 俯き、誰とも目を合わせないまま彼女はポタージュをすすり出した。ナイスガッツ。

 さすがに具のゴキブリを食べることは無かったが、汁は全て飲み干す。


『あっはっはっはっはっ!!』


 クラス中が一斉に沸き立った。にこやかにほめそやす者がいた。ヒステリックに笑う者がいた。指差して笑いものにする者がいた。

 口元を拭うミリーだけが、笑っていなかった。


『どうどう? 美味しかったァ?』


 赤髪をツーサイドアップにまとめた勝気そうな少女がミリーに問う。

 睨み返すミリー。何か言い返そうとして、えづく。


『うっ……げええええっ』


 嘔吐。

 クラスメイト達は猿のように手を打って笑い転げた。喧しい、先生が教室にいないのも頷けるほどだ。


「楽しいと思うとなんでもやっちゃう年頃だもんな」

「これが理由だよ」


 髪の毛をチネりながら相棒が吐き捨てた。イライラしてます、と言わんばかりだ。


「理由って、さっきのオニババ作りとかの?」

「当たり前だろ。何年やってんだお前」


 相棒の苛立ちは増幅されていく。理由は不明。

 教室に動きが起きた。クラスを先導する赤毛の少女がミリーに雑巾を投げつける。


『ミリーちゃん、これでちょっとはキレいになったんじゃない?』

「キレい? ミリーたんの顔は充分ふつくしい」

『キタナいおウチのミリーちゃんは、お似合いだよね!』


 疑問が一瞬で氷解。

 『汚いお家』とは、人の家がダンジョンになるこの世界一流の悪口だ。

 赤毛の少女は精一杯に口さがないことを喋り散らす。


『ワタシのママから聞いたんだ、ミリーちゃんちのお母さんのこと。近所のおじさんおばさんから嫌われてるのも当然な理由があったんだねェ。

 ミリーちゃんのお母さんはムカシ、お母さんのお母さんから虐められてたんでしょ? ミリーちゃんもどうせもう虐められてるんでしょォ?』

『そんな事ない!』


 実はミリーの剣幕に嘘をついている様子はない。詳細な時系列はわからないが、それほど大きくないし、まだそんなにオニババがオニババしてない頃かもしれない。

 でも、そんなことはどうでもいいのだ。


『ミリーちゃんのお母さんのときは大丈夫だったかもしれないけど、ネクラなミリーちゃんは絶対ダメだよォ。ダンジョンになっちゃうんだろうなー』


 赤毛っ子の追撃は非常に的確にミリーの心を抉る。泣きそうになったミリーはまたゲロリと吐く。机に突っ伏す彼女の顔は凄絶さを帯び、何処か見覚えがあった。

 猿どもはお構いなしにキャッキャッと喜ぶ。

 ミリーがぱっと立ち上がり、教室を飛び出したところでその乱交パーティみたいな狂騒は突然止んだ。生徒たちは消え、引き戸の向こうにはまた細く続く長い道が広がっていた。

 ウンコクソゲーの第三面。また学校のようだが細かいデザインが違う。ダンジョンの残りの尺から体感的に予想すれば、今度はミリーの中学だ。

 俺は戸の方に行こうとして、お口チャックマンのブランチ氏もすごすごついてくる。

 でもマリウスはミリーのゲロまぶし机を見ながら微動だにしない。


「どいつもこいつもこれだ。人の家の粗探しばっかり」


 眉間のしわを揉みながら、ヤツは一言一言低い声で喋る。

 まーたかしこぶっちゃって。


「金が無いだの、兄弟がガイジだの、親が片方いないだの……」

「まるで見てきたみたいに喋るねえ」

「……見てきたんだよボケ」


 刺すような言葉が返ってきた。


「おお怖。なんだか知らんけどクールになれよ。マジになんなって」


 触らぬ神に祟り無しなので、とりあえず適当なことを言ってお茶を濁す。


「うるさいなっ! わかってるよ!」


 キャンキャン吠えるだけ吠えて、相棒は戸の向こうに進入して第三面を開始した。

 全員が戸の向こうに入ると、すぐに背後に幼女版ミリーたんが現れる。便利の為、相棒と俺の間に入れ、ブランチ氏を遠く後ろに置いて再開する。

 プリプリ怒る相棒のせいで空気が重くなってしまった。年長の俺としてはどうにかこいつの機嫌を取ってやらないと。


「ふんふん、なるほどね。ミリーたんはもうずっと母親のせいでゴキブリポタージュすする感じだったわけか」

「そうだよ! 文句あんの!?」

「そう喧嘩腰になるなよ。……じゃあとりあえず諸悪の根源たる母親に八つ当たりするのは有り得なくもない。いやあ、名推理だあ!」

「白々しいんだよ!」


 しくじった。慣れないことはするもんじゃないな。


「……ん?」

「あ? まだ何かあんのか!?」

「兄貴は何で殺されかけたの? 関係なくね」


 マリウスはこちらに首を捻って寄こし、冷え切った目で俺をねめつけた。


「年上なのにいつまで経っても落ち着きないし、頼りにもならなきゃ殺したくもなるよ」

「え、なんで俺のこと見ながら言うの?」

「バーカ、ウンコッ!」


 相棒は前を向いてより早歩きになる。


 はあ……。いつまでもガキなんだから。

 でも、小さい頃はもっと素直だったんだけどな。すっかりめんどくさい奴になってしまった。やっぱり教育は大切だと思う。

 そこで、はたと気付く。

 さっきのミリーの凄絶な顔が何に似ているのか、出会ったばかりのマリウスがそんなやり場のない怒りを湛えていたものだった。

 それがどう相棒の苛立ちに繋がるのかはピンとこないが。



 この後レミリーングスの三面だったが、もう文句以外述べる点はない。割愛する。

 さて三面も終盤、ゲート二百メートル手前となったころ。

 空気は相変わらずギスギスしたままだが、一応この後のことは話しておかないといけない。ミリーを挟んで向こう岸のあいつにコミュニケーションを試みる。


「なあ」

「……」


 答えない相棒に、道中考えていたことを喋る。


「兄貴を殺したくなった理由は役に立たなかった、でいいだろう。でもあの公園のイベントの後なら学校でも多少は機能したんじゃないか? この後まだミリーのことをやる必要があるのか?」


 ブスっとしながらも相棒は口を開いた。


「……あの長男はヘタレのカッコつけだし、家の中ではエバレても他人の前では難しかったんじゃない」

「もうちょっとラッド君を信じろよ。性格はともかく顔と世渡りは大したものだぞ」

「……」


 相棒は考え込んでしまった。普段より感情的になっているせいで、いつもの牽強付会なこじつけも閃かないらしい。

 あっという間にゲートが来てしまった。


「まっ、もうすぐゲートだし答えは合わせはそこでだな」

『ううん。お姉ちゃんが正解だよ』

「! やったあ」

「マジで? 悔しっ」

「……え?」


 誰だ今の。

 違和感を覚えるのと同時に俺の腹にポテっと何かがぶつかった。

 ミリーが立ち止まっていた。

 相棒も振り向いて硬直する。


『あいつ、小学校でも中学校でも言い訳ばっかして何もしてくれなかったよ』


 毒づく幼女。

 それから、彼女は両手で俺と相棒の手を握ると、笑んだ。


『みんな、仲良く!』


 ジュワッ


 瞬間、握られた手が紫色に染まり、激痛が走る。


「クソッ」


 相棒が空いている左手で彼女を殴り飛ばそうとした。


『死んで……』

 バサッ!


 しかし、ミリーのはその場で数十の黒い鳥に分かれて飛び去った。

 その鳥の羽毛は紫と緑の混色で、目はガーネットのような赤い色。そうか。


鴆毒ちんどくだ!」


 ちんとは中国の伝説上の毒鳥だ。毒蛇を食むため羽毛に毒を蓄えると言われている。鴆の毒は暗殺に処刑にと珍重される、つまり死に至るスーパー猛毒だ。

 現に俺の腕は見る見るうちに紫に染まり強張りを感じる。

 ピンチに弱いマリウスは取り乱す。その場に蹲って涙目で俺を見る。


「わっ、あっ、か、カエル!」

「慌てるな」


とっさに肌色との境を抑えると進行が止まった。相棒にも真似するよう促す。


「あっ、あっ、あっ」

「深呼吸してろ」

「ふうー、ふうー」


 とりあえず相棒を鎮めると俺は我慢して患部から手を放し、リュックを降ろした。

 痛みで気を失いそうになるが、これはゲームと自分に言い聞かせて意識を保つ。

 どうにかポーションを取り出し、半分ずつ飲むと速やかに痛みは引いていった。


「はあ……はあ…」


 ダメ元だったけど、万能じゃんポーション。危機感無くなるわ。


「動くか? ムラサキは無くなってるけど」

「うん……。大丈夫……」


 俺のリュックにうつかってぜいぜい息を吐く相棒にほっとする。

 急なことでビビったが、ワンパターンでクソ操作性のレミリーングスはこの為の仕込みだったのだろう。まったく油断させられた。

 この間も黙ってこちらを観察しているだけだったブランチ氏に頭を下げて、少し休憩を取ってからゲートを越えた。



「あ、ここ二中か。制服のリボン可愛いと思ってたんだ」

「可愛い!? あっ。おまえ、女だっ」

「死ね」


 せめて全部言わせてくれよ。

 しかしながら、さっきの毒の一件でマリウスの感情はある程度リセットできたらしくひとまず冷静に話すことができるようになった。

 ゲートの向こう、ブランチ兄妹の進学したランスレー第二中は、駅などのある市内中心部にほど近い活気のある学校だったと記憶している。俺のとこの二倍の生徒数がいたと思う。


「今って授業中だよな?」

「廊下の方は人っ子一人いねえし、そうじゃねえの」


 ここは一階の工作室。廊下から窓の方に目を移せば、木々の葉が落ちて寂しげだ。

 マリウスがぶるっと身震いする。


「ちべたい。ストーブつけていい?」

「都会モンは寒がりずら」


 バカ話をする俺たちを余所に工作室では住人達が張りつめた空気を醸し出していた。


『セーラちゃん、おかしいなあ』

『ひっ』


 俺たちの外、工作室の住人は四名。

 成長したミリーは、座らせた赤毛の少女を他の取り巻きと取り囲んで恐喝の真っ最中だった。


『五万持って来いって言ったのに? ひい、ふう……あれ? うーん、あれ?』


 などと、ねちっこく赤毛の少女、すなわち小学生の頃ミリーを虐めていた彼女を、攻めたてていた。

 先に取り上げた問題の答えだ。いじめられっ子の末路、中学でミリーがどうなったか?


 答え:グレた。


 変な宗教にドハマリして冒険者に身を落とす、なんて回答は論外だ。

 ピアスも開けてない髪も染めてない彼女は、それでも怒りと憎悪を他人にぶつけることに掛けて才能があったのだ。


『知ってるよね。今の私のカレシ、族だから』


 赤毛のセーラちゃんはそれだけ顔をクチャクチャにして泣き出す。取り巻きの芋みたいな顔付きの女子二人がそれをブサイクだと嘲弄する。


『ごめんなさい、ごめんなさい。これ以上は親に……』

『あ、そう』


 その光景を見て、彼女は満足げに息を吐き、鷹揚に取り巻きに問う。


『そういやさ、オナショーに養護行ったヨハンっていたよね?』


 あらかじめ決まっているらしき回答を、イモ子Aが返す。


『ああ、職員の耳食べて退学させられたとか言う噂のチショウ?』

『セーラちゃん、アイツと犯ってきてよ』

『ええっ』


 セーラの顔が一際歪む。


『金取ってチショウの性欲処理するセックスボランティアってあんじゃん、あれ』

『そんな……酷いよォ』

『じゃあ、普通の男相手なら?』

『どっちも、嫌……』

『は?』


 ミリーは能面のように顔から表情を削ぎ落としてかつての仇敵に迫った。


『速く選べよブス』


 セーラは泣きじゃくって答えられない、ミリーたちはご満悦。


『客は私が紹介してあげるから。頑張ってね、セーラちゃん』


 ミリーはそこで振り向いて戸の方に向かおうとし、そこで再び数十の鴆となって消えた。

 マリウスが感想を述べる。


「非道の限りを尽くしてるな」


 その通りだ。

 毒鳥……毒婦になったのだ、彼女は。

 そしてムービーはまだ終わってない。何らかの用事でミリーが工作室から出て行った後も泣きやまないセーラとイモーズはそのまま。

 芋二人がガラガラ声でお喋りをする。


『でもセーラも運ないよね』

『仕方ないさ、アイツ、オトコにマタ開いてやりたい放題だもん』

『ホント、病気持ちって噂だもんね、ふふ』

「ワルになっても結局友達はいなかったのか」


 芋二人の楽しげな話にセーラが泣きながらも聞き耳を立ている。


『アイツんとこのババア頭おかしいからさ、あいつもおかしいんだよ』

『キタナい家だもんね、あそこ。アイツの兄貴もなんかキモいし』


 好き放題言いまくり、イモ子A?B?もうどっちでもいいけど、片方が口の端に泡を付ながらオチを切り出した。


『……アイツんち、マジでダンジョンになんじゃないの?』

『ウソォ。 ……楽しみ』


 あははははは。セーラもにやけている。

 人間は消える。


「ミリーを探すか」


 どちらからともなく言い出す。他に話すべきことは何もない。

 俺たちは校舎を当てもなくさまよう羽目になった。



 校舎内には何故か誰もいなかった。発見も異変も何にもない退屈さ。でも、今となってはモンスターに出てきて、むしろレミリーングスでいいから集中したいとさえ思う。

 余計なことを考えてしまうからだ。それはマリウスも同じようで、何か気晴らしに話したげだったが、取り立てて話題もなく目を反らしてしまった。

 俺たちがこうなってしまうのは『ダンジョン』が悪口として俺たちの前に現れた時だ。この時ばかりは意識の低い相棒ですら冒険者の立場から物を思わずにはいられない。


 俺はこの世界が嫌いだ。

 この世界の魔法は信仰でできている。ダンジョンは魔法でできている。

 なら、


 ……うんざりする。

 印刷の発展が人の考えを飛躍的に共有しやすくしたように、近代西洋に誕生したダンジョンは悲劇で人々の心にイメージを植え付けて世界中を縛り上げた。『夫婦は尊重しあわなければいけない』、『親は子を愛さなければならない』、『子は親を敬わなければならない』……ダンジョンへの信仰は次第に強化され、更に広範に数を増やしていく。

 みんな何かに苦しんでいる。みんな何かに目を背けている。

 ブランチ氏の言うとおりだ。何べんダンジョンを攻略しても、何べんラスボスを殴り殺しても誰も救われない。

 それもそのはず、ダンジョンマスターがやっているゲームは悲劇で世界征服を目指す戦略ストラテジー。なのに俺たちがやっているのは冒険アドベンチャー。元から適うはずない。攻略は徒労だ。

 こんなことしてなんになる。深い疲れが俺を襲う。悪いことばかり考えてしまう。

 こんなところ来たくなかった。早く帰りたい……俺の……。


「?」


 ふと、天井のスピーカーから流れる音楽に思考を中断される。

 このピアノの旋律……。


「なんだこれ、空襲警報か?」


 耳を澄ませる相棒が冗談を抜かした。


「バカ言ってんじゃねえ」


 まったく忘れん坊だなあ。

 俺はマリウスを押しのけて歩き出す。


「下校の音楽だよ」

「うん?」


 授業中というのは間違いだった。アイツら掃除をサボってたんだ。

 掃除を終えてこの『別れのワルツ』を聞くのは給食よりも待ち遠しいことだ。


「おおい、カエル?」

「いいから、いいから」


 ここの角を曲がると階段がある。気を付けて行かなければならない。それは寒の厳しい時期だと床に降りた霜が溶けて滑りやすいからだ。


「ちょっと待てよ」


 埃と脂でギトギトした手すりに頼りながら一段一段を踏みしめる。

 ここのすぐ横に目的地がある。


「待てって!」


 追い縋る相棒を身を捻ってかわし、残りの数段を飛び越える。

 足首にキンとした痛みが走る。ああ冷たい。室内だというのに息が白い。

 早くストーブに当たりたい。今頃は、いつも一番乗りの両角もろずみがもう火を入れて、周りに椅子を並べていることだろう。

 今日は何の話をしようか。沢渡さわたりさんから借りた推理小説はまだ読み切ってない。マンガの話題でまた一日ツブそうか。ちょっとマイナーな雑誌のを布教してみよう。

 放課後の俺たちときたら、本来の名目を忘れておしゃべりばかりしていた。元から俺の中学には文化系の部活が美術部と吹奏楽部しかないので、運動が苦手で楽器もできない人たちが美術部に入ることになる。更に絵も下手だともうくっちゃべるぐらいしかない。呆れた顧問の高橋が顔を出さなくなって久しい。

 でも楽しいからいいのだ。先輩は優しい人たちばかりで、両角もあまりオタクオタクしてないがアニメの趣味は合うし、沢渡さんなんて黒髪ロングの美少女だし。暮れの早いこの時期が恨めしいぐらいだ。


「どこ行くんだ!?」


 うるさいな、あと少しだよ。


「長野の、茅野の、中学の、俺の、」


 あの大仰な両開きのドアを開ければ、


「俺の、部室!」


 バン


 中には誰もいなかった。

 そこは美術室ですらなかった。確かに扉は両開きだったけど、そこは男子トイレで小便器と個室が並んでいるだけだった。

 まだ耳に入ってくる『別れのワルツ』が俺の頭に血を昇らせる。


「クソっ、〈BGM〉か!」


 冒険者ギルドは明言を避けているが、〈BGM〉がモンスターの操作やイベントの進行の外、聞く者の精神に影響を与えていることをプレイヤーは大体知っている。

 孔子が斉の楽に陶然とし三か月も肉の味を忘れさせられたように、音楽魔法に精神を操作され奇行に走らされる例は史上珍しくない。長年聞き続けた結果発狂した冒険者もたくさんいる。


「ふざけんなっ!」


 俺は小便器の一つを蹴る。陶器が砕けて水が噴出する。

 後ろから相棒の生命が近づいてくるのを知覚する。俺の肩に手を置こうとしている。

 ああー。ムカつくムカつくムカつくムカつく。


「俺の記憶に触れるんじゃねえ!!」


 傍にあった個室の戸を殴り潰す。無意味に全部壊した。


「カエル」


 振り返ると相棒と目が合った。

 いつものよくわからず誰かに嫌われた時の困り果てた目。

 いや、少し違う。その瞳に混ざる憐憫を俺は勘付いてしまった。この世界の人間特有の、家や居場所を失くした者に向ける最大限の同情。

 やめてくれマリウス。その目は俺に効く。

 何度もやめろと言ってきたのに、どうして止めてくれないんだ?

 俺はうちを失くしてなんていないし、このぐらいすぐに落ち着くから。


「ちくしょう」


 マジになるな……こんなゲームに、こんな世界に……。

 徐々に興奮が冷めていく。


 俺はこの世界が嫌いだ。



 この後、隣の女子トイレでミリーが吐いているのを発見。

 彼女は胃腸が弱いらしい。ワルのわりには繊細なんだな。

 ひとしきり洗面台に胃の中身を吐き出すと、個室の一つの扉を開けて、〈NPC〉は消滅した。

 個室の先は、第五階層へ続く階段だった。


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