13.〇商店街の路地裏 / 五年前の真夏




 そのガキは野良猫を解体していた。

 道具はカッターナイフ一つで、悪戦苦闘しながら猫をギコギコ捌いている。

 白昼、異世界トリップ三日目、ランスレー市の中華料理屋の裏。ダンジョンと魔法以外で初めて出会った非日常だった。


「痛っ」


 ガキは重厚な皮の脂気に手を滑らせ自分の指を傷つける。指を口にくわえ、上半身だけ反らして後ろのコンクリートに頭を付けた。

 その横でエアコンの室外機が唸る。中は涼しいだろうな、羨ましい。

 ガキは頭をズリズリ壁に擦りながら室外機に落ち着けた。汗に濡れた黒髪が乱れ、額に一筋貼りつく。疲労困憊の態で、作業はいったん中止らしい。奴の獲物は大物なのだ。

 猫は鼻の先から尻まで一メートル以上、大体ガキの背と同じくらいはある。それが胡坐をかいたガキの足を覆うようにしてくたばっていた。

 後で聞くならく、どこかの魔術師が逃がしたキメラだったそうだ。


「外人さん、『にくしみ』って言うからには肉だと思わない?」


 そいつはこちらに気付くと、至極つまらなそうにそう問うた。

 こっちは慣れない血の臭いに辟易していたのだが、顔を見られてしまった手前答えるより他ない。


「意味わからないんだけど。肉しみは消えないんだ、って話?」

「ちがう。ソードマスターじゃなくて」


 発狂しそうな事実だが、この異世界ではジャ〇プの話題が普通に通じる。

 目の前のガキはどう見てもコーカソイド系の白色人種なのに日本語バリバリだし、あまつさえ着ているイモいトレーナーには『I love ××』という文言がデカデカ書かれている。引き裂かれて読めない下半分の××がNYでないことを願うばかりだ。

 ところでガキはボロボロだった。トレーナーもアップリケ付のハーフパンツも破れて半裸と言っていい状態だし、白い肌には無数の爪痕や噛み痕が赤々としている。


「ウチ、見たこと無い」


 年相応に幼い口調でガキ、少女は愚痴った。


「クラスのアホどもも先生もママも、ウチに『人の気持ちを考えなさい』って言う。できっこないよ、見えも聞こえも臭いもしないのに」


 ガキはひとさし指の先で猫の肉球をつつく。


「こいつも、ちょっといつもやってるキャットフードを味見しただけで、噛みつくんだもん。こいつは、きっと、多分、ウチをにくんでたんだよ。だから、こいつの中にはにくしみがあるよ。それなら見えるかもしれない、でしょ?」

「ううん、すごい解釈だ……」


 カッターが地面に落ちてチャ、と音を立てて、彼女の空いた手が大猫の頭を撫でた。すると猫が小刻みに震えて見えたが、すぐに少女が身を揺らしているからだとわかった。


「初めての友達だったのに……」


 正直彼女になんと言葉を掛ければいいのか、さっぱりだ。『人の気持ちを考えろ』とは自分も再三言われた記憶があるが、いつまでも答えは出せなかった。

 ただこの茹だる暑さにスプラッタ死体なんて見たくないし、彼女がするべきことじゃないと思った。


「そこに憎しみなんて無いし、友達ならどっかに埋めてあげなよ」


 はっと顔を上げ、少女と目が合う。瞳の中で急に激情が広がっていくのが見て取れた。

 マズい、こっちは飯もろくに食えてなくてヘロヘロなんだぞ。


「無い? だったら」


 少女はカッターを拾い、こちらに刃の先端をかざして言う。


「お前の肉の中にはあるのか? にくしみが、人の心が」


 ヤベえガキじゃん、構うんじゃなかった。


「えーと」


 適当に相槌しながら一歩、二歩と後ずさる。まだちょっとなら走れる。

 しかし、展開は思わぬ方向に転がった。

 カッターの切っ先はスッと俺から外され、彼女のはだけた胸に当てられたのだ。


「それとも、ウチの肉の中には」


 きめの細かな柔肌が、冷ややかな鉄色が添えられて一層映える。


「……でも、無かったらどうしよう」


 刃は刺さる直前で静止され、また猫を指し、こちらを指し、空中を指す。フラフラといつまでも止まらない。少女は本気で憎しみを探そうとしていた。

 超ヤベえガキじゃん、こいつ。もう、仕方ないなあ。

 はニヤリと笑ってみせた。指を立て、精一杯の虚勢を張る。


「わかってないな!」


 そして、必死に口から適当を絞り出した。


「誰の肉にだってあるわけない。にくしみっていうのは気持ちとか心で、心っていうのは命の中にあるんだよ」

「命、それはどこ?」


 少女が首を傾げる。


「多分、生き物のどこか。僕にも人の気持ちはさっぱりだけど、少なくとも猫の死体の中には無いよ」


 少女が呆れたように口を歪めた。


「外人、ウチより大きいのにお前もわからないの?」

「他人に嫌われるなんてしょっちゅうさ!」


 自信満々に頷く僕を彼女は興味津々に観察し始めた。


「変なの。わからないのならなんで命の中にあるって言うの?」

「それなんだけど……この辺に流しのテロリストがいるって聞いたことない?」

「最近うろついてる? あ、あのおっさんも命がどうとか言ってた」

「そうそう。僕は又聞きしただけなんだけど、その人は本物の命の司祭らしい」


 得心いった彼女の形相から危うさが取れていく。


「そいつが公園で弟子を探しているらしいんだ。なんでも魔法を教えてやるって話で、僕はそこに行くところ。暇してんならあとで一緒に行かない?」


 僕は喋りながら彼女に歩み寄り、カッターを持つ手を掴む。


「もしかしたら人の気持ちがわかるかもしれないし、」


 少女を力いっぱい引き上げて立たせた。猫の死体が膝から落ちて半回転する。


「それ埋めるの、手伝うからさ」

「うん」


 砂と毛と血塗れのハーフパンツをポンポンと払い、着ていた薄地のパーカーを上から羽織らせてやる。暑いのでちょうどいい。

 二人で猫を抱えて日の下に出ると、僕は名前を名乗っていないことに気付いた。


「相知蛙っていうんだけど、君は?」

「マリウス」


 仏頂面で僕を見上げる少女は、何故か男の名前で返した。



 ――この後俺たちはその流しのテロリストの教団に入信して魔法を習い、最終的に爆弾括り付けられてテロに加担させられそうになるのだが、それはまた別の晩の夢。



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