12.カエル・マリウス「こんなげーむにまじになっちゃってどうするの」



「デカッ」

「ダメだ……」


 道の果ては小学校の校庭を思い出す広大さだ。

 その空間の大半を、サーカスのテントのようなフォルムをした一匹の超超超巨大コウモリがどっしりと座り込んでいた。脈動しているし、テントの皮が握り慣れた色と滑らかさなのですぐわかった。ライトの届かぬ高さの向こうに、膜の翼と頭があるのだろう。


 グウゥィィィイイイイイイイイ……グウゥィィィィイイイイイイイイイ……


 その頭からする、軋む金属の低い鳴き声が俺たちを不快にさせる。


「これ」


 テントに近づいてからしばらく圧倒されていた俺たちに、マリウスがライトを当てて示した。それは入口の脇にある一斗缶で、中に四本の松明が突っ込まれている。


「それから、あれ」


 次にコウモリテントに開いた丸い穴を照らした。ちょうど松明が入るぐらいの太さだった。


「闇を払うのは火ということだな、うんうん」


 したり顔の相棒を捨て置き、俺は入口に戻り、一斗缶を持ち上げて気づく。


「油が入ってねえや」


 近づいて見ると中は空で、松明の先端に巻きついた布もからからに乾いていた。

 相棒がまた一つ頷いて答える。


「本来ならキッチンか、道中のどこかで油を探してくる流れだったんだろうが」

「ここに妖怪アブラすましがいるからな」


 するとぽかんとおデコをぶたれた。


「そのあだ名は許さん」


 そう抜かしながら俺の背後に回り込んだマリウスは、リュックを開いて自分の鍋を取り出す。奴の前に置き直した一斗缶の松明に〈揚げる〉魔法を祈り始めた。


「よーし、行くぞー」

「ダメだっ」


 ブランチ氏が缶に近づこうとしたので、俺は彼を羽交い絞めにする


「どうどう。中を見ないと進みませんので」

「こんな、化け物の中に何も、あるはずないんだ」

「そーれ」


 つつがなく一斗缶の中に油が投下され、布に染み込んだところでマッチを放り込んだ。片手に二本ずつ松明を持った相棒は、差し込む穴を探しに外周を走り出す。


「あああ」


 ボッ、ボッ


 何処かで松明が挿入されるたび、コウモリテントに火の手が上がる。あっというまに全体が炎に包まれた。

 顔が一気に熱くなる。


「景気いいですね! キャンプファイヤーやどんど焼きが懐かしくなりませんか?」

「……」


 グウゥィィィイイイイイイイイィィィィィィィ……


 苦悶の叫びが上がりテントの全身が揺らぐ。俺はここで異常を察知した。

 火中の毛皮がいつまでも焼け尽きないのだ。爛れたり、毛が焦げたりすらしない。

 やがてその皮は炉に入れたガラスみたく赤く透き通って、中身が覗けていく。


「おー」


 コウモリの内臓は無数の風景だった。ブランチ家の生活の一コマ一コマがドラマのセットのように見やすく切り取られて、テントのあちこちに配置されていた。

 ブランチ氏はもがき、俺に目の前の景色を見せまいと騒ぐ。


「オウチ君、これはデタラメだ! 嘘なんだ! 全部、全部ダンジョンマスターの、」

「あ、はい、ゲームですもんね」

「お願いだ、信じて――」

『ら・もーれ・た・ぱら・りべれ……』


 皮の向こうより流れてきた奇妙な響きの歌い手は、少女。


「違うんだ……」


 依頼人の体から急に力が抜けて、膝をつく。


『くにーり・て・あぷりぱぜ……』


 伴奏のオルゴールの曲は、ハバネラ。

 そして、俺たちが見ているのは夕暮れの子供部屋だった。

 ミリーはオルゴールを掌に乗せて訥々と歌う。



『ら・むーる……ら・むーる……』


 彼女が着ているのは、新しげなセーラー服。

 子供部屋にはもうベッドが一つしかないが、ジャージのラッド君は、ミリーのベッドに腰掛け妹の歌を拝聴していた。


『それ何語だよ?』

『わかんない、歌詞はCMで聞いただけだから』


 ミリーはオルゴールをもたれている窓枠にのっけて、栗色の髪をかき上げる。一方の二次性徴で身体が出来てきた兄は思慮深げに考え込んでいる。


『ハバネラはどこの国の曲だったっけ』

『教科書見れば載ってるかもしれないね、有名だし』

『ロッカーの中だ。あ、そういえばそれどこから持ってきたんだ?』

『父さんたちの寝室、あの人のクローゼットの奥んとこ』


 「やってやった」と言いたげに彼女は微笑んだが、兄は目を剥いて驚いた。


『バレたらどうするんだよ』


 ミリーは首を回して、窓の向こうを見ながら恨めし気に答える。


『だって何言っても「私は知らないし、知ってても絶対ダメ」の一点張りなんだもん。漁っても見つからなかったけど、これは戦利品だよ』

『大胆なことするなあ』

『えへへ』


 いきなり立ったミリーは、たたっと小走りで兄の膝の上に座り込んだ。兄は眉を八の字にして困惑する。


『重い』

『お兄ちゃん、バレても守ってくれるよね?』

『……ああ』


 ラッド君は伏し目がちに返事した。


『いつもありがとう』

『気にするなよ』

『わたし、お兄ちゃんの妹でよかった』

『いいってば。ほら、これ』

『ははー、いつもありがとうございますぅ』


 兄がジャージの尻ポケットから出した千円札を、彼女は大仰な動作で拝領する。


『ミリーはあの人からすんごく嫌われてるからな』

『私からすれば、お兄ちゃんがなんでお小遣い貰えるようになったのかさっぱり』

『ああ』


 兄はばつが悪そうに言葉を濁すが、背を向けている妹は気付かずに身を預けたままだ。


『ねえ、お兄ちゃん。わたしら、仲良いよね?』

『うん、まあ』

『わたしら、ずっと一緒かな』

『う、うん』


 オルゴールが止まった。

 窓から黄昏れの複雑な色が注ぐ。


『大きくなってさ、ママともパパとも仲良くなれる日がきっと来るよね』

『そうだな』

『何? 他人事みたいに。お兄ちゃんがむかし言ってたんじゃない!』

『えっ!?』


 意表を突かれた兄の膝が大きく震え、ミリーはずり落ちそうになった。妹は大げさなリアクションにクスクス笑う。


『もっと小さいころは、夜眠れないときはいつも明るい話をしてくれたじゃない』

『ごめん』

『ひっどーい、忘れちゃったんだ。わたしは覚えてるよ』


 ラッド君の取り繕った顔が砕けて、罪悪感がにじみ出た。それを見ることができないミリーは心地よさげに目をつむる。


『……ごめん』


 そこで夕暮れの子供部屋は砂のように崩れ去った。


「あーあ、また外れかよ」


 俺の気持ちは沈んでいた。

 あのムービーを見ては流石にハバネラがこの異世界に無いなどとはもう考えられない。帰るための手掛かりとはぬか喜びだった。

 つい、舌打ちが出てしまう。


「ひっ」


 それはうずくまっていたブランチ氏の耳に入ったらしい。すぐに頭を上げて俺のジーンズを掴んで弁解する。


「嘘をついたわけじゃないんだ! ただ、ただ、」

「え、ああ、わかってますよ」


 俺は彼の両腕を取って立たせる。


「忘れていただけなんでしょう?」

「えっ」

「ダンジョンはゲームですから。依頼人の記憶と整合しないことなんてしょっちゅうですよ。全然気にしてませんから」

「そ、そうかい……」

「じゃ、次いきましょうか」

「えっ」


 俺は彼の手を引き、テントの外周巡りを始めた。

 相棒を追うように右回りに歩き、次の風景がよく見える位置を探す。ブランチ氏はなかなか進みたがらないので、俺は彼の腕をぐいぐい引っ張る。


「ああー、これ、さっきのだ」

「……」

『と、父さん』


 目の前には洗面所のドア。半開き。

 妹を風呂場のドアから眺める父親、を洗面所のドアから眺めるラッド少年。

 ブランチチは静かにラッド君に顔を向ける。自分の口元に右手の人差し指をあてた。


『なにを』


 シー……


 細く細くブランチチは息を吐きだし、心臓も凍える視線が放たれた。


『ひっ』


 ブランチチはまたゆっくりと右手で『あっちいけ』の仕草をした。それで中学生に上がったラッド少年は、回れ右をして俺たちにそのニキビが少し浮いたツラを見せてくれる。クソビビっている。


『父さん、何を考えてるんだよ……』


 彼はそのまま俺たちの方に走り出し皮にぶつかるや消滅し、洗面所の風景もまた立ち消えた。


「さあさ、どんどん見てきましょう」

「ひっ」


 依頼人の手を引き、燃え盛るテントの外周をさらに巡る。


『母さん!』


 皮の向こうにはキッチンがあった。夕食作りの途中でオニババが泣いている。


『ラッド……』

『泣いてるの?』


 学ランを着込んだラッド少年は、台所に入るなり母親に駆け寄った。坐る彼女に、腰を降ろして目線を合わせその顔をじっと拝む。


『みんな、アタシのこと嫌いなの……』

『そんなこと、無いよ』


 オニババはワッと顔を覆って泣きじゃくる。ラッド君は顔を歪めて目を反らす。


『嘘。わかってるのよ! ラッド、アンタも!』

『みんなは酷いこと言うけど、母さんは僕の母さんだから』

『まだ、アタシにそんなこと言ってくれるの……』


 ラッド君は自分より少し大きい母親の背に手を回し、室内を二人の泣き声がセッションし始めた。


『ラッド、ごめんねえ』 

『いいんだよ』


 しかしラッド君は、嘘泣きでもって彼女と共鳴していた。

 風景は消える。


「次」


 俺たちは巡る。


「こ、こんなこと無かった!」

「そうですか、忘れたんですね」

「し、知らなかったんだ。父さんの本性も、母さんの状況もあそこで初めて、」


 発言が前後で矛盾しているのは気のせいだろうか? とりあえず先に進み、次の出し物を見つけた。


『私は、貴方の亡くなったお母さんじゃないの!』

「お、再放送」


 そこは第四階層ボス戦前の、ドアの隙間から見た夫婦の寝室。違いはドアから幼いころのラッド君が熱心に覗いていることだ。


『私を見てよ、あの子たちを。お父さんでしょ、貴方は!』

『お父さん? ……はっ、はははははははははは』


 彼はパジャマの裾を握り締め、集中して話の行方を見守っている。


『卑怯!?』


 母親が激昂し夫を殴りつけた。

 そして、夫が彼女を冷たく睨みつける。


『どうして、貴方、どうしてそんな目で私を見るの!?』


 そこでラッド君は顔をドアから放し、こちらに向かってポツリと一言。


『本当につよいのは、母さんじゃないんだ』


 虚ろな瞳が濃い夜の闇をさまよう。


『やっぱり父さんとなかよくしなきゃ……やさしい父さんに……』


 消える。

 巡る。


「もう許してくれ……」

「あ、あそこにマリウスが見えますね」


 空手の相棒まで数十メートル、気付いた奴は俺に手を振って示す。


「ここ、入れるぞー!」


 着いてみると、分厚い皮にスリットが入りめくれ上がっていた。



 中は大して熱くなかった。赤みがかった透明感のある壁も床も、人肌より温かい程度だ。ダメージ床じゃなくて重畳。

 道は直線にテントの中心へと俺たちを導く。

 特に話題もなく静寂だったが、数分してマリウスが振り向き、後ろ歩きをしながらうそぶいた。


「むかーし、むかーし。あるところで、トリの一族とケモノの一族が戦争をしてました」

「はあ?」


 相棒は斜め上を見ながら、脳から記憶をひねり出すようにして喋る。


「そこにはコウモリもいて、ソイツときたらとんでもない奴でした。

 トリが負けそうになるや否やケモノの王にお会いして『あちきは身体に毛が生えているからケモノでゲス』とかおべんちゃら言っちゃって取り入ろうとするのです。

 で、ケモノが負けそうになると今度は『あちきは翼があるからトリでゲス』とかなんとか」


 マリウスの語りが滑らかになってくるのとは関係なしに、辺りに変化が起きる。

 壁の両側にそれぞれブランチチとオニババが映っていた。


「『卑怯なコウモリ』?」

「そうだよ、イソップ童話の。コウモリばっかだから思い出した」


 壁の映像は俺たちの歩きに合わせてついてくる。


『ラッド、いい子だ』


 目だけ笑っていない父親が息子を褒めた。


『ラッド、優しいのはあなただけよ』


 疲れ切って皺の増えた母親が息子を褒めた。


「あれって最後どうなんだ?」

「それは覚えてない」


 慣れない動きに相棒は一瞬コケかけるが、膝を大きく上下させ、ふざけて歩いているように見せかけて奴はミスを乗り切る。


『なんだって、また母さんがミリーを殴ったのかい? 後で言っておこう』

『そう、お父さんがエミリアを……。わかったわ、なんとか、なんとか言ってみるから』


 壁の二人は代わる代わる息子に言葉を投げていく。


『信じられない! 謝りもしないのよお父さんは!』

『本当に聞かないんだ、お母さんは。僕も仕事がなければ……』

「ブランチさん、覚えていませんか? あ」


 質問しても無駄だった。さっきから彼は目をつむり耳を塞いで俺に引きずられるがままになっていたのだった。


『いつもミリーを守ってもらって悪いね。ラッドは聞き分けのいい子だ』

『お小遣い? いいのよ、ラッド。怯えずに甘えてくれるだけでも嬉しいわ』

「ま、どうせ浅知恵の八方美人の末路なんて知れてるな」

『ラッド、この前お母さんと話しているのを見たんだけど……気のせいかな』

『たまにお父さんが帰ってきたとき、何を話してるのか教えてよ、ラッド』


 相棒は前に向き直った。


「きっとどこにもいられなくなる」

『そうかそうか! お母さんに取り入ってるのか。ラッドも大人になったね』

『教えてくれてありがとうラッド。私の味方はアンタだけよ』


 そこで、二股の道に出る。


『ラッド、高校はあの隣町の進学校でどうだい? 偏差値的にも悪くないと思うよ』

『ラッド、高校を迷っているなら、昔アタシが行きたかったところがあるんだけど』


 両親の映像はそう言い残して、それぞれの壁に沿って進んでいった。

 停止した俺たちはそこで進むべき方向を呻吟する。


「どこにもいられなくなる」


 もう一度自分の言葉を繰り返し、マリウスが分かれ道を隔てる壁の前に立ち、手を当てた。何度か当てる場所を変え、手応えのあったところを殴りつけた。

 ぐにゃり、とその辺りの皮が剥がれ落ち、大人一人が腹這いになって進める横穴が生まれる。


「ほい、末路の一丁上がり」

「ああー」



 末路の先で俺たちを出迎えたのはミリーだった。


『お兄ちゃん!!』


 あまり広くはないが天井だけはバカに高い、ここはコウモリテントの中心だ。

 横穴を通るにつれ、だんだん溶けたガラスのようだった皮は色褪せ、今は薄暗く灰色がちになっていた。

 その冷めた薄暗い部屋のまん真ん中に彼女は立っている。その姿は横穴から起き上がろうとしたブランチ氏の目に入り、彼は呻くような声を上げた。


「うっ」

『全寮制の高校? なんで? なんでそんなところに行っちゃうの?』


 舞台役者のように手を胸に当て、情感たっぷりとミリーは叫ぶ。


『わたしを守ってくれるんじゃなかったの!?』


 その時、彼女の背後に黒い影が滑空してきた。


「シッ!」


 相棒が手にしたアイスピックをその赤子ぐらいのコウモリに投げつける。

 カアン、胸に当たったピックは甲高い音をたて弾かれた。


「キーイッ!」


 ミリーへの襲撃は止まらない、俺が包丁で魔法を放つ。

 五つの魔力刃を全て胸に集中させる。


 ブシュッ


 運良く二三発が重なって命中しコウモリの胸から鮮血が迸る。マリウスは無防備なミリーの保護に迎い、彼女を抱き留める。


「キイッ、キイッ!」


 俺もまた例の頭目と目されるコウモリの捕捉を試みる。ずるずる這いずって逃げようとするコウモリに接近して首を掴み持ち上げる。

 その顔を見るなり、俺はすぐに放り捨てた。


 ジュシュッ!


「キッ!」

「危なっ」


 再びうつぶせになったコウモリの視線の先が崩れ落ちていた。ビームだ。

 俺は頭を踏んづけて当面の安全を図る。


『お兄ちゃん、逃げないでよ! わたしを置いてかないで』

「わっ、耳元で喋るな」


 向こうではミリーを抱えたマリウスが悪戦苦闘していた。どうやら彼女は与えられたセリフを喋ることしかできない〈NPC〉らしい。


「マリウス、ブランチさん、ちょっとこっちに」


 二人を集めて俺の後ろに立たせる。


「そのコウモリをどうする気だ?」

「これでイベントが進行する」


 俺は拳大のコウモリの頭を掴んで引き上げ、一瞬だけ二人に見せる。


「っ!?」


 ブランチ氏が言葉の無い悲鳴をあげた。

 例のコウモリの顔はラッド君のものだった。見苦しくはないが、気弱げで青白い。

 ただし、目は糸で縫われて塞がれていた。ビームは口から出ていて、押しつけた床からまた焦げる音がした。


「このラッド・バットを使ってこの階層の闇を払いましょう」


 俺はジャケットのポケットから裁縫セットの糸切りばさみを取り出した。


「あ、そうか。第四階層の闇って心の闇じゃなくて、長男の瞼の闇だったのか!」

「おうよ。姑息に立ち回り自分だけ上手く生きようとしたくせに、罪悪感に駆られて見たくないものから目を背けて逃げ出した、卑怯なコウモリの目を開かせてやらあ」


 気付かなかったー、と悔しがるマリウスを脇に、俺は慎重に顔を引き上げ、目の糸を切断していく。

 作業の途中、ふらふらとブランチ氏が俺に詰め寄る。


「これ、これが……私?」


 口元を抑えるブランチ氏の顔色は今日一番の悪さで、最早緑がかっていた。

 これはいけない。


「いやいや、そーいう悪趣味な演出ですよ。現実のあなたには無関係です」

「そんな、こんなの、こんなの……」

「そうそう、こんなヤツ全然大したことないしな。現物には比べるべくもない」


 !?

 無愛想な相棒が珍しく依頼人のフォローをしようとしている! スゴい成長だ。

 ここは俺も相乗りして依頼人を元気づけてやらねば。


「父親のように冷酷でビームは出しますが、即死するタイプじゃありませんしね」

「母親のように頑迷で硬いけど、武器が通らないほどじゃないな」

「しかも両親より小さくて脆い」

「そして臭い。 ……依頼人、泣いているのか?」


 ブランチさんは顔を抑えることもできずボロボロと涙をこぼしていて、それを指摘されると糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。


「わあああああああああああっ」


 何がいけなかったんだ。

 それはさておきチョキチョキしてお目々が開いたコウモリを俺は真上にかざす。

 両目と口、合わせて三本の目も眩む光が発射され、天井に至り、第四階層全体に広がっていく。

 そこでミリーが叫んだ。


『逃げないで、私を見てよ!』

「もう、もう止めてくれええええええええ……」


 ほどなくしてコウモリテントは塵となって舞い、天井の蛍光灯が点いた。





「……君たちも聞いたことはあるだろう。虐待や不和など機能不全家庭で育った人間、俗に言うアダルトチルドレンは、成長しても社会や自分の家でトラブルを起こしてしまう傾向があると。ダンジョン遺族や被災者も一緒で、生涯におけるダンジョン被災率が通常の人よりずっと高いことは誰もが知っている。社会から腫れ物扱いを受けるのは当然だ。

 ここまではいいね?

 うちは母の暴力に支配されていた。父もなるべく頑張って守ろうとしてくれたけど、折悪しく昇進して中々時間が取れなくて……。私と、妹は周りから蔑みかあわれみの視線を向けられていた。そんな人たちとは自分から距離を開けてしまって、親しい友達なんて一人もつくれない。中学に上がってもそんな調子で、妹には悪いけど、もうこの街にいるなんてごめんだって思って。君たちの言った通り、私は……逃げてしまったんだよ」

「あのー」

「……実家がダンジョン化した後……結局市役所に幾つかの届け出を出し、それで二度と戻らなかった。被害者基金や奨学金で大学に行った。遠方の親戚を保証人のあてにしたけど、バイトや企業の面接のたびに実家のことを聞かれ何度も落ちた……

 それで私は、上手い、そう、上手い言い訳を考え続けたんだ。

 つまり……実家がダンジョンになったことに対して自分がどれくらい責任が無いかと……さらにどうやって立ち直り自分はどう健全なのかを……いつの間にか……それを、自分の同僚や友達、カウンセラー、そして婚約者にも話すようになって……だんだん耐え切れなくなってきて……話をするたび、なにが嘘かも、本当はどう考えていたのかもわからなくなってしまって、辛くて、つらくて……それで……それで……」

「あのー、ブランチさん。そのお話は昨晩もうかがいました」


 ブランチ氏は第四階層の点灯後、泣き止むと上の事々を喋り出した。対応に困る。


「依頼人、ボクら早く進みたいんだけどな」


 相棒の呆れ声にブランチ氏が顔を上げると、その傍らにいるミリーと目が合った。

 彼は彼女の前で土下座する。


「ごめん。ごめん、ミリー……」


 喉の奥からひり出す声はひたすらに詫びを請うものだった。ずるずる鼻水を垂らしながら聞き取り辛く彼は妹のニセモノに謝り続けた。


「ふぐっ、ごめん……ごめん……ぐ……」

「あ、ブランチさん。いくら声を掛けても無駄ですよ」


 俺は彼の横にしゃがんで声を掛ける。


「生きていて与えられれば知能も情動も持ちますが、それはあなたの妹さんはではなく信仰に基づいた魔法現象です。

 〈Non Prayer Character〉――〈祈り無き役割〉とはそういう存在でして、これは文化人類学者G.テイブルトークの論文に初出の、」

「うるさいんだよ!!」


 彼は涙を拭って怒鳴った。


「えっ」

「何なんだ、君たちは! どうして私の気持ちがわからない!」


 そうしてがばっと起きあがると俺の胸ぐらを掴む。


「頭がおかしいんじゃないのか!?」

「あ、それはよく言われます。すいません」

「適当に謝るな!」


 頬を思いっきり殴られた。


「ごめんなさい」


 まあ落ち着こうと、胸ぐらを掴む腕を両手で握って一緒に立ちあがる。彼はひるまずにメラメラとたぎる怒りを俺にぶつけてきた。


「悪いと思っているなら、なぜ私が怒っているのか言ってみろ!」

「わかりません、すみません」

「嘘をつくな! 私を軽蔑しているんだろう!?」

「そうすればいいんですか」

「はあ?」


 ブランチ氏がびくっと震えた。


「そうすれば許していただけるんですか」

「な、何を、君は本気で、私に何も思わないのか」

「疲れてるのかな、と思っています」

「本当に? 少しも? このダンジョンで起きたことを見てきて、さっきの醜い私を見て、君は何もわからないのか?」


 そんな信じられないものを見る目で俺らを見ないでくれ。

 ただの鈍感系だよ、俺ら。


「すみません……」


 彼は汚物を触れた時のようにぱっと手を放して、その場に尻餅をついた。


「……私は君たちが、恐ろしい」

「それもよく言われます」


 俺は服の乱れを直すことに集中しながら答えた。


「化け物を倒し、幼い子供であろうと平気で殴り飛ばし、苦しみ虐げられる人々の姿に眉一つ動かさない。ただ機械のように攻略を目指すのが君たちなのか」

「はい」

「お、教えてくれ。この血と記憶の牢獄で、どうしてそんなに冷静でいられるんだ」


 その手の質問は同業者から頻繁に聞かれることだ。実は今のブランチ氏のような状態は冒険者にはままあることなのだ。涙もろい人は感情移入し過ぎちゃうんだろう。

 返事はいつも決まっている。

 相棒と目を合わせ、彼に視線を戻して同時に口を開く。


「こんなげーむにまじになっちゃってどうするの」


 ブランチ氏はまた目に涙を蓄えてぐずりだしてしまった。


「ゲーム……こんなゲームがあってたまるか……。ただトラウマを見せつけられて、罪を押し付けられて、攻略しても誰も生きてはいない……。ただの徒労じゃないか」


 膝をつき天を仰ぐ彼の気持ちを俺はどうすればいいのだろう。わからない。


「攻略ってそんなものですよ。依頼主は大体役所か不動産関係ですし、謎の魔法で異界になった土地を正常化するのが我々の主な用途です」


 俺の露骨な話題反らしを聞いた依頼人は、本当に傷ついた顔をした。


「どうして……そんなことしか言えないんだ……君は」


 彼は俺をなじり、俺は首を振ることしかできない。


「君になら、わかると思っていたのに……」


 まさか……。

 最後にブランチ氏は、俺たち二人に怒りとあといっぱいの感情をぶつけてきた。


「徒労でしかないのなら、冒険者は、君たちは何のためにここにいるんだ!!」


 依頼人の出した質問クエストは、バカな俺たちには難しすぎた。


「いや、金っしょ」

「帰宅ですかね」


 失敗。


「私は、何の、ために……」



 彼はそれきり動けなくなり、今日はここで宿営した。

 夕餉はソーセージでポトフにしてみたが、今日は『いただきます』も『ごちそうさま』も無かった。


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