11.ラッド「私は、私は依頼人だ!」



 巨大コウモリの股倉にぶら下がるそれはソフトボールぐらいの逸品で、スベスベモチモチしていた。俺が女子中学生のケツと間違えたのも無理はない。無理はないが。

 おまっ、おまっ……なんちゅうもんを……なんちゅうもんを!


「ギイイイイイイイッ!!」


 俺より頭二つ分は高い巨大コウモリは翼と口中の牙を振り乱して喚いた。


 ガリッ


 さっきのお返しとばかりに思いっきり右肩に噛みつく。オリーブドラブのジャケットにザクロ色の水玉模様がついた。


「ふざ、けろ」


 お前のタマは俺が握ってるんだぞ。痛みをこらえて手中のものを潰す。


 ブチュ


 弾ける感触がした。


「ググウウウウウウウ!!!??」


 俺の耳元でくぐもった悲鳴がして頭が割れそうになる。

 コウモリはガクガクと震え、濁ったよだれと鼻汁がドロリと垂れる。それでも俺の肩は離さなかった。

 この頑張り屋さん!


「グォオオオオォォッ」


 コウモリは俺の肉を噛み千切ろうと踏ん張るが、上手く顎の力が入らないらしくいつまでも成功しない。ただ長く太い牙をグリグリと弄されるだけでもこちらには激痛が走る。


「こ、この」


 俺は一層力を込めてコウモリの金玉をねじりあげる。黒い皮膚が裂けてサラサラした液体が手を濡らす。まだ倒れないのか? こっちもさっきからお股がキュンキュンしているのに、小さな手をブンブン振って俺を食いちぎることを諦めない。俺は大きく足を開き、押し倒す勢いで踏み込む。


 ドガッ!


 全力のヘッドバッドをお見舞いしてやった。ところが相手はまだ倒れない。想像以上に固くて鼻から温い感覚がする。

 負けないもん! これは男と男の戦いだ!

 手に魔力を送り、握力を最大にする。視界がかすみ頭もぼーっとして来たが絶対に距離は開けない。


「ググ、グフウウウウウッ!」

「んがあああああっ!」


 ――君のタマを離さない。僕のタマキンごと離してしまう気がするから。


「早く離れろアホ!」

「グッ」


 ぷすっとマリウスのアイスピックがコウモリの右耳に直入され、俺が足で蹴り飛ばすと化け物は静かに地に伏した。


「ギッ」

 バサバサバサバサッ


 また巨大コウモリは分散して消えて行く。クラクラしながら包丁から〈切る〉魔法を放ったが、頭目と想定した少し大きめサイズには当たらず、何匹かコウモリの破片が床に散らばっただけだった。

 俺はぜいぜい息を吐きながらリュックからポーションを取り出す。


「いやー、たまげたなあ。いきなり出てくるからよ」

「ボクはお前にたまげてるわ。なんでタマキン握ってたんだ?」


 ポーションを飲んでから、鼻血を拭い肩の動作を確かめる。全然余裕。

 落ち着いてから辺りを見回すと、一方の壁からキッチンに繋がっていた。


「これさあ」

「うん。あいつはこれのために現れたんじゃないか」


 さっきの洗面所をかえりみれば、あの巨大コウモリの出現は部屋が関連しているのだとは考え得る。

 キッチンにはドアが無く、リビングと洗面所と通じた細長い造りだ。オニババのこだわりかコンロの下のオーブンが大きい。


「うわっ」


 相棒のライトが、食器棚の傍に座り込んでいる人物を捉えた。


「泣いてる」


 オニババ。

 年甲斐もなく床に尻べたをつけて、目と鼻を手で覆ったまま停止している。彼女はエプロンを着ていてコンロには空っぽの鍋が掛かっていた。まな板の上には鶏肉がある。傍にブーケガルニも見えるので献立はポトフだと思った。


「年は顔面小皺値から計算するに、ラッド君が小学生以降じゃねえか?」

「適当言ってら」


 俺の推測を相棒は軽く聞き流し、台所の中を物色する。特に異常は無かった。


「こんなものを見せて何がしたいんだ、ダ、ダンジョンマスターは」

「さあ、それは誰にも」


 ブランチ氏の無意味な問い掛けに俺は答えを持たない。だが彼に限らず、ダンジョンに潜る冒険者も多くはかような取り留めのない疑問に囚われがちだ。もちろん俺も。


「ただ、このイベントはまだ終わっていません。例の血の跡が続いています」

「……」


 彼は何も言わない。


「行きましょうか」


 俺たちは追跡を続行した。



「あの目無しビッグバットが出てくるのはズバリ、ボクらを殺すためだ」


 道の途中、マリウスがまたぞろ喋り出す。バカなことを。


「殺しにこないモンスターなんていねえ」

「まったく、わかってないなー」


 奴はアイスピックの先端を摘まんで回しながら俺を小馬鹿にした。


「モンスターを出した理由だよ、カエル」

「理由?」

「あれらはあの部屋と幻影に近づいたものを消すために配置されているんだ」

「ああー、中身を見られたくないのね。でもよ、その割にはあんま強くねえし、血の跡を残したりライトを盗んで結局行き先を導いたりするのは間抜けすぎねえか?」

「無論、稚拙に見せかけてボクらをどこかに誘き寄せているんだろう」

「それでは、この先には進まない方がいいんじゃないのかね」


 言いながらブランチ氏が歩調を早め、俺とマリウスの間に割り込んできた。


「罠なら進む必要はないのでは?」

「あ、そうとも言えません」

「世の中にはイベント戦闘、というものがあってな。罠にはまって負けないとシナリオが進まないことがあるんだ」


 相棒は大げさに肩をすくめて見せる。

 そのような負けイベントは頻繁にあるので、冒険者には『上手く負ける』技術を専門とした、『噛ませ系』なる業種まで存在しているのだ。


「そんなの無駄じゃないか、どうにか回避できないのかい?」


 目を合わさずに俺を見るブランチ氏の足取りは、確かとは言えない。


「うーん、回避ルートもあるかもしれませんが、探すよりはハマった方が結局速いんですよね」

「それに危ないんだろう? 私も疲れているし危険は避けたいんだ」

「私たちが守ります」


 そこで道が三叉に分かれる。

 血は相変わらずぽつぽつ数十センチごとに垂れていて、これまでの道中からすればいかにあのコウモリが乳児ほどの大きさがあっても失血死は必至の量だった。

 その行く先は三叉の中央、ど真ん中。


「無理をすることはない。それなら今日はここまでにして休んではどうだい?」

「さっきのようにコウモリにちょっかいを出されながらではおちおち眠れません」


 彼は休みたいのだろうが、行程上今日中に消化しておきたい。

 俺たちは足を止めることなく直進する。


「そ、そうかな」

「早く休みたいのなら早く歩いて、この闇とコウモリ共を片付けましょう」


 ブランチ氏はまだ俺たちを説得することにご執心で、よく口を回した。


「君らだって二日間戦い通しじゃないか」

「あ、魔法のアシストで戦っているので結構平気なんですよ、な?」

「うん。体育にグラウンドを五週走る方がまだ疲れる」


 まあ俺たち生命魔術師の定義する魔力とは勢い『生命力』なので、使うたびになんか亡くなった気がするんだが、ご飯をモリモリ食べると回復するので多分平気だ。


「それでも無理に進むことはないと思うんだ」

「いや、体力魔力の管理ぐらい心配されなくても自分でも出来るから」

「バカ。もっと丁寧に喋れ」


 相棒は本当に気配りができないから困る。社会人としての意識に欠けているんだ。

 やっぱり教養がない奴はダメなんだなあ。

 道は数十メートル行くとグネグネと曲がりくねる。コウモリの血の径路は最短距離に近しく、なるべくその跡を踏むように俺たちは歩く。


「しかしだよ、オウチ君だって怪我をしたばかりだし」

「あ、あんなの怪我の内にも入りませんよ」

「しかし慣らしもせずに戦ったら不安が残るじゃないか」

「お変なことを言わないでくれ、お依頼人。お前で切った貼ったするのはボクだ」

「あのね、マーくん。『お』を付ければ丁寧になるわけじゃねえから。それじゃブランチさんで戦うみてーだぞ」


 道がだんだん太く広がっていく。曲りもどんどんエグくなり、果ては杳として知れない。


「実は……悪い予感がするんだ」

「え、私はしませんが」


 彼はまだ食い下がる。 俺と相棒の中間で、どちらにも見えるよう大きな身振りが目の端でちらつく。


「お願いだ、少しでいいから止まってほしい」

「ダメだ。少しでもシナリオを進めてボクの予想があっているか知っておきたい」

「予想?」


 グイッと左に曲がると道が真っ直ぐになる。相棒のライトの光で照らしきれない長い直線だ。


「だから、次は誰のどんな悪事が披露されるのかってこと」

「もうよしてくれ、その話は!」


 ブランチ氏は足を更に速めて相手をマリウスに絞り、奴の隣まで進む。


「なぜ? 間違っているのなら教えてくれ」

「レポリッドさんは言ってて恥ずかしくならないのか?」

「ならない。ボクが造ったわけじゃないし」


 カッと依頼人の靴が鳴り、彼は立ち止まった。


「今そんな話はしていないだろう!」

「まあまあ、そう怒らずとも、行けばおのずとわかりますから」


 相棒は取り合わずのしのし行くので、俺は宥めながらも先に進むよう促す。


「アイツもバカ言ってますが、有り得ないことでもないです」

「だからそういう問題じゃ……私は依頼人だぞ!」


 さすがに二三歩置いていくと彼も着いてきた。


「その通りです」

「だったらどうして、私の前でこんなことを!」


 追いかけてきた彼は烈々としていて少し怖い。俺も相棒もペースを速める。せっつかれつるように突き進む。


「えーと、『こんなこと』の意味がわかりません」

「とにかく、家で悪かったのは母さんであって父さんでも誰でも無い。それからこの先に進むのはいったん止めろ! 私は、私は依頼人だ!」


 カツカツと迫る足音を聞きながら言い訳を考えるのは骨が折れる。


「そう言われましても」


 俺が返答に詰まると、マリウスがふんと鼻を鳴らした。


「だから、なんで?」


 聞くなりブランチ氏は赫怒の炎を爆発させる。


「私は、何も、悪くない!」

『お兄ちゃん』


 鈴のような声が道の果てから聞こえたのは、まさにその瞬間だった。


「あ」


 キイーーーーーーーーーーーーーーッ!!


 天井のコウモリが一斉にわななく。急いでブランチ氏を抑え、共に身を屈めた。

 大劇場のカーテンコールに似た、万雷の羽ばたきが辺りを埋め尽くす。


「わああああっ」

 バサバサバサバサバサバサバサバサバサバサバサバサバサバサバサバサ……

 バサバサバサバサバサバサバサバサバサバサバサバサバサバサバサバサ……


 ブランチ氏はジタバタ暴れるが、コウモリは俺たちを構うことなく道の果てへと飛んでいった。豪雨の後の大河のごとき灰がかった黒い奔流が体の上を流れる。

 それは数分続き、最後の一匹がキイキイ吠えながら消えた。


「行こうか」


 恐らくこの先に第四階層の全てのコウモリが集合していた。

 相棒が立ち上がり、俺は氏の腕を掴んで無理やり続く。

 ほんの十歩で俺たちはそこに辿り着いた。



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