10.マリウス「(赤面) バカっ、どこ触ってんだ!」



 ブランチ氏を連れて戻ると、ボス部屋の壁に第四階層通常フィールドへのドアが出現していた。第四階層のデザインはデフォルトデザインのブランチ家の漆喰の壁とフローリング。ただし、蛍光灯が消えていて真っ暗だ。

 懐中電灯は二つ持ってきた。一つは相棒、もう一つは依頼人に持たせる。


「停電か?」


 壁を見回してもスイッチは見つけられず、常闇が行く果てまで充満中だ。


「ブレーカーは洗面所だったか、うおっと」


 相棒はライトを逆に持ち替え、持ち手で飛んできたコウモリをはたき落とした。

 相棒のは、洋画の警備員が持っているような柄の長くて警棒代わりになるタイプ。地面でぴくぴくしているコウモリの牙は十センチ大。吸血コウモリだ。


 キイ! キイ!


 マリウスが天井を照らすと目玉の無いコウモリたちがびっしりぶら下がっている。

 しかし、それらはただ俺たちを憎々しげに首を向けるだけだった。

 先ほどの一匹はただ位置取りを変えようとしていただけらしい。


「襲って、こない?」

「来るんだったら灯りをつけた時じゃねえの」


 さしあたっての目標もできたのでトコトコと歩きはじめることにした。

 モンスターが出ない、〈BGM〉の挿入もない、何度曲っても暗いだけの迷路。

 だが、たくさんのコウモリどものせいで生命の知覚の精度が下がっている。そのため、神経を尖らせて探索しなければならない。俺には他にも考えるべき大事なことがあり、かえって集中力を使う時間になってしまった。

 そのうち、張りつめた空気に飽きたのかブランチ氏が口をきいてくる。


「おかしい」

「何が?」

「私にはこの家で停電があった記憶がないんだ」


 足を止めずに気配だけでブランチ氏の表情を想像する。声に張りが無いし、疲れていることは請け合いだ。

 適度な会話は疲れを紛らわせる。速度を落とし積極的に話すことにしよう。


「あ、いやーブランチさんが居なかったときのことかもしれないですし、そもそも停電ではない可能性も有り得ます。ブレーカーはとりあえず探しているだけなんです」

「その停電じゃない可能性っていうのは?」

「あ、そうですね、別の何かを表現しようとしているとか、」

「安直に考えれば心の闇とかだな」


 相棒が口を挟んできた。どうやら飽きたのはブランチ氏だけではなかったらしい。


「このダンジョンの製作者は無能だからそれぐらいはやりかねない」

「無能って」

「シナリオだよ、依頼人」


 相棒は腕を組んで頭を良く見せようとしている。与太話を披露しようとしている。


「やると思ったんだ。悪い母が子供を虐げるという一方的な構図を崩して、今度は父親の非を糾弾し始める。なんの新鮮さもないつまらん展開だ。これならまだ母親をサイコパスに仕立てあげてホラー路線にでもした方がよかった。

 な、脚本は唾棄すべき無能さだろ?

 ボクにはもうエンディングまでの流れが見える。こっから先は本当につまらんぞ」

「どういうことだい?」

「あの、ブランチさん。そいつの言うことを真に受けちゃいけませんよ」


 相棒の口調にわずかな苛立ちが混じっていることを俺は気付いていた。

 シナリオ厨の悪い癖が出るぞ。


「つまりダンジョンマスターは『母親だけが悪いんじゃなく、父親にだって責任はある。家という舞台では必ずしも完全な悪役は存在しないし、誰もが悪役になりうる』って言いたいんだろ。浅いメッセージだ。

 胸糞悪い問題提起だけして答えは自分で考えてねって投げっぱなしの最低なシナリオさ! ラノベ作家志望の中学生が考えたみたいなバカな話だよ」

「でもお前中学行ってねえじゃん」

「黙れ小卒」


 マリウスは不登校児のくせに現在中三である。中一の半ばで異世界トリップした俺をバカにしているところがある。口惜しいが言い返せない。正直中退してほしい。


「レポリッドさんは。 ……このあと私の両親や妹がどうなると思う?」

「それは最初からわかりきってることじゃないか。ここの生存者はゼロなんだ。

 ダンジョン化さえしなければわりと派手な事件として報道されたろうな」

「では……」


 氏が口ごもると二の句を継ぐのにもたつき、相棒はなげやりに言い放った。


「ある日暴れん坊の母親がやりすぎて娘を殺害。んで、あの外面に命賭けてる親父が発狂して無理心中、ってところじゃないの」

「アバンタイトル覚えてる? ミリーたんは自殺だけど」

「じゃあ逆かな、娘が母親を殺して親父が自殺、娘も後追い。これでいいか?」


 依頼人の懐中電灯でほのかに見えるマリウスは髪の横の方を指でねじっている。冷静さを欠いているときの仕草だ。

 自分の気に入らないルートに入るとすぐこれだ。まったく、ガキなんだから。

 俺がたしなめる文句を言う前にブランチ氏が食って掛かった。


「その言い方はやめてくれないか」

「じゃあどう言えばいいんだろう?」


 二人は俺を置き去りにして会話に熱中しだす。

 お互いの考えがあるのはわかるんだが今は探索中だ。落ち着いてほしいが、俺も重大な懸念事項があるため二人を止める方法まで頭が追いつかない。


「父さんは責任感が強い人で、だから仕事と家庭に押し潰されてしまっただけで、」

「依頼人、貴方はまたダンジョンと自分の家を混同している。これは作り物なんだ」

「してないさ。本当の父さんは私たちのことを考えてくれる優しい人だった。あんなことしたとしても相応の理由付けがあるべきだ」


 ブランチ氏の足音が急に大きくなった。


 ……いつだ?


「でも依頼人、昨日のテーブルのミニゲーム後のムービーを思い出してほしい」

「父さんが私たちを抱きかかえて泣いていた時の?」

「いいや」


 マリウスは言葉を切って、溜めの時間を作る。


 くっ、わからない。一体……いつ……。


「目に涙がなかった。嘘泣きだよ、あれ」

「なっ」


 いつ俺は相棒のケツに触れて『バカっ、どこ触ってんのよ』されればいい!?


「本人がどうだったかは知らんが、ここでの役どころは差し詰めブリっ子おじさんだ」


 暗闇の中ではお約束のイベントだ、すなわち義務である。タイミングを計っていたところに二人がぺちゃくちゃお喋りを始めたせいで、相棒が背後に注意を払うようになってしまった。

 『いや懐中電灯を使った時点でもう成立しないから』と思う向きもあるだろう。

 しかし、現在天井のコウモリたちのお陰で奴の生命探知能力もまた鈍っている。尋常の相棒と暗闇なら不可能なことができる千載一遇のチャンスなのだ。シチュエーション的にはイタいが多少のマイナス要素は受け入れねばならない。

 俺は異世界トリッパー。『テンプレ』と『お約束』がアイデンティテイー。

 前衛兼斥候的な役割を果たしている相棒との距離は縮めに縮めて現在一メートルほど、普段の半分以下だ。魔法で運動能力を上げれば一瞬で奴の青い尻を握りしめられる。

 呼吸は乱れてないだろうか? 歩調は?

 感づかれるな、平常を装わなければならない。一瞬が永遠に感じられる。

 耐えろ、耐えろ。後ろでブランチ氏の怒気が膨らむのがわかる、もうすぐ……。


「嘘だっ!!」


 彼の大声に相棒の足が止まる。今!


「近いんだけど」

「あ……悪い」


 傍には立てたがその時には相棒が俺を見上げていた。すごすごと引き下がった。

 相棒はブランチ氏の紅潮したかんばせを暫時見つめてから俺に問う。


「ところでカエル」

「水のことか?」


 直前から魔法を使って限界まで耳の性能を上げると流れる水の音が聞こえていた。相棒も一応役目を果たしていたらしい。

 ジャー……、とそれなりの水量。シャワーの音だと思われる。


「風呂は洗面所と繋がってた」

「音の方に行くんだからな。マリウス君、ちゃあんとお口にチャックするんだよ」

「やかましい」


 頼りは音だけなのでさすがにお喋りもお約束も中止だ。



 俺たちが耳を澄ませて二度ほど角を曲がると、行き止まりに洗面所のドアがあった。開放されていて、中は丸見えだった。


「父さん……?」


 依頼人に照らされるまでぬば玉の洗面所で立っていたのはご存知ブランチチだ。

 スーツの上を脱いで脇に抱え、ネクタイを緩めた仕事帰り風。

 風呂場の戸を半分開けて向こうを覗く格好で静止している。これは幻影だ。こちらからは横向きで、風呂場は見えないが、彼はなんだかあったかくて好感の持てる表情をしているのでさぞかし良いものが見えるんだろう。


「カエルみたいな気味悪いツラをしているな」


 マリウスとブランチ氏は中に入ると、ひかれるようにブランチチの傍に行った。ならば、俺は分電盤の方に行き、暗がりに目を凝らした。


「あれ、ブレーカー落ちてねえや」


 停電の線は消えたと思っていいだろう。だとすると……ん?


「おーい、聞いてた?」


 相棒からの返事がなかったので、そちらを見ると二人とも風呂場の前で固まっていた。


「なになに?」


 広くもない室内のドアの前に四人が密集するのは難儀した。だが、脱衣籠の中身から俺はかなり期待が持てる。

 わくわくしながら身を押し込むとマリウスの頭に顎を乗せた。(ちなみに上からブランチ氏、ブランチチ、俺、マリウスの順で、相棒は膝をついている)


「ああー」


 これは良い。


「キモッ。息掛かるから呼吸すんなマジで」


 珍しく相棒からわりと女子中学生っぽい辛辣な言葉が聞こえたが気にしない。

 シャワーを浴びていたのはミリーだった。

 こちらに背を向けマネキンのように美しいポーズをとったままお湯を浴び続けている。年のころは中学に上がったかどうかぐらいのまだあどけない時期だが、腕や足には青黒い痣が浮かびその健やかさを損なっていた。

 ブランチ氏は父親と妹を見ながら愕然としている。


「何故、父さんはミリーを見て……こんな顔を?」

「まっ、あれですね。ブランチさんの妹さんはお母さまに似てらっしゃいますし、お父さまは不幸フェチなんでしょう」

「これもデタラメだ。父さんはこんな人じゃない!」

「ならダンジョンマスターの嗜好が反映されているんですよ。光源氏の昔から男の子とは可哀想な女の子が好きなもんで――」


 突如、側面から殺気が沸き起こった。

 俺はすぐに包丁を逆手に抜き、袈裟懸けに振り上げる。


 ブシュッ

「ギイイッ!!」


 間一髪。モンスターは上顎から右目にかけて血を噴き出し、悲鳴を上げた。

 その大人ほどもある巨大目無しコウモリは、洗面所の入り口から首を突っ込み、俺の頭を丸かじりにしようとしていたのだ。


「くっせえっ!」


 包丁の血をジーンズになすりつけながら、悪態をつく。

 何故ここまで接近を許してしまったのか? その答えはすぐにわかった。


「ギイ!」


 首を戻した化け物は一度体を震わせると数百匹の小コウモリに分かれて飛び散る。


「キングス〇イム?」


 群体だったのだ。

 一つ一つの生命として独立したまま合体という処理であの巨大コウモリになる。魔法の範囲内の生命の総数自体は変わらないため、俺たちの認知も遅れたというわけだ。しかも前兆も音も無く合体するのだから性質が悪い。


「カエル、あそこ!」


 相棒が指差した先には小コウモリに紛れる赤ん坊サイズのコウモリがいた。

 見た感じ重要な役割を担ってそうだ。されど、やんぬるかな。あっという間に射程外に出てしまった。

 ただ、俺が与えた傷が残っているのか、イベントの都合上か、そのコウモリの飛んで行く方には血の滴が点々と連なっていた。

 攻防はそれでおわり。天井に貼りつくコウモリたちが襲ってくることもないし、幻影たちが動くこともなかった。


「何だったんだ今の?」


 そう言いながら風呂場の戸に戻ろうとしたら、相棒に襟首を引っ掴まれる。


「知らんが、フラグは立った。あのコウモリを追いかけよう」



 血の跡を追い始めると、マリウスとブランチ氏の口論は再開された。


「停電じゃないとしたらこの闇の意味を考えなくちゃならないな、うん」

「またそれか」


 はあー。うんざりするような溜め息がブランチ氏から放たれる。


「謎解きならまだしもいちいち先の展開を予想するのは不毛だと思わないのかい?」


 彼の口調が刺々しいのは深い疲労のせいだろうか。


「耳に痛いことかもしれないけど、君たちの言っていることはほとんど的外れだし、ダンジョン内の情報だけではわからないこともたくさんあるだろう? 無意味なだけだよ」

「それでも考えなければなけない。これがボクらのダンジョン攻略のやり方なんだ」

「意地を張らないでくれ、正直聞いてて不愉快なんだ」

「申し訳ないがそれはできない」


 天井にチカチカとライトを向けてコウモリども眩ませてから、相棒は話を続けた。


「貴方に対峙すべき過去があるように、ボクらにも退治すべきラスボスがいるのだから」


 ゲームに詳しくない様子のブランチ氏はきょとんとする。


「ラスボス?」

「その家の苦悩や悲しみの中心、核。これを破壊しないとダンジョンは終わらない」

「それは、化け物に変わった母さんか、もしかして父さんがなるのか?」

「いや、必ずしも〈NPC〉がボスになるとは限らない。前に攻略した貧困に関するダンジョンでは金の概念そのものがラスボスだった」


 ちなみにカ〇ゴンで、すげえ強かった。


「ボクは始まりとそして、終わりのあるプロットでダンジョンを理解する。理解できなければ終わりを迎えることができない」

「意味がわからないよ」

「ラスボスが誰なのか何なのかわからないと倒せないということだ。正体、あるいは本質がつかめない戦闘のときは必ず痛い目を見てきた」


 これは本当のこと。このぐらいのダンジョンでも真剣に取り組まないといけない。

 萌え豚の俺としてはキャラとシチュエーションの分析から同様の結果を得ようとしているが相棒より的中率が低い。


「でもそれだったら問題の中心は母さんだ! 父さんの話はもういいだろう」

「父親が好きなのはわかるがキャラに固執するのはそこの萌え豚と同じだよ依頼人」


 T字路に出る。血は右に曲がる。


「オウチ君と一緒にしないでくれ」

「ひどいです」


 と、落ち込むふりをしながら鋭角に曲がり、またずいっとにじり寄る。

 俺はまだケツのこと諦めてないからな。


「もしブリっ子おじさんがブリってないというのなら根拠を示してもらおう」

「それは、だから、私の思い出と違うから……」

「それじゃ根拠にならないよ。ダンジョン内で起きたことだけで説明して」


 後ろでグッと唾を呑む音がした。宿題を忘れた生徒が叱られる姿が頭に浮かぶ。

 マリウスは天井のコウモリを胡乱げに仰ぎ、独り言のように呟く。


「そもそも貴方はどうしてそこまで父親をかたくなに擁護するんだ?」


 これに対して氏の返答はうわずって大層早口になった。


「本当の父さんは優しくて、おそろしい母から私たちを守ってくれる人だった」

「でも、その関係はもうここじゃ通用しない。悪者は母親だけじゃない」

「それはもう聞いたよ! 何が言いたいんだ君は」


 マリウスはくたっと首を傾げる。


「ボクにもわからない。だから、もっと詳しく教えて」

「記憶の中の父親と違いすぎるんだ。幾らダンジョンが悪意にまみれているとはいえ、こんなに露骨に変えられたら違和感を持つのは当然だろう? この後のシーンで本当の理由が明かされるかもしれない。だから父さんが悪いと言うのは時期尚早だ」

「ふーん。つまり悪いのは」

「母さんに決まってるだろ!」

「ふーん。でも、」


 角に来た。コーナリングで差をつけ、やっと一メートルの位置に戻れた。

 二人とも興奮たかぶる一方だが好都合だ。


「実際それじゃ行き詰まりだよ。ただ子供らが殴られてるのをひたすら見せられても飽きちゃうもん。新しい展開が無くちゃおかしい」

「俺は別にそれでもいいけど」

「黙ってろ変態」

「なんだ君は! 突然口を開いたと思ったら、ふざけないでくれ」

「すみません……」


 マジでへこむ。

 が、お辞儀の振りして俺はまた奴の背後に立つことに成功した。

 ここぞとばかりに俺は相棒に手を伸ばす!


「いや待てよ、わかった! ……近いんだけど」

「あ、悪い」


 またも振り向いた相棒は俺を脇に除けると、ブランチ氏に閃いたときのホクホク顔を見せる。


「父親の醜い本性だけであと二階層も持つんだろうか?」


 一方額に汗を浮かべた彼はギラギラと眼光を鋭くしている。


「何が、言いたい?」

「つまり『誰が悪い』のか、ということ自体がこの先のメインじゃないかって話さ」


 あー。よく考えたねお嬢ちゃん。


「真の悪者は、頭の足りないバカ女か、ブリっ子クソ男か、それとも……」


 そこで奴は敢えて言葉を止める。渇いた唇を赤い舌がチロリと這った。


「いいから早く進めやバカクソガキ、探索中だぞ」


 相棒は『ボクのかんがえたさいきょうのてんかい』にご満悦だが、こんな何でもないところに立ち往生しても仕方ない。

 しかも依頼人は依頼人で与太話に真剣になってるし、真面目なのは俺一人だよ。


「それとも!? まさか君は……子供にも非があると……?」

「ダンジョンマスターならやりかねない」

「ふざけるな! 認めないぞ、そんなこと!」


 ブランチ氏が懐中電灯をうっちゃり、相棒に掴み掛る。


「そうだ。貴方は認めてはいけない」

「だったら口に出すのは止めろ! 聞きたくもない」


 だぶだぶのパーカーが絞られ、マリウスの小さい身体が引き上げられる。

 俺は揉み手をしながらブランチさんに近寄った。


「まあまあ落ち着いてください。ブランチさんも疲れてるのでしょうが、今日はあのコウモリのイベントを片付けたら休みましょう。それでどうか御堪忍ください」

「そうじゃない! 君もわからないのか!?」

「まあまあー」


 元から話聞いてないしな!

 相棒も彼を不思議そうに観察しながら、懐中電灯を床に落とす。からんと転がる。


「もういい?」


 その小さい手で、壊さないようにゆっくりと彼の指を外して地面に下りた。

 ブランチ氏の手には赤く相棒の指の跡が残った。


「ぐうっ……」

「あとちょっとですからね、我慢してください」


 涙をにじませる彼をなだめて、彼に渡していた懐中電灯を拾いに行く。

 無い。


「あちゃー」

「キイー!」


 横から相棒とコウモリの声が響く。

 起き上がって見ると、相棒の柄の長いライトが二匹のコウモリの足に摘ままれて飛び去るところだった。

 コウモリどもが遠ざかり直近の角を曲がると、すぐに真っ暗になった。


「取り戻すぞ!」


 相棒が走り出す。俺たちも続く。ブランチ氏の体力は多少不安だが、怒りのせいか黙々とついてくる。直近の角を曲がりもう一つ曲がると、唐突にピンときた。

 これ『バカっ、どこ触ってんのよ!』の大チャンスじゃん!

 暗がりに乗じて俺は相棒と距離を縮める。時間をかけてじりじりと。

 そして、長い直進通路を走駆することニ分十四秒。運命の時が訪れた。


「あっ!?」


 前方数十メートルで電灯泥棒どもの気配が止まる。相棒は徐々に速度を落としていき、その停止した地点で立ち止まった。

 ここだあああああああああああっ!!


「わあっ、きゅうに、とまるなよおっ」

 ムニュッ


 俺の手に柔らかく弾力のある感触が伝わる。コンニャクに近いだろうか。十四歳の貧相な尻にしては極上の仕上がりだ。カーゴパンツ越しの滑らかさがまた格別だ。布地がいいのかな? ぐにぐにぐにと指を動かす。なんて心地が良いんだ!

 俺の指はまるでイソギンチャク、マリウスの尻はまるで海……。

 最高だ。もう思い残すことはない。


「あった」


 後ろの方でマリウスの声がした。

 後ろ?

 驚いて振り向くと、カチッとライトが点灯し、斜め右から光が俺を包む。

 まばたきしてから光の方を見ると、相棒とブランチ氏が立っていた。

 二人は目を真ん丸にしてこちらを凝視している。


「な、なんだよ」


 しかし、答えはない。

 猛烈に嫌な予感がして俺は二人の視線の先、つまり俺の背後を確認して納得する。

 運動のせいか頬を赤らめた相棒が叫ぶ。


「バカっ、どこ触ってんだ!」


 俺が握っていたのは巨大コウモリの金玉だった。



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