6. 母「ケエエエエエエエエエエエエエエエッ!!」
公園から元の広間に戻ると、オニババが俺たちから見て対岸、入り口の扉の前で待ち構えていた。チェックのエプロンを身に纏うごく普通の主婦だ。
腕を組み仁王立ちする彼女は、瞳はカッと見開くと大音声で鳴いた。
「ケエエエエエエエエエエエエエエエッ!!」
一瞬音波攻撃を疑うほどの高音を皮切りに、爆音でメタル調のボス戦〈BGM〉がスタート。目の前でオニババがメキメキバキバキと音を立てて変貌していく。
筋肉は膨れ上がり、骨が飛び出して伸長し、足先から鋭く大きいカギ爪が現れ床材にガツンと刺さった。彼女が身もだえするたび白銀の羽毛が散って、雪のように降り積もる。
「トリだ」
相棒の言うよう、その化け物はハーピーだった。身の丈は二メートルほど。コウモリの体を鳥っぽくしたフォルムで頭だけ人間。ここではオニババの顔になっている。余談だが剥き出しになった胸部はかなりの美乳だ。
「ああー、『恋は野の鳥』ってこういうこと?」
「まだ言って……ああうん、カエルの毒電波もバカにならんなー」
当然マリウスは俺のことを褒めているのではない。俺のことを不思議ちゃんだと思っている。
「ブランチさん。すぐ終わらせますんで、ちょっとお待ちください」
「で、でもボスというからには強敵なんじゃ」
「強さと戦闘時間は必ずしも比例するものではありません。適性ランクのダンジョンでも案外さらっと終わるものですよ」
「んじゃ、ボクとりあえず行ってくる」
マリウスが駆け出す。攻略ヒントが無い以上、相手のやり方は直接確かめるしかない。ハーピーとの距離は五十メートルくらい。迫るマリウスにハーピーは飛ぶこともなく翼を固く閉じたまま応じる。
「ケエエエエエッ!」
マリウスが五メートルほどに近づくと、鋭い叫びとともに両翼が開かれた。すると、ホウセンカが弾けるように無数の羽が打ち出される。
「うらあっ」
放たれた羽は高速だが、魔術で強化された俺たちに見切れないわけではない。相棒は身を低めビニール傘で振り払った。そのまま鼠のようにハーピーの懐に潜り込み、移植ゴテを羽毛の無い滑らかな脾腹に押し込もうとする。
ガキンッ
が、返ってきたのは硬質な音だった。ハーピーの下腹はわずかに赤くなっただけで、移植ゴテは半ばまでひしゃげた。
「なっ」
近くのホームセンターで買ったとはいえ、連戦でかなりくたびれていたとはいえ、移植ゴテは柄まで鉄造りの頑丈なものだ。たとえ一般人が刺したとしても人肌で傷つかないはずはない。伝承では聞いたこともないこの超防御力。
畜生、初見殺しか。
「ブランチさん、絶対にそこから動かないでください」
「えっ、ああ」
依頼人にそう言い残し、俺は援護の為に走り出す。相棒は今死地にいる。
にんまりと目で笑うハーピーが、眼下の人間を啄もうと大口を開けていた。
「ケエエエエエエエ!」
「ヤバッ」
慌てるマリウスは咄嗟に膝を曲げて噛みつきを回避した。
すぐに開脚後転を初める。一瞬後、元いた場所を蹴り上げられたカギ爪が切り裂いた。
自然、次にはカギ爪は振り降ろされる。相棒は後転を半ばで中止。勢いを反転させて跳ね起き、足と入れ違いにハーピーに抱きつけるほど身を寄せる。
だが、いくら接近したところで打つ手はない。マリウスは素早く身を翻し逃げ出そうとした。しかし、
バサリ
「うおっ」
翼が閉じられ退路が塞がれる。片方でも二メートルはあろうかという長大さ、そして一本一本がナイフのように鋭く硬化させられる分厚い防壁だ。
「ピャー! カエルゥ!」
翼の向こうからパ二クった奇声が聞こえたころ、ようやく俺の〈切る〉魔法の射程にハーピーが入った。
現在俺が一度に出せる魔力刃の数は五つ、全てハーピーの顔面と羽に放つ。
ガガガガガと耳が痛くなるような甲高い音が立て続けに鳴り響いたが、直撃しても多少ひるませる位の効果しかなかった。〈切る〉魔法は、包丁で切れなそうなものは基本切れない。
「あひいいいぃぃ」
だがダメージを与えられずともそのひるんだ隙は、マリウスが這いずって逃げ出すには十分な時間だった。追撃を加えようとするハーピーには魔法で牽制して撤退を支援する。相棒はパーカーのフードに傘の柄を引っ掛けて触覚のように振り乱しながら、シャカシャカ這ってくる。それはもう速い。
「お前ゴキブリみてえだな」
「う、うるさい死ね!」
俺の援護を受けながら、たちまちこちらにやってきた相棒はすぐに気合を取り戻して立ちあがる。そのまま玄関のドアまで後退し、いったん形勢を立て直す。
その間にハーピーは両翼をたわめ、飛翔を開始した。広間の天井は高く、ゆうに十メートルはあるだろう。接近し、上から俺たちに羽を放とうとする。
「オラッ!」
バキンッ
マリウスと二人掛かりで玄関のドアの蝶番を破壊し、壁から引っこ抜く。三人で入るととても窮屈だが、床に下ろして急ごしらえの盾とした。カンカンカンと、数十秒ほど小気味よく羽が跳ね返る音がして、ハーピーは諦めて上空を旋回し始めた。
「オウチ君、こ、攻撃がまるで通じていないみたいだけど。母さ、あの化け物は鋼鉄みたいに硬いじゃないか」
しゃがみ込んで頭を抱えるブランチ氏が恐る恐る俺にたずねる。
「あ、そうですね。私たちも同じ見解です」
「すぐ終わらせるんじゃなかったのかい。君らはまともな武器は持ってないんだろう!?」
また真っ青になったブランチ氏は口角泡を飛ばしながら俺にすがってきた。俺は丁寧に氏の手をはねのけながら彼を落ち着かせる言葉を考える。
「逆に考えるんです。あのハーピーは確かに鋼鉄みたいに硬いですが、逆に言えば鋼鉄ぐらいの硬さでしかありません」
ドアをマリウスに任せ、俺は背負っていたリュックを降ろして次の武器を探す。
「やりようはいくらでもありますよ。 ……ただ問題は、どうやってあの高さにいる敵に当てりゃいいかな」
作戦会議をしながらも警戒は怠らない。中ボスのAIが何処まで賢いのかわからないから、何時までもこうしてはいられない。
「俺らじゃ助走つけても十メートルは届かねえ。ここは物が無いから足場もつくれん」
「いやあるだろ、足場」
相棒が指差したのは俺だった。
「ああー」
納得した俺は、マリウスに用意した武器を渡して、代わってドアを持ち直す。
「右側に出るぞ、カタを付けよう」
「おう、すぐ終わらせっぞ」
マリウスはベルトの背中側にそれを押し込み、息を軽く吐いた。
「ブランチさん、よーいドン、で私たちは走り出すので、ドアを代わりに持ってください。よーいドン」
「うえっ!?」
後ろでゴンという鈍い音を聞きながらも俺たちは疾駆を開始する。
二人で向かって右の壁の傍を併走する。無数の羽が放たれるが、離れていては動体にはそうそう当らない。
「ケエェッ!」
痺れを切らしたトリ公はカギ爪を怒らせ近寄ってくる。アホが。
「そら!」
俺はマリウスに少し先行してから膝に手を付いて静止する。マリウスは俺の背中から駆け上り、壁を経由して三角飛びを成功させた。
「うおっ」
「ケエッ」
相棒は首尾よくハーピーの左翼に傘の柄を引っ掛けた。少しの間プラプラと揺れていたが、ハーピーが振り落とそうとする前にその美乳(Dはある)を掴み、ギリギリと握りながら身体をよじ登っていく。相棒は目にも止まらぬ速さで、ついに背中に足を回し肩に股ぐらを乗せた。
「登頂」
マリウスはぐっとハーピーの頭に腕を回す。それから、ベルトにねじ込んだ武器、電気ドリルを引き抜き、先端をオニババの額に押し当てた。
トリガーを引く。
チュイイイイイイイイン……
「ゲッゲッゲゲッゲッ」
鉄工用・溝長八十ミリ・刃径十ミリの鉄の棒が分速千回転で根元まで侵入する。
生きながら脳みそを掻き混ぜられるのってどんな感じなんだろうか?
ハーピーは風の制御力を失い、地面にゆっくりと落下していく。
「ゲゲッ…ゲ……ダッダダッダズゲ……」
結局、ファンファーレが鳴るまでに三つ穴が開いた。
「これでもう母は出てこないんだろうか」
ボス戦後、玄関のドアがあったところの先が第三階層への階段と繋がった。その階段を降るときにブランチ氏がぽつりと呟いた。
「あ、それはないです」
「どうして?」
「我々は霊魂については専門ではないので断言はしかねますが、あの中ボスにはモデルとなった人間の魂が入っていない感じでした。
通例ですと、魂入りのに比べ、魂のない魔術的生命現象は人間らしさも弱ければ能力も低く設定されがちです。魂入りはそれこそラスボス戦みたいにここぞという場で使われるものということですね」
「ああそう」
「シナリオ的にも今のは顔見せみたいなもんでしょう。何らかの形で再戦するでしょうし、ムービーにも普通に出てきますよ」
「やっぱりか。……君、自分の得意分野になるとよく喋るよね……」
「あ、え、そ、そうですか? ……あの、鼻はまだ痛みます?」
「ううん、もう血はだいたい止まっているから」
先の戦いで唯一の負傷者はブランチ氏だ。降りかかるドアに鼻をぶつけて今は両穴にボッチが入っている。申し訳ないことをしたと思っているが、笑ってしまいそうで気まずい。
「あ、あー、ポーション使いますぅ?」
「いらないよ、高いんだろう」
「お、早速ババアが出たぞー」
そんな俺の気苦労も知らず、マリウスはアホ面で階段の行く果てを指差す。次の部屋ではムービーがもう始まっていた。
『どっちがやったの!?』
『だから僕だよ、母さん』
そこは玄関から入ってすぐの廊下。リビング、トイレと夫婦の寝室を繋いでいる。
鬼・兄・妹の三人の幻。フローリングには半壊した磁器の花瓶。確か、靴箱の上にあったものだ。
『嘘つくなっ!』
刻限は夜だろうか、パジャマ姿のオニババの金切り声。ミリーの手や靴下は水で濡れている。ラッドボーイがぐずるミリーを背に隠す。
『違うよ。僕がミリーと追いかけっこしてたら引っ掛けちゃって、ミリーに花瓶の水が掛かっちゃっただけだから……』
『この!』
『ひっ』
オニババの手が閃き、ラッドの背後のミリーを捕えようとする。
いつものように成功するかと思われたが、意外にもラッドはその手をはたく。
『止めてよ母さん!』
『ラッド』
歯を食いしばって強がる少年を前にオニババは唖然とした。血走った眼がぷるぷる震え、少しの間口をわななかせた。
『ラッド、ラッド、どうしてそいつを庇うの!?』
『か、庇ってない』
『……そう』
オニババは伏し目がちに気の抜けた言葉をつぶやき、次に顔を上げると思いっきり怒鳴ってラッドの頬を張った。
『物を壊しといてその態度は何!?』
『ご、ごめんなさい』
『この花瓶は五万はするのよ。弁償してよ』
『えっ』
『まさか、謝るだけで許してもらえるとでも思ってるの?』
思わぬ親子間での罰金刑にたじろぐラッド君。小学生の時分で五万は想像もつかない大金だ。
『弁償できないなら、どうするの?』
『えと、うーん』
返答に窮し、じわじわ涙目になるラッド君に、オニババは意地悪い笑みを浮かべて「早く早く」と急かす。この時間は何とたっぷり二十分は続いた。彼が泣き声をこらえてえずくようになってようやくオニババは勝利宣言を挙げた。
『答えられないのなら、そこでいつまでもそうしてなさい!』
こうして理不尽な指令だけを残し彼女は寝室に戻り、それきり兄妹は立ち尽くすばかりでフリーズしてしまった。
「ダメだ。どのドアも開かない」
相棒がガチャガチャ寝室のドアノブを回してもビクともしない。多分ドアを壊しても次の部屋には進めないな。ふーむ。
「鍵は花瓶だな」
口火を切ったのはやはり相棒。だが今回は俺も同様の結論に至っていた。
「そうだな。これはパズルのミニゲームだ。この半分砕けた花瓶を復元することでイベントが進行する」
「違うよ。何言ってんだ、逆だ」
「逆?」
訝しむ俺に、マリウスは中分け前髪を人差し指でサラリと巡らせ、快活に喋り出した。
「わかってないな! 今回初めて子ども側の反抗が確認された。前の公園のムービーと合わせて考えれば、これはシナリオ上、新しい段階へのターニングポイントだろう。ならばこの花瓶はこの家を表した比喩ととるべきだ。
覆水は盆に返らず、車は急に止まれない……。つまり、これから破滅に向かうブランチ家を予兆するものとして花瓶は砕かれるべきなんだ!」
ビシッと花瓶を指差すマリウスは、一ミリも自分が正しいと疑わない。その強い自信はうらやむばかりだが、俺にも言い分はある。
「わかってねえのはオメエの方だ」
「なにい」
「こんなに可愛くてケナゲな兄妹がそんな過激なことするワケがねえ。むしろここはミリーたんとラッド君がいじらしく花瓶の復元を試みることで、純真無垢に依存を深めていく二人と、対照となるオニババの冷酷さを印象付けるシーンになるんだよ!」
「たん!? リアルで女の子にたん付けするヤツとかボク初めて見たぞ、キンモー! ていうか萌え豚キサマ、まだ近親相姦がどうとか言うつもりか!?」
相棒が肩を怒らせ凄むが、見慣れている俺がビビることはない。
「むしろ今の寄り添う二人で確信したね。こいつらデキてる。絶対裏でヤッてるから」
「ひえーっ。小学生の兄妹で『ヤッてる』とか童貞君の妄想力は無限大ですわ!」
「妄想力が逞しいのはどっちだよ。許してもらう方法考えろって言われて、普通花瓶は割らないだろフツーは!」
「う……いや、お前の普通なんて知るか! お前こそ簡単に復元復元言うけど花瓶なんてどうやったら復元できるんだよ?」
「え……多分ボンドかなんかだよバカヤロー! 大体オメエはいつもシナリオの理解とか抜かしてるくせに『ボクのかんがえたさいきょうのてんかい』を言ってるだけじゃねえか!」
「なんだと萌え豚の分際で!?」
マリウスがおニューの武器、アイスピックを振りかざして気炎を吐く。思ったよりヒートアップしてしまった。これは干戈を交える必要がありそうだ。
俺も包丁を抜き、啖呵を切ろうとする。
「あ、あの!」
「何ですか!?」
非常時につき、思いがけず口を挟む依頼人にきつめの返事を返してしまう。
「父も仕事で帰って来なくて、私たちは本当に朝までここで母を待ち続けたんだけど」
「……」
俺はそっと包丁を降ろす。
「今日はここで宿営しましょうか」
今度はマリウスも一も二もなく従った。
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