5.カエル「(必死) 絶対近親相姦モノだって!」



 第二階層もフィールドのデザインとモンスターは継続。やや飽きる。またムービーと強制戦闘だけのイベントを二つほどこなしたところで大広間に行き当たった。


『お兄ちゃん、お菓子は持った?』


 がらんどうの広間には、奥に玄関のドアと、その前に立つミリーの〈NPC〉が一つずつあるだけだった。上の文言はその彼女がひたすらこちらに繰り返してくるものだ。

 ミリーの格好は短パンと半袖Tシャツの軽装。ちらつく鎖骨、薄い胸、腰骨のライン。夏の日の健康的な露出度だ、ああー。

 一方ブランチ氏は延々と同じことを喋るミリー幼女を気味悪げに見ていた。


「オウチ君、これは?」

「あ、定番のお使いイベントですね」

「お使い?」

「お菓子を探して来いと暗に言っているんだ」

「バカ、依頼人には敬語を使え」

「暗に言っているんだです」

「はは、気にしないでくれ」


 やや打ち解けたブランチ氏は少し口数が増えた。悪いことではないが、俺たちは人見知りなので焦ってしまう。同伴の依頼でこんなに喋る依頼人は初めてだ。


「お菓子が無ければあのドアは開きませんね。他の所から探してきましょう」


 一端広間を後にし、第二階層の探索を進める。特段記憶力に優れているわけでもないので某教団販売のオートマッピング式地図を使いながら第二階層を調べ上げた。

 その結果、大広間を取り囲むようにいくつもの小部屋を発見した。これらの部屋は夫婦の寝室、子供部屋、キッチン、トイレなど、全てブランチ家の部屋を再現したもののようだ。どうでもいいがこれでブランチ家は3LDKの間取りと判明した。この小部屋群の中を捜索してお菓子を見つけ出す展開だ。


「お菓子なら台所だ!」


 と、マリウスは何気なくキッチンを再現した部屋に入ろうとした。安直な奴だ。


「待て待て名探偵。もう少し視野を広くしろ」

「あ?」

「台所はババアの根城みてーなもんだ。そこからお菓子を取ってくるなんてラッド君には無理だ。台所はあからさまなフェイク、足を踏み入れた瞬間トラップ発動だ」

「じゃー、どうすんのさ。間違った部屋に入ったってどうせトラップだ。他にお菓子がありそうな場所なんて、」

「ある。ラッド君は塾通いだ。夕方の授業のためにおやつ、またはおやつ代が支給されている蓋然性が高い。それを着服して貯めるなら、子供部屋だ」

「そういうもん?」


 これは実体験からだ。生まれてこの方公文さえ行ったことない相棒にはわかるまい。


「そういうもんなの。貴重な収入源だったからな」

「わかった。でもお前が最初に入れよな」


 自分から言い出したことだ。それぐらいはやってやる。

 果たして子供部屋に入ってもトラップは発動しなかった。

 子供部屋の窓と家具の大まかな配置には見覚えがある。アバンタイトルで見たミリーの部屋だ。男女七歳にして、とはいえこの頃は兄妹で寝起きしていたらしくベッドは二つ。仲がいいんだろうな。


「どこにあるかな?」


 部屋を見回してマリウスが誰にでも無く問う。宝箱にでも入っていればわかりやすかったのだが、部屋は全く完全に少々おもちゃなどの散らばった子供部屋だ。往年の勇者よろしくタンスの一段、壺の底まで調べねばなるまい。


「さあ。机の引き出しの奥、本棚の裏、ベッドの下とかはありそうだ」

「なんだそれ。お前のエロ本の隠し場所かよ」

「いつの時代だよ。今時HDDに決まってんだろ……」


 無駄口を叩きながら作業に取り掛かろうとした時、またブランチさんが口を開いた。


「隠しものなら、ミリーの方のマットレスの下だ」

「え?」

「足側のね。そこに少しフレームのへこみがあったんだ」

「ホントだ」


 マリウスが薄いマットレスを持ち上げると、お菓子が出てきた。誰のチョイスか知れないが白い砂糖蜜を散らした煎餅の二袋だった。


「お煎餅、バキバキだな」


 透明な包装内の二枚の煎餅は、相棒の言うように割れていくつかの破片になっていた。

 ふと見ると、ブランチ氏が微笑んでいる。こんなに強張りの無い表情を浮かべる彼を初めて見て驚く。


「何か?」


 あまりボケーっと眺めていたら気付かれてしまった。適当な質問を考える。


「あ、えーと、なんでミリーの方に?」

「私の方だとミリーに全部食べられてしまうだろう? 灯台下暗しだよ」


 賢い子だったんだ。何だかおもしろい。


「おい、まだなんかあるぞ」


 マリウスがつまみ上げたのは小さな鍵だ。飾りのない簡素な造りで紐が通してある。


「ドアとか金庫のじゃねーな、もっとショボい。何の鍵だ?」

「ボクに聞くな」

「……私も思い出せない」


 隠した本人にも思い出せなければしょうがない。鍵の意味は分からないが、いつか使うかもしれない。俺は相棒から受け取るままにジャケットのポケットに突っ込んだ。


「ま、ミリーに会いに行きましょうか」


 大広間に戻り、ミリーは煎餅を見るときゅっと唇の端を曲げ、玄関のドアに手をかけた。イベントが進行する。


 ザアァ……


 次のシーンは昼間の公園だった。雨が降っている。


「あ、使ってください」

「ありがとう」


 俺はリュックから折り畳み傘を取り出して依頼人に渡す。もう一本ビニールのがあるが、先ほどからマリウスがバールの次の武器に使っているので奴の手にあった。


「君も入るかい?」

「あ、いえ結構です」


 せっかくのブランチ氏からの申し出だが相合い傘の相手は美少女だけと決めている。それに公園に放り出されたはいいが、兄妹が見当たらないので探さねばならない。


「ミリーは傘を持ってなかった。どっかの遊具の中だな」

「いや、それならあっちのトイレじゃないか? 遊具じゃ狭い」


 正解は公衆便所。マリウスに一ポイント。

 二人は裏手の軒下にちょこんと座って雨をしのいでいた。


『お兄ちゃん、雨すごいね』

『うん、にわかだからすぐ止むさ』

「ぶわっくしょい!」

「カエル、うるさい」


 雨脚は「車軸のような」という調子で、穴あきのジャケットだと少々肌寒くなってきた。相棒のビニール傘に無理やり押し入る。奴は嫌そうな顔をしたが、これは重要なイベントと予想されるので喋ることはなかった。ブランチさんを招きよせ、静かに見守る。


『おなかすいた……』

『食う?』


 ラッドは手に持っていた煎餅の袋を一つミリーに渡す。彼女はすぐに袋を開けると煎餅の破片を摘まんでサクサクやり出す。兄はそれを黙って見守る。一人だけ食べるのに気恥ずかしさを感じたのか、彼女はお喋りを始めた。


『お父さんいつ帰ってくるかな?』

『うーん、土曜だから早いんじゃない』

『そっかあ、早く帰ってこないかなあ』


 甘い蜜と塩気のバランスの妙は空腹時にこそ栄える。あっという間に煎餅は袋の中から消えてしまった。彼女の食欲はたいしたもので、袋の端に残った粉まで恨めしそうに眺めているほどだ。ちらっと兄の方を見る。


『ダメ。もう一個はまたお昼、な』

『ちぇっ』


 ミリーは袋の粉を指ですくって舐め取る。一番端の角の所だけ残った。

 会話から察するに、学校の無い日は朝から外に出て父親が帰ってくるまで時間を潰しているらしい。難儀なものだ。


『みんないないね』

『まだ朝だもん。もうあと二三時間もすればくるさ』


 そりゃ確かにまだ朝だけどこの雨の後じゃ誰も来ないだろうに。楽観的なラッド君に対して妹の表情は暗いままだ。


『こないほうがいい……』

『なんで?』

『チーちゃんもルルも、学校ではいじめる……』

『二人ともあんなに仲良さそうだったじゃないか』

『わかんない、公園とか二人だけならあそべてもクラスだとちがうから』

『どんなことされたんだ?』

『えっ? あの……うんと……あ、あー』

『思いついたことだけでいいよ』


 白いミリーの顔に影が差していく。


『わかんない、みんなママのことでわたしをわらうし、えっと、つくえの中に悪口をかいた紙をつめて、「おまえもチショウだ」って、って……チショウってひまわり学級のヨハンみたいなののことでしょ? わたしはチショウなの? ママもチショウだから?』

『そんな……』


 彼女は喋りながら泣いていることに気付いていないようだった。兄は自分まで目を潤ませながらも大きな声で否定する。


『そんなわけないだろ! ミリーも母さんもそんなんじゃない!』

『うん、だよね……』


 こういうリアルっぽい脚本は引いてしまうから苦手だ。ダンジョンにもCEROがあればこんな会話即カットだったろうに。


『先生には言ってないのか?』

『言えないよ。先生、ママのこと怖がってるから、そんなことしたらママに教えちゃう』

『じゃあ、学校でなんかあったらオ、オレを呼べ、怒ってやるから』

『うん……そうする。ありがとう、お兄ちゃん』


 だがきっとミリーは何も言えない。気弱で虐げられ続けた者特有の卑屈さが彼女の心に根を張って、何をするにも邪魔をしてしまうのだ。儚げなミリーの作り笑顔は、見ていてくるものがあった。


『雨が弱まったら一度戻って、傘取って、図書館にでも行こう』

『うん……』

『そんな顔やめろよ。こっちも食べるか?』

『いい、あとで』

『ミリー』


 ラッド少年とてミリーの虚勢を見抜いている。どうにかして元気づけたかろう。


『ねえお兄ちゃん、ママは私たちのこと嫌いなのかな?』

『お母さんのことなら、お父さんがなんとかしてくれるから』

『なんとかって、なに?』

『……』


 余りに曖昧な言葉が雨臭い空気に消えていく。

 訪れた沈黙を破ったのはミリーで、ラッド少年はそれまで口を噤まねばならなかった。


『ずっと、このままなのかな』

『にわか雨だからすぐ止むって』

『そうじゃないよ……』


 そう言って、まるで大人みたく、彼女は長い後ろ髪をかき上げる。細い指先から何かが抜けていくようだ。髪のツヤとか、幸福とか。

 それを見て、ラッド君はきゅっと唇をかみしめる。


『私たち、ずっとこのまま』


 兄はそれ以上妹を喋らせなかった。そっと妹の手を取る。


『ない。絶対ない』


 気弱そうな顔付きに似合わない、薄い体付きにも似合わない、強い口調だった。


『オレがなんとかする。何ができるかわかんないけど、お母さんからも、いじめる奴からも』


 口から出るのは先ほどまでの曖昧な言葉と何も変わらない。


『お兄ちゃんが守ってやる』


 でも、その思いに偽りが無い事だけは確かだ。俺にでもわかる。

 いつの間にかか細く〈BGM〉が流れている。ゆったりと華やぐような雰囲気の、聞き覚えがある曲。


『だから、いつまでも泣いてちゃダメだ』

『うん……』


 ラッドの思いと手の温度がミリーを温めていく。少しずつ赤みがさす。それは指先から広がって、凍てついた芯の何かにまで届いていく。


『お兄ちゃん、ありがとう』


 今度は心からの感謝の言葉。そして心からの笑顔。

 取り合った二人の手。見つめ合う瞳は百万ボルト。〈BGM〉の艶めいた音色……ん?

 ……ははーん、なるほど。思っていたのとは違うが、やはりこのイベントはスキップしなくてよかった。


『戻ろう、オレたちの家に』

『うん!』


 夏の雨はいつしか止んで、厚い雲の隙間からヤコブのはしごが降りている。

 手を繋ぐ二人は元気よく駆け出して行った。めでたしめでたし。

 消える〈BGM〉がイベントの終わりを告げ、公園には俺たちと、砂場の上に浮かぶ玄関のドアだけが取り残された。


「収穫なし、か」


 と、口をへの字に曲げて相棒は傘を畳む。どうやら相棒は何もわからなかったらしい。

 これはあまりないことだ。マリウスは俺と違って目端が利くので、いつも先に何かしら見つけて喋り出す。あんまり合ってないのだが、案を出さないよりはましだと俺に偉ぶってきてうるさい。ここらで年長者の貫録を見せてやろうじゃないか。


「俺はあったぞ。先の展開がわかった、このダンジョンのテーマは児童虐待じゃない」

「ほお、言ってみろ」


 腕を組んで俺をねめつける相棒の目は冷めたものだ。舐めやがって、俺の推理を聞いてぶったまげろ!


「ヒントはさっきの〈BGM〉だ」

「……早く。続けろ」

「なんだ、シナリオばっか気にして聞いてなかったか。注意力三千万だなあ君は!」

「……聞いてたし。わかんなかったんだよ」


 先方は若干イラついているが、こういう時間はなるべくゆったりと過ごしたいタイプなのが俺だ。チッチッと舌を鳴らして指を振り、迂遠にも訳詩の一句をそらんじる。


「恋は野の鳥、誰にも懐かない……」

「は?」


 マリウスが間抜け面で口をぽかんと開ける。


「ハバネラだよ。さっきの〈BGM〉はそれのインストアレンジだ」

「知らん。何それ?」

「え、マジ?」


 嫌な予感がしてくる。これは相棒は何も知らないのかもしれない。


「ほら、オペラの『カルメン』の最初の方で、えーとタバコ休憩中?のヒロインが男どもに唄うアリアだよ! あとはFFなんかのどっかの酒場とか……、有名じゃん」

「知らん知らん。わけわからんし、聞いたこともないぞあんな曲?」

「あるんだよ! 元の世界で、中学の音楽の授業で見たビデオで見たの!」


 言ってから「元の世界」と付けたことに後悔する。マリウスはうんざりした顔をするし、ブランチ氏まで怪訝そうにこちらを見てくる。


「音楽には詳しくないけど……カルメンにそんな曲あったかなあ」

「そ、そうですか」


 無教養の相方ならまだしもブランチ氏まで知らないということは、この世界のカルメンはハバネラが存在しないか、あっても違う曲なんだろう。こんなことばっかりだ。

 まあいい、出鼻は挫かれたがまだ俺は自分の発見に意気軒昂だ。揚々と、この事実から得られた推論を相棒に披露してやる。


「で、そのハバネロだったら何だっていうんだ?」

「ハバネラはな、『恋は野の鳥』って歌い出しの通り、恋の情熱と気まぐれの歌だ。あれが兄妹の今後を示唆しているというわけよ」

「はあ」

「さっきの手を取り合う二人の空気を思い出せ。キラキラしてたろ?」

「ひー」

「抑圧者としての母親はいわば舞台装置。兄妹を追い詰め、否応なしに仲を深めさせる」

「ふーん」

「歪な環境は歪な関係を呼び、二人はお互いに依存しあう。行きつく先は、禁断の恋」

「へぇ」

「そう、このダンジョンのテーマは、……近親相姦だ!」

「んな訳あるかバーカ」

「あれっ」


 自信満々だったのに真っ向から否定されてしまった。ブランチ氏も心なしか軽蔑するような目を向けている気がする。


「何でだよ! あんな美少女な妹がいたら普通ヨスガるだろ男なら!」

「知らねーよキモいなあ。どうしてお前はそう頭ン中ドピンクなんだ」

「絶対近親相姦モノだって!」

「さっきのシーンはどー見ても、兄妹愛であって性愛の空気じゃなかったろうが!」

「だから、一見してそう見えるのが実は伏線になっていて、あとで」

「根拠はお前の受信した毒電波だけか? 自分の性癖でイベントを曲解するな萌え豚が!」

「そうかなぁ」


 自信あっただけにここまでこっぴどく言われると違う気がしてきた。なんであんなテンション上がっちゃんたんだろう。

 …………よっしゃ、切り替えていこう。マリウスが収穫無いなら詰まるところプラマイゼロだ。メンタルリセット。


「全く、たまに自分の考えを話したかと思えばいっつもこれだー」

「まあまあいいじゃねえか。しかし、これでボス戦前ヒントは無しか」

「何とかなるだろ何とかー」

「えっ、ちゅ、ボス?」


 急にブランチ氏が口を挟んでくる。そう言えば彼には伝えてなかった。


「ど、どういうことだい」

「あ、前の広い部屋を覚えていますか? あれは明らかに巨体か多数かまあ、手強いモンスター、中ボスの為ですよ。第二階層ラストというタイミング的にもボス戦のある頃合いです」

「だから今のイベントに何かヒントが無いか期待してたんだけど。この萌え豚が欲情しただけだったな」

「で、では」

「ええ、あのドアの向こうでボス戦です」


 俺はブランチ氏の言葉を継いで、空中に浮かぶ玄関のドアを指差した。


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