4.ラッド「(白目を剥いて息も絶え絶え)  ひっひっひっひっ―― 」


 オニババの両手が逃げ惑う俺たちを翻弄する。左右から俺たちを潰そうと迫る。


「カエル!」


 すぐに合流してきた相棒は腕から血を流してはいるがまだまだ元気な様子だ。


「多分時間切れまで逃げればクリアだ! それまで耐えるしかない」

「どこに逃げればいいんだい!?」

「ブランチさんのお母様から一番遠い、お父様の方にしましょう」


 ダメ元でオニババの胴体に〈切る〉魔法を放つが透けて行ってしまった。きっと食卓に干渉するもの以外は実体じゃないんだろう。あの拳が肉と骨で出来ているかも怪しいな、あれらの巨人は、〈NPC〉というよりある程度知能のあるロボットのようなものだろう。


「ハア……ハア……」


 二度三度と拳をかわすうちにブランチ氏の息が切れてくる。肩を掴んで無理やり動かしているが厳しくなってきた。

 そんなときに運悪く両サイドからオニババの掌が同時に襲いくる。俺たちを蚊のように潰そうというわけだ。掌は速度が遅い分、拳より範囲が広いし逃げても追尾してくる。これはブランチ氏では一溜りもない。


「マリウス、足持て!」

「了解」

「えっ!?」


 うろたえる依頼人を余所に相棒が彼の両足を掬い上げ、俺は横になった腰を抱える。


「ま、待ってくれ、何するつもりだ!」


 先んじて掌の巻き起こした颶風が頭皮をチリリと苛む。焦れてはいけない。じたばたのブランチ氏をぐっと抑え込み、相棒とその場にしゃがむ。


「せーのっせだぞ。二度目にせって言ったらだからな?」

「なんだ私はどうなるんだ!?」

「二度目のせの後だな。あ、待て力加減はどう合わせる? ボクわからないぞ」

「お、降ろせ! 降ろしてくれ!」

「え、俺もわからん。まあいいや、せーのっせ!」


 バチン!


 雷鳴のような音に耳がキーンとする。

 足に魔法を乗せ跳び上がった俺たちの眼下で肉の裂け目が閉じていた。よかった、みんな無事だ。タイミングと力がずれると最悪ブランチ氏は千切れてしまうところだった。

 しかし危機はまだ終わらない、着地先は閉じた両掌だ。素早く持ち上がったのは右手、いやおうなく左側にもう一度飛ばざるを得ない。


「もういいだろう! 早く下ろしてくれえっ」


 ブランチ氏はもう半泣きだが下ろす暇が惜しかった。掌から降りても彼を抱えたまま走り回る。急にしゃがんだりジャンプしたりするたびに氏の悲鳴が上がる。

 依頼人がぎっくり腰になるかと思われたころ、ようやくイベントが進行した。


『どうしたんだ急に!』


 女房の狂態を取り押さえようとブランチチが立ち上がる。もちろんこれでこのミニゲームが終わる筈ない。ようやく本番というところか。


『うるさいのよ!!』

『イタッ』


 草食系のブランチチにオニババが抑えられる訳がないのだ。

 彼女に叩き落とされたブランチチの手がすぐ後ろを穿つ。対角のブランチチ側に逃げていたことも災いして、これで襲い掛かる手は四本に倍増だ。

 さらに難易度の上昇は止まらない。


『このバカ! 甲斐性無し! ATM!』


 スパアン! スパアン! スパアン!


 卓上にリズミカルに通知表が振り降ろされる。オニババが道具を使う知性を取り戻してしまい、威力は下がったが、攻撃範囲・リーチが著しく向上し、


『う゛え゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛え゛え゛え゛ん゛!!』

『お゛があ゛ざあ゛ぁ゛ん゛! お゛ごら゛な゛い゛でぇ゛!!』


 泣きじゃくる子どもたちの涙とかなんか液体が飛び散って床が滑りやすくなり、

 ものの数十秒でテーブルの上は地獄と化した。


「ひっひっひっひっ」


 なぜか走ってないブランチ氏が過呼吸になりかけているが、俺たちも少しきつくなってきた。数十キロのブランチさんを抱え、俺は二人分の荷物を背負っている。相棒も手に傷を負っている。


「どうする!」

「ラッドは安地じゃないか? オヤジはへなちょこだしミリーはとばっちりで危なそうだ」

「確かに」


 相棒の意見は妥当に思われたので俺たちは一目散にラッド少年の方に駆ける。

 目測にして百メートル弱。ところがどんな風にプログラミングされているのか、オニババ達の取っ組み合いは的確に俺たちを襲撃する。

 低空を這う正拳突きを飛び越え、空振って側面に飛んできたチョップを背面スライディングで鼻先にやり過ごした。通知表は当らなくとも巻き起こす突風に転がされることもあった。本当に長い百メートル走になった。


「やった、あと少し」


 行き先はラッド汁でべちょべちょだけど二人の手は届きにくい。顔を覆う少年の顔が近づいてくると安心してくる。


『キエエエイ!!』


 その安心感が俺を油断させた。

 オニババの声があまりに甲高くて最初その音が聞きとれなかった。しかしマリウスがいち早く気づき、そちらを見上げた。


「コップだああああああああああああ!」


 滞空する麦茶入りガラスコップはドラム缶の三倍ぐらいあった。この状況で俺たちにできるのは咄嗟にその場にしゃがみ込み依頼人を庇うことぐらいで、コップは相棒の側に落ち、その場で不自然に細かい数十の欠片となり俺たちに炸裂した。

 幾つもの破片が俺の身体に突き刺さり、勢いのまま地面を転がる。視界がチカチカとめまぐるしく明滅して、消えた……


……ウチ君! 目を覚ましてくれ!」

「ぐおおっ」


 不覚にも一瞬気絶してしまった。この場合痛みのお蔭ですぐ覚醒できたが。


「アギャアアアアアアア」


 起き上がると泣く子が三人になっていた。相棒は間近でガラスの破片を受けのた打ち回っている。特に脇腹にデカいのが入って動くたびに血が湧き出している。これはひどい。


『うっ、ぐっ……血……うわあああああああ!!』


 コップの被害者は他にもいた。腕を切ったラッド少年だ。一層激しく泣く彼にミリーも負けじとしゃくりあげる。これはよくないぞ、オニババがまたヒスる。


「ブランチさん!」

「へ、平気だ。それより彼を」

「ええ、すぐに」

「イッテエエエエエ」


 肩に刺さっていた破片を引っこ抜きブランチ氏を右肩に背負う。左側に暴れるマリウスを無理くり。さすがに身動きが取りにくい。


『あああああああああ!! うるさああああああああいい!!』


 今日一番の大声を上げるオニババ。大詰めだ、最後の一撃が来るぞ。


『もうやめろ! 自分が何をしているかわかっているのか!?』

『お゛があ゛ざあ゛ぁ゛ん゛!』


 ノックアウトは子供一で、残りは大人一に子供一。獣のセオリーならオニババは弱い方を狙うだろう。それならミリーの対角にある現在地は安全度が高い。


『黙れぇ!!』


 だがオニババの行動は予想の斜め上を行った。

 彼女は、ミリーの首根っこを引っ掴み、いかなる怪力か、その全身が宙を舞う!


『きやあ』


 ミリーの間の抜けた悲鳴と共に巨影が俺たちを覆う。もしここで避けても彼女がもがき暴れれば、テーブルの全域が被災するだろう。


「お終いだあ……」

「いやあ、まだまだ」


 右肩のブランチ氏は観念した様子だが冗談ではない。魔力を全開で身体に巡らせ俺は疾走を開始する。無理な酷使に筋肉が千切れていくが、行き先はすぐ近くだ。


「何を、冗談だろ!?」

「舌を噛まないようにしてください、ね!」


 こんな時でも依頼人に気を使える俺は冒険者の鑑だと思う。

 少し労働の喜びを感じながら、テーブルの外へと飛び降りた。



『ミリー……大丈夫かい?』

『パパ……?』


 食卓の上で気絶していたミリーは父に揺り起こされて目を覚ます。


『痛っ』

『動いちゃだめだ。ガラスが散っているんだよ』


 ブランチチはそっとミリーを抱き上げて床に下ろす。父親の傍には腕を抑えたラッド少年もいた。


『ママは?』

『もうどこかに行っちゃった。安心していいよ』


 起き上がったミリーはほっと息を吐き、それから申し訳なさそうに父親に告げた。


『お父さん……ごめんなさい、わたしがばかだからお母さんおこっちゃったんだよね』

『ううん、ミリーは悪くないよ。ぼくが一番じゃなかったからだよ』


 ブランチチはいじらしく庇いあう兄妹を固く抱きしめた。


『お母さん……ああなったの初めて?』

『……ううん』

『そっかあ。お父さん大馬鹿だ。ごめんなあ、今まで気付けなくて』

『父さん、泣いてるの?』

『ごめん、ごめんなあ……』


 二人の頭を撫ぜるブランチチは段々と声を詰まらせて、とうとう鼻をグスグスさせるばかりになってしまった。

 湿っぽい〈BGM〉とともにムービーもフェードアウト。


「お、終わった」

「うー意識が遠くなってきた」

「父さん……」


 風景がリビングから通常フィールドの物に切り替り、後には俺たちくたびれた三人と第二階層へと続く下り階段だけだった。


「オウチ君。君たちは大丈夫なのかい?」

「ええ、ご心配なく」


 マリウスは床に伏せっているし、俺も部屋の壁にもたれて一息ついていた。立っているのは依頼人だけという情けない有り様だ。

 俺はあのパニックの中でも決して捨てなかった自分のリュックをまさぐり小さな瓶を二本取り出した。一本のコルク栓を外し、動けない相棒に飲ませてやる。すぐに血色が戻っていくのを見て安堵する。


「それは?」

「あ、ポーションです」


 俺はなるべく平静に言ったつもりだがブランチ氏にもたらした変化は絶大だった。


「そ、それが!?」

「ええ、この通り」


 栓を外しポーションを半分飲み干す。溶けたミントアイスの味が染み渡る。


「おお!」


 すぐにポーションの効果が発揮され、全身の傷口からガラスが排出され修復されていく。


「驚いた。実在していたのか」

「少々エルフに伝手がありまして」

「エルフに!? それは凄い」


 異世界ファンタジーではよくあるのに、この世界で回復や治癒に関する魔法はほとんど見られない。魔法が宗教なら病や怪我の治療に関するものが少ないのはおかしい、と思う。だが本当にレアなのだ。何か理由があるはずだが毫も知れない。

 だからこれは俺たちの奥の手だ。こんなところで使うのは本当に口惜しい。


「それがあるなら心強いな」

「ええ。ただこれ一本で今回の報酬の約五分の一します。もう使いたくはないですね」

「え」


 ブランチ氏ははっとした様子で俺の手の中にあるポーションを見つめ、急に居ずまいを正した。


「オウチ君、レポリッド君。今までと、さっきのことは悪かった。初めに君たちに感謝をしていると言いながらあんな態度を取ってしまった。許して欲しい」


 彼は深々と頭を下げた。

 よくわからないがブランチ氏の態度が軟化した。思わず相棒と顔を見合わせる。こんなときどんな顔すればいいかわからないの、というほどコミュ障でもないが、どう対応するのが正しいかはわからない。ただマリウスが『ボク疲れてるからお前が考えろ』と目で言ってくるので、口から出るままに任せた。


「いえ、こちらこそ失礼なことをしてしまってすみませんでした」

「右に同じ」

「そうか、よかった。それからありがとう。私を守ってくれて」

「気になさらないでください、仕事の内ですから」


 その部屋で十分休んでから第二階層の探索を始めた。



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