3.マリウス「うべばっ。ばっちぃ!」
◆(ラッド視点)
「ここいらで休みましょうか」
「あ、ああ」
三時間ほど歩きまわって、前を行く二人がくるりとこちらに振り向いた。すわ敵襲かと身構えたが、カエルの大きい口からはラッドにとって福音に思えた。
昼休憩は一時間。
ただついて回っていただけなのに、ラッドはすぐにバッグを下ろしてへたり込んでしまった。
最初の一件の後、昼までに三つのイベントを消化した。どれもラッドの少年時代を再現したものばかりだった。気分が悪く度々吐きそうになった。持ってきた携帯食を食べる気にもならず水を飲むぐらいしかできない。
ダンジョンがこういうものだとは再三聞かされてきた。時空の狂った異界、幻影がかつての暮らしを永遠に繰り返し続ける地下牢。あまりの危険さと様々な事情から内部が一般人の目に触れることはなく、彼も心のどこかで侮っていた。
一時間の休憩というのも自分のために長くとられたのだろう、冒険者『ランスレーの迷子達』はとっくに昼食を平らげてめいめいが無聊を慰めている。
「カエル、ボクのマンガ出せ」
「自分でやれよ、底の方に詰めてるから」
相方にぶうたれながらカエルのリュックに腕を突っ込む美少年は丸っきり年相応の態で、この異界では相当浮いていた。
プレイヤーたる彼らの腕っぷしは見事なものだったが、その不気味さは一緒にいるにつれラッドの中で膨れ上がっていた。
初めは第三者の立場として、こちらを考慮して感情を出さないようにしているのかと思っていた。だがすぐに彼らの無表情が装いではなく本当に無感動なのだとわかった。魔法や工具を使い、暴力をふるうことに何の痛痒も感じていない。
かと思えば、彼らの言うところの『イベント』・『ムービー』のたび瑞々しい感情をあらわにしてその内容をあげつらう。これまでのところ、ラッドにとっての彼らはまったく理解不能だった。
今もこの危険極まるダンジョンで彼らはくつろいでいる。
彼らに言わせれば「このダンジョンはランダムエンカウントだし、仮に奇襲されても自分たちは二、三十メートル半径なら生命を知覚できるからなんとかなります」、ということらしい。
マリウスは壁にもたれて何やらマンガを読んでいる。それはカエルも同様で、下ろした巨大なリュックに肘をついて、文庫本のページをめくっていた。
ラッドには少し意外に思われた。
「ゲームはやらないのかい?」
「え?」
「いや、君たちはダンジョンをゲームだって言うぐらいだから、ゲームで遊ぶのが大好きなのかとばかり思ってたんでね」
失礼な言い方になったが、鈍い彼らはこの程度では怒らないとラッドは踏んでいる。午前中に聞いたダンジョンはゲームという言葉が彼の中でまだ引っ掛かっていたのだ。
カエルは困ったように後頭部を掻きながら答えた。
「あー、ゲーム機なんてダンジョンに持ってきてもすぐ壊れちゃいます。それに、別にダンジョンで遊んでいるつもりはありません」
「でも、さっきは」
「私たちは仕事でここに来ているんです。遊んでいるのはこのダンジョンを作ったヤツらですよ」
「それは、ダンジョンマスター?」
少し周りを見回しながら、カエルは言葉を探すように口の中をもごもごさせた。
「んー、いまだに『家をダンジョンにしない方法』なんてバカな新書を出す自称家庭問題の評論家もいますが、ダンジョン化する家に法則性なんてないんです。全てはダンジョンマスターどものお気に召すかどうかに過ぎません。
この世界にダンジョンが生まれてまだ二百年もしないのに、影も形もそいつらの存在を掴めないせいでこの世界の人々はすっかり目を反らしている」
「我々が遊ばれていることから……」
「そうです。人々を虜囚にし、その時間と空間と心を捻じ曲げ、誇張と捏造で塗り固めた地獄を作り、『これが人間の罪悪だ』と見せつける。それを見て苦しみ悶える人々でヤツらはまた地獄を作り出す。ダンジョンとはそういうゲーム。
ヤツらも人もバカらしい、ダンジョンに現実なんて何一つありはしないのに」
「カエルかっこいいー」
芝居がかった言い回しに相方から茶々が飛ぶが、ラッドにとっては初めて聞く考え方だ。
ダンジョンになったことで両親や妹を失い、これまで「君のせいじゃない」という慰めは山ほど聞いてきたし、ダンジョンマスターという謎の存在がダンジョンを作っているということも知識としてはある。
だが、ダンジョンの纏わる全てを嘘と切り捨てる人間には初めて出会った。目から鱗が落ちるような驚きだったが、どうしてだろう、ラッドはとらえ所のない反感を抱いた。
「しかし、ダンジョン化する家が機能不全、何かしら問題を抱えているのは間違いないんだろう?」
「何かしら問題がないとドラマが作りにくいんでしょう。ただ、私たちは犬を飼うかどうか喧嘩しただけでダンジョン化した家を攻略したことがあります。それが果たして世間的に忌まれるほどのものだったかどうかは……」
「そ、それに、今まで見てきた幻影は全部私の経験してきたことだったんだが」
「あー、いいえ違います。この家の人たちの暮らしを基にしているのは確かでしょうが、あれらは我々に向けて編集・加工されたものです。それはダンジョンマスターの悪意あるバイアスと意図が介在した構成物であり、事実として受け取るのは大間違いです。
……んーと、ムービーを見ているとき、いやに会話が見やすかったり聞きやすかったりしませんでしたか? 立ち位置からセリフのタイミングまで調整しているんですよ、あいつらは。一体どうやってるんだか」
「……そういう考え方は他の冒険者や学者も言っていることなのかい?」
カエルはまた後頭部をカリカリと掻き、相方の顔を見る。どうも彼は自分の知識・見解を披露したがるのだが、頭の回りが遅いらしく事前に用意していないことは言葉を出すのが遅い。マンガから顔をはなしたマリウスが言葉を継いでいく。
「あんまし。ボクはカエルから聞いたのが初めてだ。他のパーティの人たちは、大抵通説どおり『目的・系統不明の大規模魔術儀式』って考えて攻略してる。だから、イベントに会う度にわざわざどこの宗教の何て魔術に似てるか調べ始めるんだ。慎重すぎだよな」
「この世界では、テレビゲームよりダンジョンの方が先にありましたからね。今一つながらないんでしょう」
「実地にいるプレイヤーは薄々気付いているかもしれないけどー、みんな言わないんだ。金になんないからだな、きっと。
んで、学者はダンジョン危ないからフィールドワーク来ないし、プレイヤーは土方以下の底辺職だからバカのクズばっかだし。両者の断絶は二十一世紀の今日になっても大きいのであった」
「ま、横道に逸れましたがそんなわけです。私たちはゲームは大好きですが、嘘ばっかりで無意味なダンジョンは大嫌いということです」
話はそれでお終いだという感じでカエルもマリウスも読書に戻っていった。
彼らが勝手に言っているだけの主張なのだろうが、新鮮でそれなりに筋道が立っていたとラッドは思う。しかし、
「嘘ばっかりで無意味……そんなはずない!」
しかし、どうしても彼は気に入らなかった。
「はあ」
「確かにダンジョンは意図的な編集がされたもので、過去の映像に音楽をつけたり、恐ろしげなモンスターとセットで登場させるような、子供たちの恐怖を誇張した『演出』も散在していた。でもそれは幼いころの私が置かれていた状況を表現するものとしては、そう、的を射ていた」
「あー、じゃあ言い過ぎたかもしれません。言いたかったのはその家であった事実を伝えているために作られたものでないということです。ダンジョンはドキュメンタリーやノンフィクションとも一線を画す、悪意でもって」
「違う! 問題はそこじゃないんだよ!」
「では、どこ?」
「それは」
ラッドは言葉に詰まる。もうさっきから自分でもよくわからず喋っていて、一度詰まるとどうやっても口が動かない。挙句、黙りこくってしまった。こんな子供たちに声を荒らげ、わざわざトラウマの源を擁護して自分は何をしたいんだ、と自嘲したくなってくる。
カエルはしばらくこちらを見つめていたが、ラッドが喋らないとわかると口を開いた。
「あの、ブランチさん。実は、私もあなたに聞きたいことがあるんです」
「……いいけど」
「ブランチさんはなんでダンジョンに入ろうと思ったんですか?」
「え?」
「今までも何人かブランチさんと同じように、ご実家の攻略に立ち会いたいという依頼人の方と一緒に入ることがありました。するとみなさん、私どもに怒って途中で帰ってしまうんです。私たちの態度がいけなかったようですが、理由を聞いても罵られるばかりでして」
マンガに首ったけのマリウスも、ポツリと呟く。
「何しに来たんだろうな、あの人ら。何でもないムービーでいきなし泣き出したりさ」
「びっくりするよな」
しきりに頷くゴムのような質感の黄色い肌の少年を見ながら、ラッドは全身が粟立つような気分になった。
ようやくわかった、彼らの不気味さの正体が。この少年たちには共感性が無い。他人の気持ちに対する想像力を持たないのだ。きっと彼らはこのダンジョンを本当にゲームとしてとらえ、ラッドの気持ちなど少しも考えずにブランチ家の刻んできた物語を愚弄している。
「……君らにはわからない」
「そうですか、きっと難しい話なんですね」
彼らと話しても自分が傷つくだけだと思ったとき、ラッドには彼らが同じ言語を話す宇宙人にしか見えなくなっていた。
◆
午前中のイベントはどれもマリウスの考え通り分岐なしのムービーだけだった。内容については半分以上スキップしたが、大抵はオニババが活躍する冒険活劇だった。彼女は特にミリーが嫌いなようで、何かと理由をつけ徒手空拳で成敗している。ラッド少年は主に妹のとばっちり、そんな感じだ。直接暴力型なオニババだが、食事を提供しない等のいわゆるネグレクトは行わず、家事などは自分一人で切り盛りしていたようだ。感心感心。
エンカウントするモンスターは、ゴブリンからやや頑強なオークたちがちらほら混じり出したが、俺たちが苦労するような相手ではなかった。
コンビニの菓子パンで昼飯の後、午後一のイベントで初めてブランチ家の人間が一堂に会した。
『そんなに厳しくしなくてもいいじゃないか』
初登場のブランチチ(おっぱいのことじゃないよ)は、三十後半ほどの優男だった。ところで、はす向かいに座るオニババは、それよりかなり若く見える。肌にはハリがあるし、あんなに怒っていなきゃきっと落としなめの美人さんだ、ミリーの魅力的な顔を見ればわかる。ここではまだ小三かそこらだが、垂れ目と柔らかいラインの顎が美しい。クジラックスの描く女の子みたいだ。
『どうしてわからないの!?』
兄妹は最初のイベントより少し成長した姿で、蹴られた犬みたく潤んだ瞳をして両親の成り行きを見守っていた。
ブランチ家のリビングにはデカい食卓が一つ。方形(包茎のことじゃないよ)の食卓は合成材で飴色。あまり拭かれてないのかワックスがそこそこくたびれている。席の配置は父と妹、母と兄のタッグで睨みあう格好だ。
『エミリアはこんな成績じゃあどこにも行けないし、ラッドだって一番には程遠い』
オニババはラッドに対してはかなり甘いが今回の成績には失望しているようだ。ラッドは再来年に私立中への受験を控えている。俺は公立だったのだが、なかなか大変らしいな。
『きつい事ばかり言わないでやってくれよ。君だけが熱心過ぎてもこの子たちがついていけないよ』
『はっ! 仕事仕事で、たまに口を挟めば調子いい事ばっかり言って』
ブランチチはネクタイも締めたままの姿、ベランダへ続くガラス戸に目をやればぬば玉の漆黒。この成績会議はどうやら平日の真夜中に行われているらしい。
俺の足下に広がる通知表には一学期とある。それならばここは夏ごろだろう、蒸し暑い。向こうに見えるコップの表面に水滴がいくつも浮いている。
『でも、君は二人が最初から頑張ってないと決めつけてやしないかい?』
『きれい事はよしてよ。頑張ったからってなんだっていうの!? 勉強もできない人間なんて底辺の仕事しかないじゃない!』
『そ、それは……』
オニババの偏見に裏打ちされた口撃にブランチチはなされるがままだ。ヘロヘロと反撃を入れるが、効果は上がらずそのなよなよした態度が一層彼女の怒りを買う。しかし目の前に見上げるオニババはド迫力だ。奈良の大仏のと同じほどの顔面が流動し、朱に染まる。
『あなたがいつもそんなんだからっ!』
と、オニババの吐いた息が烈風となり俺たちを襲う。
『ミリー、あんたなんてこんなんじゃ風俗嬢が関の山よ!』
と、オニババの吐いた唾が時雨となり俺たちに降り注ぐ。
「うべばっ。ばっちぃ!」
もろにツバキが口に入ったマリウスが合成材の大地に口中のものを吐き捨てる。傍らのブランチ氏も頭を抱えて辛そうにしていた。
情景が想像しにくかったかもしれない。現在俺たちはブランチ家の食卓の上にいる。
どうもこうもない、ドアを見つけて開けるやいなやダンジョンが九十度傾き強制的に落とされたのだ。この空間のスケールに合わせると俺は十センチ前後ほどのサイズになってしまった。
『な、なんてこというんだ君は』
さしものブランチチも、涙をにじませるミリーとラッドを見ては憤慨せずにはいられない。
『言っていいことと悪いことがあるだろう!? 二人が泣いているじゃないか』
『アタシが悪いってこと!? これだけ言ってもこの子たちはいい成績を出せないの。他の家の子たちはもっとできるわ。「あらミリーちゃんは元気でいいですね」って近所のママたちに馬鹿にされるのは私なのよ!?』
『そんな、被害妄想だよ……それは』
弱腰のブランチチの言葉が届くはずもなく、むしろ火を注ぐ一方。オニババが頭を掻き毟り、怒りが最高潮となった瞬間それは起きた。
『じゃあ、どうすればいいの!!』
ピコーン
父『⇒①わかった。君の言うとおりにしよう。
②君は間違っている。二人の気持ちをもっと考えるべきだ。
③少し落ち着いてくれ。』
突然、四人の巨人は静止し、空中に上記の①から③までの選択肢が浮かび上がった。青地のウィンドウに白文字のFF風。なるほど。
「おい」
呼ぶまでもなく相棒は駆け寄ってきた。あっちもピンと来たらしい。
「どうする?」
マリウスの問いに「どの選択肢を選ぶか」というニュアンスはない。これはシナリオ分岐をもたらす選択肢なんかではなく、もっと底意地の悪いものだ。
「まずは依頼人を……」
そう言いかけた俺が振り向くと彼と目が合う。この部屋に入るまで俺たちに向けていた悪感情はまだ残るものの憔悴した様子だ。彼はイベントに会うたびにこんな感じだ。
「なんだい」
「い、いえ」
険のある口振りに思わずたじろぐ。しかもブランチ氏の気持ちは収まらなかった。
「……気になるなら聞けばいいだろう。この時父さんは私たちを庇ってくれた」
「ブランチさん、何も聞いてないです。少し落ち着いて」
「何を取り繕ってるんだ、これも君らにとってはゲームなんだろう!?」
「あの、ブランチさん?」
ブランチ氏は完全に俺たちが答えを聞き出そうとしていると勘違いしている。だから、俺の制止もきかずに答えを言ってしまう。
「答えは②だよ! これで満足か? そしてこの後あの人は」
氏が最後まで言葉を続けられなかったのは、オニババの鉄拳が彼目がけて垂直落下してきたからだ。
ドオォォォオン!
轟音と共に視界が揺らぐ。体感で自動車ぐらいの大きさと質量が落ちてくる衝撃は並大抵ではない。やはりこの巨人たちは幻影のムービーではない。
「お怪我はありませんか」
「あ、ああ」
間一髪ブランチ氏は俺がタックルで押し出してぺっちゃんこにならなかった。かなり荒っぽいことをしたが無事なようで何よりだ。しかし不味いことになった。
『キエエェェェァァァァアアア!!』
シャウトがあがり、引かれた拳が今度はまっすぐこちらに迫りくる。
「クソッ」
拳と俺たちとの間にマリウスが立ちふさがりバールを両手で振りかぶる。
バキイィン!
「ギャアッ」
だが相棒の全力ですら拳を弾き返すことはできず、バールはへし折れ身体は軽々吹き飛ばされる。それでも軌道は大幅にずらされ俺たちは守られた。この隙に俺は立ち上がりブランチ氏の手を取る。
「ま、まるで私を狙っているみたいだ」
「あなたを狙っているんです。走りますので、そのザックは捨ててください」
つまりあの選択肢はそういうことだ。ヒスってる人間には何を言ってもキレるものだ。答えに意味などなく、ただ誰に怒りをぶつけるかを決めるだけ。本来ならマリウスにその役を任せ、俺がブランチ氏を安地に運ぶつもりだったが、これで彼を守りながら逃げなければならない。
そして悪夢のミニゲームが始まった。
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