2.カエル「我々は家庭内暴力のプロです」



 探索から十五分、最初のイベントに遭遇した。


「あれは……お、俺か?」


 呆けた呟きはブランチ氏のものだ。


「あ、ガキですね」


 十五メートルほど先、年のころは七つか八つ。一人の男の子が立っていた。氏に似た顔付きと、怯えた表情。薄いTシャツから伸びる腕はか細い。


「ガリガリだ。ガリガリガリだな」


 適当な感想とともにマリウスが男の子に近づいていく。しかし、その直後に男の子は走り出した。逃げた。


「あっ、待てっ」

「追いつくなよ」

「わかってる!」


 全速力で追いかけようとした相棒に注意したのはイベントの内容を見極めるためだ。このイベントで考えられる大まかな方向性は、

1.〈NPC〉を捕まえることでイベントが進行する、

2.〈NPC〉が走る行き先でイベントが進行する、

まあこの二つだろう。そして、あの〈NPC〉の足はあまり速くない。

 これならブランチ氏でも捕まえられるだろうが、1だった場合は捕まえることでイベントが分岐、または消滅してしまうかもしれない。もちろん逆もしかりだ。

 ここは見失わない程度に追って、男の子の様子と走るコースからイベントを先読みしないといけない。

 後ろから戸惑いがちにブランチ氏が話しかけてきた。


「オ、オウチ君、あ、あれが、え、えぬ、〈NPC〉か!?」

「ああー、よく御存じで。人型の魔術的生命現象のことですね」


 氏は息を荒くさせながらもしっかりついてくる。体力があるようでよかった。


「じゃあ、やっぱり生きているのか……?」

「あ、はい。最初に見た幻影と違い、あれは代謝や死などの生物と同じ機能、加えて人格

・記憶を持った魔法です。その材料はモデルとなる生物の魂、それか空間の持つ記憶です。あれは後者かな」

「魂……」


 男の子は時折ちらちらとこちらを窺いながら走るが、道に悩む様子はない。一つ二つと角を曲がり、何処かに行こうとしている。やはりここは行き先まで走った方がいいだろう。黙った氏のペースを気にしながらも追跡は続けた。

 少しして、先行するマリウスが俺たちより数秒先に角に消えた直後、「ゲッ!」と低い悲鳴を上げた。


「どうした?」


 角を曲がれば聞くまでもなく悲鳴の理由がわかった。曲った先は行き止まりで、男の子が頭から血を流して倒れている。ブランチ氏が泡食って男の子を指差した。


「こここここ、これはっ!?」

「ボクがやったんじゃないぞ」


 しかめっ面のマリウスは腕を組んでいた。確かに両手の武器に血はついていないが、そんなことはどうでもいい。悲鳴の理由はそれではない。

 我々は袋のネズミ、このイベントは罠だったのだ。


 ゴギャッ ゴギャッ


 たくさんの禍々しい雄叫びが俺たちを取り囲むように響く。続いて、今通った角の向こうから、声の主たちが陸続と現れた。

 それは緑色の醜悪な小人だった。小人と言ってもマリウスぐらいはあって随分マッチョなヤツらだ。全員が禿頭で皮の鎧を身に纏い、短いサーベルと盾を装備している。


「こいつら……!」

「あ、待ち伏せされました。ゴブリン八匹、初戦闘です」


 俺がブランチ氏に報告すると同時に、ドラムロールからの軽快な〈Back Ground Magic〉が始まった。空気に魔力が満ち、生成されたてのモンスターどもに指令が下される。眼に凶暴な光が宿り、耳まで裂けた唇がおぞましい笑みに歪む。

 ゴブリンどもは幅三、四メートルぐらいの通路に前四後二と、一糸乱れぬ動きで二列に並んだ。

 こちらは普段の分担通りマリウスが前衛としてモンスターどもの前に出た。俺はブランチ氏と一緒に後方、すなわち行き止まりの壁の方に下がろうとしたが、彼は怯えきった表情で俺に掴み掛ってくる。ビビりすぎて逆にキレそうなんだな。


「か、彼は大丈夫なんだろうね!? 本当にそんなもので戦うつもりなのか!?」

「ゴギャオオオオオオオオオッ!!」


 ゴブリンどもが喊声を上げこちらに突っ込んでくる。サーベルは乱戦用、数に頼んで圧殺する気か。氏は「ヒッ」と叫び俺の背中に隠れた。騒ぐよりはマシだが、こんなに押されては邪魔だ。


「ご安心ください」


 俺は身を斜にして、相棒がよく見えるようにしてやる。

 マリウスは泰然とした態度で、サーベルを振りかぶる先頭のゴブリンに『そんなもの』――バールを構えていた。


「我々は家庭内暴力のプロです」


 ビュッ


 バールが視界から消え、次の瞬間にはゴブリンの指ごとサーベルが宙に舞う。相棒は先方が仰け反る間に距離を詰め、皺びた喉元を左手の園芸用の移植ゴテで切り裂く。それから手と首からスカイブルーの血を噴き出すゴブリンを仲間たちの元に蹴り飛ばした。


「ゴギャ!?」


 仲間を受け止める彼らの声に戸惑いの色が混じる。その隙を見逃す相棒ではなく、残り五体のゴブリンに真っ向から突っ込む。

 激しい風切り音を出しながらバールが空中にスカイブルーの曲線を描く。バールで手や足を切りつけてひるませ、距離を詰められれば移植ゴテで急所を一撫でする。振りかざす盾は相棒の手捌きに比べればのろのろと遅く、意味をなさない。展開は一方的だった。


「す、すごい……うっ」


 ブランチ氏は安心したら今度はゴブリンたちの惨状に吐き気を催してえづく。忙しい人なんだな。


「あ、事前に申しあげました通り、戦闘の際の鉄則は『お・は・し』。押さない・吐かない・死なない、の三つです。気を付けてくださいね」

「私には全部難しいかな……」


 それでも圧倒的な戦況に、苦笑を交える余裕を取り戻したらしい。もう少し話したそうな顔をしていたので、壁側に下がりながら会話を続けることにした。


「本当に強いんだね、君たちは。どうしてちゃんとした武器を使わないんだい?」

「今日日は法律が厳しくて、一本一丁買う度に手続きが大変なんですよ。あとは安いから」


 本当はそれだけじゃないが。


「でも君たちは魔術師だろう? あんな近づかなくとも、なにか、炎や雷を出すとかすればいいんじゃ」

「あ、いえ、魔法ならもう使ってます」

「えっ」

「普通の人間ならあんな動きできませんよ」


 跳躍するマリウスは、同時に繰り出された三本のサーベルに頭から飛び込んでいく。全て当たることなく地面に辿り着き、逆立ちの格好で体をしならせて跳ねた。一匹の胸を蹴り転がす。グビュッ、胸が潰れたゴブリンは血を吐いて絶命した。相棒はそのまま胸の上でまた飛んだり跳ねたりしながら白刃と斬り結ぶ。

 もちろん今までの動作にはワイヤーやトランポリンを使っていない。全て生身だ。


「でも魔法なら呪文を唱えたり、杖を振ったりするもんじゃ?」

「それは一般的なイメージに過ぎません。そもそも魔法とは何か知っていますか?」

「何って、だから呪文を唱えたり杖を振ったりして炎とかを……。いや、『確実に効果のある祈り』だったかな?」


 氏は曖昧な質問に最初はイメージのまま答えようとし、俺の顔色をうかがって教科書的な定義に回答を変更する。優等生だ。


「ウィキペディアにもそう載ってますね。呪文も杖の動作も祈りの方法、つまり魔法とは技術ではなく全て宗教的な行為であり、我々魔術師とは何らかの宗教の信者です。その為、信仰する対象により魔法のやり方や効果が変わります」

「では、君らの信仰の対象とは?」

「生命」


 俺は自分の武器、包丁を掲げて彼によく見せる。


「生と死を崇めます。自分の命と他の命を尊びます。他の命を奪うことと自分の命を奪われることを肯定します。我々の神はこの身の内にあり、ゆえに祈りに言葉は要りません」


 包丁で十字を切る。意味は全くない、かっこいいでしょ?


「我々が使える魔法は三種類。生命の知覚、運動能力の強化、それから、一人一人が持つ固有の祈り」

「固有?」

「今申しましたよう、我々の信仰では相対的に言葉の重要度が低いので、礼拝の方法が各人ごとの理解に依るところが大きいんです。固有とはその意味においてですね。

 たとえば我々の宗派の教典にはよく料理の比喩が用いられます。命を奪ったり奪われたり、食ったり食われたりということでなく、その過程。命に干渉し加工するプロセスにこそ世界の循環に囚われた人間の主体性を見出したわけですね。この包丁は私の生命への理解であり、私の杖です」

「ほ、ほお」


 ブランチ氏がうさんくさい物を見る目をしている。仕方ない、クリスマスにはケーキを食って、正月には神社にお参りしているような国民性ではこれも当然の反応だろう。俺たちのはマジの新興宗教だしな。


「包丁を相手に向け、料理人と食材といういささかグロテスクな比喩を成立させます。もちろん相手は生きている場合もありますが、大事なのは相手の命に干渉するという構図で、そこに魔力を流し込むと……」


 言いながら俺は踵を返し、壁の上で弓を絞っていた二匹のゴブリンに〈切る〉魔法を放った。

 青白く発光する半月形の刃が四つ、空中に生まれて直進し、後詰めのゴブリンどもを切り刻む。


「ゴガッ!」

「ギャオ!」


 ドサドサと血を流しながら壁から転落する小人はまだ死んでない。もう一度魔法を放って完全に殺す。


「魔力を流し込むと、関係を飛躍させ調理を行う処理が発生するというわけです」


 その時を見計らって〈BGM〉がクロスフェードで陽気なファンファーレに変わる。見れば、マリウスはとっくに六匹を平らげて真ん中分けの前髪を整えている。戦闘終了だ。

 俺はブランチ氏に講釈の続きを垂れる。


「教義は単純だし、道具も安価。今も世界中の紛争地帯ではテロリストがアサルトライフルと調理用具を持って駆け回ってますよ。ニュースとかで見たことありませんか?」

「い、いや、あ、あまり興味が無くて……」


 依頼人はどこか今までよりも怯えた様子だ。モンスターだけでなく俺たちも怖くなったのだろう、戦争の無いこの国では魔法など無用の長物だ。俺は包丁をジャケットの内側の鞘に納めることにした。


「さて」


 ファンファーレは終わり、すぐにまた新しい〈BGM〉が流れていた。よくわからんが、弦楽器とピアノのクラシック調。多分……おどろおどろしい雰囲気。

 モンスターの遺骸がボロボロと崩れて大気に溶けていく。魔力に分解されてこの後のイベントに再利用されるのだ。

 ゴゴゴと行き止まりの壁が引っ込む。その先に二人の人影、いや幻影があった。


『ラッド!』


 幻影の片割れ、大人の女性が甲高い叫び声をあげる。少し離れたところにいる少女は全身を震わせながら、ずーっと倒れ伏したままだった少年を見ている。

 空気中に発散された魔力が空間の幻影を映し出し、辺りの風景が一気に変わる。

 壁とフローリングはそのままに、窓やカレンダー、テレビやソファーが現れる。ここはリビングだ。ラッド少年の傍にはいくつもオモチャが転がっていた。少年は呻きながら頭を抑えている。オモチャの一つに血が付いている。それで頭を打ったか、切ったか。


『お兄ちゃんが、わ、わ、私……』

『どういうつもりなのエミリア!?』


 女が駆け寄ったのは少女の方だった。炯炯とした瞳がエミリア――最初よりずっと幼いがミリーだと思う――を射抜く。それだけで稚けなき彼女は泣きじゃくり始めた。


『あのね…、違うの……私じゃ…』

『また私じゃないって言うの!? この嘘つき!』

『ごめんなざい、お゛があ゛あ゛ざぁ゛ぁ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ん゛』

『うるさい! 泣くな!!』

『か、母さん、違うよ、僕がブロックで滑ってこ、転んだだけで……』


 女、ブランチ氏たちの母親が一人で山火事みたいにヒートアップするものだから、ラッド少年までよろよろと起きあがって言い訳を始める。


『あんたは黙ってなさい!!』

『あああああ! ごめんなざぁぁぁぁああいぃぃ!』

『うるさい!!』


 幾つものダンジョンに入って思うことだが、幼児の泣き声というものは凄い。どんなことしてでも慰めてあげたいほど権威的だし、首を絞めてでも泣き止ませたいほど被虐的だ。

 俺は語彙が無いから凄いとしか表現できないが、ブランチ(母)としては手でもってミリーに感想を伝えた。


 腰を入れて、平手で頬を一発。パアンと乾いた音。


『ああああああ!!』

『黙れ!』


 二発目はちょっと重い音。


『いだぃぃいいい!!』


 三発目で、ミリーの口中が切れて血混じりのよだれが飛び散る。


『汚い! 汚い! 汚い!』

『母さん、やめてよ、母さん』


 床にうずくまる少女の髪を引っ掴み追い打ちをかけようとするオニババ。縋り付くラッド少年。オニババの怒りの矛先が兄へ、拳がその鼻っ柱へと、


「もういいや、スキップ」


 ブツリッ


 拳がラッド少年の鼻っ柱に向かうより速く、俺の〈切る〉魔法がラッド少年の腹を切り裂いた。

 途端に全ての幻影と〈BGM〉が消え、〈NPC〉のラッド少年も設定された体力の許容量を超え、モンスターたちと同じように塵になって消えた。


「なっ……何を」

「あ、いや。つまんないしもういいかなって、ムービースキップ」


 ついいつものノリでやってしまった。先ほどから幻影を見入っていたブランチ氏には悪いことをしたかもしれない。

 ばつが悪いので、マリウスとの相談に逃げることにした。最初のイベント後にダンジョンの傾向を話し合うのが慣例なのだ。


「どう思う?」

「ふっ、ボクは読めたぞ。典型的な一本道のムービーゲーだ、これは」


 奴は腕を組んで自信満々に頷くが、所詮はこまっしゃくれたガキの考えなので信用してはならない。


「半分は賛成する。ムービーは多そうだ。でも一本道か判断すんのはまーだ時期尚早じゃね?」

「わかってないな! シナリオの理解が足りてないぞ」


 マリウスは我が意を得たりと言わんばかりに、形のいい鼻からムフーと息を出す。目が細まり、他人の意見を叩きつぶすのが嬉しくてたまらないと言ったにやけ方だ。


「いいか、アバンタイトルがあることと言い、このダンジョンは明らかにシナリオ重視だ。でも、児童虐待モノなんて展開はたかが知れてるんだよ、意外性は出しにくい。精々派手にやっても子供か親のどっちかが死ぬぐらいだ。

 とすれば印象的なダイアローグと丁寧な描写で完成度を上げる腹積もりに違いない。その為には全五階層のボリューム的にもいくつも分岐させたり、余計なサブシナリオを加えたりする余裕はないはずだ」

「相変わらず短絡的だなマリウスちゃまは。ガキどもがちょっとぶたれただけじゃん。まだ虐待が話の主軸かわかんねえだろ」

「う」


 痛いところを突かれたらしく相棒は顔を曇らせたが、すぐむきになって反論をまくしたてる。


「話の主軸がなんにしたって、このダンジョンの規模でシナリオ重視なら同じことだ! ダンジョンでは事前にオチがわかってしまう場合が多い。ここだって、役所の生命魔術師が走査をかけて生存者ゼロだってことはとっくに知れてる。オチは全滅の鬱エンドだ! となると後はそこに至るまでをどう魅せるか、と考えるのが普通じゃないか」

「いや、全滅してねえし。役所の記録を思い出せよ」

「あ、そうか長男は高校で寮に逃げてダンジョン化から免れたんだっけか」

「そうそう。上手くフラグ回避してる」


 だが相棒の言い分は一理ある。何か重大な飛躍があった気もするが思いつかない。俺は頭の回転が鈍い。


「あ、でもあの妹ちゃんも開幕投身自殺だったしな。エンディングが固定なのは確かか」

「はい論破。まーた勝ってしまった」

「あーあ、しょっぺえダンジョン……」


 顔が光りだすんじゃないかっていうほどのドヤ顔をされて非常にむかつくが、覚えたてのネットスラングを使う中学生など微笑ましいものだ。年長者として暖かく見守ってやる方がいいんだろう。

 話が済んだとばかり相棒はのしのしと先へ歩き出す。これで奴の機嫌が良くなるなら安いものだ。


「き、君たち」


 ところがブランチ氏から物言いがあった。やはりムービーが気になるんだろうか。心なしか怒っているように見える。


「あのー、やっぱり続きが気になります? もし興味があるならばまだ序盤ですし、一度ダンジョンから出て、イベントをやり直しますが」

「そうじゃない。さっきから『鬱エンド』とか『フラグ回避』だとか……ふ、ふざけているのか? 私をからかっているのか!?」


 彼は困惑しながらも怒っていた。今更ながら何か失礼をしたらしいことに気付いた。


「どうって」

「あー、えー」


 参った、俺たちはこういう質問が苦手だ。思わず顔を見合わせるが、答えられない。

 なんとなくはわかるんだ、悪いことをしたって。でも、釈明と謝罪と言い訳がごっちゃになっちゃって、うまく言葉にできなくて。結局モヤモヤで黙りこくってしまう。それがふて腐れてるように見えて余計怒りを買うのだ。

 やがて痺れを切らし、オニババによく似た顔でブランチ氏は怒鳴った。


「き、君らは何を考えているんだ。人の家のことをまるで、遊びみたいに……! ダンジョンを何だと思ってるんだっ!?」


 何って。


「いや、ゲームでしょ」「だろ」


 会話はそれで打ち切りになった。ブランチ氏はぽかんと口を開けて絶句し、それきり何も言わなくなってしまったのだ。

 すごく気まずかったが、こうなっては仕方ない。俺たちは無くなった壁の向こう、おそらく正規ルートへと歩みを進めることにした。

 依頼人同伴の攻略はいつもこうなってしまう……。


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