第二章 おちてゆく星
Count down.10
――あの日、あの奇跡が起きるまで、僕は父に捨てられたのだと思っていた。
厳密に言えば、それは嘘だ。
いかにも子供じみた虚勢を張っていただけだ。
……本当は許していた。父からの愛情を信じていた。
父が望むなら、どこへ引っ越しても、転校しても構わないと思っていた。
明彦がハワイへ行ってしまってから、半年が過ぎた。
季節は春夏秋と飛ぶように過ぎ、十二月に入った。昴が明彦と共に流星群を観てから、もうすぐ一年になろうとしていた。
昴は明彦が日本を発ってからも、麻理子の元へは行かず、春子と二人で暮らしていた。彼は一見、平凡ながらも落ち着いた生活を送っているように見えた。
黒板の隅に貼られた日めくりカレンダーには、真っ直ぐ「一」と記されている。
小学校の三階、四年一組の教室では、ホームルームが行われていた。
壇上に立った君江が、児童たちに元気よく呼びかける。
「はーい、今日から十二月だからね。もう五時には真っ暗だからね。みんなも早く帰るように」
皆がはーいと返事する中、窓際の席に座った昴は肘をつき、外をぼうっと眺めていた。灰色の雲が厚くたれ込めている。ここ最近はずっと天気が悪い。
見上げるうちに、無意識のうちに呟いていた。
「……晴れんのかなあ」
昴の心ここにあらずな様子に、君江は気がついた。
「……高木くん?」
呼びかけるが反応はない。尚もぼんやりと外を見ている。
「コラ、高木くん!」
君江が再度呼びかけると、昴は我に返った。
「は、はい!」
「ボーとしないで。まだ授業は終わってないよ。先生の話に集中する!」
周囲の児童がくすくすと笑った。
悪戯好きな亮平はともかく、昴が怒られるのは珍しく、好奇の視線を向けられる。昴は恥ずかしくなり、縮こまった。
右隣りの三つ前の席にいる亮平が振り返って、気にすんなとばかりに右手の親指を立てた。気づいた昴も小さく手を振り返した。
チャイムが鳴り、解散になった後で君江が昴の席にやってきた。
何を見ていたのか気になったらしく、窓の外を見やるが、すっかり落葉した校庭の木々が映っただけだった。君江はつまらなそうに嘆息した。
「珍しいね。昴くんがよそ見するなんて。何を見ていたの?」
「……別に。空、曇ってるなって」
昴は素っ気なく答えた。事実、空を見ていた。
「……そう。明日は晴れるといいね」
そこにランドセルを背負った亮平がやってきた。
「おーい、昴帰ろうぜ。って先生、やめろよ。昴をいじめんなよ」
「いじめてないわよ。何言ってんの」
「口説くのもやめろって。小学生相手に犯罪だぜ?」
「そんなことするわけないでしょ」
「俺にしとけよ」
「馬鹿!」
君江は半ばムキになって否定したが、最後の方は笑っていた。
二人が言い合いだかふざけ合いをしている間に、昴はさっさと荷物を持った。
「先生、またね」
そう言うと、亮平と共に走って出口に向かう。
「コラ、走らないの!」
君江は再び怒り、二人が出て行くとふうっと息を吐いた。
亮平はともかくとして、昴のことが心配だった。
昴が置かれている複雑な環境を、君江も一応は把握していた。当事者からではなく、主に父兄の噂というのが歯痒かったが。
昴の両親は、現在母親が家を出る形で別居中である。
母親は婚姻関係を持続したまま、別の男性と暮らしている。
母親は昴を引き取りたがっているが、当の昴がそれを拒んでいる。
父親は離婚協議には応じず、調停になると思われたが、その直前に仕事でアメリカへ行ってしまった。長期出張ではなく単身赴任であり、いつ日本に帰ってくるかわからない。残された昴はまさに宙ぶらりんの状態で、地方から来た祖母が面倒を見ている。
一度、春子が保護者会に来た時に、君江は詳しい事情を聞こうとした。
しかし、春子はしきりに日頃の礼を述べるばかりで、肝心なことは何も言わなかった。特に明彦のことを聞かれるのが辛いようだった。昴の学校生活のことだけ聞くと、用事があると言ってそそくさと帰ってしまった。
昴以外にも、クラスには様々な事情で片親と暮らす子がいる。
その数は、二十八人いる児童のおよそ半数近い。昨今、母子家庭も父子家庭も全く珍しくなく、君江も偏見はないが、昴のようなケースはとても珍しかった。
父親がアメリカに行ってしまって以来、彼はあまり笑わなくなった。
以前はよくしゃべる子だったのに、口数も減った。成績は落ちなかったが、時折ぼうっとしていることがある。両親のことが影響しているのだろうと思われた。
減った口数の分を補うように、亮平がうるさくなった。
うるさいのだが、わざとふざけたことを言って、昴を笑わせようとしている節もあった。彼は彼で賢い子であるから、実は気を使っているのかもしれない。
いつものように帰り道で亮平と別れて、昴は自宅へ帰った。
ただいまと言うと、春子が顔を覗かせた。
「お帰り。おやつがあるよ。もうすぐご飯だけどね」
「……後で食べる」
階段を登りながら、昴は返事した。
二階の自室に荷物を放り投げると、そのまま三階へ上がる。
明彦の書斎であった三階も、今は昴の部屋になっていた。
今では、家に帰ると大抵三階へ行く。
書斎は明彦がいた時となんら変わっていなかった。家具も、天体関係の膨大な書籍もそのままである。
元々大事な物は天文台の研究室に置いていたのだろう。明彦が自宅から持ち出した私物は僅かだった。ボブソニアンの天体望遠鏡だけ持って、ほぼ身一つでハワイへ行ってしまった。
昴は電気ストーブのスイッチを入れると、机の前に腰かけた。
大人用の椅子は大きくて、床から足が浮いてしまう。机の上にはデスクトップのパソコンがあり、脇に何枚か絵葉書が積み重なっていた。
慣れた手つきでパソコンの電源を入れる。
暫くして画面が立ち上がると、メールソフトを開いた。
新着のメールが一件来ていた。
昴は画面を凝視し、迷わずメールを開いた。
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