(11)

 私が気づくと、ほぼ同時に空いても気付いたようで、目を見開いてじっとこちらを見つめている。

 「広崎くーん、おはよう」

片手を上げて挨拶を返してくれた広崎くんに向かって、ゆっくりと自転車を走らせた。広崎くんの方が10センチ以上背が高いが、自転車にまたがっている今、視線の高さはちょうど同じくらいになる。キッと音を立ててブレーキをかける。

 「香織。こんなところで会うなんて、偶然だな」

 「そうだね」

 「どこに行くんだ?」

 「……図書館に行こうと思ったの。でもね、すっごい込んでて、順番待ちって言われたから、諦めて帰るところなんだ」

 「え?」と、広崎くんは再び目を見開き「学習室、使えないの?」と困惑している。どうやら、彼も図書館に行こうとしていたらしいが、この時期図書館が混雑するということは知らなかったらしい。

 「広崎くんも図書館に?」

 「本屋によってから行こうと思ったんだけど……」

 「ああ、ダメダメ」と、私は頭を振って、「開館前で、もういっぱいだったんだもん。これから本屋さんに行ってからだと、きっと順番待ちになっちゃうよ」

 「そっか」と言ったが、それほど落胆しているわけでもなさそうだった。多分、本を買いに行くのが主な用件で、図書館に行くのはおまけなのだろう。

 「何の本を買いに行くの」と、何の気なしに聞いてみる。

 「過去問」

 「……過去問って、相模の? 広崎くん、まだ持ってなかったの?」

と、思わず怪訝そうな声音で聞いてしまった。私も、県のコンクールに出展するための絵を描いていたので、本腰入れて受験勉強に取り掛かった時期は遅い方だが、いくら何でも、今さら志望校の過去問題集を買いに行くのは遅いというか、悠長すぎる感がある。私の不審げな表情から察したのか、少々不服そうな調子で、唇を尖がらせながら

 「今使っているのが、あまり解説が載ってないんだ。だから別の物と買い換えようと思って……」

 「解説付きって、……例えばこういうもの」

と、私は自転車のバスケットに突っ込んだトートバッグから、今使っている過去問題集を取り出し、広崎くんに示した。私が使っているのは、過去5年分の問題と回答、そして出題傾向の分析が掲載されているものだ。広崎くんは手に取ると、パラパラと数ページめくって

 「……悪くはないんだろうけど、多分俺が欲しいと思っているのとはちょっと違うような気がする。……それに、これ古くないか?」

 「そうだよ、これお姉ちゃんが使っていたものだもん。同じ高校だから1年くらい古くても大丈夫かなと思って……」

そんなにおかしいことを言ったつもりはないのだが、広崎くんはぽかんとした表情を浮かべて

 「じゃ、去年の問題が載ってないじゃん。そんなんじゃ使い物にならないだろ」

とあきれ顔で言いきられたので、今度は私の方が唇を尖がら画せて

 「そうでもないよ。どのレベルの問題出るかは一昨年より前のものでも何となく分かるし、去年受験したお姉ちゃんも、そんなに変わらないって言ってたもん」

私の言い分の方が部があったようで、釈然としない様子ながらも「ま、そうかもしれないけどさ」と認めてくれた。渋々ながらも、自分の主張が受け入れられたことに気分が良くなり、少し得意になって私は胸をそらした。広崎くんは、それでも何か言いたそうに口をもごもごさせている。男らしくないなと思いつつ、話を促すつもりでじっと見つめていると「……意外だな」と漏らした。「?」と、小首をかしげて見せると

 「香織ってさ、いつもテキパキときちんとこなしているから、受験対策もしっかりしていると思っていたんだけど、意外とそういうところ大雑把なんだな。……それとも、それは余裕の表れなの?」

とまじまじと見つめられながら言われた。時々、私はこういう誤解をされる。

 「余裕なんてないよ。今日だって、朝から図書館でみっちり勉強するつもりだったんだもん。それに、たった1年違いで、わざわざ新しい物買う金銭的な余裕もないよ」

と笑ってみせた。

 どうやら私は、周りの人から「きっちりしている」とか「しっかりしている」と思われている節がある。これまでにも、委員会の担当者やクラス班長、3年生の時には、修学旅行のクラス代表委員に選抜されるなど、何かと役割を担っていたことは事実だ。正直なところ、推薦されて戸惑う気持ちや面倒臭いと思う気持ちは強かったが、互いに役割を押し付けあうのは、時間の浪費だし、雰囲気も悪くなるし、誰かがしなければならないことなら、取りあえず受け入れてその場を丸く収めようということで引き受けていたので、決して自分が適任であるとか、責任感や統率力を持っているとは決して思っていない。だが、引き受けたからには、それなりに仕事をこなし、役割を果たしてきたつもりだ。その結果が、おそらく「山本香織はきちんとしている、しっかりしている」という評価に繋がっているのだろう。

 そういう一面もあるが、決して謙遜ではなく、私はそれほど人から信頼され、頼られるタイプの人間ではない。それは家庭において、特に姉と一緒にいる時に顕著に表れる。姉は、部活動ではマネージャーを、クラス活動や委員会に置いて、たいていの場合、「副」が着く役割を担うなど、裏方を仕切る、または補佐的な立場になることが多かった。姉は、自発的に取り組んだり矢面に立つことはせず、今の状況や相手が欲していることを見抜き、客観的な助言を投げかける、または物事が円滑に進行するための下準備に勤しむことに労をねぎらわなかった。

 そんな姉の気質の下地にあったのは、幼い頃からの私との関係が大きく影響していることは間違いない。いつの頃からだろうか、私が服を着るのに手こずっていれば、次に身に着けるものを正しい向きで手渡して着替えを手伝ってくれたり、一部のひらがなをいつも鏡文字で書いて母に叱られ、泣きべそをかきながら練習していると、姉が隣に寄り添って辛抱強く正しい書き方を教えてくれたり、クッキーなどのお菓子作りに挑戦してうまくいかなければ、失敗した原因やより良い方法を助言してくれるなど、私が行き詰った時は必ず姉が助けてくれた。姉はいつでも私の一挙一動に気を配り、何か不都合なことが生じれば、嫌な顔一つせず、援助や指導をしてくれた。そんな姉がすぐ傍にいてくれたおかげで、何があっても大丈夫と心強く思える一方、すっかり甘え癖がついてしまい、いつでも姉の存在を当てにするようになり、時には「お姉ちゃんが何とかしてくれるだろう」と、楽観的な発想を抱くようにもなってしまった。いまだにそんな関係が続いていることから、学校以外では「いつまでもお姉ちゃんに頼りっきりの甘えん坊」とか「行き当たりばったりで詰めが甘い子」と見られているし、実際そちらの評価の方が妥当だと思っている。元来、面倒見のいい性格もあるのだろうが、そんな経験が今の姉の人格形成をつかさどり、同時に私の人格形成にも繋がっている。

 能力面においては、特別に優等生というわけではないだろうが、多分、学力については姉の方が優れていると思う。現に、一年先に習っていることとはいえ、勉強や課題研究などで分からないことがあれば、姉はいつでも適切かつ分かりやすく教えてくれたし、成績も姉の方がよかった。ただ、数少ないながらも、姉よりも勝っていると自信を持って言えることは、楽器を演奏する、絵を描く、文章を書くなど、感性に根差した表現する力は私の方が秀でていた。これまでにも、校内の絵画コンクールで優秀賞に選ばれたり、市の読書感想コンクールで入選するなど、とかくコンクールで賞をもらうのはいつも私だった。

 だが、残念なことに、今私が置かれている受験生と言う立場、しかも普通科であれば、どんなに楽器が弾けようが、絵がうまかろうが、それは直接の評価には繋がらない。どう贔屓目に見ても、受験に対しては決して余裕があるわけではないが、普段の私の言動と今の状況を比較されると、よく「以外」とか「余裕」とか「のんき」などと言われてしまうのだ。

 「広崎くんはどう? 受験勉強は捗ってる?」

話題を変えるために振ってみると、「うん、何となくだけど、少し方向性が見えてきたかな」と、肯定的な答えが返ってきた。

 「正直、今の状況じゃ相模はちょっと厳しいんだけど、受験勉強の進め方みたいなのが分かって、少し希望が出てきたかなってとこ」

 「へえ、それはよかったね」

少し前までの広崎くんは、サッカー部の地区予選の敗退が答えたのか、落ち込んでいるというか、気が抜けたようにぼんやりとしていることが多かったので、少々気にかけていたが、言われてみれば、今の広崎くんは以前よりも元気を取り戻したように、生き生きと晴れやかな表情をしている。何があったかは分からないけど、広崎くんなりに、今の悪い状況を抜け出すための活路を見つけることができたのだろう。やはり、親しい友人が落ち込んでいるよりも、明るい笑顔を見せてくれた方が安心するし、こちらも嬉しくなる。私も笑顔を返して

 「よかったね。それで、今から過去問買いに本屋に?」

 「過去問もそうだけど、自分の弱みが分かったような気がするから、少し参考書も買い換えようかなって」

 「かなり受験に力入れているんだね。ま、当たり前か」

つい引き留めてしまったが、お互い受験生の身。貴重な時間を立ち話で潰すなんて、それこそもったいない話だ。私はペダルに足をかけると、「それじゃ、また学校でね」と片手を上げた。(続く)

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思春期のディスコード 松江塚利樹 @t_matsuezuka

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