エピローグ「報告書」

 報告書――

 件の勇者については何の問題も無し。

 当初はその無能ぶりに、愛想の良さと人の良さだけでは呼び出された目的も達せられるのかどうかと甚だ疑問ではありましたが。その資質の本当の意味が――おぼろげにですが判明してまいりましたので筆をとらせて頂きます。

 親愛なるお母様へ――


 

 ………。


 町は喧騒に包まれていた。

 仮設の演説台檀上に上った町長フライトが握るマイクから、次々と祭りにおける各賞が発表されて行く。

「――公募レシピ部門、優勝は『じゃがバターあいす』のカレンディナ・ロックハート!」

 それに合わせて拍手が送られ、町の外から来たパティシエである彼女は称賛のシャワーを浴びる。

 トロフィーらしいトロフィーは出ないが、賞状と賞金の金一封――

 それと改めて惜しみない拍手を送られ、彼女も手を振りそれに満面の笑みで応えている。

「次に――屋台部門……おばあちゃんが作るにんにく風味具だくさんコロッケ――入賞者は栄えある我が町のご意見番、タイガー婆ちゃん!」

 後ろ手で腰に手をやり、杖を突きながら壇上に上がっていく。

「……こっちは賞品は無いんだね」

「婆ちゃん、十分儲けただろう?」

「まあそうだがね。貰えるもんなら貰いたいだろうがよ」

 苦笑を会場中がそぞろに浮かべる。そこで老婆は賞状だけ受け取り、拍手と共に満更でもない様子で杖を掲げた。

「――そしてまだ誰も見たことのない世界でたった一つのカレーレシピ――当選者は!」

 ドラムロール……そしてシンバルがぱぁーん!となった瞬間、

「――辛みがぱちパチ弾けるソーダ玉ねぎ、とろっトロのバター人参、食べると美肌な乙女心芋――コトコト煮込んだ魔熊の角煮の滋味とうま味豊かな味わい――スパイスは皿と口の上で光る風になる文句なしの一番! これぞ魔法のカレーだ!」

 一息、

「――ダリノの町でコンビを組む冒険者・料理人パーティーである銀の蟷螂マンティスが送る『シャイニングトロトロファイヤー!』だ!」

 およそカレーとは思えない名前だが、

「これは名実ともに『名は体を表す』振り切ったその見た目と味と表現に満場一致の様相でした! 何よりこのカレー、珍しい食材ながらもその辺の食堂で食べれるコストに押さえてあるのが素晴らしい! 今後はこの二人の店でも提供されるそうです!」

 それは当選者の二人に相談して、二人の店だけでなくリアの町でも提供していいかと交渉することになっている。

 上手く行けばそれはまたこの町に客を呼び込むことになるだろう。

 この町で作っていた魔法野菜・芋類もどうにか赤字になることなく売れた。

 ギリギリの黒字と、赤字との境界線で――本当にどうにか採算が取れたという程度だが。

 少なくとも今回このカレーで胃袋は掴んだ。妨害らしい妨害も入らなかった。

 これで、今まで見たことのない『魔法を使った野菜』で『全く新しい料理を作る』という新しい文化、経験がこの町だけでなくその外にも広まった。

 今のところ、実は、魔法を使った――既存の料理の改良なのだが。

 いずれは本当に見たこともないこの世界だけの料理が生まれるかもしれない。

 これが更に何度も繰り返されれば、いずれは魔法野菜も、それを使った料理も広まり――幾つかはその土地に定着するかもしれない。

 これで『にぎやか故郷野菜祭り』――その本義、異世界本来の文化を推進する。

 その演目は今回これで終了だ。

 あとは閉会の辞を読み上げれば――

「――そして最後に、特別功労賞!」

 ん?

「そんなのあったっけか?」

 会場の隅っこでその光景を眺めていた俺は言う。命さんも俺から大体の話は聞いているのでそんな話は露とも知らず、顔を合わせて疑問した。

「この祭りを陰から支え――そしてこの町に来てからずっと、この町の人間をささやかに、だが確かに常に支えてくれた――今ここに居る皆さん!」

 なるほど、全員参加の殊勲か。目立ったことをしていなくても一人一人が確かに尽力していた。

 町長がこちらを向く、

「その代表として、――スズキボンド君!」

 そぞろに小さな拍手が送られる。

 導かれるよう人垣が割れた。

 行かなきゃいけない雰囲気と物理的に後ろから押されて、戸惑いながらもその見えない流れに乗った。

 集まった人達の何割かが疑問げな眼差しを送っている。

 ――この町の住民は概ね可笑し気に笑っていた。

 すでに知っていたのか――

 それは俺には分らないけど、ほんのちょっと緊張してその壇上へと上がった。

 みんなを見渡す――逆に見られている。そんな中、

「――ありがとう。この町の、なんでもない住民の代表として、これを送ろう」

「……」

 断れない、自分が受け取るのではなく、代表――代理として受け取るのだ。

 これを突っぱねれば他にも頑張っていた人達全てを否定することになる。

 なにより――代表と言ったのだ。

 意味は分かる。

 それは小さなメダルだ。

 小さな双葉芽の出た芋に、魔法の杖が型どられている。

 それらは天秤の皿の上に乗っていた。

「――えー、じゃあ……ここに居る皆さんの……この町の住民の一人として、受け取ります」

 受け取る。

 その瞬間、惜しみない拍手が送られてくる。

 万人が、というわけではないが、それはとても温かい拍手だった。

 一度深々と礼をする。

 暖かくも湿った空気に、改めて場を盛り上げる為、何かパフォーマンスをと思い――俺は空に向け光の花火を打ち上げた。

 ドドーン! と一発、散った火花を花吹雪に変えて辺りにキラキラと散らす。

 するとワッと歓声が上がった。そこら中から。

 町の有志で作った楽団が音楽を奏で始める。

 後夜祭は始まった。


 ――と、そこで彼は改めて、この町の住民として皆様に認められることに相成りました。

 当初、一番の障害であったウインキも、なんだかんだで拗ねた態度を拗らせながらもちゃっかり酒屋として祭りに参加していました。それを快く思わない人達が出ると思われましたが、ボンド様があの日彼をまず真っ先に信用し禍根を抱かない様子や、何より、発想が違うだけで同じよう町の事を思っていた――としたことで、ただの融通の利かない及び腰のお調子者の頑固なバカと思われているようです。ただの不出来な人として、本気で嫌われてはいないようです。町の厄介者として不遇の眼で見られることこそあるでしょうが、それでも仲間外れにはならないでしょう。

 彼がどこまでそれを想定したいたのかは私には分りませんが。最初からそここそを気にしていたようにも思われます。

 しかしこれでリアの町の没落した産業を補うことは、まだどうにかですが、出来たので。

 そう遠からず出稼ぎに出ている男達の何割かはその帰路に着くことでしょう。最悪の場合は、当初は減った住民数をあえて増やさず町から再び農村になることで生存圏の維持――魔物の生息域に落ちることだけを防ぐ手筈でしたが、僥倖な結果と言わざるを得ません。

今回作り出された数々の魔法野菜――特に人気の一部は継続して生産することになりました。美肌になる芋は当然ながら女性に、魔法を掛けると各種芋料理になるそれは冒険者の携帯食として優秀で、それ以外に生産品も各所から注文が来ています。

 ただ依然として若い男手が少ないので彼は町の便利屋業からしばらく離れられないと思われます。

 これも、この世界に彼が来たときに見た彼の凡庸で無意味な能力からはあまり考えられなかったことです――

 いえ、そうではありませんでした。

 彼は、明らかに他の勇者から比べれば――それは異質ととってもいいのかもしれません。

 強烈な個性でも能力でも、精神性でもない特質性――

 揺れない天秤――

 この世界に紛れ込んだ数々の、彼らの言うところの【チート能力バランス・ブレイカー】とは真逆のそれ。何の変哲もない能力であるはずの彼の【魂の器】ですが。

 だからこそ自身の世界を持ち込むのではなく、彼は真っ正直にこの世界を学び、そしてここに生きる人間達と手を取り合う道を選んだのかもしれません。己の力の無さを自覚しているからこそ他人との関わり合いを大切にしているのかもしれませんが――

 いえ、これも彼の単なる気質でしょうか? 

 彼は最初から他者との間に利益をもたらすことよりも、友誼をもたらすことを己の最善としているようでしたから。

 それが臆病さであれ保身であれ――偽善であれ―――

 ……いえ、本人に聞けばむしろ率先して

 本当に、本当はただの優しさであると思われます。それがどこから来たのかは私には知る由もありませんが。

 彼はただの人間でも、異世界人でも、まして勇者でもなく――この異世界の町に住む人間として出来ることを考えていました。

それが結果として勇者連盟の妨害を退けることにもなりました。

 もし最初から彼が彼の世界のものを作り出していたなら。

 連盟はなおも彼を勧誘するか、ここに彼らの仲間を置いて、なし崩しに築かれるであろう彼と交遊関係からその人間ごとを絡め取っていたでしょう。同郷の仲間、友達と言う言葉を使って。何食わぬ顔をして彼ら元の世界の隣人として。

 向こうの世界の物を作るのではなくこの世界本来のそれを築こうとしたから――

 そして他世界と交わるこの世界――二つの世界の混合物でもあったからこそ、勇者連盟もその存在を黙認するより他なく、取り込むことも出来なかったのでしょう。

 ことが発覚した祭りの最中からも、彼らは表立って手出しをする素振りも水面下で何かの根回しをすることもありませんでした。大人しく、黙って手を引いてくれました。

 なにせあくまで彼らが作ったものを使用しただけですから。

 

 ――しかし、そう思わない者もいるものです。

 

 それは後夜祭も終わり、町が寝静まった夜のこと。

「――【算術】の後藤様、【千里眼】の相沢様でいらっしゃいますわね?」

 その外側で、人気のない街道の途中で名前を呼ばれた二人は足を止めた。

 そこは交易都市とリアの町、ちょうど中間の位置、人気も何もない草原のど真ん中だった。

 二人の内、後藤ではない方が応える。

「……ええそうですが、ガスト商会のご令嬢こそ、こんな夜更けになんの御用ですか?」

「あら、よくご存じですわね? わたくし、相沢様とは初対面の上に、まだ名乗ってすらいないのですが」

「この辺りで商業に関わる以上、名士たる商会や商人、職人やギルドの顔には目を通しておきますよ」

「――そうですわね?」

おそらく不作法にものだ。

 後藤もそれを黙認していた。いままで彼を使ってこちらの情報を集めていたのだ。

 だから、この町がやろうとしていたことをあそこまで的確に潰してきた。それは彼のお陰で失敗に終わったのだが。

「それで、何の御用ですか?」

 嘘だろうと思った。

「……いえ、お二方――特に、今回の事に関わった皆様には、ご退陣して頂くことになりましたので、そのご挨拶にと」

「……何の話だ?」

「千里眼様はその能力の悪用――そして算術様にはその犯行の教唆を」

「……いったい何をしたと?」

「……そうですわね、ボンド様は言っておられましたわ『つまらないことするなあ』と。『アイディアや技術、知識を盗むのならせめてそれを更に発展させて独自の発想なり技術なり工夫なり見せて昇華させて欲しかった。同じものを見ていても全然つまらない、面白くない――』せめてそれくらいして欲しい。だ、そうですわよ?」

「――自分自慢か?」

 そう、それこそまさに今回、彼がして見せたことだった。

 今までに見たことのない魔法のカレー。それ以前からの魔法野菜の創作も含めて。しかし、彼はこう言いました。『それを作ったのはこの世界の人達でしょう? 俺は作ってほしいってお金を出して頼んだだけ、だけ』……と。ええ、まさにその通りなので――なんとも己に対して無欲な評価を。

 ですがそんなことは問題ではありません。

「――これがただの真っ当な競争であれば何の問題もありませんでした。勇者の力など使わず、そしてなにより悪意さえなければ」

 たとえば、彼の言う合法――同じアイディアから各々の感性で別のものをひり出す。

 ただの競争相手であるのなら、商品の品質や提供の形態でまっすぐに比べ合ってお互いを削り合うなり、結果として盛り立て合うべきだった。それなら理想的な技術添削になる。無駄がなくなり必要とされる部分が盛り足される、商売として商品として進化し発展する。

 スパイ行為にも、まして商業、内政における悪質な妨害にもならなかった。

 そして結果的にであるが、

「今回、彼が双方の利益になる様にしていなければ……あなた方の作ったものを利用していなければ、連盟様には何の言い分も与えませんでしたのよ?」

「さもそう出来たような――」

「ええ。出来ましたのよ? ――でも、彼はあえてそれを拒みました」

 本当なら、連盟の商品や製品などを使わず、魔法野菜とこの世界の調味料を使うという案も出ていた。私がそう意見を出したのだ。

 早生の野菜を元に作れば1日で十分な量を確保できるものもあった。畑の土で育てるのではなく、錬金術の釜の中で直接、完熟品を錬成する方法なら無理をすれば出来ない事はなかった。真っ向から彼らの企みを全否定し潰しに行くことも出来たのだ。

 でもそうしなかったのだ。

「……なぜだと思いますか?」

「……我々を敵にしたくなかったからだろう?」

 後藤が言うきっとそれもある。

 彼は周囲に敵を作る怖さを知っているふしがある。でも、彼の気質を知って見ればそんな答えは思い浮かばない。

 きっと彼としては、

「……仲良くやれるのならそれがいい、面倒くさいことは考えずに、ですわ……ボンド様はそういうお方ですから」

「不殺主義かよ」

 相沢様はまるで嘲笑うように――いえ、実際にそうしていますわね。高を括って。

「では、あなたはことは御座いますか? 地道に、堅実に、誠実に、例え無駄になったとしても前に進む努力を見捨てずにいられますか? 何もやらないよりはマシと思うことは出来ますか? 他人とそれほど仲良くなろうと思えますか?」

 普通は無駄になるかもしれないことは無い可能性を見て自分を奮い立たせて行うものだ。それを盲目的に善悪見境なくそれを成そうとするのは愚か者でしかないが、理想、無謀それ以前に、それらを放棄しているのに非難することもだ。

 それは賢い生き方ではなく小賢しいだけだ。

 この彼は違うと思う。

 彼は違って。

「Win―Winがいいそうですわよ? それが一番問題が無いのだと」

 彼はそう偽善的でも性善的でもない、どちらかというなら利己的だ。そこに善意がちゃんと存在しているだけで。どんなに偽悪的に振る舞っても。

 健全な利己主義で、性善な現実主義と言うべきか。敵が居ると居ないのであれば居ない方がいい――

 そんな風に、無駄の置き所が違うのだ。

「あなた方の肩も、ちゃんとお持ちになっていたのですわよ?」

 そうすれば一番問題が無い――敵意を買わず、悪意を買わず、

 どちらも利益を――というのはそういう理念だ。

 そしてあくまで理想的に見れば――たぶん、彼らを振るいに掛けても居たのでしょうけど。

 だからこれからも彼らが敵対行為を止めないのであれば、彼はきっと彼らを隣人として置くことはしないでしょう。明確に敵として理解し次こそ容赦をしないでしょう。

 そして、

「よろしいですか? ボンド様は手心を加えたのでも敵対行為をしたのでもなく、本音で『できれば仲良くなれれば』と思っていますのよ?」

「それなら最初から我々の仲間になっていればそれで良かっただろう――」

「あなた方は最初からそれを選ばなかったのにですか?」

 最初から後藤たちが彼に力を貸す体裁をとってさえいれば――

 もしそうしていれば――

彼も快くその呼び掛けに応じていたかもしれない。この町を放り出さない範囲で。

 ボンド様は、物事を評価しようとしている。それに自分自身が則っている。

「彼は嘘偽りなく――最初から結果をもってしてあなた方を説き伏せようとしただけですわ」

 それだって彼らが最初から、高圧的で、敵対するような見下した姿勢を見せていなければ、言葉と礼を尽くして人間関係を築くことから入ることもした筈だ。

 お互いに信頼も信用もないから、結果と実績で黙らせようとした結果でしかない。子供が大人を説得するには――大人同士でもまずそれをする。

 その後で信用を得て、心無くも共調、という形に落ち着く。

 本当に信頼のある身内同士の場合――例えば――本当に良好な人間関係を築けていたら。

 こんな騙し討ちをしなくても、最初から協力を取り付けていたのだ。敵だったから結果として利用したという形になっただけ。

「結果として、本当にあなた達の敵になるようなことをなさいましたか?」

「……」

「……今回のことは全て、あなた方の落ち度ですわ」

 魔法がこの世界独自の文化や文明として発展する下地を作ることになった――

 そんな彼らの望まない結果も、こちらのアイディアを盗んで潰す――という手段でさえなければそれを引き寄せることもなかったのだ。例えば彼ら勇者の固有能力、異世界の知識で、魔法野菜に負けない物を作れていたら。

そうでなくとも、今回、彼は勇者たちの製品も使って者を作っている。

 だからこそ彼らにも利益をもたらし、商品の中に双方の利潤を共存させている。

「それでも、彼をあなた方にとっての外敵となさいますか?」

 人はいつだって善と悪の秤ごとをしている。それはちょっとしたことで容易に他人を敵と味方に分ける。悪意を持って接すれば、それに気づいた相手は迷うことなく敵になるだろう。

 善意を持って接すれば、よほど性根が捻じれてなければ好意的に味方となるだろう――これも既に悪意に身を染めた者でなければ、だが。少なくとも彼らは今回、自ら悪意を成す行為をしてしまったのだ。勇者であるにも拘らず――

 彼ならきっと『まあ人間なんだからそういうこともあるんじゃない?』とか平然と言いそうだが。それで許されるのは原罪と呼ばれるようなやむを得ない生殺与奪――生きるために食うような類だ。

 意図を持って人を貶めんとすることではない。

「……君は彼が不気味じゃないのかい?」

「なんのことでしょうか?」

「特別な努力もなく、毎日平凡に過ごしながら、気付けば自分の後ろに居る、知らない内に隣に居る、そしていつの間にか自分の前に立っている――」

「……」

「これが不気味じゃなくて何かな? どんなイカサマを使っているのかとさえ思わないのかい? 自分のように特別な努力は何もしていないのにこちらを平然と上回る。平然と――ごく当然のようにやってのける……これが異常じゃなくて何だい?」

「――運を引き寄せるのは何だと思われますか?」

 それは彼が言っていたことだ。

「普段の努力でしょう? 不断のごくごく平凡な日常の積み重ねの中で、目敏く引き寄せたに過ぎませんわ」

 天才的な発想というより、本当にそこにあるものから事実を見つけて、吟味し続けた結果といえる。冒険者ギルドを使うのもそこに発注するのをギリギリまで控えたのも、彼ら勇者連盟がスパイ行為らしきことをしている――と、ちゃんと気付いて避けて通っただけだ。

 絶対に分らない事ではない。

 ただ――あえて敵の策を放置しそれどころか、その敵の利益に火に油を注ぐような真似をして――利益を猛毒にしてしまうなんてこてゃ、中々思いつく事ではない。

 思いついても二の足を踏むと思う――敵に塩を送るなんて。

 実際にそれをやる人間なんて居るわけ無かったからこそ有名な言葉になったのだ。

 あの土壇場で、これまで必死に努力してきた自分達ではなく――どこの誰とも分からない人間に任せるという度胸は普通とは言い難いかも知れない。

 努力を捨てられる人間でなければ出来ない事だ。

 そう簡単に――追い詰められた時ほどそれまで積み重ねた自分の努力を捨てられるものではない。そんなギリギリの土壇場で『あとは運に天を任せよう』だなんて。依頼を受ける人が誰も来なかったら終わっていたのに。奇策で、適切な判断に見えて、実は危険な賭けだった。

 が――それを賭けではなく『お金が絡めば必ず人は動く』としっかり歴然とした勝算まで引き寄せて。その賞金だって祭りの費用からはもう無理ならと、自分が苦労して手に入れた給金をまず最初にと差し出し、誰もが渋るようなところでドンと札束を入れて勢い付かせて見せてたのだ。

 ――でもどれも、彼が平凡であると思えば納得もできる。

 自分の力の無さを思い知っているからこそ、他人を頼ることを知っている。

 無駄な努力があると分っているからこそ、自分が成果を出すことに固執せず手を離せる。

 出来ることは全てしたから後は――ではなく、あざとく用意周到に人の欲を掻き集める。善意でもきれいな努力でもない引きの強さ。

 正直どれも必要なことだ。無駄な努力は大概独り善がりだ。英雄願望や主人公気取り、学生さん気分で、自分ならできる、やればできる、自分がやらなければいけない、自分が結果を出さなければいけない――なんて思っている人ほどそうした

 彼は他人に肯定的なのである。それこそ彼の中にある健全な利己主義さや善性な現実主義の正体だ。それが様々な可能性を広げたのである。

 何も不気味ではない、それが分らないのは――

「……彼が不気味に見えるのは、いえ、彼の本当の姿が見えないのはあなた方が、彼が努力する姿を何一つ見ていないだけですわ」

 才ある者は人の努力を理解できない、才無きものは人の努力を認められない。

 そうではなく、自分の事しか見ていないから他人の事が見えないだけだ。それは自分のことも満足に見えない他人なんて関係ないと言い張るただのエゴイストである。

「……あの人はごく普通の、平凡な――ちょっとだけ人より心優しい、男の子ですのよ?」

 女の子の声に敏感で、ついこの世界に来てしまうほど。

 お尻好きで。……それは関係ありませんが。

 まあ、目の前にいるこの人達とは真逆なのだ。

「――あれが普通か?」

「ええ、普通ですわ」

「……揺れない天秤なんて、とんだイカサマ染みた能力を使っていても? 人並みの努力をするだけで、本当に何でも、人は何でもできるようになるものか? 例え人並み止まりだとしても、人並みの努力で全てなんでも出来るようになるなんてそれは可笑しい! 普通の人間の能力を超えている!」

 まるで彼自身を否定するように言うが、

「――そんなものありませんわ」

「……なに?」

 人並みに出来ると言っても、それはその道のプロのようにできるという意味ではない。

 むしろ、人並みに出来ない、くらいの範囲に止まる。そんなに完璧に何かが出来る人間なんて居るだろうか? たとえ料理でも鉄棒の逆上がりでも、本当に人並みに出来るとはどういうことか。

 割とみんな中途半端ではないか? 料理なら炊飯器を使ってお米が炊けるとか、おかゆならできるとか、卵焼きはくるくる巻かない方で。鉄棒も10点満点中6か8ぐらいのどこかみっともなさが残るくらいで。彼がイメージしているような、なんでも出来る、というような100点満点の人並みではない。

 事実、彼はどうにかこうにかこの世界でバイトとボランティア、お手伝いレベルにまだ留まっている。本職の技術には及んでいない。他人を頼って今回も事を成した。

 何もイカサマなどしていない。

「どういうことだ……」

「おそらく彼はもともと平均的に何でも出来るような人間だったというだけですわ。それこそ人並みですわね?」

 多くの人間が努力をすれば普通になれる能力を持っていると思う。

 それをそれぞれ磨いて、普通か、良いか、怠け者になるだけでしょう?

 それを、強い願望レベルで望んでいるとも思えるが――

(……そもそもおかしいのはそこではなく、何故――本来ある才能まで、人並みに抑えられてしまうのか、というところでは御座いませんの?)

 それこそ、人より秀でる才能なんてものを拒むような経験を向こうでしたのかもしれないが。

 おかしな話だ。彼は本当に普通の能力しか持っていない。本当はそれがあるのに三味線を弾いている様にも見えないし、怠けて手抜きをしている様にもだ。

「……あなた方はそんな、なんでもない普通の人間に対し――なにをしたのですか?」

 正面から勝負を挑むのでもなく、健全な競争を選ぶでもなく。

 落とし、嵌め、姑息な工作をして、アイディアを盗み、

「――堕ちましたわ」

「なに?」

「あなた達は、堕ちましたわ――あなた達はもう勇者ではありません」

恭しく、別れの挨拶に頭を下げる。

「だからお帰り下さいませ――あちらの世界に」

「……何の権限があってそんなことを言っているのか知らないが、それは無理だ」

「私たちが帰るには私達を呼び出した人間が送還術を使うか――」

 相沢は後藤と目配せをし合いお互いに私から距離を取りました。

 ――あとは被召喚者が死ぬだけです。

「……そうでなくとも、帰還に際してもそちらの都合で呼び出された我々自身の意思が第一に尊重される筈だろう」

「それはあくまで、害のない勇者に限りますわ」

 いくら精神的資質を確かめて召喚しても、こちらの世界に来てから人が変わるケースも間々あるのだ。それがこの世界の住民によるものである限りは強くは出れないが。

「――あなた方は今、この世界の在り様を歪めていますわ。それも元を糾せば私達の所為ですのでこれまでその責からあえて見逃していましたが、流石にもう限界ですの」 

 今回の場合、

「だから――」

 吐き気がするほど優雅に微笑む。

「仕方ないでしょう?」


 後藤は【算術】から己の危機を感じた。

 相沢は袖口から手甲型の弓矢を露出し、ばね仕掛けのそれを連続で射出する。

 その隙に両腕に魔道具式の盾を展開して、後藤は壁役を務めようと射線の邪魔にもならない位置に着く。

 同時に。トリエはそこからスカートを摘まんで飛び退り、翻ったペチコートの中から導火線付きの筒をこぼして彼らに優雅に蹴り渡した。

 着火している。

「――三歩下がれ!」

 後藤が【算術】で効果範囲を予測し安全圏を指示し、自らもその危険域から離れる。

 だが雨が降る様に手榴弾がスカートの中から溢れ出してくるそれを次々蹴り上げ、そこかしこに逃げる場所もなく更に噴煙が散乱した。

 炎ではない。鉄くずも何もまき散らされていない。

 しかし相沢は叫ぶなり苦悶の表情で転げまわる。爆発が連続し芳ばしい硝煙と土煙が立ち込める――共に刺激臭も。

 催涙弾だったのか視界が塞がれていた。相沢は【千里眼】という能力の特性上目を開けていなければそれを使えない。開いてさえいたら遮蔽物など何の意味もないが。

 算術上ではただの範囲攻撃として映っていた。見た目に騙された。

 対抗策を組まれている。

 今度はラインダンスのようスカートを摘まんであられもなく露わに脚を翻す。リズム良くフラれた足の射線上に閃光が奔った。

 足止めされる。後藤は相沢の盾になる為その閃光を両の盾で受け止める。

 軽い金属音と共に弾けて落ちた銀光の正体は投げナイフだった。

 無言で更に――それだけでなく柄付きの鉄球――モーニングスターを取り出し手の平にトス、じゃらりと振り回して投擲、射線上の相沢を庇い、その質量と加速度に吹き飛ばされ背中から衝撃を喰らった。二人は純粋な戦闘能力の持ち主ではないが、それでもこの世界の一般人や冒険者に比べても圧倒的な力を持っている。

 しかしそれを上回る力量と、先ほどから繰り出される攻撃のほぼ全てがアイテム頼りのもの、しかし、明らかにスカートの中やガーターベルトの積載量を越えている。

 面を喰らいながらも後藤たちは状況を分析する。

「ぐ……アイテムボックスか!?」

「それは【乙女の秘密】ですわ」 

 言いながら社交ダンスでも踊る様にまた爆薬やボウガンを取り出し連続してばら撒く。その近接を嫌った戦いに、後藤は算術で威力の高い爆薬以外を割り出し損傷率の一番低い部分に飛び込み、構えた盾で飛んでくる軽い衝撃をすべて受け切りその懐まで駆け抜けた。

 飛び道具を扱う以上、それを運用するための間が必要になる。それを潰して。目の前にあるその体に――盾による打突を最短距離でぶち込もうとした。

 空を切る。軽やかに、突き込まれたその盾を足場にして、まるで重さを感じさせずに肩までくるとそこを蹴り、後藤のバランスを崩して宙返りを決め距離を取られた。

「くそっ!」

 相沢が目が見えないながらも魔術で風を起こし煙を払った。

 後藤は括目する。

 視界が晴れた。そこには、

「ご安心ください――もう終わりですわよ?」

 爆発に紛れ、何らかの文字が刻まれたお札が辺りに――地面に、空中に。

 正面、側面、背面、上下左右すべてに囲まれていた。

「――なんだこれは」

「送還の術式を込めた式符ですわ。わたくし、これでも幼少の頃より巫女として修行していた者ですので」

 その一つ一つが線を結び立体的な魔法陣が空間に投射される。

 それはもはや檻にしかみえない。

「なっ!」

手の平を翳す。

「疾く速やかに、健やかに」

 煌めく魔法陣が全身に絡みつく。。それを阻止しようと後藤が宙に浮く式符目掛けて魔術の火を放つが、それはそこには何もなかったかのようにすり抜ける。

 見れば自身の体もすでに半分透けていた。

「夢は現に、現は夢に、願うは目覚めの歌、幻想は忘れ去られし朝焼けの泡沫へ――」

 祝詞を挙げていく。

「何の権限があって俺達を――」

 独り歩きする夢は、現の蟲毒に幻を見て、晴れない霧を彷徨い歩く。

 溺れた夢に、せめてその魂に目覚めの風を――

「――ありますわよ? その権限なら最初から。わたくしそういうお役目を務めておりますので」

 剣指を切り、印を書き出す。それは光の密度を増してゆき、彼らを更に絡め取る。

「なに?」

「……そうですわねえ……本来ならその秘匿性から名などないのですが。堕ちたとはいえ勇者に敵対するのですから――」

 トリエは告げる。

「――魔王軍、とでも名乗りましょうか?」


悪戯に微笑む。

「――なっ、」

「―そうそう、勇者はこの世界で何を持ってして勇者と呼ばれるようになるのかご存知ですか?」

 後藤は判断する。これは単なる言葉遊びだ――本命は時間稼ぎ、

 あとは最後の文言を唱えるだけ。

 しかし危機に焦燥が掻き立てられ何をどうすればいいのか分らない。冷静さが乱される。相手のペースに巻き込まれて話を聞いてしまう。

 全く意味の無い問い掛けをしているようには思えない。

 それはかつてこの世界を崩壊寸前まで追いやった【世界を破壊するもの】【無に帰す闇】と呼ばれた魔王達を倒したからだと聞いている。

 だが、

「それがなんだ!?」

「――それは相手が人間であれ魔族であれ――世界を正したからですわ」

「何が言いたい……っ!」

「――揺れない天秤」

そんなことはどうでもいい、この状況をどうにかしなければ。帰らなければならない――もうこの世界には妻と子供がいる。

 あんなつまらない世界に帰るわけにはいかない――

「――本来はどう読むかご存知ですの? 【世界の魔法】で翻訳されてしまう所為かそう普通に聞こえてしまいますけど、それは本来この世界では【バランサー】と呼ぶのですわ。ああ、この言葉もあなた方の世界の言葉に翻訳されているとは思いますが。例えば【魂の器】はステータスなどと呼んでいますが、それに倣うのであれば今のあなた方は【世界を破壊するものバランス・ブレイカー】と呼ぶべきですわね?」

 それはつまり――

「だから、堕ちたと言ったのですわ」

 後藤は絶叫する。そしてそれに相沢も巻き込まれ、

「では、お帰り下さいませ――さん」

 夢は夢に――現世は現世に。

 唱えた瞬間、それは分離する。

 

 後には、抜け殻だけが残った。

 


 ペンを置く。

 子細は省くが報告書としてそれなりに纏めた便箋を折り、封筒に入れ封印処置をする。中が覗かれないように、覗かれても別の内容が浮かび上がる様に術を掛ける。

 以前書いた報告書の返事には目を通した。今はその後の町の推移――経過観察中の報告である。

 あれから劇的に町の収益が上がったわけでも住民数が増えたわけでもない。

 新しい入植者は来ず元の数のまま――収益については、少しだけ回復した、という程度だ。

 錬金術を使っての無理やりの早期収穫の為、土がズタボロなのだ。肥料を混ぜ、休ませるなりにしても魔法野菜の収穫は次の次を待たねばならない。新しく畑を開墾しても土作りからだ。

 売り上げが確保できた分――畑を増やした分、外から人を雇うか――

 その前に身内の転職、宿泊業/兼業・農家の収益の確保に当てられる。

 出稼ぎの家族が帰ってくる――

 それまでの間、料理そのものに魔法が組み込まれた文化や収穫物を絶やさぬようにしつつ、それらを慣熟し発展させなければならない。

 ある意味で一番難しい時期だ。勢いに乗って版図を拡大するのではなく地盤を固める。

 その計画を――

 周囲の村や町に広まりつつあるそれらに見劣りしないために、今後も料理なり野菜なりの公募企画を継続するか。さらに一歩進んだ加工業に手を出すべきか。

 その資金繰りは――そろそろ役場でなく、町の商家や農家にも委ねるべきでしょうか?

 それには個人操業が出来るレベルの人材が揃っていないのがネックですわね。

 現状では役場と農家、それと錬金術師による共営事業に近いもので――個人で今のところそれが出来るとしたら錬金術師であるベアマートと……最近あそこで錬金術の初歩を学びその手伝いもしているボンド様くらいなものだ。神子様に魔法を習った所為か潰しが利いている。呑み込みが早いそうだ。

 ――と、噂をすれば。

「トリエお嬢様――?」

 彼だ。彼は何故か私に対してその敬語というか上下関係口調を止めない。

 一応、公的には彼の正式な雇い主は私で――それを役場に貸し出している形なのだから間違ってはいないのですが。

 畏まっているのは言葉面だけで口調はほとんど気を抜いた関係なのですが。女性としては全く意識されていない喋り方にはちょっと複雑なものを感じますの。

「何をしてたんですか?」

「――ちょっと母からの手紙の確認をしてましたの」

「あ、そうだったんだ。……ガストさんは?」

「今日もまたふらふらと商品の買い付けですわね。もともとが行商人ですから、どうも一つの所で商いを嗜むのは性に合わないとか」

「……そういえば何気にこの町に居ないと思ってたけど……根っからの風来坊?」

「何気に飽き性なのですわ、新しい物好きとも言いますけど、たまには家族の団欒も嗜んでほしいものですわ~」

 たぶん別の任地で情報収集でもしているのでしょう。

 最近また新たな異世界人が現れたということですし。

「……でも、本当によく、踏み切りましたわね」

「ん? どうかしましたか?」

「……あの時、お祭りの前に、連盟の策略自体を利用した事ですわ」

 正直、あのタイミングで思いつく対抗策としては――普通ならばやはり、売り出す予定の芋からレシピを新たに考案し消費しきることだったろう。それか祭り内では諦め商品を置いて欲しいと営業にひた走ることぐらいだ。

 単純に――町興しを意識していたら、それぐらいである。

 けど彼がしたことは――言うなれば、

「……そのおかげで、ここだけでなく近辺の農村や町にまで魔法野菜が広まったわけですし」

 それこそ文化の推進だろう。単純にただの町興しだけを考えていたら起きなかったであろうことである。彼はそれを目指していたとはいえ、あの切羽詰まった状況でよくその理念を放り出さなかったと思う。

 それに、

「――そこまで計画していた、というのは、本当ですの?」

「え? ああ……うーん……半分以上絵空事だったけど?」

「えっ」

「こうなったらいいな~っていう単なる未来予想図だったっていうかさ……まあ色々と考えてて……それが結果的にうまく嵌ったっていうか」

「……どういうことですの?」

「……うーん。……あのさ、この世界に来たときにもなんか聞かれたっていうか、言ったっていうかさ、町おこしって結局なんだと思う?」

「それは――」

 領主様が聞いたことだ――町おこしとして一体何をするのか。

 彼は、この町の人が元気になることをする――そんな、あまりにも子供染みたことを言っていたが。

 単純に見て金稼ぎだ。成果として金が稼げるようになることだ。

 しかし、

「たった一度、お祭りか何かイベントを開いたとしてそこで活気付いたとして――それが続かなければただのイベントってだけでしょ? それって『町がおきた』っていうのかな? って思わない?」

 今、彼が言う通り――内政としていうなら持続的な経済活動の発起であろう。継続されない町おこしは、本当の意味では町おこしと呼べないのかもしれない。

 そうでなければ彼の言う通り、ただのイベントか――そうでなくても、継続されても小規模過ぎればただの商売だ。

 継続されればそれが町おこしなのか。

 ただの商売ではなく、町おこしになる基準とはなんなのか。

「……そうですわね、改めて考えてみると、難しいですわね……」

「で、だけど。じゃあ――町おこしが必要な状況って、改めてなんだと思う?」

 ……なるほど。

 結果からではなく、必要性――言い換えるなら適合性を見極めるのである。

 この町では、主産業の退廃が原因だったが。

「……ボンドさんはどう思われていますの?」

「周りの変化に置いて行かれてる――遅れてる事だよね、一つは」

「――そうですわね」

 このリアの町なんかまさにそれだ。

 平野と山間部の間、水源こそあれそれぞれに恵まれているわけでもない、中途半端な立地。工業にも商業にも農業にも振り切れない――小さく小さくまとまるしかない場所。

 その所為で、物流の拠点としても使えず、中継点としてももはや用済み――

 元より大都市にはなれない立地であったのだ。理想とするなら少数の利点――むしろその小ささを利用し、静かで、穏やかで、安寧とした生活を営むべきだった。大都市とは違う人と人の距離の近い、触れ合える町だった。

 それが先代、先々代当たりからの拡張思考で規模を広げてしまったが為に纏まり切れず、最大分母以上の分子を抱えてしまった。もうこの町はこの町だけで生きていけない住民を抱えてしまっている。大きくはそこが根本になる。

 しかし、

「じゃあ、遅れて周りに付いて行ったとしよう――それでも遅れてるよね? じゃあ他にはない新しいことをしよう――ってなるよね、っていうかしたよね?」

「ええ、そうですわね」

 時代の先取り――という奴だ。

「でもそれって――周りから孤立してるって意味では、周りから遅れてるのとそう変わらないよね?」

 言われて見れば――

「それって上手く行くか行かないかで言ったら、かなり微妙なとこじゃない?」

「――そうですわね」

 確かに、その通りだ。

 技術も発想も先進的過ぎても人はそれを必要としない。欲求を刺激する前にそれを理解できるだけの感性が存在しないからだ。

「……だからさ、実は町おこしの成功の秘訣って――その土地、その場所、そこに居る人だけが盛り上がることじゃあないんだと思うんだよね」

「流行に乗る、ということでしょうか?」

「ううん。それじゃあ流行が終わったら終わりだよ。だから――規模で言うなら――その町どころか、たった一回、時期的な物じゃなく、それこそ文化として、町の歴史として残るような――これから先、未来まで続いていく様な事にしないといけないんじゃないかなー、とは思ったんだよね」

「それは――」

 そうかもしれない、そうかもしれないけどそれは――

「――絵空事だよね? まさに未来予想図? そんな感じの想像しかしてなかったよ」

 大きすぎる――個人で出来ることを越えているとしかいえない。

 そんなのは、英雄とか、偉人とか言われる人間のすることだ。

「だから計画なんて言うほどのもんじゃないって。なによりそんな手段皆目見当つかなかったし、この町の今の地力じゃ無理だと思ってたからねー」

「そうだったのですか……」

 現実的な判断として、彼は階段の一歩目を見ていた、というわけである。

「うん、だからまずはそんなデカい事じゃなくて、人にとって一番身近なもの……何かを盛り上げて、楽しんでいけたら……それなら後に続くっていうか、これからも続けていきたいって思えるんじゃないかなーって。小さく小さくね?」

「……」

 思い付きで始めた商売が、世の中で幾つ頓挫し、そしてまた幾つ生き残るのか。

 その単純な数字の裏側には、人の心の経過がある。

 古都では三代続かなければ商売は商売とは認められず、一代限りはただの趣味――なんて言われることも確かにある。それは職人でも商売でも技術の継承――そこにある独自色――感性の引き継ぎが出来ていないということで。つまり個人の能力に留まっている――それは趣味であるということだ。

 老舗、伝統なんて呼ぶには文化でなければいけない。文化の区分けは感性の区分け――そして生活の区分けである。その歴史は何気ない毎日を連綿と日常として継続し繰り返されて作られている。

 心の継続なのである。

 だからなのだろうか、彼は町おこしに求めたのは、

「――街を元気に、ですか?」

「まあそんなとこかな」

 最初はそれこそ――子供の抽象的な夢見ごとかと。あそこにいたほぼすべての人間が思っていた筈だった。

 でももし実際、何かを成そうとするなら、その心の継続こそが最も必要になる。

 なんとも、あのとき既に、この町おこしの問題の真芯を捉えていたのだ。

 まるで意味の無いような町の住民の手伝いをしながら。この世界の生活を学んで。

 他人任せの住民や、動きたくても動けない住民の手足になって。

 結果として、勇者という助力を得てそれを成したかもしれないけど。

 結果として、この世界の、この世界でしか出来ない事を再び根付かせ、芽吹かせようとしている。それはこの町の事業としても改めて息を吹き返えさせ始めている。

 それだけのことを……平然と、とぼけた暢気な顔をして。

 本当に分っていなかったのだろうか。分っていなかったとしても。でも――

 気付かない内に、いつのまにかやってのけてしまって。

 心臓に、熱が灯る気がした。

 なんとなく理解する。

 彼が見ているのは、人の心の動きだ。金の動きでも物事の結果でもなくそこを重視している。

 仕事をする人間は結果を重視せざるを得ない。

 最良のそれを得る為には過程はある程度無視――というより、結果の為には過程なんてどうしても能動的に変化せざるを得ないからそこを重視する意味がないともいえる。

 そこにどんな創意工夫、努力、感情が込められていたとしても気にしていられない。

 どんな苦労をしても赤字の結果では意味が無い。予算を決めて枠内に収めてその上で黒字を出差なければ生きていけない――だからそれこそを重視する。

 対して彼は、そうして得られる結果ではなく、過程こそに重きを置いている。

 ――というより、得ようとしている結果こそが、その過程に含まれていると言うべきか。

 彼が求めているのはこの町に住む人間の心の変化だったからだ。

「……失敗していたら、どうするつもりでしたの?」

「さあ? どうしようもないかもしれないし、でも……とりあえずまた何かしたんじゃないのかな? 最悪町がなくなっても個人で? 出来ることから?」

 普通に、平然と、そんなことを言うのです。

 諦めるとは言わずに。

「でもほんと怪我の功名だったよなー、それどころか正直勇者の妨害がなかったときのほうがやばかったかもしれないし……ピンチは逆転のチャンスって案外本当だわー」

「……それが出来る人も中々いないのですけれど」

「でもまあ半分は相手の自爆だからねー」

「ふふっ、そうですわね?」


 私はなんとなく思うのです。

 彼は平凡で、特別なことは何も出来なくて。

 でもだからこそ、今のこの世界に呼び出されたのではないのかと。

 

 それこそ、今のこの世界に最もふさわしい勇者として――

 

 ――以上、報告を終わります。

 ――敬愛するお母様へ。

 あ、ちゃんち美容芋は確保してあります。同封して送りますのでお試しください。

 弟か妹が欲しいです。これでさらにお父様を魅了してください。私も頑張ります。


 娘より。

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夢∽現のリンカーネーション タナカつかさ @098ujiko

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