第3話 高千穂弥生との出会い

 午後の教室に西日が差す頃。

 校門では下校中の生徒が、ある者は友達と、ある者は一人で、またあるものは男女ペアでゲートをくぐり抜けていく。

 アリのように小さくなった生徒たちに、餌でもばら撒いてやりたい気分だ。

 ――部活勧誘用のビラという餌を、ね。

 てなわけで、放課後、俺はビラ配りの場所を決めあぐねていた。

 一年E組の窓からばら撒くのは最終手段だとして(もしやったら濱出が黙っていない)、地道に校門で配り歩くか、廊下で片端から声をかけていくか、それとも光庭に繰り出していくか。

 濱出をリスペクトするなら、外に机を置いて寝たふり作戦というのもありだな。案外人目を引くかもしれない。

 ビラ配りについて逡巡しているうちに教室からは人気が消えつつあった。

 そして、安心している自分がいる。

 実は、四限目の自己紹介以降、俺は肩身の狭い思いをしている。

 トイレに席を立とうとするだけでひそひそと話し声が聞こえるし、授業中発言しようとすれば辺りが静まり返るなど、ハブにされているような扱いを受けている。今日だけだと思うが。

 だから、できるだけ気配を消すようにして、人の目に晒されないよう息を潜めていた。

 今も教室に背を向けて、窓の向こう側に広がる底抜けの空を見上げている。

「うん、でさ、あれやばいよね。いやマジでやばかった。意味分かんないし。受ける」

 なんて対象を不明確にした密談が聞こえてくると、無意識で身を縮こまらせてしまう。

 鈴木は「そんなことは気にするな。時間が解決してくれるだろうし、自分は気にしていない」と励ましてくれたが、今は俺一人だ。

 誰かと一緒にいるとき以上に、人目を意識してしまう。

「はぁ……」

 わざとらしく溜息をついてみる。

「え、今の見た? どうしたのかな、アイドルマン、握手会いけなかったのかな?」

 揶揄するように、まだ居残っている生徒の高らかな嘲笑いが耳を突き破ってくる。

 まあいいさ。アイドルマンでもなんとでも呼んでくれ。そのうち慣れる。

 ――まさにこんな感じだった。失敗の烙印は押されていなかったが、中学時代の俺はこうやって窓際で溜息をついては女子の気を引こうと黄昏れていた。

 あの頃に戻れたようで感慨深い。現在、絶賛ハブられ中ではあるけどな。

 急に、嘲罵の声が小さくなった。

「えっ、えっ、うそ、ちょっと」

 代わりに、生徒たちから焦りと動揺が漏れだす。どうしたのだろう。俺はモーションを仕掛けたつもりはない。変わらず哀愁を漂わせて外を見ているだけだ。

 何かが聞こえる。床を蹴って前に進む音だ。

 それは足音に他ならない。

 だんだんと大きくなる音に身の危険を感じる。

 ああ、こちらへ向かってくる。

 なんの用だろう。そんなの決まってる。自己紹介がらみで俺を弄ろうと画策したやつらが先陣を切るんだ。格好の獲物を見つけたハイエナたちが襲い掛かってくるんだ。

 戦おう。波風立てない程度に往なせればベストだ。もう失うものはない。

「本日からいじられキャラの仲間入りを果たしましたアイドルマンだよ☆」とか言ってみるか。

 足音が俺の背後で停止した。気配を感じる。

 俺は顔を歪ませ、息を止めた――

「キミ、船堂くんだよね? アイドル好きなの?」

 うららかな声が俺の鼓膜を振動させた。最初の攻撃は女からのものだ。

 悄然とした面持ちでゆっくりと俯く。下を向いたまま、おずおずと振り返ってみる。

 目線は足元、女の内履きにある。棒きれみたいな細い脚がスラリと伸びている。

 下半身を覆うスカートはかなり短い。そのため太ももがいやらしく露出している。

「下ばっか向いてないで、顔あげなよー」

 女は俺の顔を拝みたいらしい。顔を上げたらシャッターが待ち構えている気がする。

 せっかくだから、もう近づけなくなるくらい怖い顔で睨みつけてやろう。

 俺は徐々に首をもたげて、ドスのきいた声とともに女を睨めつけようとした。

「……んなんだっ、あ……」

 だが、作戦は瞬く間に空中分解し、俺の顔は急速にだらしなくなっていった。

 ――その女は花のように可憐な佇まいで、純粋無垢な笑顔をこちらに向けていたのだ。

 小さな顔。くっきりとした二重まぶた。気品のある鼻筋。西日で赤みを帯びたショートカットの髪。口角を上げたゆるい微笑み。小首を傾げる愛らしさ。

 快活な声で俺に話しかけてきた女は紛れもなく美少女だった。しかも、超絶がつくほどの。

 思わず目が泳いでしまう。自然と目は胸元へ。掌にちょうど収まりそうな二つの膨らみがブレザーを押し上げている。女子高生らしい張りのある胸だ。

「え……あの……」

「あっ! 申し遅れました。私、高千穂弥生です。一緒のクラスだよ!」

「…………」

 美少女を目の前にして言葉が出なかった。まさか、このクラスにこんな女子がいるなんて知りもしなかった。ここ数日、自分のことで頭がいっぱいで他の女子を物色する余裕なんてなかった。初日にハズレを引いて真実を知りたくない気持ちもあったかもしれない。とにかく、なんて声をかけたらいいかわからない。

「どうしたの!? 固まっちゃった……?」

 高千穂は人差し指を立てて、俺の左肩をつんつんとつついてきた。

 驚愕。拒むように後退りをしながら、

「うぉおおぃ! な……なんだよ……」

 警戒信号のつもりで大声をぶちまけた。

「そんなおっきな声出さないでよ。びっくりするし。それよりさ、やっぱアイドル好きなの?」

 俺の威嚇など物ともせずに、高千穂は再び小首を傾げて尋ねている。

「……わりと……好きなほうだけど」

「やっぱそうなんだ! なら、今から時間ある? あるよね? あるっていってお願いっ!」

 汚れのない黒目をきらきらと輝かせて、両手を擦り合わせながら懇願している。

「いや……今からやんなきゃならないことあるから」

「あ、わかった! それアイドル関係でしょ? 私の勘がそういっている……!」

「いや……、まあ……うん」

 なんだよこいつ。ぐいぐいくるんだが。見た目がかわいらしいゆえに、怪しげな勧誘かと思ってしまう。可愛いからって信用したわけじゃないからな。

「ほーらね。ってことで船堂くんにはこれから私と付き合ってもらいます!」

「はぁ!? 唐突過ぎんだろそれ。しかも強引だし。てか付き合うってなにすんだよ!」

 次から次へと爆弾を落としてくるこいつはB29の戦闘機かなんかか? 可愛いからって全部許されると思うなよ。こら。

「じゃあ決まりね! ちょっと待ってて。鞄とってくるからー」

「ぉ、おい! まだ返事……」

 渋り気味の俺の意見も聞かず、高千穂は自分の席へと駆け戻っていく。

 教室を見渡すと、陰口を叩いていた奴らが興味津々な眼差しでこちらを見ていた。大声出さなきゃよかったか。ただでさえ不審者扱いなのに、ちょっと反省。

 高千穂は自席の近くにいた友達っぽい女子たちに軽めの挨拶を終えると鞄をひっつかんで俺の元へ戻ってきた。

「よし、いこっか」

 言うと、高千穂は俺の手首をしかと掴んで走り出した。嘘だろ?

 脱力の極みに達していた俺はされるがままに引っ張られていく。大胆すぎない?

「お、おい! 一つだけ、一つだけ教えてくれ! 行くってどこへ!?」

「決まってるじゃん……」

 一歩先を先導するままに、振り返り、その顔には満面の笑みが浮かんでいて、

「カラオケだよ!」

 俺は突然の事態に困惑しながらも、揺れる美少女の後ろ髪を無心で追いかけていた。

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スクールアイドルプロデューサーの陰謀 @neet

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