第5話 震災のとき
混乱させるようで申し訳ないが、話の時間軸を少し前後させて震災のときのことを書いておく。
*
娘が産まれたのは12月。そこから冬に入るのはあっという間だ。人も動物も植物も、縮こまって息をしていく季節は足早い。
冬の間、夜泣きをする娘を抱っこしながら、バランスボールの上でぼくは明けない夜を漂っていた。昼夜の体内時計がすっかりと狂っていたようだ。
いつが昼間でいつが夜なのか、日が沈んだから夜なのか、でも腹は減っているし両眼もさっきから冴えっぱなしだぜ。
日が沈んだから、夜なのか。
明るいから、昼間なのか。
日常生活はまずまず進行していたけれど、どこか自分の感覚が漂っていること自覚していた。
ぼくは、それを「深海生活」と呼んでいた。
*
その日、ぼくとM氏、娘は、たまたまマンションにはいず、近くの地元NPOで開かれていたイベントにでかけていた。
その最中。
ふいに床が大きく揺れた。
《地震が起きたときは、たまたま家族3人で1階にいました。それでもものすごい揺れでだったのです。娘をだっこひもでだっこしている時で本当によかった。
エレベータが止まってしまったので、階段をあがって部屋まで帰るのが大変でしたが、うちのマンションはたまたま停電はしなかったので部屋の中では普通に過ごせました。
近隣のマンションはすべて夜遅くまで停電。ほかの地域に住む帰宅困難者もたくさんいました。
そんな中でうちのマンションは通電していたので、エントランスホールを避難所として開放することになりました。
旦那さんはその対応をしていたので、エントランスホールで徹夜。ちょっと心細かったけど、ほかに困ったひとがいるんだから仕方ない。
我が家からは、予備のブランケット7枚とクッション4つを貸し出しました。
私も何かできないかなあと思ったので、翌朝4時からご飯を炊いて、おにぎりをたくさん作って配りました。
昼前にはみなさんなんとか帰宅の途につけてほっとしました。
現代の生活ではかなり電気に依存していることに、あらためて気がつきました。
■
余震が続く毎日の中で、どうやったら娘を守れるか。
それが最優先の課題です。
とりあえず、非常持ち出し袋の中身を確認し、それ以外に必要なものを大きな鞄に詰めました。
なにかあったら、すぐに持ち出せるように部屋の隅に置いてあります。
また、非常時にはエレベータが使えなくなることを想定して、毎日できるだけ非常階段で上り下りすることにしました。
もしものときに私の体力不足で娘に危害が加わらないようにするためです。
なかなか完璧な備えというのは難しいけど、できるだけ慌てないようにしたいと思います。
とりあえず、家族分の防災ずきんでも作ろうかな…。》
M氏のブログにあるように、ぼくが住むマンションはエレベータこそ止まったが停電はせず、水道もガスも問題なかった。だが住民のみなさんは怖がって、自分の部屋に戻ろうとしなかった。管理会社のフロントはごったがえした。
またNPOの会議室には、近隣マンションから怖がって避難してきた主婦の方、お年寄り、学校から戻ってきたが自宅に帰れない小学生たちが、自然と集まってきた。しかし、NPO自体も停電して、電気も暖房もつかない。
春の宵は、まだ寒い。
ぼくのマンションから懐中電灯を拠出したが、それで暖がとれるわけでもない。近所のスーパーはPOSがいかれて、モノがあるのにモノを売ることが出来ない。腹だって減るだろう。
ぼくは、マンション管理組合の防災担当理事に電話をつないで(その理事は名古屋にいた)、1階のロビーを緊急避難場所にすることの諒解をもらった。
管理会社のスタッフと一緒に、ブルーシートで床を養生し、NPOに避難している人たちを迎え入れた。
夜になって、まわりの高層マンションは真っ暗ななかで、ぼくのマンションだけがいつものように明るかった(これは本当に偶然なのだと後で知ることになる)。
帰宅困難者という言葉は当時はなく、家に帰りたくとも帰れない人たちが近くの駅からあふれて、エントランスの向こうで「泊まらせてもらえませんか」とアタマを下げられた。もちろん、その方たちも迎え入れた。
うちのマンションには、マンション内のコミュニティ活動に従事する人たちのメーリングリストがある。限られた人たちしか受信できないが、ぼくは逐次マンションの状況を発信するとともに、炊き出しをお願いした。
有難いことに、暖かい食事や毛布などが次々に運び込まれてきた。その間も、家路を断たれた人たちが寄ってくる。
そして、マンション管理組合の副理事長とともに、ぼくは不寝の番を張った。うつ状態なので、こういったことをすると反動が怖い。
けれど、それはもう考えないことにした。(つづく)
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