第三話 午前十一時

 登校した時点では、ただの『平凡な一日』でしかなかった。

 いや、平凡という表現はちょっと違う。

 明日から夏休みが始まるという、小学生にとっては楽園の一歩手前に等しい日だった。そして、パパに頼んで大きめのバッグを準備してもらってある。

「なんだか、子供一人ぐらいは入りそうな大きさね」

 サトちゃんは苦笑した。彼女は、いつものようにランドセルだけを背負っている。

「だって、今日は夏休み前の最終日じゃない」

「だから」

「だから、って。学校にある荷物を全部持って帰る必要があるでしょう」

「そうね」

 聡子ちゃんの余裕は揺らがない。

 夏休み前、最後の苦行である『学校にある備品類を全部持ち帰らなければならない』というミッションに向けて、瞳子なりに最大限の知恵を絞って考えついた手段である。

 それで、ちょっと意地悪なことを言ってみたくなった。

「一緒に入れてって言っても、駄目だよ」

「あら、そんなことは言わないわよ」

 サトちゃんはにやりと笑う。

「私は計画的に少しずつ家に持ち帰っておいたから」

 あちゃあ、やっぱり一枚上手だ。


 *


「今日はゆっくりしていってね」

 机の中のものをバッグに詰め込む作業を手伝いながら、聡子ちゃんは私に話しかけた。

 今日の授業は午前中だけ。

 夏休み中の注意事項の説明や全校集会があり、お昼前に荷物をまとめて帰宅することになる。帰りが早いので、家に荷物を置いたら、そのまま聡子ちゃんの家に遊びに行くことになっていた。

「うん、楽しみだね」

 私は朝のやりとりを少しだけ反省しながら、有り難くサトちゃんの協力を頂いていた。

「それにしても誰だろうね」

「本当だよね」

 これは、ついさっき最新情報が入ってきたばかりの、トラブルに関する発言だった。

 朝から学校中で荷物の整理が始まっていたのだが、あちこちで、

「リコーダーがない」

「体操服がない」

「絵の具セットが消えた」

 などの、紛失事件が多発したらしい。短い休み時間中にあちこちからその情報が流れてきて、とうとう全校集会で校長先生から一言、

「忘れ物が多数発生しているようですから、皆さんも何かあったらすぐ担任の先生に言って下さい」

 という、ごく控えめな非常事態宣言がなされていた。

 教室に戻ると、一斉にみんなが片付け物を始める。私もまずは机の中のものから確認していたところだった。

「夏休み前なのに迷惑だよね」

 聡子ちゃんは憤慨している。

「これじゃあ、夏休みが楽しく迎えられないよ」

「そうだよね」

 私は算数セットをバッグに放り込んだ。

「一人分だけならば、その子を狙った嫌がらせという可能性も考えられるけど、学年もバラバラ、性別もバラバラだっていう話じゃない」

 サトちゃんは美少女探偵モードに入ったらしい。顎に可愛らしく手を添えて、小首をかしげている。

「盗まれたものもバラバラだね。目的がわからないけれども、何か犯人にしか分からない重要な伏線があるのだわ」

「そうかな。手当たり次第という感じもするけど」

「そんなことはないわ。この安楽椅子探偵には背景が感じられるのよ。そこにはなにか隠された深い意図があるはずだと」

 サトちゃんはそう言うと、椅子を後ろに傾けてふんぞりかえる。とても安楽には見えない。むしろ不安全椅子探偵だ。

「むふふ。これは事件発生だわね」

 サトちゃんは妄想モード全開で、完全に手が止まってしまった。取りあえず放置しておくことにして、私はロッカーの私物を取りに行く。

 教室の後ろ、自分の名前が抱えている木の枠の前までやってきた時、私はその不自然さに気がついた。

 なんだか物が多い。

 見慣れない布バックが押し込まれていて、隙間がなくなっている。

「誰かが間違えて私のところに入れてしまったのだろうか」

 と思い、引っ張りだして中身を確認してみる。


 リコーダーや体操服、絵の具セットなど、学校の備品が大量に入っていた。


 体温が下がる。

 震える手でリコーダーを取り上げる。そこには見知らぬ名前が書かれていた。

「サトちゃん――」

「これは知能犯だわ」

「サトちゃん――」

「いやいや愉快犯という可能性も」

「サトちゃん――」

「それとも連続バラバラ窃盗犯という――」

「サトちゃん!」

 それでやっと、私の様子が尋常ではないことに気がついたサトちゃんが、私に駆け寄ってくる。

「どうしたの?」

「これ、見て」

「これって――」

 いつもはとても冷静なサトちゃんが、絶句する。状況はすぐ把握したらしいが、どうしたらよいのかサトちゃんにも直ぐには分からない。

「どうしよう。私は、何も――」

「もちろん」

 震える私に向かって、サトちゃんが即座に断言する。

「トコちゃんがこんなことをするわけがない」

「でも、これ――」

「落ち着いて。大丈夫、誰かのイタズラだわ。けれども、今すべきことは一つね」

 サトちゃんは即決すると、先生の方を向いて落ち着いた声で言った。

「先生。ここに誰かが盗んだものを置いていったようです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る