第19話:クァンタムゲート

 「勝てないわ……、ゼペット、還りましょう。わたしたちの星(げんじつ)へ。でないと、せっかく守ったシィまで」

 「シィ……?」

 「思い出せないのね」


 『せんにじゅうよん』

 漆黒の機体から無慈悲な数が告げられた。


 「もうやめろ。わかった、ぼくは従――」


 誰もが深い絶望に呑まれそうになっていたそのとき、一機だけ、ひとりだけ、凛と立ち向かう者がいた。その名は光速を冠する『ケレリタス』。シィ=ライトロード。


 「ゼペットは渡さないわ」


 臆することなくその騎士は、絶望的な数の敵機に立ちふさがった。


 「なぜだかわからないけど、そうしなければならないと、『わたし』が思うの。ゼペットはずっとずっとわたしのそばにいるの。もう二度と、離したりはしない――」


 鍵が、開いた。


 ※


 冥王戦役。


 真なるファフロッキーズとの戦いが長期化し、彼らの母星もわからないまま、消耗戦を強いられていた時代。当時の最終防衛ラインを死守するために、何千というファフロッキーズに対して、殿(しんがり)を務めた白い機体がいた。


 誰もが深い絶望に呑まれそうになる中、一機だけ、ひとりだけ、凛と立ち向かう者。その名は光速を冠する『ケレリタス』。無二姫(ワンオフき)。


 ――ぼくのたいせつな妹。


 「お兄様に手出しはさせません!」


 結果、冥王星は放棄、前線は大きく後退することになった。そもそも一対多の戦いに向いていない『ケレリタス』だったが、数多くのファフロッキーズを屠った。が、数日後、四肢をもがれたかたちで木星付近にて回収されることになった。


 機甲技師のぼくは、ほとんど人間として機能しなくなった彼女の身体を、魂を、いくつかに分割して、蘇生を試みることとした。初期の実験体は、『ぃぁぃぁ』と呻く肉塊としか呼べないようなかたちにしかならなかった。


 そんな中で、四番目の実験体は、機娘ベースで魂を定着させた。DNAの損傷が激しく、肉体の再生はもう無理だと思ったからだった。当時最も普及していたHD(ヒューマノイドデバイス)である機娘を利用した。


 「マスターはずっと一人ぼっちで寂しいのでしょう。わたしが慰めてあげます」

 「……まだだ」

 「もういいじゃないですか。妹さんを生身の肉体で戻すのはもう無理です。残念ですが――」


 赤いデュアルアイがぺかぺか光る。


 「その分、わたしがずっとそばにいてあげます。お望みとあらばなんだって致しましょう。わたしはゼンマイを巻いてもらえさえすれば満足です。『お兄様』とお呼びすればいいですか?」

 「ディー……」


 新型コッペリア設計の傍らで、妹の蘇生実験は続いていた。人類の存亡がかかっている中で、無為に生命を弄び続ける愚行ではあったが――。


 「マスター、これは?」

 「……奇跡だ」


 三番目、生身の肉体ベースで魂を定着させた少女に、ようやく意識が宿った。オリジナルの冥王戦役の後遺症なのか、左半身がまともに再生せず、そこは擬似人体で対応させることになった。生身は右半身だけ。魂の劣化も激しく、記憶もほとんど残されていない。


 が、それは紛れもなく、ぼくが求めていたものだった。


 「こんな出来損ないの何がいいのやら。老いますよ。病気にだってなります。いずれは他の男に抱かれるでしょう。わたしならそんなことはありません」

 「ディー」

 「わたしが一番だって言ってくれましたよね? この子だって、初期の実験体と同じくすぐに死にますって」


 赤いデュアルアイがぺかぺか光る。


 「なーんて冗談ですよ。あの無二姫(ワンオフき)復活というめでたいニュースです。胸がはち切れそう。だから、必死に人類存亡のために戦っている軍部のお偉いさんに、わたし、教えちゃいました。『ケレリタス』の適合者が再び現れましたよ――、って」

 「この子を再び戦場に……?」

 「それが義務でしょう。そうする目的で、マスターは軍部から資金を得ていたと思っておりましたが?」


 ディーの言葉に誤りはない。だからこそ、ぼくは何も言い返すことができなかった。無表情なディーは、そのとき笑っていたように思えた。


 そんなことをするために、ぼくは妹を呼び起こしたのか。


 「無力なわたしを赦してくれ」


 いずれにせよ、ここに居れば、この子は再びあの絶望的な戦場に駆り出されることになる。穏やかに、平和に、安らかに、そんな未来を望んでいるが、そんな言葉が人類から失われて久しかった。


 そこでぼくは思い出した。かつて人造人類が作られ始めた初期、失敗作を捨てるために造られ、そのまま擬似ファフロッキーズの実験場と化している次元空間『箱庭(フェッセンデン)』の存在を。


 「楽園を」


 箱庭へのアクセス権を持っているわけではなかったが、当時開発したばかりの『ディラック』ならば――。本来は、ディーが座るはずだった複座には、予備で助手に使っていた同型の機娘を乗せた。


 「マスター?」

 『ディラック』で次元を切り裂いているとき、ディーの絶望的な声が聞こえた。

 「どうしてわたしを見棄てるのですか!?」

 「……すまない。だが」

 「必ず! 必ずマスターを追いかけていきます。地獄の果てまでも。何をしてでも。何をされようとも。わたしが一番だということを必ず思い出させてあげますよ!」


 複座の前の席に座る赤い機娘が、ビクリと身体を震わせた。そのときのぼくはそれが時空振動に置ける衝撃だと認識をしていた。やがて、不安定なクァンタムゲートの影響により、ぼくの視界はブラックアウトすることになった。


 ※


 「そうか。そういうことか。ぼくは――」


 クァンタムゲートを潜る際に、その衝撃で記憶を喪っていたのか。シィはシィで別の場所に飛ばされて、リウス司教に拾われたというわけだ。


 ――君が無事ならそれでいい。


 「シィ。いいんだ。君がここで暮らしてくれればそれでいい。ぼくは元の世界に帰ろう。なぁ、ディー、それでいいだろう」

 『ゼペット……?』


 漆黒の機体はデュアルアイを輝かせる。


 『マスター、ああ、愛しています。ともに還りましょう。ですが、その女だけは許せません。マスターのたいせつな人はわたしひとりでよいのです』


 ディーの狂気を孕んだ声音が響き、1024と告げられた数のファフロッキーズが、痩躯の白騎士に突撃していく。ネズミにハムスターに蜘蛛になめくじ、カエルに魚、黒い津波としか表現できないような、その圧倒的な物量差に、ぼくは『ディラック』を前に出させた。


 「二度と彼女は失わせない」


 『ディラック』のすべてのサブアームを展開する。無数のサブアームは、ひとつのかたちを形成する。枝分かれをした大樹のように、旧世界における多手神像の祈りの所作のように。オルタナティブな曼荼羅を作り上げる。


 「クァンタムゲート、展開!」


 押し寄せる黒い波。すべてディーが展開した魔法陣から転送されたものだ。通常のコッペリアであれば、どう考えても対応不可能な数。しかし、冥王戦役でやられた圧倒的物量に対する答えをこの『ディラック』は持っているのだ。


 無数のサブアームが転送の魔法陣『クァンタムゲート』の文様をかたちどる。次元と次元の領域を限りなく狭め、量子トンネル効果によって、物体を行き来させるちから。


 それを我らが母星の基幹システムを使わずに、単騎で実現することができたなら、あらゆる場所から適切な武器を調達できるシステムが実現し、それはまさに一騎当千のコッペリアとなるだろう。


 「しかし、ゼペット。これを起動させるのは、記憶が戻ったとしてもはじめてのはず。失敗すれば次元の狭間に飲み込まれることでしょう。行けますか」

 「ぶっつけ本番は慣れっこさ」


 母星の反物質砲でも取り出そうと思ったけれど、さすがにこんなところでそんなものをぶっ放したら、街が吹き飛んでしまう。


 「帰還の魔法陣を編み上げる。ロール、サポートをお願い」

 「了解」


 ロールの機娘としての解析能力でひとつひとつのファフロッキーズの型番を読み上げ、それに対応した帰還魔法陣のかたちをサブアームを使って編み上げていく。一瞬のミスも許されないような緻密な作業であったけれど、ロールと一緒ならできる。


 「いくぞ!」


 ※


 ディー=レフトロストは戦慄していた。


 母星に連絡して開いてもらったクァンタムゲート、1024のファフロッキーズが次々と『ディラック』に飲み込まれていくのだ。黒い荒波、まるですべてを飲み込むクジラのように、その機体を境にして、すっぱりと消え失せている。


 背筋が冷たくなる。あんな機能、一度だって見たことはない。莫大な基幹システムで実現させている魔法陣を、あんなサブアームの組み合わせで描き出して、次元を結びつけるなんて。


 マスターの知識だけはこうはいかないはず。量子コンピュータをも上回る計算速度がなければ――、ロール。機娘。わたしがついさっき、『あらゆる手段を用いてマスターを守れ』と命じた――。


 「……悪手だったわね」


 ファフロッキーズはこのまますべて処理されてしまうだろう。それに、相手があのCだったとはいえ、『ダークマター』も損傷している。ここは一度体制を立て直して――。


 『これはミューの分』


 いつのまにか背後に現れた『ケレリタス』に右脚を切り落とされた。


 「しま――」

 『これはイプシィの分ね』


 完全に油断をしていた。さらに左脚も膝から下が切り落とされて、バランスが保てなくなる。白い騎士がわたしを見下ろす。


 「わたしの目的はふたつ。『ディラック』が見つかれば、マスターを連れ帰ること。そしてもう一つ、マスターと一緒にいるであろうCを殺して、わたしが唯一になること」

 『よくそんな無様な格好で言えるね』

 「寝首をかかれないように気をつけておくことね!」


 『ダークマター』の直上に帰還の魔法陣が展開される。油断をしたが、これでいい。箱庭世界(フェッセンデン)における居場所さえわかれば、こちらは好きなタイミングで好きな場所から出現することができる。いつでも彼女を殺しに行くことができる。


 魔法陣が消え失せる瞬間、最後のファフロッキーズを飲み込んだ『ディラック』のモノアイがわたしを見つめていた。いつか、必ず連れて帰る――。


 「マスター、待っていてください」


 今度は必ず。


 ※


 「というわけで、お世話になりました」

 「本当に還るのか。寂しくなる」

 「ええ、ぼくのせいでここの人々を危険に遭わせるわけにはいきませんから」


 リウス司教――かつて出来損ないと呼ばれた者たちと一緒にこの世界に堕とされた『管理者』の末裔は、ぼくたちを引き止めてくれた。ぼくだって育ての親と別れるのは寂しいけれど、ぼくのせいでこの世界に災禍を撒くわけにもいかない。


 「ミューは、どうなりました?」

 「イプシィが看病をしておるよ。潰されたのは頭部だったからな。『マグネス』砲を撃った反動と、魔石炉の毒、そして倒された衝撃で失神していただけだ」

 「それはよかったです」


 あのいつも眠そうな男の娘がイプシィと婚約していたなんて夢にも思わなかった。まったく、終わったら結婚しようなんて言い出したからあんな目に遭うんだ!


 「『マグネス』と『エレクトリシタス』の代替品は必ず投下します。なんなら新型コッペリアも」

 「助かるよ」


 ファフロッキーズの投下そのものは、おそらく止めることができないだろう。仮に政府に要求が通ったとしても、そうなれば、この箱庭世界は存在意義を喪う。たとえ、ファフロッキーズにおびやかされている世界だとしても、宇宙規模の外敵に晒されているよりはよっぽど平和だろうから。


 『ディラック』に乗り込む。すでにロールがサブアームを調整して、帰還のための曼荼羅を描いてくれていた。見送りはリウス司教だけだけど、仕方がない。


 「また機会があれば、帰ってきなさい」

 「ええ、リウス司教もお元気で。……ところで、シィは?」

 「部屋から出てこんよ。お前がいなくなるのが寂しくて、泣いておった。いい加減泣きつかれて眠っているころだろう」

 「そうですか」


 それなら、それでよかった。いまさら逢ったとしても、寂しくなってしまうだろうから。君が再び戦場に出ることなく、平和に生きていてくれさえすれば。


 「ロール、待たせたね」

 「待ちました。けど、本当にいいの? わたしたちの星(せかい)に戻れば、絶望的な戦いしか待っていないわ。この『ディラック』なら、ディーは退けられる。ここでの生活は『箱庭』の中の出来事だったかもしれないけれど、楽しかったのに――」

 「決めたことだよ。ぼくの責任だ、だから片をつけなくちゃいけない。あとゼンマイを巻く約束も忘れていないから」

 「ありがとう、今晩の営みを楽しみにしているわ」


 クァンタムゲートが展開される。記憶を喪っていたぼくが『還らなきゃ……』と呟いていたのは、無意識下で逃れていた責任を感じていたのかもしれない。


 『ディラック』の巨体がそこをくぐる時、ぼくはアンティキティラの街を振り返っていた。短いあいだだったけれど、多くの人達に触れ合うことが出来た。宇宙的脅威に何百年も晒されている世界では味わえないような、たくさんの体験をさせてもらった。リウス司教も、ミューも、イプシィも、その体験はきっと、いつか辛いときにぼくを支えてくれることだろう。


 ――なにより、シィがここにいてくれるというだけで、ぼくは頑張れる。


 さて、『ディラック』の装甲の隙間に隠れたシィが見つかってから引き起こされるドタバタな物語については、また、別のところで語られる、蒸気機甲とファフロッキーズの物語――。

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蒸気機甲とファフロッキーズ 山田えみる @aimiele

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