魔性篇◆CASE10:恋矢
二月十四日、それは世間では恋人達が愛を交わす日。しかし、この日の魂夜堂はいつもより静かだった。
『まだ来ないのか?』
「卯月ってば、さっきからそればっかり。私が話相手では不満なの?」
『そうじゃないんだが……』
夜竜の前に置かれた鏡の中で、卯月はふてくされたように口を尖らせた。
夜竜は豪奢な椅子に腰掛け、分厚い書物を目でなぞっていた。
『弥生をしごかないと一日が始まった気がしない』
「うふ、テストだから仕方ないじゃない。学生って大変ね」
『ふむ、私は学校とやらに行ったことがないからよくわからない』
そう言った卯月に、夜竜は目を丸くした。
「学校、行ったことないの?」
『ない、この身体だからな……。夜竜、お前は?』
夜竜は笑いながら、
「あるわけがないでしょう」
『それもそうだな』
「他の子達や混血の子達は人間に混ざって学校に行ったりしているみたいだけれど、私の見た目じゃあ、女子高生はきついわ」
『はは、お前なら問答無用で教師を黙らせられるだろうに』
夜竜は顔をしかめた。
「貴女は、私をいったいなんだと思っているの?」
『竜』
「……まあ、いいわ」
弥生がいない魂夜堂は静かで、夜竜にとっては何かが足りない。
「ふふ、駄目ね、慣れって」
『うん?』
「弥生ちゃんがいるのが隣にいるのが当たり前になっちゃって、離れてるとどうも落ち着かない」
鏡の向こうの卯月が笑った。
『羨ましい悩みだな。そうだ、使い魔はついたか?』
「使い魔?」
卯月の言葉に、夜竜は首をかしげた。
「いいえ、まだ見てないけれど……」
『そうか、遅いな』
卯月の含むような言葉に、夜竜は身を乗り出して、
「わざわざ使い魔を送るなんて、何の用なの?」
『ふふ、ついてからの秘密だ』
「何よ、気になるわね」
教えなさいよと詰め寄る夜竜に、卯月は含み笑いを続けるだけで答えなかった。
二人が魂夜堂でそんな会話を交わしている一方、弥生は学力診断テストを終わらせたところだった。
〝ふう、やっと終わった……〟
荷物を片付けて立ち上がったところに、
「夜見君っ」
声がかかって弥生は振り返った。そこには頬を赤らめているクラスメイトの女の子が三人。
「これ、もらってくれない?」
「え?」
差し出されたのは、可愛らしい包装だった。思わず受け取って、
「えっと、これは?」
弥生は首をかしげた。
「あのね、今日ってほら、バレンタインじゃん?」
「友達うちであげたりしてるからさ」
「受け取ってくれると嬉しいなって!」
三人は早口でまくし立てた。弥生は微笑んだ。
「そっか、バレンタインか。佐川さん、島田さん、山下さん、ありがとう」
弥生がそう言うと、彼女達は首を横に振って、友達のところへと戻っていった。
それを見届けた弥生は手渡された包装を鞄に入れて、教室を出た。
〝そっか、バレンタインか……女の子はまめだなぁ、クラスの男子にわけてまわるなんて〟
その弥生の背後で、
「夜見君って、すっごいミステリアスでいいよね!」
「うん、わかる!なんか他の男子とは違うよね」
などと女子が盛り上がっていたことは、弥生は知る由もなかった。
〝うお……〟
さっさと魂夜堂に向かおうと思っていた弥生は、下駄箱を見て驚いた。
〝チョコ……?〟
何個か入っていた小包装に弥生は苦笑した。
〝ほんと、毎年まめだなぁ……〟
そんな見当違いのことを考えながら、弥生は包装を手にして歩き出した。単純に鞄に入りきらなかったのだ。
〝こんなことならもうちょっとでかい鞄持ってくればよかった〟
なにせ試験だけだったので、最低限のものが入る鞄で学校に行った弥生だったが、男子高校生が可愛らしい包装を手にしているのは少々奇異な光景である。
「うわっ」
人目を気にして早足で魂夜堂に向かっていた弥生は、もうすぐでつくというところで思い切り後ろから何かにぶつかられて体制を崩した。
「あっ、こらっ」
ぶつかってきたのは、小学生くらいのニットのキャスケットを目深にかぶった人影だった。その子は弥生の手から包装を奪って駆け出した。
「おいっ」
奇しくもその子は魂夜堂のほうへと駆けていく。と、黒い影がその子に突然襲い掛かった。
「わああっ!?」
カラスに襲われ驚いてひっくり返ったその子を、弥生は捕まえた。
「こら、人のものとったら駄目だろうが」
顔を覗き込むと、その子は青い瞳を驚きに見開いて弥生を見つめた。真っ白なやわらかそうな肌に、薔薇色の頬、金色の巻き毛が帽子からはみ出していた。十代前半で性別がわかってもよさそうなのに、その顔からは判別できなかった。
〝外国の子か?日本語わかるのかな……〟
すると、先ほどのカラスが嬉しそうに弥生に擦り寄った。
「あ、これ……卯月さんの使い魔か」
弥生は空いている手で包装を奪い返した。その子は悔しそうに顔を歪めた。と、使い魔がばさばさと魂夜堂の扉へと向かった。そこからタイミングを見計らったかのように夜竜が顔をのぞかせる。
「あら、弥生ちゃん」
「や……」
「夜竜!」
弥生が名を呼ぶ前に、その子が叫び、弥生の手から抜け出して、夜竜にしがみついた。呆気にとられる弥生をよそに、
「聞いてやっ、あの人間、俺が見えるんやって!」
どこかの方言が混ざった愛らしい間延びした声で夜竜に訴える。見た目とのギャップに、弥生は再び唖然とする。そして俺という呼称から、それが少年だとわかった。
「クピド?貴方こんなところでなにやってるの?」
夜竜は小首をかしげて、自分にしがみついてる少年を見下ろした。
「うん?仕事やよ」
にこっと夜竜に笑いかけるクピドと呼ばれた少年は、愛くるしいという言葉がぴったりだった。
「そう、とにかく、こんなところじゃあ何だから、中に入らない?」
「うんっ」
「あ、はい……」
クピドはさっさと魂夜堂の扉をくぐり、夜竜の隣を歩く弥生の肩に使い魔がとまった。二人が魂夜堂に入れば、クピドが我が物顔でいつも夜竜が使っている椅子に座り、興味津々な様子で卯月の鏡を覗き込んでる。
「お前人間か?なんでこんな鏡の中にいるん?」
『おい、夜竜、夜竜?』
夜竜はさっとクピドの手から鏡を奪い、弥生に手渡した。
「こんにちは、卯月さん」
弥生を確認したとたん、卯月はぱっと花が咲いたような笑顔を見せて、
『弥生、テストはどうだった?』
「まあまあですよ」
『そうかそうか』
と満足げに頷いた。
「なぁなぁ、夜竜、そいつ誰?」
テーブルから身を乗り出し、足をばたばたさせながら尋ねるクピドに、夜竜は顔をしかめた。
「クピド、ちょっと落ち着きなさい」
「いいやん、別に」
べえと舌を出すクピドは、おもむろに帽子を取った。煌くような金の巻き毛があらわになり、弥生は目を見張る。
さながら天使のようないでだちに、弥生ははっとした。
「あれ、クピドって……キューピッド?」
弥生の言葉に、クピドは顔をしかめた。
「キューピッドって呼ぶなや。どっかのへんてこなキャラクター思い出すやろ」
そう言ってツンと顔をそらすクピド。ため息をついた夜竜が、長いすに座った。弥生も隣に座る。
『弥生、使い魔はついたか?』
「あ、はい」
鏡の向こうの卯月がためらいがちに声をかけてきた。弥生は慌てて返事をする。
『それなら、受け取ってくれ』
「?」
弥生は使い魔を見てみる。と、先ほどは気づかなかったが小包を持っていた。それを取り外すと、使い魔はすうっと消えた。
『かほると一緒に作ったんだ。良かったら食べてくれ』
にっこりと微笑んだ卯月に、弥生は驚いた。
「もしかして、バレンタインのチョコですか?」
『巷ではおなごからチョコレートを送るのがしきたりなのだろう?』
「ありがとうございます」
照れたように言う卯月に、弥生は微笑んでお礼を言った。
『それじゃあ、私はそろそろ休むな』
「はい、また明日」
『ああ』
鏡から卯月が消えた。クピドはその様子を大きな青い瞳で眺めていた。
「クピド、こんなところで座っていていいの?今日はバレンタインでしょう?」
夜竜が咎めるように言うと、クピドはあからさまに顔をしかめた。
「んなの適当に数打って終わらせんに決まってるやろ」
クピドは笑いながらコートを脱いだ。その背に生える白い翼と肩に担がれた弓矢があらわになった。
「あのね、適当ってなによ、適当って」
「人間の恋愛事情なんて関係ないやん。適当でいいんや、適当で」
「あの、夜竜さん、どういうことですか?」
話が見えない弥生が首をかしげた。
「クピドは毎年この時期に真実の愛をつなげる仕事があるの」
「真実の愛?」
「けっ、しょーもない。人間なんて、勝手にくっつけばいいんや」
夜竜は険しい顔で、
「貴方、自分の恋の矢がどれだけ影響を及ぼすのかわかっているの?」
「ふんっ」
あっかんべぇと舌を出すクピドに、夜竜が黙る。隣にいた弥生は焦った。夜竜がまとう雰囲気が一気に険悪なものに変わっていく。感情が高ぶっている兆候である燐がちらちらと舞いだした。
「なんやし。夜竜は頭が固いなぁ。いつの間に人間贔屓になったんや?」
「人間を贔屓しているわけじゃないわ。貴方のいい加減な態度に腹が立っているだけ」
「へー、ごめんね」
にっこり笑うクピドは確かに可愛らしいが、行いがどうもいただけない。間延びした愛らしい声も、毒々しい言葉を放つ。
「てっきり貴方の仕事は、その心の眼で真実の愛を見極めて、正しい道へと導くことだと思っていたわ、その恋の矢で」
「真実の愛があったら、遅かれ早かれ、俺が手を出さんくたって、勝手にくっつくやろ。放っておけばいいんやって」
「あのねえ、それなら貴方が適当に放った矢はどうなるの?」
クピドは面倒くさそうに、
「確かに本当はくっつくはずもなかったカップルがくっつくかもしれんけど、それでもええやん。おもろいから」
「……面白いの一言で、貴方ね……」
「ちょ、夜竜さん落ち着いて」
クピドはぱっと顔を輝かせて、
「そうや、そんなこと言うんやったら、俺手伝うで。あれやろ、ファラの心を射止めて……なんち……って……」
嬉々として紡いでいたクピドの言葉は、完全に尻すぼみとなった。弥生はあちゃあとため息をついて、微妙に夜竜から距離をとっている。
これぞ、まさしく龍の逆鱗に触れる、だった。激しく燐を飛ばしている夜竜の赤い唇が、にこりと三日月を描いた。
「そう、そんなに懲らしめられたいの」
「い、いやいやいや、そんなことは一言も言ってないで!」
世にも恐ろしい笑みを浮かべながら、夜竜は右手を伸ばした。
「いい加減に眼を覚ましなさい」
夜竜が右手を一振りした瞬間、突如現れた雷の轟音とともに、クピドの悲鳴が魂夜堂に響いた。
ところどころ焦げてしまった柔らかそうな金髪を押さえながら、クピドは机の上で正座して小さくなっていた。
「これだから貴方は問題児って言われるの」
「はい、反省してます……」
「いったい世の中にどれだけくっついたり離れたりするカップルがいると思ってるの?貴方の悪戯と不真面目な態度のせいで」
「ごめんなさい、もうしません……」
夜竜はいろいろ言ってはいるが、口元が笑っているところを見ると本気で怒っているわけではなさそうだ。怒りはさっきの雷で消え去ったということだろう。それに、クピドは本当に反省しているように見える。
「調子に乗っていろいろ話すその口も、どうにかしなさい」
「はい、ごめんなさい」
弥生はふっと笑って、鞄から先ほどもらったチョコレートを取り出した。それを見咎めた夜竜が、弥生を見た。
「それ、学校でもらったの?」
「あ、うん」
クピドがもの欲しそうに弥生を眺めている。夜竜は眉をひそめて、
「弥生ちゃん、モテるの?」
「はあ?」
弥生は笑って、
「ただの義理チョコですよ」
「ふうん?」
夜竜は面白くなさそうだ。弥生はクピドを見て、
「チョコ、欲しいの?」
と尋ねた。クピドは千切れるほど首を縦に振った。
「じゃ、そこどいて」
クピドはさっとテーブルから下り、苦笑した弥生は、クラスメートからもらったチョコをテーブルに広げた。
「わ、ありがとう!いただきます!」
クピドは諸手を挙げて喜んで、チョコを口に含んでは蕩けるような笑みを浮かべている。弥生は卯月からもらった小包を開けた。夜竜もそれを覗き込む。
中には綺麗に並べられたトリュフが入っていた。
「へぇ、卯月にトリュフって似合わない」
「確かに卯月さんはどちらかというと和菓子ってイメージですけど」
そういいながらトリュフを一つ口に含んだ弥生は笑って、
「美味しいですよ?」
「ふうん?」
と唸った夜竜は、少し面白くなさそうだった。クピドは物凄い勢いでチョコレートを食い漁っている。
「こんなにたくさんもらったのなら、これは要らないかしら?」
そう言って夜竜が小包を取り出した。クピドと弥生が同時に動きを止めて、
「要らないなら俺が食うっ」
と、クピドが手を伸ばした瞬間、
「あっちっ」
クピドの手に炎が襲い掛かった。
「なんだ?!」
その炎は一瞬で消えたが、驚いたクピドは大きな眼をぱちくりとさせる。夜竜は炎を放った主を見た。
「それ、俺のでしょ?」
「うん、そうだけど……」
「じゃあ、頂戴」
弥生が笑って手を伸ばした。それを見た夜竜は嬉しそうに微笑んで、
「残したら承知しないわよ」
「誰が残すもんか」
綺麗に包装されたチョコレートを弥生に手渡した。それを傍から見ていたクピドは、
「ほらな、真実の愛って、俺がなにかせんでも、見つかるもんやって」
と小さな声で呟き、微笑んだ。
恋人達が愛を交わす日、眼に見えぬ天使達が真実の愛を見極めて恋の矢を放つ。
そして魂夜堂では、やんちゃな天使に見守られながら、種族も生きる長さも違う二人が、その間にある確固たる絆を確認しあうのだった。
相談屋【魂夜堂】 神水紋奈 @seagodragon
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