使い魔として……
第十二章 シュヴァリエ・サイト
落ちる。落ちる。・・・・・・どこまでも、落ちていく。
地面に吸い込まれていくような感覚を覚えながら、ルイズは一緒に吹き飛ばされた親友を見やる。白く細い手足は打撲で朱に染まり、弾け飛んだ小石が所々身体に裂傷を与えている。痛みを我慢しているのは分かった。しかし、その瞳に後悔の色が滲むことはない。
“なんて強い子だろう”
ルイズはそう思った。なにもティファニアに限ったことではない。シエスタもアンリエッタもタバサも、みな一様に自分にはない“強さ”を持っている。
愛する人を励ますことができる強さ。愛する人を守れる強さ。愛する人のためにその身を捧げられる強さ。そして・・・・・・愛する人を優しく支え、心の傷を癒すことができる強さ。
“・・・・・・これだけいい女の子たちに好かれて、あんたほんっとに幸せよ”
きっと、才人は今度も自分を助けてくれるのだろう。それが当前だと言わんばかりに。
でも・・・・・・今度は来てほしくない。
あの鏡を見た瞬間から、自分はそう決めたのだ。
海底から二人の主従を眺めていたときに見つめたフォルサテの言葉が浮かぶ円鏡を、ルイズは日が経ってから再び使った。
“生命”を唱える他に虚無の対処法が無いかを調べるためにということと、散り散りだった心が落ち着いたので、自分の状態を再確認しようとする余裕ができたのだ。
知りたいことを望むと、再び鏡に文字が映り出す。・・・・・・そして、ルイズはフォルサテが最後に綴った一文を見つけた。見つけて、しまった。
“虚無の毒は決して消し去ることはできない。だが、とある方法によって延命することは可能だ。以下に、その方法について述べる。
それは、リーヴスラシルとなった者の心臓を完全に破壊し尽くすことである。
リーヴスラシルとは神の心臓。担い手の負担を肩代わりし、“生命”の詠唱に贄として使われる存在である。
しかし、この役割は逆手に取ることができる。彼ないし彼女の存在がこの世から消滅すれば、一旦繋がった担い手との経路が強制的に断ち切られることとなる。担い手の身体に蓄積された“虚無”はリーヴスラシルの身体を経由せず大気中に魔力として流れ出し、担い手はその身に宿る虚無と共に“虚無”の毒をその身から排除することができる。
・・・・・・再度言うがこれは延命だ。あくまですべての毒を排出することなどできはしない。残った少量の毒が身体を蝕み、ある日唐突に担い手の存在は消滅する。
これは我の過ちを予期し、過酷で理不尽な運命を背負うこととなった我の虚無の後継者たちに送る始祖の救済であろう。
しかし、我らはすべてを知る者なり。虚無を管理し、四の担い手の中で唯一他の担い手を、自らの後継者を察知できる者なり。
そんな我らが虚無に恐れ戦き安寧に身をゆだねれば、我から連なる六千年前の真実が途絶える。そんなことは赦されはしない。
よって我は信じる。これを始祖を敬愛する我の後継者たちが行わないであろうことを。
・・・・・・済まない。この状況を作り出したのは我だ。この書を読む我の遠い後継者は、虚無の世界に及ぼす干渉が莫大であることを知るだろう。
担い手から担い手へ“虚無”が渡るとき。それ即ち担い手の命が消えるか、我が残した“虚無”の毒に蝕まれこの世から消えるかの二択しかない。恐らく、寿命で生涯を終えられる者はほぼない。多くの者がこの世界から「存在」ごと消滅していく。「存在」が消えた担い手のことを記憶することができるのは、その次なる担い手のみ。
分かってくれとは言わない。この書を読む者の先代もそのようにして消えていったのだろう。だがそれはこの恐ろしく強大な“虚無”を管理下に置くためである。
忘れるな。すべては始祖のために、すべては、師の、ために・・・・・・。
始祖を盲信し、“虚無”にまみれて狂いに狂った、フォルサテが綴った一文。
しかしそのときのルイズは、そんなことを気にもとめなかった。
“それは、リーヴスラシルとなった者の心臓を破壊し尽くすことである”
目から入る一切合切の文字が頭を抜けていった。残ったのは、その一言。
ただ、その一言はルイズの心の闇となりすべてを飲み込んでいった。
才人から隠れ、ひとりで自らの運命を憎み、恨み、絶望した。声を殺して泣き叫んだ。 “聖地”もハルケギニアも、もうどうでもいいと思った。愛する使い魔と死に別れるかもしれないという事実が許せなかった。どこまでいこうとやっぱり“ゼロ”。何もできずにただ怯え、悲しみに涙する自分が悔しかった。
才人の前で甘えて、喜んで、微笑んだ。おこがましいことだが死を覚悟した途端、死ぬ前に才人の中に自分の場所を残しておきたくなった。
覚悟は決めれば決めるほど、生への、才人と一緒にいることへの執着は強くなっていった。分かっていた。自分は消えゆく人間だ。二人の絆を深めるということは、傷口になるであろう場所に予め毒を塗り込むようなものだ。
それでもルイズは、才人に忘れてほしくはなかった。
・・・・・・まったく、ほんっと不器用でわがままなのね、わたし。
誰かに愛する人を託す決意をしたというのに、まだどこかで一緒に死んでほしいと願う自分が居る。
自らの矛盾する心情を笑いながらも、ルイズはしっかりと親友を見つめる。
散々考えて、悩んで、苦しんで出した答え。胸を張って言える。・・・・・・これは、自分で決めたことだ。
下を見ると、愛する使い魔の姿が見えた。
・・・・・・その隣には、腹部を血で濡らした自分のスキルニルの姿があった。才人は頭を手で覆い項垂れたままピクリとも動かず、その首を何人もの魔法人形の剣が取り囲んでいる。仲間たちも拘束され、自分とティファニアの救出はどうあっても間に合いそうにない。
血を採られた機会には思い当たることがあった。“儀式”が始まるときに始祖の円鏡を受け渡したときに動いていた小さい影。あれは小型のアルヴィーだったのだろう。
才人は恐らく自分の姿をしたスキルニルを斬って、動揺した瞬間を狙われたのだ。
「ばかね、あいつってばほんと・・・・・・」
ジュリオは足止めのみが目的のようで、命を奪う様子はない。
使い魔の姿を長くは見つめず、ルイズは視線を逸らす。
決意が曲がらないように、後悔なんてしないように。
相手のことを考えすぎるあまり、自らが犠牲になっても相手に幸せになってもらいたいと考える二人は傍から見ればよく似ている。
しかし状況こそは違えど、それが胸のルーンを隠していた才人とまったく同じ考えと行動をいま自分がとっているということに、ルイズは気付かない。
・・・・・・動く右手を、ルイズはきょとんとしている親友の肩に優しく置く。
「きっとわたしがいなくなったらサイトは、・・・・・・あなたの使い魔は悲しんで泣いちゃうから。そのときはテファ、あなたがサイトの心の穴を塞いであげて。自分だけでできないならシエスタやタバサ、姫さまにも手伝ってもらって」
ティファニアは桃髪の女の子の言葉の真意が分からず混乱する。視線を逸らし、ティファニアは真下にいる使い魔と仲間たちの姿を見た。しかし、滲む視界ではその光景から現状を窺い知ることはできない。
「・・・・・・そうね、ハルケギニア中を連れ回して、わたしが見せたことがない世界を見せてあげて。わたしが一緒にできなかったいろんなことを、あいつと一緒にしてあげて」
(・・・・・・あ、れっ?)
そこで、ティファニアは自分が泣いていることに気付いた。自分の記憶から消え去った目の前の女の子が言葉を繋げれば繋ぐほど、自分の中の何かが強く訴えかけてくる。それは涙となって溢れ出し、ティファニアの視界を曇らせていた。
「きっと、あいつは喜ぶから。こんなわたしのことなんか、すぐ忘れちゃうから・・・・・・」
ティファニアが何か言おうとするより早く、ルイズは爆発を唱え、その風圧でティファニアを吹き飛ばした。
「・・・・・・えっ」
思わず当惑の声がティファニアから漏れるが、しかし重要なのはここが空中だということだ。吹き飛ばされたティファニアの身体は持ち上がり、対照的にルイズの身体は沈んでいく。
「テファ、あいつのことよろしくね! みんなにもごめんねって言っといて!!」
精一杯作った明るい声と笑顔で、ルイズは唖然としている親友に別れを告げる。仲間たちにはもう“レビテーション”をかけてくれるほどの精神力は残っていない。この距離では全速のシルフィードでも、デルフリンガーを握った才人でも、もう自分たちの落下に間に合うことはない。
だからルイズは、身体に残る力のすべてでティファニアを上空に押し出した。そうすれば自分は間に合わなくても、減速したティファニアなら助けられる。
それに・・・・・・
先程の才人の様子を見て思う。もう、自分の四肢は右手以外は動かせない。ジュリオが自分がどうなるか、あるいは「誰か」が才人に直接語りかけた場合、才人は何が何でも自分を助けようとするだろう。たとえ、どれだけの対価を払うことになろうと知っていても。
だから、間に合わないで。
自らの死を目前にしながらも、ルイズはただそれだけを願う。
大丈夫、あなたを愛してくれているのはわたしだけじゃない。
私がいなくても、シエスタが、ティファニアが、タバサが、アンリエッタがいてくれる。 いなくなったわたしの後を追おうとするあなたを慰めてくれる。諭してくれる。守ってくれる。そして・・・・・・忘れさせてくれる。
・・・・・・あなたを、絶対に。
・・・・・・幸せに、してくれるから・・・・・・。
そう考えている間にも、地表は近づいてくる。しかし事態は変わった。
唐突な轟音。儀式を執り行った四柱の間に十字の割れ目が入り、ルイズの真下の大地が四つに裂ける。眼下に広がる漆黒の闇はどんどん大きくなり、ルイズを吸い込んでいく。
・・・・・・よかった。あまりにも残酷な自分の運命に、神様が情けをかけてくれたのだ。
この高さから落ちたら、自分の身体は見るも耐えない姿になるだろうから・・・・・・
才人たちも落ちてくる自分たちに気付いたようで、ジュリオの拘束から必死に抜け出そうとする。だが叶わない。人形たちは厳重に、才人たちをその場に縫いつける。
「あっ・・・・・・」
ルイズの中を何かが走り抜け、また一つ何かを奪っていった。直感的に、才人との使い魔契約が失われたということは理解できた。
・・・・・・丁度いいじゃない。これであいつも、私のことが忘れやすくなるはずよ。
それはジュリオに関しても同様のようで、才人たちを取り囲む人形が一気に消滅した。 途惑うジュリオに目もくれず、才人はデルフリンガーを拾い駆け出す。
「シルフィードォッ!!」
才人が叫び、舞い上がったシルフィードが急降下してティファニアの元に向かう。
迷うことなく、才人は自分の元へ走ってくる。
・・・・・・なんで、なんでよ。
なんでそんなボロボロなのに、まっすぐ私の元に向かってくるのよ。
霞んだ視界に映る好きな男の子の傷ついた姿は、ルイズの想像を絶するものだった。パーカーには血糊がへばりつき、荒い呼吸を繰り返している。
細かく震え、今にも崩れそうなその身体。しかし、才人の瞳から光が消えることはない。引きずるように走るその足が、速度を落とすことはない。
・・・・・・お願い、やめて。 来ないで!
わたしだってもっとあなたの隣に居たかった! 世界を救って平和になって、ド・オルニエールで幸せに暮らして! そのうち子供ができて、その子が成長していく姿を見続けて! ずっと一緒に、笑っていたかった!
諦めきったはずの生への執着が蘇る。だが、それは一つも叶わないことを知っている。
“生命”は才人の世界の人々を消し去るために唱えられ、自分はそれを阻止して短い寿命を更に縮めてしまった。詠唱が失敗したせいで大陸の隆起が始まる。魔法学院も王宮も、自分の実家のヴァリエール領も程なくして空高く浮かび上がるのだ。
・・・・・・間接的とはいえ、自分はこの世界の半分の人間が死ぬ引き金を引いてしまった。
あのままロマリア教皇・・・・・・“彼”に従えばよかったのだろうか。ハルケギニアの為に罪もない才人の世界の人々を、痛みなく殺めればそれでよかったのだろうか。
自分が取った選択が正しいとは思わない。だが、“生命”の詠唱が成功しなければ才人は死んでしまうというのならば、自分は詠唱を続けていたのだろうか。
・・・・・・疲れた。辛いことも、苦しいことも、悲しいことも、もうこれ以上考えたくない。
ごめんね、サイト。
才人はもう、目の前だ。だが自分が落ちる方が少し早い。間に合わない。それで良い。
わたしを助けられなかったって、落ち込まないで。
その必死になって伸ばす左手が、自分に届くことはないことをルイズは知っていた。
その左手にはガンダールヴのルーンはない。もう、自分たちの絆の証は存在しない。
自分を責め続けるのも、わたしのあとを追おうとするのもダメよ。
・・・・・・あなたはもう、私を守るガンダールヴじゃないから。私だけの騎士じゃないから。
気に病む必要はないわ。だけど、一つお願い。
わたしにしてあげたように、誰かを守ってあげて。誰かを愛してあげて。
シエスタにも、姫さまにも、テファにも、タバサにも。ホントはあなたを譲りたくない。 でもどう足掻こうとわたしは、あなたと一緒にいられないから・・・・・・。
あなたの心を縛る鎖になるなら、迷わずわたしと過ごした記憶を忘れて。
・・・・・・でも、もしできるなら、わたしのこと覚えててね。
さよなら、サイト。今までほんとにありがとう。
わたしの分まで、幸せになってちょうだい・・・・・・。
頬を一筋涙が伝い、ルイズは目を閉じる。
そのまま、ルイズの意識は遠のいていった。
動け、動けよ! もっと速く!! もっと!!!
ただでさえルーンの二重使役で軋む身体を、才人はデルフリンガーに委ねる。痛みで強張る身体をデルフリンガーに無理矢理動かさせながら、才人は尚もリーヴスラシルのルーンを使い続ける。
竜の巣で自分が陽動を買って出て、ティファニアが襲撃を受けたとき。
海竜船でファーティマが激高し、ティファニアに黒光りする銃口を向けたとき。
カスバでしんがりを努めた際、絶対絶命のピンチをワルドに助けられたとき・・・・・・。
思い出す。思い出す。ただ、ただ、自分は無力だった。
だからこそこの数週間“竜の巣”で才人は自分を見つめ、心と身体を磨き続けてきた。
間に合えじゃない、間に合わせる! 俺の身体なんてどうなってもいい! あいつは、あいつだけは死なせねえ!
好きな誰かを守るために、自分は強さを求め続けた。エルフたちに拉致られてから今まで相当の無茶をやらかしてきたが、そのお陰で誰ひとり欠けることなく今ここにいる。
・・・・・・その力を、好きな子に使わないでいつ使うってんだよ!!
才人は心の中で吼えながら、想いの分だけデルフリンガーを強く握り締める。だが近付くにつれ、それが叶わないことだと才人は気づき始める。
どうしても、あと一歩足りない。追いつかない。
奈落の底へ落ちてしまう。ルイズが永遠に、自分の前からいなくなってしまう。
待ってくれ! 俺は再会してから、お前に何一つもしてやれてねえんだ!
ティファニアが海竜の巣に向かったときは、間に合うことができた。だがそれは、自分が彼女しか見ていなかったからに他ならなかった。
従姉妹から憎しみをぶつけられ、エルフたちからは明確な敵意を向けられて。自分を使い魔にしたことで、自らの気持ちと友情の間で板挟みになって。
ティファニアはいま、誰よりも傷ついている。守ってあげなければいけない。俺は、彼女の使い魔でもあるのだから。
そう考えて、自分はルイズよりティファニアのことを優先させていた。
ルイズなら分かってくれると甘えて、自分はルイズとの絆をないがしろにしていたのだ。
だから頼む、助かってくれ! このバカな使い魔に、お前を守らせてくれよ!
諦めの言葉が脳内を侵していく。それらを振り払い、使い魔は愛しい主人が落ちていく地割れの裂け目へと身体を投げ出す。
・・・・・・しかし、才人の手は空を切った。たったの30サントが、届かなかった。
ちくしょう! 何が使い魔だ! 何がガンダールヴだ! 何が騎士だ!
俺は好きな女の子ひとり、守れねえのかよ!
いくら嘆こうと、空中では思うように身体は動いてくれない。目の前で愛しい主人の姿が、奈落の底に吸い込まれていく。だがどうすることもできない。
もうダメだ、と才人が思った瞬間、胸のルーンが疼き始めた。微かな違和感と共に、「誰か」が才人の心の中に入ってくる。
“久しぶりだね。今は時間がないから、力だけ貸すから”
・・・・・・誰だ?
聞き覚えのある声。自分はこの声の主と、どこかで会ったことがある。
そう、どこかで・・・・・・
それが誰か分かる前に、才人の身体に力がみなぎった。
まるで自分の感情そのものが力になったような、そんな感覚。今ならどんなことだってできる。そんな気がした。
「悪いデルフッ!」
向こう岸の割れ目にデルフリンガーを当て、才人はそのまま力の限り愛刀の峰を蹴る。ブリミルから送られた業物の剣は“固定化”によってしなることなく才人の脚力を完全に弾き、バネのような跳躍を行わせる。
「うおぉおおおおおッ!!」
落ちゆくルイズを抱きかかえ、才人は柄も通れとばかりにデルフリンガーを絶壁に突き立てる。しかしいくら才人の身体が強靱でも、落下し続けるルイズを剣を握る右腕一本だけで止めることはできない。このままでは自分もルイズと共に奈落の底へ落ちてしまう。
だから再度、才人はリーヴスラシルを使う。
胸を走る激痛と共に、思考が加速する。思い出したのは小学校の頃覚えた逆上がり。中学校で習った、振り子の実験。
落下のスピードを殺さないよう、手首の角度を少しづつ変えながらデルフリンガーを鉄棒に見立て渾身の力で足を蹴り出す。それでもすべての衝撃を抑えることは出来ず、鈍い音が剣を握る右腕から聞こえた。
激痛に耐えながらも何とか力の方向を逆転することに成功し、才人は岩盤を蹴りデルフリンガーを引き抜く。二人の身体は弧を描きながら宙を舞い、何とか着地に成功する。
どれだけ高いところから落ちたのだろうか、その華奢な身体を支えた瞬間、更なる痛みと衝劇が身体を走り抜けた。
「が、あッ・・・・・・!!」
折れた右腕がじんわりと熱を持ち始め、痛みの感覚すらもなくなる。自分の意思とは関係なく力が抜けていく。気を抜けば取りこぼしそうになるその身体を、才人は左手に持つデルフリンガーを地面に突き刺し支えにして必死に腕の中に留める。
「う、くッ・・・・・・」
呻きながら、才人はそっとルイズを地べたに横たえる。ところどころについているかすり傷が痛々しいが、特に目立った外傷はない。頬に涙の跡が残っていた。
「はぁ、はぁッ・・・・・・この、バカ野郎が・・・・・・」
才人は折れていない左手で、優しくルイズの頬を拭う。遠くではティファニアをくわえたシルフィードがきゅいきゅい言っている。何にせよ、自分は大切なものを守れたのだ。
だが心に満ちていく安堵も束の間。ルイズの身体が光り出し、点滅を繰り返す。
「ルイズ、ルイズ! おい!!」
抱きかかえ揺り起こすが、返事はない。その間も点滅の間隔は速くなっていき、才人の焦りを加速させる。
なんだよこれ、どうしたってんだよ! 一体上で何があったんだ!
疑問は次々と浮かんでくるが、目の前のルイズをどうすればいいかが分からない。
“忘れてた、きみのご主人を救う方法も教えてあげるよ。細かいことはまたあとでね”
「誰か」の声と共に、頭に衝撃。頭上で何が起こったのか、これから自分が何をするべきなのかを才人は知る。
しかしそれは、あまりにも無情で残酷なものだった。
・・・・・・構うもんか。こいつが助かるなら俺はなんだってしてやるよ。
決意を固めた才人に、“フライ”を唱えて亀裂を越えてきたみんなが駆け寄ってくる。先頭はシエスタだった。
「サイトさん大丈夫ですか!? いま手当を・・・・・・」
「大丈夫、心配いらないよ」
そんなことをしている時間はない。
デルフリンガーに身体を委ね、才人は仲間たちを見渡す。その心配は「自分にしか」向けられておらず、隣に横たわる少女には誰も目を向ける者はいない。その現状は「誰か」が才人に送り込んだ現状を裏打ちする。
「その顔はすべてを知ったようだね」
いつの間にか、ジュリオが目の前にいた。その存在に気づいた全員が一斉に取り囲み杖を構えるが、当の才人は動じない。
「もう何もしないよ、僕らの計画は失敗したのさ」
「どうして俺の所に来た? 聖下は、ジョゼットは気にならないのか?」
「最後に挨拶したかったのさ。割と好きだったからね、きみのこと」
ジュリオは口笛を吹いた。アズーロが上空からやって来る。
「あれ、お前もうヴィンダールヴじゃねえだろ?」
「関係ないさ、子供の頃から一緒にいたんだ。僕とアズーロの絆はそんなにヤワじゃない」
クルル・・・・・・と喉を鳴らしながら頬を近づける風竜の頬を、ジュリオは優しく撫でる。
その背中の傷が生々しい。悪いことをしたなと思いつつも、お互い様かと才人は開き直る。
「なあ、一つ頼みごといいか?」
「もちろん、僕にできることだったらなんでも」
「シルフィードはこの場の全員を一度に運べねえ。何人かお前のアズーロに乗っけてくれ」
「そんなことかい? 喜んでさせてもらうよ。そんなことでぼくがきみに行った非道な仕打ちが赦されるとは思わないけどね」
「当たりまえだ、まだまだ足りねえよ」
才人はそう言い捨て振り返ると、自分を見つめる仲間たちに告げる。
「みんな、突然で悪いけどこの場から離れてくれ」
「・・・・・・サイトさんは、どうするんですか?」
おずおずとシエスタが問う。悟られないよう、才人は笑って答える。
「俺は、ちょっとやらなきゃいけないことができたんだ。ギーシュ、ルイズを頼む」
「ルイズって、そこにいる桃色の髪をした女の子のことか?」
・・・・・・何気なく発せられたギーシュの質問。だが才人はその言葉に目眩と諦めを覚え、現実を再認識する。ルイズはもう、誰の記憶の中にも残っていないのだ。
デルフリンガーを握り締めたまま、才人は傷だらけのルイズを抱きあげる。
大丈夫。お前が起きる頃には、みんな元通りになってるから・・・・・・
腕の中の少女に心の中でそう誓い、ギーシュの問いに才人は答えた。
「そうだ。・・・・・・俺の、誰よりも大事な人なんだ」
「・・・・・・分かった。僕の命に代えても守る。・・・・・・約束する」
才人の瞳を見て察したのか、ルイズを受け取ったギーシュは真顔で頷いた。
「デルフ、お前もギーシュたちと一緒に行ってくれ」
才人は抜き身の日本刀をそのままギーシュに差し出そうとする。しかしその身体はデルフリンガーの世話になっているので、その手から剣は離れてくれない。
「やだね」
「聞き分けのねえヤツだな、いいから早く行って・・・・・・」
そのまま地面に突き刺そうとした才人だったが、突然デルフリンガーが身体の所有権を返したので才人は崩れ落ちそうになる。しかしすんでの所で再びデルフリンガーが才人の身体を操り、両足でバランスを取った。
「ほら見ろ、俺がいなかったらまともに立つことさえできやしねえ。俺がいなかったら誰が相棒の身体を動かすのを手伝うんだ? こちとら六千年生き続けてる伝説の剣、おめえさんが何しにいくのかの見当くらいつくもんさ」
「・・・・・・仕方ねえな」
こう言われたら言い返せない。デルフリンガーを握り直し、再び才人は鞘に収める。
「サイトさん・・・・・・」
「サイト・・・・・・」
「あなた、もしかして・・・・・・」
振り返ると、シエスタ、ティファニアにタバサがもの言いたげに才人を見つめていた。
「・・・・・・いや、いやですッ・・・・・・!」
突然才人の腕に抱きつくなり、シエスタはそう言葉を漏らした。
腕に埋めたその顔から温かく湿った感触がパーカー越しに伝わる。だからどれだけ必死に嗚咽を殺していても、泣いているのはすぐに分かった。
「なんで、どうしてサイトさんだけが行かなくちゃいけないんですか! アルビオンで七万の軍勢に飛び込んだときも!! ・・・・・・あなたはこの世界の人じゃないのに、どうしてそんな当たり前みたいに命をかけられるんですかッ!」
「しょうがないよ、俺にしかできないことなんだ。だったら俺が行かなくちゃ」
薄く苦笑いを浮かべる才人。しかしその表情の奥にある本音はそうではないことを、シエスタは知っている。
長い間一緒にいて、ずっと、ずっと見続けてきた。
そんな好きな人の必死についた嘘くらいは見破られる程に。
「・・・・・・お願いだから、行かないでください」
シエスタだって分かっている。才人は望んで死地に赴くわけではない。
でもこれが好きな人を苦しめる言葉と分かっていても、言わずにはいられなかった。いままで伝えてきた「好き」を嘘にしてしまう気がしたのが、どうしようもなく怖かった。
「世界なんて頑張れば何とでもなるんです! きっと姫さまだって王女としての責任を放り投げても、あなたが行くのを止めますよ!」
「・・・・・・」
才人の沈黙を打ち破るように、シエスタは涙と共に溢れ出る言葉を叩きつける。
「わたしもミス・ウェストウッドもミス、タバサも、みんなあなたが大好きなんです!! 失いたくないんです! だからっ・・・・・・」
泣きじゃくり言葉が続かないシエスタを見つめながら、才人は思い返す。
アルビオンで自分とルイズが生きる世界との違いに悲しくなって、解り合えずにケンカして落ち込んでいたとき。
姫さまとの密会を知ったルイズに屋敷を去られ、元素の兄弟との戦いでデルフリンガーを失って悲しみの底に沈んでいたとき。
一体、自分はどれだけこの少女に支えられてきただろう。タバサやティファニアに姫さま、目の前にいる仲間たちだってそうだ。みんな自分を愛してくれた。励まし、助けてくれた。
だが・・・・・・いや、だからこそ、才人は言う。
「ありがと、けど・・・・・・ごめんシエスタ、みんな。その願いは聞けない」
才人はギーシュに抱かれたルイズに近寄る。その足の先はうっすらと消えかかっている。
時間はない、たぶんこれが最後にかける言葉だ。だがいいセリフは浮かばない。
ふと思う。俺がいなくなったら、ルイズは悲しむだろう。そりゃそうだ。自分だってルイズがいなくなった世界で生きていくなんて考えたこともない。きっと辛いはずだ。
「・・・・・・ごめんなルイズ。俺はもう、お前と一緒にいてやれねえんだ。
でも、お前にはお前を支えてくれるみんながいる。お前のことを心配してくれる姉さんが、親が、家族がいる。忠義を果たすべき姫さまだっている。
そして何より・・・・・・どこまでもまっすぐな、何かを貫き通そうとする意思をお前は持ってる。虚無なんて比べものにできないくらい大きくて誰にも真似できない、強い力だ。俺にはないお前のそんなところが、俺は好きになったんだ。
だからどんな悲しみだって、お前だったら乗り越えられる。信じてる。
本当にお前の使い魔でよかったよ、ご主人様。地球では何もなかった俺を、お前はいろんな所に連れ出して、いろんな出会いをさせてくれた。だから俺はこんなに幸せになれた。もう十分だよ、ありがとな。
だからお前も俺のことなんか忘れて、新しい男を探せよな。ホントはこんなこと言うのはちょっと癪だけど、七万止めようが何しようが、所詮は顔も身体も並のどこにでもいる男なんだよ。お前に相応しいやつはこの世界にいっぱいいる。
・・・・・・お前ならきっと、お前の良さを分かってくれる男が見つかる。俺よりお前を愛せる男がすぐに見つけられるさ。大丈夫、俺が保証する」
一言だと決めていたのに、余計な思いが零れ出てきた。しょうがねえなと思う。それだけこの女の子と自分が一緒に歩いた道のりは長く、宝石のように光り輝いていたのだ。
愛しげに才人は一度だけ、桃色の髪を撫でる。言葉はいらない。抱き合うことも、キスすらもいらない。それだけで十分、才人の心は満ちていく。
「ほんとに生意気で、バカで、ぺったんこで、高慢ちきなやつだけど・・・・・・やっぱこいつは俺のご主人様なんだ。守ってやらなくちゃ、いけねえんだ」
振り返りみんなの方を向くと才人はそうひとりごちる。その言葉で仲間たちは、誰のために才人が死地に赴くのかを理解した。
「なあ、もうそろそろ乗るのか乗らないのかはっきりしてくれないかな? 僕もジョゼットや聖下を乗せなきゃいけないからね。急いでるんだよ」
ジュリオの一言で、止まっていた時は動き出した。
「悪いなジュリオ、時間取らせて」
「乗るなら五人ほどで頼むよ」
「分かった。先生、みんなを頼みます。あと、この場所にルイズが来たいと言ったら必ず水の膜で完全に身体を覆ってください。見えない毒が辺りに漂ってますから危険です」
「・・・・・・ああ、サイトくん。わかった」
コルベールが生徒を促す。才人の横を、戦友たちが通り過ぎていく。
「・・・・・・待ってる。だからお願い、帰ってきて」
「サイト、死ぬなよ! 絶対に生きて帰ってこいよ!」
「死んじゃダメよサイト。ジャンと約束したんでしょ? あなたの故郷に連れていくって」
「散々だったわ。“聖地”がどんなところか見に行くだけだったのに・・・・・・いきなり戦い始めるし、地割れは起こるし、ほんと訳がわかんなかったわ。でも面白そうだったからいいとしましょ。あなた、あとで何が起こったかわたしに説明しなさいよ」
「ヘンね。わたしの大事な誰かが、あなたに取られた気がしたけど・・・・・・、いまならその誰かがあなたを選んだ理由、分かる気がするわ」
タバサ、マリコルヌ、キュルケ。ルクシャナとエレオノールがアズーロの背に乗る。ジュリオもひらりとアズーロに飛び乗った。
「それでは失礼する。兄弟」
「なんだよ?」
「来世で会う機会があるのなら今までの関係は全部流して、是非友達から始めたいんだが、そのときはよろしくお願いできるかな?」
「お前が嘘つきをやめるってんなら、少しは考えてやるよ」
「そいつは手厳しいね・・・・・・ではさよならだ、救世の英雄」
そう言い残すと軽く才人に手を振り、風竜は翼を開き飛び立つ。きゅい、と鳴いてシルフィードもそのあとに続いた。
「サイトさん、わたし信じてますから! だから、だからッ・・・・・・」
言葉に詰まるシエスタの声が、翼を羽ばたかせる音で聞こえなくなる。愛する人たちを乗せた風竜はみるみるうちに小さくなっていき、シエスタの声も届かなくなっていく。
才人は遠くなるその姿を、空に消えていくまでずっと見つめ続けた。
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