「生命」の意味
一方、“聖地”上空・・・・・・。
岩が上昇していきながらも、儀式は厳かに続けられていた。ヴィットーリオがルーンを読み上げ続け、残った三人の担い手もそれに倣い続けていた。
空へ昇る光の柱は徐々に小さくなっていき、四つの岩の中央に一つの光球を作り出した。
光球は白かった。この世界全てを染め上げそうなほど、ひたすら白く、白い。
それを見ているうちに、突然ルイズは崩れ落ちた。否、崩れ落ちていた。身体から力が抜けていくことにも、岩に触れたはずの膝の感触にも気付くことが出来なかったのだ。
“ルイズ!”
ティファニアの声が直接、ルイズの頭に響く。ティファニアも自分の声が出ないことに気付き、しかしヴィットーリオとジョゼットが同時にルイズの方を振り向くのを見て意思の疎通が出来たことに驚いている。どうやら、“生命”の詠唱中は言葉を発そうとするとこうなるようだった。
“ミス・ウエストウッド、儀式に集中してください”
ヴィットーリオの声に、ティファニアは心配そうに自分を見つめる。
そんな心優しい友人にルイズは大丈夫と答え立ち上がり、微笑みを浮かべる。
“症状は主に感覚の喪失から始まり、“虚無”が担い手の存在を“零”にしていく。担い手の身体は次第に透過していき、担い手を知る人々からも忘れ去られる・・・・・・”
フォルサテが綴った文を思い出し、ルイズは首を振る。
まだ大丈夫。わたしは絶対、死ぬわけにはいかない。
世界を救い、この虚無の呪いを解いて、ド・オルニエールで才人と一緒に暮らすんだ。
・・・・・・そうだ、全てが終わったらみんなでパーティーを開こう。
みんなで明るく騒いで、みんなで楽しくお喋りして。
嫌なことや辛いことがあった分だけ、自分たちは喜んで、笑ってもいいはずだ。
ルイズはルーンを唱えながら、そんな心躍る想像を何個も思い浮かべる。とりとめもない考えだけが、今のルイズを支えていた。
・・・・・・そうだ、サイトも、全てが終わって落ち着いたらわたしにプロポーズしてくれるのだろう。なんて言ってくれるのだろうか? 好きだとか愛してるとか結婚してくださいとか? 人生で一度だから、そんな普通の告白はあまりしてほしくない。もしされてもぜんぶ受けるけど・・・・・・・・・・・・。
思考が惚気てきて緊張感が無くなってきたときに、自分以外の誰かが倒れる音がした。
ルイズは驚き、白い球体から視線を外して周囲を見渡す。自分と対極の位置の岩に立つヴィットーリオも、右隣のティファニアにもその様子はない。
しかし、左隣にいるジョゼットは違った。
立ち上がった彼女は胸を押さえ、荒い呼吸を繰り返しながらも必死にルーンを紡ぐ。
“・・・・・・聖下、彼女はなぜ苦しんでいるんです?”
ルイズは感じた疑問をぶつける。虚無の症状は痛みを感じないはずだし、なによりジョゼットがもう“虚無”の毒に晒されているとは信じがたかった。
“彼女は虚無を短期間で酷く使いました。いま、彼女の身体は虚無に対し拒絶反応を起こしているのです。このままでは虚無の“毒”ではなく、拒絶反応による痛みでショック死しても何も不思議ではありません”
“そんな!”
“これは彼女自身が決め、行っていることです。彼女が生き延びるもこの場で力尽きるも、すべては始祖の御心のままでしょう”
“でも、このままじゃ・・・・・・”
“そんなことよりも、お話ししたいことがあります”
嘆くティファニアの言葉を遮り、ロマリアの32代目教皇は口を開く。
「・・・・・・聖地に眠っているのは、この世界を救うためのものではありません」
“・・・・・・え?”
空気を介し言葉を話すヴィットーリオとその言葉の意味を認識するより早く、身体から力が抜け、ルイズは再び崩れ落ちた。
“聖下、どういうことです!?”
問いながら、ティファニアは驚く。口が勝手にルーンを紡いでいく、身体も動かすことが出来ない!
「・・・・・・わたしは嘘をついていました。ロマリア教皇とあろうものが、です。しかし仕方がありませんでした。この“生命”の詠唱にリーヴスラシルを贄として捧げなければならないと知ったのならば、あなた方は世界を捨て彼を取っていたでしょう。・・・・・・ましてや私たちの目的が彼の“世界”を乗っ取ることだとしたのならば、なおさらです」
“どうして、そんな結論に至ったんです? どうして、私たちが生まれたこの世界を見限るなんておかしい判断ができるんですか!? 他に方法が・・・・・・”
「ありませんでした」
即答だった。しかし憤るティファニアを見つめるヴィットーリオの瞳には深く、途方もない悲しみが溢れていた。
「探して、探して、探しましたよ。ですが今に至るまで、六千年間歴史を繋いできた“存在しない”ロマリア代々の教皇たちが探そうとも、この世界を救う方法は一つしかありませんでした。・・・・・・“生命”は全ての生きとし生けるものに対し絶対的な権限を詠唱者に与える呪文。これを使えば、我々は彼の世界が持つ圧倒的な技術の力にも対抗することができるのです」
“だからといっても、才人の世界の人々に罪はないでしょう!?”
「・・・・・・確かにそうかもしれません。しかし、この魔法は始祖が彼の世界の人々に使うことを前提としてある呪文です。貴方は何も知らない。始祖ブリミルとその使い魔サーシャが、どんな仕打ちを彼等に受けてきたかを・・・・・・」
そこで、ヴィットーリオは突然言葉を切る。崩れ落ちたルイズの姿が柔らかい光に包まれていくのを見たからだ。
「やはり無理でしたか。“生命”が完成するまでは持ってくれるだろうと踏んでいたのですが、どうやら生きるも死ぬも五分五分のようですね・・・・・・」
ルイズの身体を纏う光が、点滅を始めた。それに伴い、ルイズの身体も色を失い透き通り、すぐに元に戻るということが繰り返されていく。
“ルイズ、ルイズ! しっかりして!!”
危険を察したティファニアが必死に呼びかけるが、ルイズはへたり込んだまま動かない。
“・・・・・・「生命」は、才人の世界の人々を消滅させるために必要な呪文・・・・・・”
“・・・・・・唱えるためには“神の心臓”である才人を犠牲にしなければならない・・・・・・”
他人事のように点滅を繰り返す手を見つめながら、ルイズは状況を整理していく。
“・・・・・・そして、虚無の担い手であるわたしはこの魔法を唱え終わらない限り、虚無の呪いから解放されることはない・・・・・・この世界が救われることも、ない・・・・・・”
頭は妙に冷えており、自分でも怖くなるほどに冷静だった。
“・・・・・・聖下、儀式をやめてください”
「そのつもりはありません」
ルイズの言葉に、ヴィットーリオは首を横に振る。
「いま儀式は最終段階に入っています。あなた方三人は詠唱を安定させるためルーンを唱え続け、わたしが指揮を執り四人の魔力をまとめ上げています。この時点で、詠唱の主導権は全てわたしにあります」
“だったらッ・・・・・・”
ルイズはゆっくりとした動作で立ち上がり、勝手にルーンを紡ぐ口を止める。しかしそれは束の間。全身に走る激痛に、ルイズは三度崩れる。
「無駄な足掻きはやめてください。フォルサテの虚無を担う者はこの詠唱のためだけに虚無を担わされているのです。貴方がわたしの制御に打ち勝てる道理はありません」
“だからなによ! だったらなんだってのよ!!”
何度痛みに崩れても立ち上がり、ルイズは詠唱を妨害する。
“自分たちの世界が住めなくなるからって、今度は他の人たちの世界を取り上げようとする! ふざけないで! そんなの人のオモチャをほしがってケンカする子供と何も変わらないじゃない!”
「・・・・・・黙りなさい」
“才人の世界の人たちが六千年前に何したか知らないけど、”
「黙りなさいと言っているのです!」
清水のように澄みきった声を震わせ、ヴィットーリオは一喝する。
「そんなことは重々承知の上でやっているんです!」
ルイズは驚いた。どんなときでも感情を表に出さなかったロマリアの教皇は憤っていた。 その端正な表情は決して崩れない。だがしかし押し殺した怒りを孕む声とは裏腹に、その瞳は深い悲しみに満ちていた。
「もし私が救いを伸ばせる手を何本も持っていたら、こんな手段を取ることはなかったでしょう。だが世の中は無情で、我々はあまりにも無力なのです! 博愛なんてことを言っていたら救える者も救えない!」
“それでもッ・・・・・・”
崩れた身体を立て直そうと足を立てて、ルイズは気付く。自分の足首から先の間隔が無いことと、自分を纏う光の点滅の間隔が急速に縮まっていることに。
「・・・・・・いい加減に諦めてください。抵抗をすればするほど、貴方の生存の可能性は低くなっていくのですよ。一体どこまで失えば、貴方は自らの行いの愚かさを認めるのです?」
“違う! 抗うのは無駄なんかじゃない! 逆らうのは愚かなんかじゃない!”
“ルイズ! ルイズ!! お願いだからもうやめて!!!”
ティファニアの制止の声を聞いても、ルイズはひたすら抗い続ける。身体の感覚が“虚無”に溶かされ、身体の点滅が早くなるほど、頭の中に「誰か」の記憶が流れ込んでくる。
“・・・・・・あなたは、だれ?”
(説明する暇はない。とにかく、この魔法を止めるんだ。僕の目の前で、もう二度と同じことを繰り返させるわけにはいかない)
「誰か」はそう強く訴えかけ、ルイズに力を貸してくれる。優しい勇気が心に満ちあふれ、「誰か」に促されるままルイズは叫ぶ。
“・・・・・・なにが「生命」よ! ・・・・・・こんなものの、ために、・・・・・・こんな、ことを、する、ためにっ!”
「・・・・・・? まさか・・・・・・」
「・・・・・・ブリミルは、サーシャはこの魔法を唱えようとしたんじゃない!」
少しずつ口が動くようになり、ルイズは独自に詠唱を始める。
唱えるは“解除”。ルーンを紡ぐたび、周囲に漂っていた魔力が渦を巻きルイズに集まっていく。身体の感覚が戻っていく。纏う光が徐々に収まり、点滅も消えていく。
「良いのですか、貴方のご実家のヴァリエール領も、貴方の生活する魔法学院も、貴方が忠誠を誓う女王の王宮さえ住むことは出来なくなるのですよ!? 住んでいた土地も地位も捨て、一から始めなければいけない! 貴族も奴隷も平民も商人も、みんな等しく資源を求め争い合うことになる! 大隆起の被害を被らない者も、いずれその争いに巻き込まれる! そんな生活を、貴方はハルケギニア全土の人々にさせるつもりなのですか!?」
ヴィットーリオの言い分は確かにもっともだ。どうしようもないほどの正論で、これを耳に入れたならば熱心でないブリミル教徒もほぼ間違いなく跪き、頭を垂れているだろう。
だが、今のルイズの心を揺さぶるには至らない。
「それでも、そんなことをして得る幸せなんて本物じゃない! 少なくとも他人を蹴り落とさないと手に入らない幸せなら、わたしはそんなものいらない!」
詠唱が完成し、ルイズは魔力を解放する。狙うは、四つの岩の中心にある白い光球。
しかし、思わぬ横槍の仕業によりルイズの杖は爆風に巻き上げられた。
ルイズは驚く。“爆発”を唱えたのは、息も絶え絶えだったはずのジョゼットだった。
“させ、ない、わ、ヴァネ、ッサ・・・・・・”
ジョゼットは荒い呼吸を繰り返しており、その足は震えていた。
恐らく立つことすらままならないほどの苦痛なのだろう。それでも、彼女の瞳はルイズを鋭く見据えていた。
“聖下、の願いは、ジュリオの、願い・・・・・・ジュリオ、の願いを、叶える、ことが、わたしの、生きる、意味、わたしの、使命、・・・・・・だから、邪魔し、ないで・・・・・・”
そこまで言うとジョゼットは崩れ落ちてしまう。しかし、崩れる音は一人だけのものではない。音の重なりに気づき、ルイズは振り向く。そこには、同じように崩れたティファニアの姿があった。
「テファ!」
声をかけるが、返事はない。様子がおかしい。身体は次第に点滅を始め透明になっていくが、しかし自分と比べても進行が早すぎる。始祖のオルゴールから出るルーンの数は異常を覚えさせるほど多い。その症状はジョゼットからも遠目に見て取れ、明らかに目の前のロマリア教皇が無理を強いていることは分かった。
「・・・・・・しかし驚かされましたよ、虚無を使い果たした貴方が「生命」の呪縛を振り切るとは。そのうえ、あれだけの“解除”。一体、どうやってそれだけの力を・・・・・・、まあ、些細なことはいいでしょう。“生命”は完成しました。貴方が抜けた代わりに、お二方には相当な負荷がかかりましたが」
ルイズは気付く。手に持つ始祖の祈祷書から、ルーンの放出がピタリと止んでいることに。その現象はティファニアが持つオルゴール、ジョゼットが持つ香炉、ヴィットーリオが持つ円鏡も同様だった。
「大丈夫です、なにも心配することはありません。“生命”を唱え終われば、彼女たちも、もちろん貴方も救われます。始祖の望みを裏切り楯突いた者ですら、始祖は慈愛を持って救ってくださるのです」
光球が唐突に光を増し、全てを白に染め上げた。
「始祖ブリミルよ、聖フォルサテとその虚無を受け継ぎ誰からも忘れられていった歴代の教皇たちよ、どうか見届けてください。今こそまさに、積年の悲願を達するとき・・・・・・」
辺りはひたすらに白く、白い。ゆっくりと杖を頭上にかかげ振り下ろすヴィットーリオの姿だけが、ルイズの目に映り込む。
“・・・・・・・・・助けて”
杖は空高く放られ、手元にない。だからルイズは、心の中にいる「誰か」にすがりつく。
“お願い、サイトを助ける力を、サイトが生まれた世界を護る力をわたしに貸して!”
(できなくはないけど、そしたら君は・・・・・・)
“わたしはどうなってもいいから! どんなことにだって耐えてみせるから!! あなたが誰だっていい、天使でも悪魔でも構わない! いいから早く力を貸して!!”
(・・・・・・そうか、やはり君も僕と同じように自らを犠牲にしても、彼を助けるんだね) 「誰か」が心に浮かべたその言葉で、ルイズは確信した。やはり、彼の名前は・・・・・・ (・・・・・・分かった、力を貸すよ。その代わり全ての負荷は、中断したきみと詠唱者であるフォルサテの担い手が肩代わりすることになるから・・・・・・)
その言葉で、ルイズの胸から「誰か」の気配は消えて無くなる。
次の瞬間、視界が開けた。辺りを埋め尽くしていた純白の背景は次々と光球に吸い込まれ、その光球すらも縮小を始め消えて無くなった。上昇を続けていた四つの岩はピタリとやみ、ゆるやかに降下を開始する。詠唱の失敗は、明白だった。
「・・・・・・有り得ません、なぜです? そんな、馬鹿な・・・・・・」
驚愕と共に膝をつくヴィット・・・・・・。その身体が激しく点滅を繰り返し始める。
そこで、ルイズは疑問を覚えた。この場にいるのは三人。才人のもう一人の主人であるティファニア。タバサの双子の妹、ジョゼット。そして・・・・・・、
「・・・・・・あれ?」
思い出せない。ヴィッ・・・・・・「彼」に関する記憶が、次々と頭の中から奪われていく。
ヴィ・・・・・・、「彼」という人間が自分に伝えた“虚無”の知識は薄れることはない。しかし目の前に立つ男がどんな人物で、なにをしてきたのかが思い出せない。辛うじて残った知識は、「彼」がロマリアの教皇ということだけだった。
「そんな不思議そうな顔をしないで下さい、構いませんよ。・・・・・・それよりもわたしのことより、彼女たちを心配してあげたらどうです?」
慈悲のつもりだろう。混乱するルイズに・・・・・・「彼」は“瞬間移動”を唱えた。ルイズの肉体はその場から消滅し、ティファニアのいる岩の上で再構築される。
ティファニアの肩に触れた時点で、ルイズは気付いてしまった。自分の左手はそこにあるだけで、もう既に「存在しない」ことに。
奇妙な感覚だった。感覚が虚無の毒に溶かされたときは、少なくとも身体を動かすことはできた。だがいまの自分の左手は手首にくっついているだけのただの物体と化している。
「テファ、大丈夫!? 返事をして!!」
手首、前腕、関節、二の腕、肩。次々と動かせなくなる身体。それでもルイズは残った右手で声をかけながら、ティファニアを揺り起こす。身体の点滅は収まっており、どこにも異常は見当たらない。ルイズはほっと息をつく。どうやら心の中で「誰か」の言ったとおりに、負担は全部自分と「彼」に回ったようだ。
しかし、・・・・・・ルイズは更なる違和感に気付いた。
「・・・・・・? ええ・・・・・・、大丈夫だけど・・・・・・」
向けられた虚ろな瞳に宿る疑問の色。まるで赤の他人が詰め寄ってきたかのような、無意識の畏怖を孕んだ声。ルイズの脳裏を、始祖の円鏡に映ったフォルサテの言葉が掠める。
“担い手の身体は次第に透過していき、担い手を知る人々からも忘れ去られる・・・・・・”
ルイズは自らの状態を悟り、最早名前すら覚えていないロマリア教皇に視線を送る。
「・・・・・・もう彼女たちは、私たちのことを覚えてなんかいませんよ」
その姿を纏う印象的だった神々しさはもう無い。そこにいるのは、諦観と絶望を身体から滲ませる一人の青年だった。
「貴方がアクイレイアでミスウェストウッドに記憶を消させたときのように、私たちがこの世界に存在した事実は虚無によって“無かったこと”にされているのです。・・・・・・わたしが貴方を、恐らくは貴方がわたしを辛うじて認識できているのは、今から共にこの世界から消えゆく存在だからなのでしょうね」
「そんな・・・・・・」
「今更嘆こうとも、もうすべては終わってしまいました。“生命”の詠唱は一度きり。始祖の祈祷書は最早ただの紙束、円鏡は鏡、香炉は香りがするだけ、オルゴールは玩具と化しました。・・・・・・もうすぐ、“下準備”のために塞いだハルケギニアの魔力の噴出口が爆発し、大陸中の風石が動き始めます。ハルケギニアより一人の使い魔と、その使い魔が生きる世界を取った貴方の選択で、我々は滅びを受け入れることになったのです」
おかしい。自分たちが助かるために他人を傷つけるその考えが既に間違っている。
だが何度言っても、目の前のロマリア教皇は分かってはくれない。いや、分かった上で冷静な判断を敢えてしようとしていないのだ。
「違う・・・・・・」
「何が違うというのですか」
ルイズの反論は、フォルサテの担い手の逆鱗に触れたようだった。その身から放たれ、辺りの空気を暗く染めていた深い負の感情が静かに怒りへと変わり、周囲を圧迫する。
・・・・・・エオルー・スーヌ・・・・・・
ロマリアの教皇は詠唱を始める。ただでさえ“生命”の分の毒をその身に負っているというのに、更なる詠唱。「彼」の身体が更に点滅を激しくする。
・・・・・・フィル・ヤルンサクサ・・・・・・
「彼」の足が文字通りこの世界から“消滅”し、「彼」は体勢を崩す。それでもロマリア教皇は、詠唱をやめることはない。
「聖下、やめてください! なんでそのようなことを!!」
ルイズは動揺する。「彼」が唱える“虚無”は、自分にとても馴染みの深いものだった。だからこそ、ルイズはそれを唱えようとする「彼」の真意を測りかねた。
自分の隣にはティファニアがいるのだ。いまその規模の“虚無”・・・・・・“爆発”を唱えたならば、彼女も一緒に巻き込まれてしまう。
先程自分の補填として二人に“虚無”を酷使させたのはともかく、罪のない者に犠牲を強いるのは「彼」が望むところではないだろう。
だが、そう考えたルイズの予想は大きく裏切られた。
「ミスヴァリエール、そのまま十歩ほど後退して頂きたい」
ある程度の規模で詠唱を中断し、片膝をつき杖を構えたまま静かにロマリア教皇は言う。
なぜ“瞬間移動”を唱えてまで、自分をわざわざティファニアのいる岩に動かしたか。 ティファニアの安否を確認するには、自分に現状を認識させるには更なる“虚無”の詠唱はあまりにも大きい代償だと思っていた。
岩場は二人で居るのがやっとの広さ。そこから十歩。爆発。吹き飛ぶ。巻き添え。
・・・・・・頭の中にあった疑問が結びつき、ルイズは理解した。
「彼」は自分に、この高さから身を投げろと言っているのだ。
「できれば貴方一人に向けたかったのですが、先程のような正体不明の力で避けられてはたまりませんので。・・・・・・十数えましょう。それまでに指示に従って頂けない場合は、ミスウエストウッド諸共吹き飛んでもらいます」
ロマリア教皇の、冷酷なカウントダウンが始まる。ルイズは思わず下を見る。足場は徐々に下降しているとはいえ、そこから才人の姿を見ることはできない。高いからではない。目から送られる遠くの情景を頭が認知できないのだろう、滲んで見えるのだ。
・・・・・・良かった。
だが、ルイズはその事実に心から安堵した。
もしいま愛する使い魔の姿を見たら、生きたくて生きたくてたまらなくなる。きっと足は強張り、張り付いたように動かなくなる。
「7・・・・・・、6・・・・・・」
きっちり等間隔に数字を数える「彼」の瞳は、いつになく冷たい。自分がどれだけ躊躇いを見せ懇願し、この世への未練に涙しようと容赦なく呪文を解放するだろう。
・・・・・・当然だ。それだけのことを、自分はしたのだから。
顔を上げ、ルイズは一歩前へ踏み出す。
・・・・・・そういえば、わたしほんとによく高い所から落ちてたわね。
ルイズはふと思い出す。学院で火の塔から飛び降りたときも、スレイプニィルの舞踏会でガーゴイルに連れ去られたときも、才人は助けてくれた。
ただの土くれだって、あなたの姿をしたらわたしを助けてくれるようになる。
ほんっと、あんたどれだけわたしのこと好きなのよ。
二歩、三歩。・・・・・・そして、浮遊感が訪れる。
・・・・・・サイト・・・・・・。
ルイズは静かに目を閉じ、愛する人のことだけを考える。
・・・・・・が、突然落ちゆく身体が止まった。重力に逆らい、ルイズは宙に吊される。
「・・・・・・だめ」
否定と共に、自分の右手を掴んでいるハーフエルフの姿が視界に映り込んだ。
「ごめんなさい。わたしはあなたのことを覚えてないの」
状況が飲み込めず、ただ口を閉ざし傍観していた彼女の姿はそこにはなかった。
「・・・・・・あなたはいまわたしのために命を投げ出そうとした。あなたがわたしにとってどんな人だったかは知らない。どんなことを思っていて、何をしたかなんて知らない」
ロマリア教皇の口から、「0」と声が発せられる。
いけない、このままではティファニアまで自分の道連れになってしまう!
ルイズは宙に垂れる左手で、掴まれた手を振り解こうとする。しかしどれだけ動かそうとしても、もう左肩から先は虚無に冒され、ピクリとも動いてはくれない。
ティファニアがルイズの手を引き始めた。身体を揺り動かし、掴まれた方の手の力を抜きルイズは必死に抵抗する。だがルイズの右手は、絶対に離さないと言わんばかりに固く握られている。
「でも、そんなことするのは認めない。わたしのために誰かが死ぬなんて絶対許さない」
勢い良くルイズを引き上げると、強い意志を宿らせた瞳でティファニアははっしと「彼」を見据える。
「・・・・・・そして、こんなふうに人を追いつめるあなたのことも見過ごすわけにはいかない」
「・・・・・・驚きました、“忘れた”という事実を覚えていましたか。やはり記憶を司る担い手というだけあって、免疫があるようですね」
頭上に掲げ振り下ろそうとする手を止め、ロマリア教皇はティファニアの言葉に応える。
「ですが、貴方がたは仮にも王の血を引く者。わたしの言葉を違えさせ、不名誉を着せるわけにはいきません。・・・・・・悪く思わないでください。このルーンをわたしに唱えさせたのも、ミスウェストウッドを巻き込んでまで貴方を裁くのもわたしの意思ではありません。これは何百人という教皇の骸たちの、貴方の軽率な判断によって苦しむハルケギニアの民が振り下ろす裁きの鉄槌なのです」
そう言うと次の瞬間、宣言通り「彼」は詠唱を解放した。眼前の空気が膨張し、爆音と共に弾け飛ぶ。吹いて飛ばされた紙人形のように、二人の身体は空に投げ出される。
「この世界を破滅に追い込んだ愚者よ、始祖に背きし異端者よ。せめて自らの罪を、その身が地に叩きつけられるまで悔いるがいいでしょう・・・・・・」
小さくなっていくその姿を見下しながら、ロマリア教皇は断罪の言葉を投げかける。 ・・・・・・しかし次の瞬間、「彼」・・・・・・ヴィットーリオはすべてを悟った。
「これは・・・・・・ああ始祖よ、そういうことですか・・・・・・」
その理由は短い地揺れと、それによって現れたある“モノ”。ヴィットーリオが、歴代の教皇たちがいままでどれだけ血眼になって探しても見つからず、存在しないと言われ続けていた「中心」。
「・・・・・・だから貴方はミスヴァリエールに、力をお貸しになられたのですね・・・・・・」
ついていた片膝も消え、ヴィットーリオは静かに崩れ落ちる。
・・・・・・自分は一体、どこで間違ったのだろうか。
誰よりも自分はマギ族を、ハルケギニアの民のことを案じたつもりだったが・・・・・・。
“力”に目覚めた自分を先代のロマリア教皇が見つけ、母は炎のルビーを持ち去った。新教徒だったこともあり、ロマリアがヴィットーリアに追っ手を仕向けたことはなにも不思議ではないことだった。
幼心に母は国から追放され、自らにも着せられる異端の汚名をそそごうと無知のままに自分は熱心なブリミル教徒となり、教皇の座まで登りつめた。
・・・・・・先代の教皇が人々の記憶から消え、その記憶を虚無が補填する。自分以外の誰一人も違和感を覚えることなく、かれこれ六回目になる戴冠式が終えられた。
責務は雪崩のように押し寄せ、それでも自分は必死になって一つ一つを計画通り、丁寧にやり遂げ続けてきた。
・・・・・・そして、今に至る。すべての努力は水泡に帰し、自分は敗れた。
自らの半生を振り返り、ヴィットーリオは深く息をつく。
「母よ。ヴィットーリアよ、聞こえていますか? ・・・・・・やはりあなたの予期した通り、わたしではこの運命に打ち勝つことはできませんでした」
空に向けて話しかける彼を、目を覚ましたジョゼットが不思議そうに見つめる。構わず、ヴィットーリオは空と話を続ける。言葉と共に、何故か涙は溢れて止まらなかった。
・・・・・・とりとめもない独り言が終わると、ロマリア教皇はゆっくりと首を振る。
いくら過去を振り返り、この世を去った者に何を言おうとも、もはや自分にできることなど何一つない。
・・・・・・あるとしたら、ことの成り行きを見届けるために存在し続けることぐらいだ。
「この世界が終わるのをただ座して待つか、それともあちらの世界を滅ぼすのか。・・・・・・歴代の教皇が必死になって探した二択。もし他に手があるというのならば、誰一人傷つかない方法で、あの二人がこの世界を救ってくれるというのならば・・・・・・見届けましょう」
あえて下を見ることなく、三十二代目の教皇は遙か彼方の空を見つめた。
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