ジュリオとジョゼット
・・・・・・そんなルイズを、才人はただ立ち尽くして見送ることしかできなかった。
追いかけて言い訳をすることもできない。それはティファニアを自分の為に売るということだ。そんなことは赦されない。
自分はどこかで、間違えてしまったのだろうか?
そう考えると正しいと信じて取った行動も、全部自分の保身のために取ったように見えてくる。それどころかこの世の全てが、一つ残らず嘘に見えてくる。
“俺は、俺が信じたものを守り抜くことを、あなたに誓います”
アルビオンで、骸となったウェールズに誓った思い。
自分はあの言葉を守れているのだろうか? それどころか汚して愚弄し、あまつさえ踏みにじっているのではないか? ・・・・・・そんな汚れきった疑問まで、覚えてしまう。
後悔の念は津波のように次々と押し寄せ、才人を呑みこんでいく。かなりの時間が経っても、才人はその場から一歩も踏み出すことなく、その場に留まっていた。
一度収まったリーヴスラシルが再び光りだし、自分の耳に遠く離れたルイズの足音を運んでくる。もうなにもかもが嫌になった。
才人はやりきれなくなり、耳を塞いでうずくまろうとした。だが、今更だが気付く。
同じ大きさで、もう一つ足音がある。しかも走っている。ルイズのと比べてもどんどん小さくなるその足音は、その人物が急いで海へ向かっていることを示していた。
もう夕暮れだというのに、こんなに息を弾ませて・・・・・・・・・・・・
まさか。
嫌な予感が頭を抜ける。思うより早く、才人は走り出した。
才人が向かったのは竜の巣の入り江だった。海へと通じる出口には小型哨戒艇がぽつんと海面に浮いている。コルベールに一応見せたが特に異常やメンテナンスの必要はなく、大丈夫だと保証されてそのまま放置されていたのだ。
才人は哨戒艇に乗り込む。まだ十分な軽油が残っている。もしティファニアがイルカに乗ったとしても、スピードで言えば十分追いつけるはずだ。
しかし、才人が今いる位置とティファニアが走っていった方向は全くの逆だ。才人はこの広大な洞窟を外回りで半周しなければならず、そのことを考えると時間に余裕はあまりない。しかも、ティファニアが進んだ方向もわからない。
才人はエンジンをかけ、フルスロットルで哨戒艇を走らせる。スクリューが唸りを上げて水を掻き回す音を聞きながら、才人は祈るように思った。
脳裏に浮かんだのは、耳がちょっと長い金髪の女の子。
優しい彼女があの場にいたら。ルイズが自分を、拒絶する場面を見たら。
才人が心配しているのは、ティファニアがルイズのように自暴自棄になってどこかへいなくなってしまうことだ。だが、それだったら良い方だ。
才人は、ハーフエルフの少女の心のもろさをこの半月でよく知った。最悪の場合、ティファニアは自身に“忘却”をかけることまであり得ると考えていた。
頼む、そんなこと考えないでくれよと才人は心の中で念じていた。
だがその想像はより劣悪になり、現実となって才人の左目に映った。
ティファニアの視界だ。才人はすぐに気付いた。速い。やはりイルカに乗っている。
洞窟から離れ、どんどん沖の方へと進んでいる。
「ふざけんな! どうして、どうして誰も幸せになってくれねえんだ!」
才人は絶叫した。ルクシャナが海で遊ぶみんなに言っといてくれと注意したさりげない一言を、思い出したから。
“あなたはもうわかっただろうけど、勝手に沖の方へ行っちゃだめよ。あの辺りには”
海竜の巣が、ある。
あまりの理不尽に、悲しみよりも怒りが湧いた。こんなのおかしい。許されない。絶対間違っている。ティファニアとの約束を破って、ルイズに全てを洗いざらいぶちまけた方がまだましだったではないか。
ティファニアは自分に全く関係ない負の感情をたくさんぶつけられて、ずっと受け止め続けてきた。
痛みを隠して無理して笑って。誰よりも何よりも、幸せになれる資格があるはずなのに。
もう十分だ。どんなに神様が残酷だろうと運命が非情だろうと、これ以上ひどい仕打ちをティファニアに与えることなんて認めるわけにはいかない。
そう思い最良だと信じて取った自分の行動は、最悪のものとなってしまった。
このままでは本当に誰も報われないし、救われない。傷ついて自分から去っていったルイズも、葛藤に苦しみ抜いた自分も、まだ何も事情を知らない仲間たちも、全て。
だから才人はティファニアを止めに行く。理由は一つだけ。俺は、ティファニアの使い魔だから。ただそれだけ。守らなければならないご主人様は、いまは一人だけじゃない。
だが、自分の体は一つしかない。現に愛する恋人を振り切って、才人ははらわたを引きずり出すような思いでティファニアを優先させているのだ。
もしかしたらどちらにも、差し伸べた手は届かないかもしれない。
それでも、だれかを見捨てることなんて才人にはできない。必死に腕を伸ばして、無理矢理にでも両方掴み取る手のひらしか持っていない。
そうこう考えている間に哨戒艇は竜の巣を半周し、学院のみんなが遊んでいる辺りに着いた。海中ではしゃいでいるギーシュたちに気付かれないよう低速でさりげなく通り抜け、ほっと一息つく。
だが、問題はここからだ。ティファニアがどの方向へ行ったかわからない。
さてどうしようと考えていると、才人の所に一匹のイルカが寄ってきた。小舟を引いてくれた二匹のうちの片割れだった。
「どうした、なんかあったのか?」
イルカが答えられるわけがないが、才人は聞いてみた。するとイルカは水中から顔を出して頷き、尾びれを海面に打ちつけて哨戒艇から離れていく。
「ついてこい、っていってんだよ」
デルフリンガーに言われ、才人はなるほど、と思った。たしかにこのイルカなら、不自然なほどみんなの所から離れていくティファニアのことを不審に思うかもしれない。
「わかった」
確信は持てない。でも、四方八方駆けずり回って間に合わないよりはましだ。
「なあデルフ」
「何だね相棒」
「悪い。海の水にちょっとつかることになるけど、錆びねえか?」
才人は詫びるかたちで質問した。ほんとはルクシャナに呪文をかけてもらうべきだが、あいにくそんな暇はない。
「相棒、覚えてるか? 買ったときの俺がボロく変身してたの」
「ああ」
「あのままだったらいけると思う。たぶん」
「ありがとな」
「だが切れ味は格段に落ちるぜ? 変身には魔力も使うし、サポートはしてやれねえ」 「いいよ、そんくらい。ルーンで何とかする」
「わかった」
返事を聞くとデルフリンガーはカタカタ刀身を震わせなにやら唱える。光り輝いていた峰にじわじわと錆びが浮き、研ぎ澄まされた刃は刃こぼれしていく。小舟の上での魔力放出といい“ブレイド”の吸い過ぎで砕け散ったことといい、やはり見ていてあまり良い思いはしない。自分から頼んだのに才人は思わず、「大丈夫か?」と何度も聞いてしまった。
イルカはどんどん沖へ沖へとひたすら進み、才人は見失わないよう必死に追いかける。 まだティファニアをこのふざけた運命が弄ぶというのならば、そんなもの全部叩き斬ってやる。
どれだけ傷だらけになっても、あの優しい心を守り抜いてやる。
才人は胸のリーヴスラシル、左手のガンダールヴを交互に見つめ、強くそう思った。
日は暮れ、洞窟の中は薄暗くなった。いつも通り海から上がったギーシュたちは洞窟内で一番広い広場に集まり、取ってきた海産物を自慢してシエスタに夕食の献立を何にするのか尋ねている。
そんな楽しげに響く笑い声から遠ざかるように、ルイズは洞窟をどこまでも走っていた。
ド・オルニエールから逃げ出した時の街路と、目の前にどこまでも広がる闇が重なる。
ただ一つ違う点は、ルイズは才人から逃げているのではないということだった。
才人は契約を交わした。自分じゃない、別の誰かと。
それがどうした。なにがあっても、才人はわたしだけの使い魔なのだ。
今までどおりのルイズだったならば、きっとこんなふうに才人を信じ切ることはできなかっただろう。
しかし、二人の関係は変わった。ずっと言い切れなかった自分の想いを伝え、主人と使い魔は恋人どうしになった。
“俺、この瞬間のために生まれてきたんだな”
“俺にとっては、おまえがすべてだ”
ヴェルサルテイル宮殿の噴水の前で抱き合ったとき。
ド・オルニエールの屋敷のソファーで、寄り添って話し合ったとき。
不安はもう無い。才人がくれた言葉のすべては、しっかりとルイズの心を支えていた。
とにかく事情を聞こう。さっきは混乱してつい逃げ出してしまったが、もう大丈夫だ。
そう思ってルイズは才人を捜していた。だがいくら走り回っても、“テレポート”で海続きの他の洞窟まで飛んでも、才人は見つからない。
もうずいぶんみんなのいる場所から離れている。迷子になる前に戻ろうと思ったが、近くの洞窟から声がしたので足を止める。海母が誰かと、会話をしているようだった。
才人だ、とルイズは思った。確認はしていないが、シルフィードやコルベールも夕食を食べに広場に集まっているはずだ。ここ数日のサイクルから、ルイズはそう判断した。
早く会って、謝らなくちゃ。
ルイズはそう思いながら、声のする洞窟の方へ向かった。
「どうか、この“竜の巣”から一時立ち退いてくれませんか?」
聞いた者に神々しさを覚えさせるような清らかな声が、洞窟の中を跳ね回る。
ロマリアの若き教皇、ヴィットーリオ・セレヴァレはそこにいた。
始祖に一生の忠誠を捧げる身の彼は跪き、深く深くその頭を一匹の竜に垂れ、何度も何度も繰り返し懇願し続けていた。だが海母はそのたびに、首を横に振った。
「その要望には、残念だけど応えられないねえ・・・・・・」
「なぜです?」
「わたしはまだ、この世界が好きなのさ。そんな危なっかしいことをするのを、黙って見ているつもりはない。考え直しな。生き残る手段なんて、他にもあるだろう?」
「・・・・・・そうですか・・・・・・」
ヴィットーリオは顔を上げる。酷く残念そうに歪めた。
「ならば仕方がありません」
ヴィットーリオがそう言うと、彼の背後からジョゼットとジュリオが現れた。
目の前の小さな少女が高らかに呪文を唱え始めたのを見て、海母は生理的に恐怖を覚えた。すぐに海中へ逃げようとしたが、身体に30サントほどの人形がへばりついてくる。 攻撃の意思はなく、海母を拘束するのが目的のようだった。抵抗するが人形たちの力と数は凄まじく、あっというまに海母は人形の波に飲み込まれた。先住魔法を唱えようにも口も塞がれている。海母はもう何をやっても無駄だと悟った。
「安心してください。あなたを少し、遠いところへ送るだけですから」
抵抗するのをやめた海母に、ヴィットーリオは告げる。ジョゼットの詠唱が完了した。 次の瞬間、人形もろとも海母はその場から消え去った。
ヴィットーリオは振り返ると、彼と同じ担い手の一人と使い魔にぺこりと頭を下げた。 「二人とも、お疲れ様でした。後は、“聖地”がどこに眠るかを探し当てるだけです」
「聖下。あの竜は本当に、我々の障害となり得たのでしょうか?」
「・・・・・・わかりません。ですが、この儀式は一度しか行えません。大きい力を持つ不確定な要素は、できるだけ取り除いてゼロにしておかなくては」
ジュリオの問いに答え、では行きますよ、とヴィットーリオは二人を促し暗闇に消えていく。
ジョゼットもついて行こうとしたが、ジュリオはその場から動かない。
「ジュリオ、どうしたの?」
「・・・・・きみはあの竜を、一体どこまで飛ばしたんだ?」
「どこまでって、ラクドリアンの湖畔まで」
「どうしてそんな遠いところにしたんだ! テレポートはものや人間にかけると干渉が起こって、膨大な魔力を消費するんだぞ!」
「だって、何かあったら危ないもの。海は広くてどこにいるのかわからなくなるし、陸は人や亜人がいるわ。それに、儀式が終わったらちゃんと、元の場所に返してあげなくちゃかわいそうでしょう?」
「・・・・・・」
「それよりもねえジュリオ、聞い・・・・・・、」
ジョゼットの言葉は遮られた。ジュリオがいきなり彼女の肩を掴み、強く揺さぶったからだ。
「もうやめてくれ!」
ジュリオはジョゼットの肩を強く押し、彼女を後ずさらせる。
戸惑いに目を見開くジョゼットを、ジュリオはさらに怒鳴りつける。
「俺はきみを利用してるんだ! かける言葉は全部戯れで、向ける気持ちは汚い嘘でまみれてる! そんなことすら、まだ分からないのか!」
口調が次第に、ガキ大将のころのものに戻っていく。
「・・・・・・ヴァリエール嬢のように、少しづつ使っていけば気がつかなかっただろう! でも短期間でこれだけの虚無を唱えたきみは違う! 気付いてたはずだ! 自分の体を襲う異変を! 分かってたはずだ! 俺がそんなことを言える立場なわけがないことも!」
ジュリオは分かっている。これがただ、自分の主人に罪をなすりつけているだけということを。
彼女は悪くない。本当に責められ、傷つかなければならないのは自分の方なのだ。
今までだって、呪文を唱えるのを止めようと思えばできた。体にかかる負荷のことを話すことはできた。
しかし、ジュリオは逃げた。
どうしても使わないといけない局面で使うのだから、しょうがない。
自分が言ったら、ジョゼットは虚無魔法を唱えなくなるかもしれない。
始祖のため、聖下のため、ハルケギニアの人々のため。ジュリオは何度も自分に言い聞かせてきた。無理矢理理由をこじつけ、必死に彼女のことを考えないようにしてきた。
だけどもう無理だ。ジュリオはさっきの言葉で、自分の本当の気持ちを悟ってしまった。
「なんでもないふりして笑うなよ! 好きだなんて、愛してるだなんて言うなよ! ・・・・・・どうしてきみをずっと騙し、欺いてた俺を責めてくれないんだ!!」
分かっている。自分は彼女とちゃんと向き合って、本当のことを伝えなければならない。
それが“段階”を飛ばしてまで答えてくれたジョゼットに対する道理というものだ。
しかしジュリオは顔に手を当て、彼女を視界から外した。悲しみに歪む彼女の顔を見る勇気は、ジュリオにはなかった。
「・・・・・きみは、きみは死ぬんだ! 残された時間は、長くない!!」
それはジュリオが彼女を虚無の担い手でなく、一人の愛する人として見た瞬間だった。
ジョゼットの想いは、使い魔に届いた。だがその対価として、運命は牙を剥いて彼女に襲いかかった。
「俺がきみをそうさせたんだ! 俺が、きみの命を、奪ったんだ・・・・・・! 俺が・・・・・・」
情けない。自分には、好きな人が傷ついていくのを眺めることしかできない。
ジュリオは顔を伏せる。そこから先は、もう言葉にならなかった。
そんな使い魔の頬に手を当て、ジョゼットは優しい声で言う。
「ねえジュリオ。わたしね、うれしいの。・・・・・・始祖に仕えるあなたはきっと、その気になったらわたしをいつでも捨てられる。・・・・・・だからわたしは、あなたにこういうの」
その物静かな青い瞳に悲しみの色はない。あるのは強い想いと、覚悟だけだった。
「わたしはあなたがしたことを絶対許さない。償いたいなら、わたしが死ぬまで、傍にいて。もっとわたしの知らないあなたを教えて。わたしをいろんな世界に、連れ出して」
ジュリオは答えない。無言で身をかえし、ヴィットーリオが消えた暗闇へ足早に続く。
そんな風に歩き去ろうとする使い魔の背中を、ジョゼットは両腕で優しく包み込んだ。
「大好きよ、ジュリオ」
呟く。答えは分かってるから、聞かなくていい。
かすかに。ほんのわずかに震えている使い魔の背中が、ジョゼットにずっと彼の答えを教えてくれていた。
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