二つのルーン、二人の主人
第9章 二つのルーン、二人の主人
“竜の巣”には太陽の光は差し込まないが暗くはない。大概の洞窟は発光するコケが昼夜問わず辺りを照らしているからであるが、あまりコケがない薄暗い洞窟もある。だからルイズたちは日中は明るい洞窟、日没後は薄暗い洞窟という風に住み分けているのだ。
しかしルイズは朝起きてからずっと、毛布の上で枕を抱き込んだまま膝を抱えていた。 睡眠不足ということはない。ルクシャナが家出の度に持ち込み、そのつど忘れていった寝具がここには山ほどある。それを使わせてもらっているので、ゴツゴツした岩だらけのこの床でもそこそこよく眠れた。
ルイズの悩みは、そこから遠くかけ離れた所にあった。
再会してからというものの、才人の様子がどこかおかしい。
ルイズは明確に、才人に避けられていた。
何がどうやって、こんなになったのかなんてわからない。
ただ事実、才人がルイズの視界にいる時間やキスやハグをしてくれる回数、二人きりの会話で交わす言葉の数などは確実に減っていた。現にいつも自分が起きるまで待ってくれるのに、今日の朝目が覚めたときは才人は傍らにいなかったのだ。
自分があれだけ寂しくて、会いたい気持ちでいっぱいだったのだ。
使い魔はもっともっと深刻だろうと思っていたのに、いったいこれはどういうことか。
これじゃまるでわたしの方が、才人のことを好きすぎてるみたいじゃないの!
そんな事は絶対、認められない。む~、と唸りながらルイズは枕から少し顔を出し、原因を考える。だが、思い当たるような出来事は何一つない。強いて言うならば、やっぱりこの前の浮気(?)だった。
思い出して再び、心の中にある“怒り”と書いてある竃に火がくべられる。ルイズは肩を震わせたが、同時に少し落ち込んだ。
・・・・・・ちょっと、怒りすぎたかな。
ルイズは頬につけた枕に再び軽く顔を埋め、そのままポテッと横になる。
だいたいサイトが悪いのだ。自分に非など、あるわけがない。
どんな理由があろうと、自分以外の女の子といちゃつくのは間違っている。
だがルイズの今の心情は怒りよりも、戸惑いのほうが遙かに大きかった。
今までこんな風に才人から明確に拒絶された事なんてただの一度もなかったのだ。こんな毎日のように起きている痴話ゲンカぐらいで、普段の使い魔が取るような挙動じゃない。 才人は一体、何を考えているんだろう?
もしかしたら無意識のうちに、いつのまにか自分は才人を傷つけるようなことをしてしまったんだろうか?
・・・・・・わからない。どんなに愛していても、相手の考えが読めるわけがないのだ。
ルイズは顔を上げた。なにもせずに知らないまま、訳のわからない理由なんかで才人との間にできた溝を深めたくなかった。
・・・・・・怒っているなら、謝りに行こう。悲しんでるのなら慰めに、落ち込んでいるのなら元気づけに。
テファとの事を申し訳なく思っているのなら、許してあげよう。
大丈夫だ。いくら間違い、誤解してすれ違っても、必ずまた仲直りできる。
だって自分たちは主人と使い魔という、運命と愛の鎖でつながれているのだから。
サイトの元へ足を運びながら、ルイズはそんな確信のような願いを抱いていた。
その才人はというと、ひたすら洞窟の壁を相手に剣を振っていた。
左手のルーンが光を失うとともに、今度は胸のルーンが輝く。才人はいま、ルーンをコントロールするために切り替えと併用の練習をしていた。
もしまたいざってときに役に立たなかったら、みんなを守れない。
それだけではない。何より、ワルドに助けられた事が才人は悔しくて悔しくてたまらなかったのだ。
実はそれが才人が二つのルーンの重複使用を練習している、もっとも主な理由だった。
助けに行って、逆に助けられた。・・・・・・しかも、一番許せないヤツに。
潜水艦の時だってそうだった。もしファーティマが引き金を引いていたならば、自分もティファニアも揃って撃ち殺されていたのだ。
軽い、弱い、遅い。・・・・・・全然足りてない。
もっと重く、強く、速く。
己への怒りを気迫に変え、才人は無我夢中で剣を振るう。
「やあ兄弟。相変わらず、自分を磨くことに余念がないね」
だが、聞き覚えのある声がして集中は妨げられた。
才人は目の前にいる人物に驚き、デルフリンガーを取り落としそうになる。
果たしてそれは、“サハラ”の上空を飛んでいるはずのヴィンダールヴだった。
「なんだい黙りこくって。せっかく人が儀式の準備を済ませてきたっていうのに」
「何でおまえがここにいんだよ! 下準備が大事だとか聖下が言ってただろ?」
「もう終わったよ。それに、僕だけじゃないさ。聖下もジョゼットもちゃんと来てるよ」
言いながら、ジュリオは自分の背後の洞窟を親指で指差す。なるほど、確かに暗闇の奥には二つの人影と、竜の姿が確認できた。
「一体いつ来た?」
「さあね。そんなことどうでもいいだろ? それより、エルフ軍と聖地回復連合軍がアディール郊外で衝突したって知っているかい?」
「え?」
「交渉は失敗した。聖地回復連合軍は総力を挙げて攻撃してるけど、戦局は膠着してる。エルフたちの援軍が来るまでにアディールを落とせれば僕たちの勝ちだね。・・・・・・ああそうそう、“水精霊騎士隊”は要望通り前線に立っていま必死に戦ってるぜ?」
返答を聞かず、ジュリオはくるっと踵を返すと才人に背中を向けた。
「突然だけど、一応あいさつしたしこれで失礼するよ。まだちょっと用意があるんだ」
「ちょっと待てよ、もっと詳しく説明しろ!」
ジュリオはそのまま立ち去るかと思うと振り返り、忘れてた、と付け加える。
「あと三日だ。三日、僕たちに時間をくれ。それで全部準備は整う」
そこにはもう、先程まであった陽気な表情はない。決闘に望む戦士のような鋭い眼光で、ジュリオは才人を見ていた。
「また戦場に戻ろうなんて絶対に思わないでくれよ。彼らの時間稼ぎがあるから、僕らは世界を救えるんだ」
「言いたい事だけ言いやがって・・・・・・」
ジュリオが消えていった洞窟を見ながら、才人は吐き捨てるように言う。
竜の巣は広い。そして相手はあのミョズニトニルン。追いかけっこをしようとも、便利なマジックアイテムか何かで撒かれるのがオチだ。
才人は再び、デルフリンガーを構え練習を開始する。だが、先程まであった剣のキレはそこにはない。
“剣の迷いは心の迷い”。
剣術を教えてもらったアニエスの言葉を思いだし、才人は深く項垂れた。
迷いならば星の数ほどある。それら一つ一つが友達や恋人、自分の人生を左右するほどの重さを持っているのだ。
洞窟の天井をボーッと見続けていた才人だが、軽やかな足音が近づいてきたので慌てて逃げようとする。だが洞窟の奥は袋小路。
リーヴスラシルもガンダールヴも、先程の練習で使い切ってしまっている。
あたふた右往左往している間にも、聞き慣れた足音は近づいてくる。才人は洞窟の奥から幅50サント、奥行き十数メイル程の窪みを見つけた。光るコケが生えておらず真っ暗だったので、急いで身を潜める。
すぐに、ルイズが先程才人が立っていた場所に現れた。
「サイト、サイト。どこにいるの?」
ルイズは立ち止まるなり、使い魔を呼ぶ。
才人は背筋を強張らせ、見つかるまいとさらに窪みの奥へと身体をねじ込む。
だがそこで運悪く岩が腕を掠め、浅い傷を負わせる。胸のルーンが淡い光を帯び、持ち主の身体を瞬時に修復する。
嘘だろ、と思うがもう既に後の祭りで、深淵の闇に光が現れた。
「・・・・・・いるなら出てきて。今すぐ」
少し刺々しい声が間髪入れずに飛び、洞窟の中でこだまする。
もうこれ以上は無理だなと感じ、才人は姿を見せるべく暗闇を歩き出す。
二人きりで会話をするのは何時ぶりだろうか。人形のように整った顔をまともに見るのも、鈴を転がしたような声を聞くのもここ数日ろくにしていない。
“俺が弱いから、こうするしかなかったんだ”
自分の脆く、今にも崩れそうな意思を、決意を、覚悟を保つため、才人はずっと愛する人を避けてきた。・・・・・・自らの不甲斐なさ故に、背を向け続けたのだ。
才人は一歩一歩をひたすら重く、強く踏みしめる。
ふと顔をあげると、目の前にルイズの顔があった。視線を下に向けていたので、近づきすぎたのに気がつかなかったのだろう。
「サイト、なにかあったの? 大丈夫?」
声を聞くだけで視界が滲む。楽になりたいと心は叫び、荒れ狂う感情が身体を震わせる。 才人は涙混じりの声を悟られぬよう、突き離すような口調や言葉を取るしかなかった。
「・・・・・・おまえには何にも関係ねえよ」
「なによそれ! あんたわたしの使い魔でしょうが、さっさと言いなさいよ!」
ルイズは言いながら思った。この恋人はどうしてこう、自分一人で何でも抱え込んでしまうのだろうか?
どうせまたティファニアの親戚のこと、あの“かくへいき”とかいう武器のことで悩んでいるのだろう。自分しか知らないから、自分しか使えないからといって。
だからといって、なんで自分を頼ってくれないんだろう?
自分たちはもはや、二人でいなければ生きることができない。ならばもっとお互いを信じあって、喜びや苦しみを分かち合おうとは思わないのだろうか?
・・・・・・しょうがないわね。
才人の気負いを減らすため、ルイズは思い切って自分の方から甘えてみる事にした。
いつものように自分たちの絆を確かめ合えれば、才人も落ち着くだろうと思ったからだ。
「・・・・・・ねえサイト。キス、して?」
頬を軽く染め、恥ずかしそうにそういうルイズはいつ見てもかわいい。昔の自分ならば、矢も楯もたまらず抱きついていただろう。今ももちろん、そうしたいと思っている。
だが、今の自分にはそれができない。
才人はゆっくりと首を横に振り、ルイズから一歩離れる。
ルイズは戸惑ったが、きゅっと唇を引き結んで才人に詰め寄った。すると才人は再び一歩退いた。離れた分だけまた距離を詰めようとするが、肩に手を置かれて押し留められる。
「・・・・・・サイト、どうして?」
「ごめんルイズ。ごめん・・・・・・」
ルイズの問いかけに、才人はくしゃくしゃに歪んだ顔を見られぬよう俯き、ただ口を閉ざすしかできない。
これ以上この優しさに触れたら鋼のように硬く固めた意思も、炎で氷を炙るように容易く溶けてしまう。泣き崩れて、全部打ち明けてしまう。
それじゃだめだ。たとえティファニアに気づかれなかろうと、彼女の心を預かった自分だけは絶対に裏切れない。
孤独な闇の中で、必死に探してやっと見つけた光。それすらも奪いとるなんてできない。
地球からハルケギニアへ、アルビオンの小さな集落から魔法学院へ。
ティファニアと自分の立場はそう変わらない。だから、才人にはその「光」がどれほど大切なものかわかっていた。
才人にとっての光。それは、目の前にいるルイズだった。
ルイズがずっとそばにいてくれたから、自分は地球から、家族から、友達から離れた寂しさを忘れられた。あの陽気な仲間たちや心を許せる先生、剣の師匠や忠誠を誓える女王さまに引き合わせてくれた。そしたら自分の居場所が、いつのまにかできていた。
ほんの、少しの間。
ティファニアが自分は一人じゃない、助けてくれる、守ってくれる仲間がいると気づくまで、才人はティファニアの“居場所”になってあげたかった。
具体的にはいつまでと聞かれたら、わからないと答えるしかない。でも、あの傷ついたハーフエルフの女の子の苦しみを、才人は少しでも和らげてあげたかったのだ。
そしていきなり顔を背け沈黙する才人を見て、ルイズはやっとことの重大さがわかった。
長い付き合いだ、使い魔のことは嫌というほど見てきている。なので、才人が必死に自分を押し殺そうとしているのはバレバレだった。
いつも強気で優しくて、自分を不安がらせないよう弱い所なんて見せない才人がこれほど取り乱すなんて、どれだけ重い物を背負ってるのか。
こんなに苦しんでるなら、なんでわたしを拒むの? あんたわたしのこと好きなんじゃないの? なんで、わたしに謝るの?
疑問が次々と湧くが、全部分からない。目の前の使い魔は、何一つ語ってはくれない。
才人にとって、あくまで自分は他人なのだろうか?
そんな考えが浮かび、ルイズは激しい怒りを覚えた。そんなの許せない。使い魔とメイジはパートナー、生涯一緒にいるべきものなのだ。
知りたい。才人は一体何を、自分に隠しているのだろうか?
沈黙は流れず、その場にとどまっている。ルイズは何かを言おうとしたが諦め、肩に置かれた手を振り払って才人を抱きしめようとした。
だが突然、ルイズは深い虚脱感に襲われた。
処刑の時に魔力の球を埋め込まれたのと同じように全身から力が抜け、感覚がなくなる。 仰け反るように倒れていくのが、自分でもわかった。
「ルイズ、危ねえ!」
才人が矢のように飛んできて回り込み、足下から崩れるルイズをすぐさま抱きかかえる。
「だいじょぶか! おい!!」
才人が必死の剣幕で問いかける頃には動かなかった体も、虚ろだった意識も元に戻っていた。まさに一瞬の、出来事だった。
「平気よ、何でもない。・・・・・・?」
ルイズは立ち上がり才人にそう言ったが、途中であるものに気づく。
才人の胸が、光り輝いているのだ。
才人はルイズの視線の先を知ると、顔を引きつらせて胸元を隠した。だがそこから溢れ出る光は腕の中に留まらず、薄暗い洞窟の中を明るく照らしていく。
ルイズには見えた。才人のパーカーを、腕を透過して文字が浮かんでいるのを。
リーヴスラシル。そう、書いてあった。
「違うんだ」
頭が回らず、才人は咄嗟にそう言ってしまった。
そしてその言葉が、ルイズに全てを悟らせた。
神の心臓。二重契約。いないはずの、ティファニアの使い魔。
嫌な単語が、頭の中をぐるぐると回り始める。自分たちが自分たちであるための前提がいま、壊れていくのがわかった。
“才人はもう、自分だけの使い魔じゃない”
ルイズの脳裏に走ったものは、それだけだった。だがその事実は目の前の愛する人を責める気持ちよりも、より強くルイズの心を揺さぶった。
「ルイズ、話を聞いてくれ」
ショックのあまり呆然とするなかで、才人の声が聞こえた。その声はほんの少しだけかすれ、震えていた。
ルイズは理解した。きっと、才人は怖かったんだろう。
カスバのエルフたちから恥さらしと蔑まれ、血のつながった親族からも命を狙われてボロボロのティファニアに、これ以上の負担をかけたくない。でも、自分との絆を失いたくない。そんな心の狭間で、一人苦しみを抱えていたんだろう。
わかってはいた。だけど救いを請うような才人を、ルイズには助けてあげる余裕なんてなかった。
才人を突き飛ばし、ルイズは数歩後じさった。
無言で身を翻し、一目散にその場から逃げるようにルイズは才人の元から去っていった。
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