ティファニアとの約束

「ごめんなさい、勝手なことして。でもわたしばっかりあなたの記憶を覗くだなんて、そんなのおかしいと思ったの」


 そういうと、ティファニアは銃創で痛々しい体を起こし、膝を床について再び頭を下げた。いわゆる土下座である。


「わたしの母があなたと、あなたの叔父にひどいことをしたのは分かってる。けどわたしは母が人間の父と結ばれたことを、間違いだなんて思わないわ。だって何千年も争ってきた人間とエルフが、こんなに幸せに暮らすことができるんだってわたしに教えてくれたんだもの」


「・・・・・・ッ,ああそうか,だからなんだというのだ!! 誇りに思うその母すら見捨てて、隠れて震えることしができなかった軟弱者がなにを─」

「ええ。あなたと違って力があったのに、わたしには母を助けることができなかった。だからわたしには母の罪を清算する責任があるし,わたしを裁く資格があなたにはあるわ」

「お、おい、テファ? おまえいったい、なに言って─」

言葉に感じる不穏を訝しみ、問いを投げる才人だったが・・・・・・しかし,その答えを得ることはできなかった。突然胸元から走る激痛に、才人は呻きをあげて床に転がった。


「ッ、ぐ、あああああッ!!?」


「さ、サイト!?」


 身体中の神経が軋み、何かがぶちぶちとちぎれていくような錯覚に襲われる。ティファニアがしきりに声をかけてくるが,それどころではない,と才人は這いつくばりながらも腰の刀を抜く。


ルーンが発動しなかった時のためにと,安全装置を外して懐にしまっておいたのが裏目に出た。倒れたはずみで転がった拳銃はいま、ファーティマの手に握られていた。


「・・・・・・ほう,そんな様子で何ができるというのだ? そういえば貴様には,砕かれた肩の礼をしていなかったな」

 

 刀を警戒しているのかファーティマは、這いつくばった才人から数歩距離を取る。そしてそのまま才人に銃口を向けてきたが───庇うようにその射線に出たティファニアに,狙いを定めていた両腕をピクリと跳ねさせた。


「どけ,混血。どちらが早く死のうが,そんなの些細なことだろう」


「いや,どかない。あなたが憎いのはわたしでしょう? そんなのただのやつあたりよ! ・・・・・・サイトに手を出さないって約束するならわたしには・・・・・・どんなひどいことしても,いいからっ・・・・・・」


 膝立ちになった身体を,怨敵である少女は言葉と共に前に出す。恐怖に声を震わせながらも,自らその身を捧げようとするその姿に,ファーティマの中で疑問が膨らんでいく。


 なぜだ? なぜこいつはこうも,理不尽を受け入れられるんだ?


 ・・・・・・垣間見せられた少女の記憶は,自分に劣らぬほど凄惨なものだった。だというのにこのハーフエルフは,親を殺した兵士すらも恨んではいなかった。


 どうして誰も呪わない? 弱ければ何一つ救えないというのに。

 現にこうして貴様らは,わたしに命を握られているのだぞ?


わけのわからない苛立ちに,いっそその懇願を無視しようと

床を這う蛮人の方に銃口を向けて,そこでファーティマは気付く。

自分を見ている少女の瞳。そこには“評議会”で罪人を弁護していた叔父と同じ,慈愛と憐憫の光が宿っていた。


“いいかファーティマ、許すというのは強き者しか持ちえぬ権利だ。みな感情を理性で押さえきれぬ弱き者ゆえに、過ちの種になると知りながら報復に溺れ憎しみを育ててしまう。だから我々はこうして、司法に縛られていなければならないのだ”



 かつて聞いた叔父の言葉が、ファーティマの頭の中で巡りだす。

 

憎しみを糧に力を得たわたしが弱いというのか?

憎しみを忘れたこいつのほうが強いというのか?

 

そんなわけがない。自分は私怨に囚われてなどいない。

 自らにそう何度も言い聞かせるものの,手の震えはどうにも収まらない。結局ファーティマが最後に縋ったものは,鉄血団結党の過酷な日々で幾度も繰り返してきた,その一言だった。


 “そうだ。これは、命令だ”


 “自分がやらなければ、いずれは他の者がやるのだから”


 “目の前のこいつを殺すだけで、自分はネフテスの英雄になれるのだ”


 冷たいものが彼女の心を塗り固めていくが,それでも指先の強張りと、溢れ出る罪悪感は止まらない。本気で殺したいと思っていた。でも、狙いを定めていた両腕からは力が抜けていく。


 目の前のハーフエルフの少女が背負っている運命は、理不尽の一言で片づけるにはあまりにも重すぎた。


 “何も悪くない。これは正義だ”


 頭の中で繰り返すたびに、口から血を垂らす叔父の顔が頭に浮かぶ。


 正義だ。正義、正義だ。


 やらなければ叔父のように死ぬ、いや、殺される。


 “何も、何も、自分は、間違ってなど――――――――――――――”


「う・・・・・・ぁあああああああああああああッ!」


 ファーティマは獣のように咆哮を上げると、その銃口を血を分けた従姉妹に向けた。


「死ねッ!」 


「や、やめ、ろッ・・・・・・!」


才人は何とか立ち上がり、その身体を二人の間に割り込ませる。 自分が盾になったとしても、どのみちティファニアは殺されるだろう。それでも。無駄なことだとわかっていても、才人は二度と己の無力を嘆きたくはなかった。


 引き金に指が掛かる。


「殺るんだったら俺にしろ! ティファニア、には、手ェ、出すんじゃねえッ!」


 切れ切れの声で才人は絶叫する。ティファニアは才人を押しのけようとするが、才人は頑として動いてくれない。ただひたすら、眼前の少女を睨みつけている。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


 銃口は、火を噴かなかった。


 ファーティマの手からゴトリと拳銃が落ち、静かな船内に響き渡る。


「・・・・・・分かってたんだ・・・・・・」


ぼそりと呟くファーティマを、ティファニアは見つめる。彼女の顔からは険が取れ、涙が瞳を覆っていた。 


「お前が何も、悪くない事も。殺す事に、何の意義がない事も・・・・・・。全部、分かってたんだ・・・・・・」


 震わせ呟く、その声は柔らかい。こうしてみると姉妹のように、二人は似ていた。


 言葉の節々でしゃくり上げる彼女を、ティファニアはそっと抱きしめる。


 ・・・・・・溜め込んでいたものを吐き出すように。子供のように、ファーティマは泣いた。





 しばらく泣いたファーティマは、泣き疲れて眠ってしまった。


 そんな彼女を念のため、と言って監視する自分の使い魔の背中を、ベッドに座ったティファニアは見つめて思う。


“これからはルイズだけじゃなくて、わたしも守ってくれるんだ・・・・・・”


そう考えると、思わず頬が赤く染まる。


サイトにはルイズだけじゃなくてシエスタも好意を向けているし、自分が知らないだけで他にも、サイトのことが好きな女性はいっぱいいるのだろう。


 ”だったら、わたしも好きになっていいのかしら。サイトは「好き」にいいも悪いもないって言っていたし、今ではルイズと同じ主人だし・・・・・・”


 そこまで考え、ティファニアはハッと気づかされる。


ルイズはサイトを使い魔にした自分のことを、一体どう思うのだろう。


 以前他の人とキスしていたというだけで,ド・オルニエールを飛び出してしまうくらいのルイズだ。サイトに対して同じ「主人」という立場になった自分に対して、きっと快くは思ってくれないだろう。


そう考えた途端、ティファニアは急に怖くなった。


一族に憎まれ、ハルケギニアの人からは恐れられ、エルフからは混血の恥さらしと疎まれる自分。ここから友達さえも失ったら、自分の居場所は本当になくなってしまう。


 “だめ。・・・・・・このままじゃ、いけない・・・・・・”


 ファーティマの言葉の刃には、一人じゃ耐えられなかった。そばに才人がいてくれたからこそ、自分は彼女に向き合うことができた。


 才人は自分に好意を持たないように嘘をついてくれたけど、自分はそれでも好きになっていくのだろう。


 ・・・・・・それならばもう、いっそのこと嫌って欲しい。


 使い魔でもなく、友達でもなく。見知らぬ他人と同じように接してくれれば、この気持ちにも諦めがつくのだろうか?



「・・・・・・ごめんね、サイト。ほんとはわたしの使い魔になんて、なりたかったでしょう?」


 ルイズと同じ「主人」になって、なんだか抑えが効かなくなったティファニアは、気づけばそんな言葉を口にしていた。


胸が締め付けられたかのように痛む。無意識のうちに、毛布を強く握り締めていた。


「・・・・・・」


ティファニアは才人の言葉を待つ。 言葉と同時に下げた頭は、下げたままで上げられない。こぼれそうな涙を堪えるのが、今のティファニアに出来る限界だった。


 だが、才人の口から飛び出てきたのは、自分が主になったことへの感謝の言葉だった。


「そんなことないよ。テファが俺を使い魔にしようとしてくれなかったら、テファもルクシャナも助けられなかった。・・・・・・あの時あの場所に来れなかったら、一生後悔するとこだった。俺を使い魔にしてくれて、ありがとな」


優しい声で言われると、心の傷が癒えていく。ティファニアは思わずぽろぽろと泣き出してしまった。


「ご、ごめんね、へんなこと聞いちゃって。サイトがそんなこと思うわけがないのにわたし、わた、し・・・・・・」


「・・・・・・大丈夫。テファが心配することじゃないさ。な?」


「お願い、お願いサイト。あなたがわたしの使い魔になったこと、ルイズには言わないで。わたしもう、誰かに嫌われたくないの・・・・・・」


 涙ぐみながら申し訳なさそうにそう言うと、才人は頷いて頭を撫でてくれた。


 自分でも安心したのだろう、涙の雨も少しずつ止んでいく。


ティファニアの意識は、そのまま途切れていった。



 「強いな、テファは・・・・・・」


 小さく寝息を立て始めた主人の頭から、才人はそっと手を離す。これだけボロボロな身体で、心で、復讐に囚われた一人のエルフの心を解き、癒し、救ったのだ。


・・・・・・だれにでもできることじゃない。本当に、本当にすごいことだ。

 

「きっと俺が間に入らなくても、引き金なんて引けなかったんだろうな・・・・・・」


 ファーティマをちらりと見て、結局何も出来なかった自分を反省すると、才人は深いため息をついた。考えるのはそう、ここにいる新しいハーフエルフの主人と、自分がハルケギニアに来た時から主人だった、桃色の恋人のことだった。


 ティファニアとルイズ。ルイズにはもう隠し事なんかしないって宣言してるし、ティファニアには二重契約のことを言わないと約束してしまった。


 いずれにしろ、どちらに嘘をつくか決断しなければならない。


 その時俺は、どちらを選ぶのだろう?


 ・・・・・・いくら今悩んだとしても、答えなんか出やしない。そう考えていったん保留にすることにした才人は、当面の問題を解決する事にした。


 まずはさっきのリーヴスラシルのルーンと,突然使えるようになったティファニアの新しい魔法のことである。


 さっきからずっと、胸のルーンが勝手に輝いているのが不思議だった。小さい物音が脳裏に響くように鮮明に聞こえたことも、そんな音でなぜか自分の目が覚めたのも疑問だ。


ということで、とりあえず先程から終始無言だった相棒に聞いてみることにした。


「なぁデルフリンガー、いいかげん教えてくれよ! いきなり力が出るようになったり、かとおもえばいきなり痛み出したり。一体、なんなんだよこのルーンは!?」


 才人の怒りを含んだ問いかけに、“伝説の剣”はいつもの軽い調子ではなく、申し訳なさそうにカタカタ震えだした。


「いやぁ悪い悪い。神の“心臓”なんだから、回せばその分速くなる・・・・・・はずなんだけど、回しすぎたらそりゃ限界も来るわな。すっかり言うの忘れてた」


「そういうことはもっと早く言えっての! こっちは危うく死にかけたんだぞ!? せめて痛みを抑える方法とか、それともなにか予兆とか・・・・・・」


「そんなこと聞いたって分からねえよ、ま、繰り返してけばそのうちルーンも身体に馴染むだろ。・・・・・・ところで相棒、てめえの体なにか変わったことはねえか?」


質問を質問で返してくる愛刀に、また煙に巻こうとしているのかと訝しむ。とはいえ一応身体を見回し、そして才人は気付いた。


「え? あ。疲れが消え・・・・・・てる?」


「だろ? 神の心臓ってことはつまり、主人が生きてる限りずっと“動き続ける”んだ。・・・・・・つまり胸のルーンが光ってる間は、全身に“固定化”がかかられてるようなもんだよ。まぁさっきみたいに倒れた時に、心臓狙われたらおしまいなんだけどね」


「な、なるほど。でも主人がってことは、テファに何かあったら俺も死ぬことになるのか?」


「いや、そしたらお前さんじゃなくてルーンが消えるだけだ。・・・・・・それに関しては、間違いねえよ」


「・・・・・・わかった、答えてくれてありがとな。それにしてもこのルーン便利だな。こんなに都合のいい力が手に入るなら、胸が痛くなるくらいはしょうがねえもんな」


納得したのかうんうんと、才人は腕を組んで頷き始める。と、今頃気がついたのだろう。ぞろぞろと奥のドアから、こぞってエルフたちが様子を見に来た。


「えっと・・・・・・大丈夫だった?」


状況を確認すると、幾分ほっとしたような声を出すルクシャナに、才人は苛立ちに叫ぼうとして、しかし左右のベッドで寝ている少女たちを見て声を数段落とした。


「なにやってたんだよ、来るの遅せえよ! あれだけ騒いでたんだから、ちょっと気づいてくれたっていいだろ!」


「し、仕方がないでしょ! 壁一面空気の層で遮られてたんだから! というかわたし怪我人よ! アリィーに言うべきじゃないのそれは!」


 言い訳をするルクシャナの背後から、ひょっこりとアリィーの顔が覗く。


「僕に話を振るのはやめてくれないか。・・・・・・それより、もうそろそろ着くぞ」


 言われて才人は気づく。窓の外は深い闇色から、透き通るような薄い青へと変わっていた。


「ほら、シャッラールと共に留守番したくないならさっさと荷物をまとめろ。お前らの王さまとやらへ報告しに行くんじゃないのか?」


 アリィーの声が聞こえたが、才人は窓枠から目を離せなかった。久しぶりに浴びる陽光は目に染み、とても神々しく感じた。



 

・・・・・・窓の外を見つめ,まぶしそうに眼を細めている才人に,デルフリンガーはほっと息をついた。正直うまく言いくるめられるか不安だったが、じっくり考えた甲斐もあって素直に信じてくれたようだ。


それにしても、都合がいい、ねぇ・・・・・・


ふと飛び出したその言葉に、動揺しなかったといえば嘘になる。

なにせあの土壇場で担い手が新しい虚無に目覚めたのも、

実を言えばリーヴスラシルが関係しているからだ。


・・・・・・何も嘘はついていない。自分を握っているうちは、先ほど言ったデタラメは全て本物になるのだから。


 近いうちに話さなきゃいけねえな。ただ、誰に聞かれているかわからねえいま・・・・・・伝えるわけにはいかねえ、か・・・・・・ 


“あの子を支えてあげてくれないか? デルフリンガー”


 ・・・・・・ああ、分かってるよ。俺だってもう、あんな悲しい思いしたくねえからな・・・・・・


 自分を生み出した始祖ブリミルと、かつて自分の相棒だったその使い魔、サーシャのことを思い出し。・・・・・・デルフリンガーはカタカタと、決意に震えた。


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