ファーティマ・ハッダード
・・・・・・ファーティマ・ハッダードに、両親の記憶はない。物心ついた時には彼女は父方の兄、叔父のセルゲン・ハッダードに引き取られていた。
セルゲンは数々の発明、発見をしてきた有能な研究者だった。そのうえ高慢が特徴的ともいえるエルフとしては珍しいことに、彼は秀でていることで驕ることはなく、誰にでもわけへだてなく接していた。
セルゲンは自分の両親のことを語ろうとはしなかったが、ファーティマにはそんなことはどうでも良かった。エルフという種族の高潔さを体現したかのような彼に育てられることに、ファーティマは幸せを感じていた。
セルゲンは基本的に無口で、ファーティマは会話をした覚えはほとんどない。だが、ファーティマは叔父が大好きだった。彼は言葉でなく、態度で愛情を示してくれていたからだ。
誰からも頼られ、信用を寄せられていたセルゲンを見て育ったファーティマは、いつしか叔父のようになりたいと思うようになっていった。
そのために、ファーティマはセルゲンからいろいろな事を学んだ。セルゲンは新しいことを覚えるたびに彼女を褒めた。
気むずかしげに結んだその口元をかすかにほころばせ、自分の頭を優しく撫で回してくれるセルゲン。そんな叔父の不器用で暖かい愛情が嬉しくて、ファーティマはどんどん知識を身につけていった。
しかしファーティマが16・・・・・・人間でいうと8才になったころ、訪問者がひとりやってきた。
それが、彼女の生き方が壊れ始めるきっかけとなった出来事だった。
ファーティマが目覚めると、そこは知らない場所だった。
・・・・・・自分は確か、蛮人の少年にやられたはずだ。
すぐさま意識を失う直前の記憶を掘り返し、身体の状態を確認する。両手を縄で縛られ、口元に布を噛まれてはいたが、どういうわけか砕かれた肩に痛みはない。おおかた自分を捕虜にして、交渉の材料にしようとでも考えたのだろうい・・・・・・“党“が失敗を許さない以上、自分にその価値はありはしないだろう。
・・・・・・ここはどこだ? 周囲に敵はいるのか?
囚われの身となった屈辱に思わず舌を噛みろうとするも、詰められた布が口を動かさせてくれない。ひとまず現状を把握してからにしよう、と冷静になったファーティマは、身体を固定したままできる限りの情報を集めることにした。
・・・・・・床が不自然に揺れていることを考慮すると、どうやらここは船の中。ということは辺りは恐らく海、逃げ場はない。
神経を集中して辺りに精霊の力を辿ってみると、そう離れていない所に複数のエルフの気配があった。騒ぎを起こせばすぐにでも駆けつけてくるだろう、脱出は不可能に近い。
ファーティマは更に状況を把握しようと、精霊の力で行使を行うことにした。口元を封じられた際に、声を発する訓練なら受けている。作り出した空気の刃で口と手の束縛を解き、手のひらに空気中の水分を集め、小さな鏡を作り出した。
( よし、身体の自由は確保できた。それで、この部屋にいる敵は…)
そしてゆっくりと手の角度を変え、部屋の中を探っていく。曇っていた鏡の焦点が合っていくにつれ、反対側にあるベッドの前に座り込んだ蛮人の姿と、そのベッドで横になっているエルフの姿を確認した。
まずいな、見られていた・・・か?
こちらを向いている蛮人に思わず体が強張るも、気づかれたなら何かしら反応があるはずだ。眠っているのだろうか、と俯くその姿を注意深く観察しているうち───ファーティマはその奥、ベッドに寝ているエルフが自分が殺そうとした忌まわしき混血であることに気づいた。
あいつは・・・・・・! まあいい、一族の辛苦を思い知らせるには、あれしきの痛みでは足りぬと思っていた所だ・・・・・・
かすかに上下しているその肩を目視すると共に、猛烈な殺意が胸の内に湧き起こる。ファーティマは気づかれぬよう口に手を当て声を殺し、詠唱を始めた。幸い、彼女は先住魔法には自信があった。
同族に気づかれないように精霊の力の行使権を手繰り寄せ、これから起こす騒ぎが奥の部屋に伝わらないように、音を遮る結界を張る。
選んだ獲物は、氷の矢だった。まるで自分の心のように冷たい魔力を、形にしていく。たちまち人差し指と中指に、鋭い円錐ができあがった。
手の内に作った鏡を動かし、標的との距離を測る。後は振り向きざま、その勢いで魔法を放つだけという所で───ファーティマは背後に佇む何者かの気配に気が付いた。
「動くな、そして答えろ。その氷でお前、何しようと───」
恐ろしく静かな、しかし多分に怒りを秘めた問い。しかしファーティマはそれを無視して、そのまま身体を捻る勢いで打ち出した。
「テメエっ!」
叫びながらも腰に差したデルフリンガーを反射的に抜き、そして才人は気づく。
疾い。今までうんともすんとも言わなかった胸のルーンが、勝手に発動していた。
向かって飛んでくる2本の氷の矢が、やけにゆっくりと目に映った。思考も高速化しているらしく、1本目を砕いた剣閃を繋ぎ、最短距離で2本目を切り捨てる。
「ふざけんなよどいつもこいつも! テファが何したっていうんだ!」
一度は鎖骨を砕かれたというのにベッドから飛び出し、すぐさま距離を取ろうとするファーティマの足を才人は払う。そして、馬乗りになって顔を思いっきり殴りつけた。
「はっ、だからどうした! 喉を潰されようとも詠唱はできる! この命ある限り、わたしの殺意は揺るがないッ! 我が一族の恨み、我が叔父セルゲンの受けた仕打ち! こいつは、こいつだけは生かしておくわけにはッ・・・・・・」
「なんだよ、なんでそれがテファを傷つけていい理由になるんだよ! ・・・・・・わかったよ、俺がその口黙らせればいいんだな!!!」
怯まないその瞳の奥に滾る憎悪に、自分の説得が通じないことを才人は悟る。口を封じても意味がないなら、とデルフリンガーをその首に押し付け、ピタリと止める。
「・・・・・・」
デルフリンガーは何も言わなかった。どうするかは任せる、という意思表示だろう。
“忠告はしたはずだ。ティファニアに危害を加えたら許さねぇって”
この襲撃に気づけたのだって、単に休もうとした矢先だからというだけだ、自分の体も疲労に削れている以上、気絶させた程度では安心なんてできない。
lそうだよ、そうするしかないんだ。じゃないとテファが危ないんだ、さっきだって俺が寝ちまってたら・・・・・・
噴き出す鮮血と共に、みるみる血の気を失っていく目の前のエルフ。最悪の光景を想像してしまうものの、ここでこいつを無力化しておかなければいけないのもまた、事実だった。
いや、ダメだ。やらなくちゃ。たとえ相手が、女の子だったとしても・・・・・・
・・・・・・何度も自分に言い聞かせ、逡巡に切っ先を震わせる.
それでも結局、才人はデルフリンガーを鞘に収めることしかできなかった。
・・・・・・アンリエッタ、アニエス、タバサ。
今まで復讐に身を焦がし、苦しんできたその様子を隣からずっと見ていた才人には、やはり命を奪うという業を背負うことはできないのだった。
「いいか、どんな事情があったって、お前のしたことは間違ってる! ・・・・・・今度ヘンなマネしてみろ、その時は・・・・・・」
声を荒げても一向に、猛る怨嗟は収まりはしない。顔を見てたらヘンになりそうだと、目の前のエルフから視線を背ける才人だったが・・・・・・血が上ったその頭はすぐに、もう一つのベッドから聞こえる声に冷まされた。
「ダメだよ、サイト・・・・・・」
もしや、と驚きに首を巡らせると、ティファニアが目を開けていた。まだ体は動かせなさそうだが、話せるくらいには回復しているようだった。
「テファ! 気が付いたのか! こいつ、さっきお前に・・・・・・」
「うん、知ってる。おぼろげだったけど、話は聞こえてたから」
「どうした蛮人、貴様が手に掛けられないのなら、わたしから死んでやるぞ!! そこにいる混血のように、恥を振りまいてまで生きていたくはないからな!」
殺意に瞳を見開きながら、暴れ出すファーティマを両手で抑え込む。聞くにたえないその罵りを何とか流し、才人はティファニアに問いかけた。
「・・・・・・っ。テファ、こいつどうする?」
「どうもしなくていいわ。許してあげて」
「いやだめだろ!? あんなひどい目に遭わされたんだぞ!? またテファを襲うかもしれないんだぞ?」
「大丈夫よ。なにかあったら自分で責任は取るから」
あっけらかんと言ってみせるも、ぎこちないその笑みの裏には不安と恐怖が張り付いていて。本当にいいのか? と一瞬考えるものの、他でもないティファニアの頼みであるならと、抑え込んでいた少女の身体を解放する。
「何で母が、あなたに憎まれてるのかを教えて」
ティファニアは弱々しい足取りで立ち上がると、自分に銃を向けた血縁の身体を起こして問いかける。
「わたしは母が、あなたの家族に何をしたのか。娘のわたしが本当に、殺されかけるだけのことをしたのか知りたいの。……お願い」
「そうだな、貴様が私の前で死んで詫びるというなら考えてやろう。それともその身に流れる下賤な血のままに、わたしの記憶を覗いてでもみるか? なぁ、それができればの話だがな」
ファーティマのあんまりな物言いに、才人は拳を握った。訓練されたエルフにあらゆる精神干渉は効かない。それを知った上でこいつは挑発しているのだ。
「テファ、こんな奴の言うことなんて聞かなくていいよ! 傷だって治ってないんだろ? ほら、早くベッドに戻って・・・・・・」
苛烈極まるその悪意を打ち消すように、ティファニアに声をかける才人だったが、その言葉は途中で止まった。
ゆっくりと連ねるその声が、ルーンを刻んでいるのだと気づいた時には詠唱は完成していた。
光り始めた杖の先を、そっとファーティマの額に押し当てたティファニアは、続いて同じように自らと才人の額に押し当てる。
・・・・・・ぼやけていく視界の中、才人の思考は現実から切り離されていく。
自分じゃない誰か・・・・・・おそらくファーティマのであろう記憶が、頭の中に流れ始めた。
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