第六章

以下未修正

艦上のトリステイン女王

第8章 それぞれの決意  

 

 “サハラ”へ向かい、風を切り進む聖地回復連合軍。

 トリステイン、ガリア、ロマリア、ゲルマニアの王家の紋章を刻んだ旗が揺れるなか、統率の取れた進軍の中央に位置するヴュセンタール号。

 司令室を整理し即席で作られた個室部屋に、頭に冠を乗せた少女はいた。

 艦隊はすでに、航空を始めてから四日が経過している。“サハラ”の熱帯砂漠を歩いて渡る事は殆ど不可能に近いので、空路を使うことにしたのだ。

 指揮官たちを焦燥させぬよう彼等に細心の注意を払って情報を伝え、滞りなく準備を整えて迅速な出撃を行えたのは僥倖だった。

 だが今頃になって、アンリエッタは自身の無能さに激しい憤りと後悔を覚え、肩を震わせていた。

 ヴェルサルテイル宮殿では抑えていた自責の念が、じわりじわりと心から染み出てくる。

 アンリエッタは騒ぎが落ち着いてから、やっと自身の愚行を振り返る時間ができたのだ。

 少し考えれば分かることだった。彼等の言動には所々“我々”という言葉が入り、言外に自分たちもこの場で担い手の救出を待つ、との意思表示を不自然なほどにしていた。

 “これから聖下のお言葉は、布で濾したあと、慎重に理性を働かせて・・・・・・”

 アクイレイアで自分がヴィットーリオに放った一言が、思い返される。

 あの時から何も、自分は人を率いる者として成長していない。学習していない。 

 全てを打ち明け、もう何も隠さないと宣言したとしても、警戒を続けるべきだった。

 どの国にでも必ず起こるはずの暴動、陰謀。ロマリアにはそれらが起こったという記録は一切ない。

 有り得ない話だ。そこに人がいる限り、悪意は必ず生まれるはずはずなのに。

 どんな些細なことでも悪事は歴史に刻まれ、その言い分も受け継がれる。

 それがないということは、暗に白が黒に呑まれるのを市民たちが見過ごしているからだ。 圧倒的に教皇が、始祖が正しいと信じているからだろう。

 宗教に、始祖に狂っている。 

 彼はあの若さで、そんなロマリアの三十二代目の教皇になった男だ。必要とあらば文字通り、人を喰うような言動で信者や協力者を悪意を感じさせることなく欺ける。

 “やはり自分は、王としての器がたりないのだわ”

 困った時思い出すのは、やはり異世界からやって来た少年のこと。

 本音を言うと、アンリエッタはあの時制止の声を投げかけそうになった。

 自分が愛を誓ったアルビオンの皇太子は窮地に立った自分を案じ、助けてくれた。だが彼は彼自身を案じないが故にこの世を去ってしまった。

 飛び出していくサイトが別れを告げるウェールズ王子と重なって見えたとき、アンリエッタは女王ではなく、一人の少女として胸が潰されるような漠然とした不安を覚えた。

 だが口が裂けても行くなとは言えない。自分よりも愛する者のため、トリステインの英雄は戦地へ飛び込むのだ。

 理屈では分かっている。でも、アンリエッタの心は未だに、あの場で引き留めなかったことを悔やんでいた。

 もう心許せる異性を、失いたくない。

 あの近衛の副隊長には、安全なわたしの傍に居て欲しい。ずっと、この間違いだらけの女王を正してもらいたいのだ。

押し潰したはずの心が再び暴れ出す。自責から始まった思考は、いつしか彼の身の心配にすり替わっていた。

 アンリエッタは目尻を拭うと、女王としての威厳を再びその身に纏う。

“こんな情けない姿では、あの方の誠意に対して無礼というもの”

 あの少年はこの世界の、ましてや自分の国の者ではない。それでも命を賭し、自分にとって大切な人々を守り通してくれているのだ。

「陛下! 陛下!」

 ドアを叩く音で、アンリエッタは現実を認識した。なにやら室外が騒がしい。

 士官に促され艦上へ出てみると、空中を意味もなく彷徨う艦隊の姿があった。よく見ると、ロマリアの国旗が風ではためいている。

「総数六隻、旗信号も打たずに接近してきます。恐らく味方を装っているエルフでしょう。陛下、迎撃のご指示を」

 背後から、見た目が中年ほどの司令に言われる。彼は自分が乗り込むヴュセンタール号の指揮を任されていた。

 名前は覚えてはいないが、幾度か顔を見たことはあった。腹心のアニエスからも賞賛されるほどだ、よほど腕が確かなのだろう。

 司令は不動のまま直立し、自分の言葉を待っている。アンリエッタは考え込む。

 あの教皇ならば、いかなる奇行も考えられる。それにどんなに怪しく敵艦の可能性が高くても、疑いのみで味方かもしれない艦隊に砲撃を行うのは愚行だ。

 アンリエッタは振り返り、命じる。

「・・・・・・少し様子を見ましょう。偵察隊を数名、送ってください」

 司令はすぐに最敬礼をして指示に従う。結果はすぐにやってきた。

 一人の兵士が近寄り、司令に耳打ちをする。司令は年のせいで顔に出ていた薄い皺をさらに深くし、怪訝な表情を作る。

「どうやらここには、教皇聖下は居られぬようです。乗組員は全員魂が抜けたように虚脱しきっており、返答がありません」

 司令はなにやら乗組員に指示を出すと、アンリエッタに聞く。

「一人連れてきましたが、ご覧になりますか?」

 十数人の兵士が一人の男を取り囲み、歩幅の小さい彼を引きずるように連れて来た。

 杖はすでに取られ、安全と確認したのだろう。司令がアンリエッタの前から横へと動く。 アンリエッタは男の顔を覗き込む。そこにいたのは何かに絶望し、打ちひしがれているハルケギニアでは珍しい黒髪をもつ少年だった。

 見覚えがあった。アクイレイアで自分の近衛隊と一緒に任務を果たしていた聖堂騎士隊の隊長。名は確か、カルロと言っただろうか?

「教皇聖下は? 一体あなた方に何があったのですか?」

 カルロは答えない。何度問うても虚ろな顔でただひたすら、念仏のようにお役に立てなかった、自分はブリミル教徒失格だ・・・・・・と繰り返すばかりだった。

 司令が再び声を落とし、隣にいる自分にしか聞き取れないくらいの大きさで告げる。

「閣下。聞き取った話によると、教皇聖下は七つあった戦艦の内一つだけをアディールへと呼び寄せ、そのまま残った者たちに待機を命じていたようです」

 アンリエッタは息を呑む。まるで無謀。どうやら艦隊と一緒という訳ではなく、本当にロマリア教皇たちは単騎で敵地に赴いたようだ。

「聖下から何か、言伝を承っていないのですか?」

 しかしされども、遠いロマリアからこの“サハラ”半ばまで教皇の指示なく艦隊が動く訳がない。必ず連絡を取り合っているはず、とアンリエッタは確信していた。

 すると突然カルロは項垂れていた頭を上げると目の色を変え、すっくと背筋を伸ばす。

 今自分にできる精一杯の仕事を見つけた彼は、教皇と始祖への敬愛と忠誠心を誇示するように声を張り上げた。

「聖下からのお言葉です! ネフテスとの交渉は失敗! エルフたちが追撃を行うだけの足は事前に止めたが、“聖地”で行う儀式は一度きりしか行えない。よって、この場に残してある者どもを統制し連合軍の旗下へ加え、アディールへ総攻撃を行い、数日で良いので足止めを担って頂きたいとのことです!」

 カルロの言葉に、アンリエッタは屈辱で肩を震わせた。

 欺いた上に、堂々と後始末まで命じてくるとは。

 だが侮られ誇りを貶されてるのも仕方がない、とも言える。エルフの空軍をロマリア兵が壊滅してくれたお陰で、自分はここまで艦隊を殆ど被害なく連れてこられた。間違いなくロマリア教皇の功績だった。

 “ですが、この耐え難い仕打ちは必ずお返しします”

 勝手をやって迷惑をかけ、詫びの言葉もなしに言いたい事だけ人を使って伝えてくる。

 どういうつもりか、会って問いたださなければなるまい。

 ネフテスのアディールはすぐそこだ。

 誇り高きトリステイン女王は深呼吸をすると、現状の不条理を堪え忍ぶ。

   

「・・・・・・、ねえ、サイトってば!」

 ルイズに呼びかけられて、才人は我に返った。

「・・・・・・ん? ああ。なんだ?」

「なんだじゃなくて、話の続き!」

才人は数日経ってみんながひと落ち着きしたのを見計らうと、みんなを集めて知っている限りの情報をルイズたちに伝えた。

 いきさつのほとんどはルクシャナとティファニアが話してくれていたそうだが、どうやら口に出すのが悪い気がしたのだろう。肝心のブリミルやリーヴスラシル、デルフリンガーの昔話については、才人が説明することになったのだ。

今はちょうどその話の途中。円陣を作って話していたところ呆けてしまい、才人はルイズに先を促されている。

「それで・・・・・・ええと、どこまで話したっけ?」

「ジュリオがジョゼットと二重契約してミョズニトニルンも使えるようになってて、ヴァリヤーグってのがあんたの世界の住人だった、ってとこまで」  

「もうこれで、話は終わりなの?」

キュルケが尋ねる。才人は答えず、体を横に倒した。

「・・・・・・ああ。ちょっと疲れたから、もう寝る」

疲れた様子の才人を気遣ってか、ギーシュが鶴の一声を上げる。

「なあみんな、せっかくこんな美しい海に来たんだ。もっと満喫しようじゃあないか!」

 反応は上々。一同は立ち上がり、ルクシャナに先住魔法を掛けてもらうと海へ向かう。

「サイトさんも行きませんか?」

「・・・・・・」

 シエスタに誘われても才人は目を閉じたまま、寝たふりをして動かない。

 そのまましばらく待つと、複数の遠ざかる足音が聞こえてきた。

 けれども、先程から背中越しに感じている視線は外れてくれない。

「起きてるんでしょ?」

 言われて渋々起きあがる。視線の送り主、ルイズはこの場に残っていた。

 ・・・・・・長いつきあいだ。自分の様子がおかしいのにとっくに気づいていたのだろう。

「サイト・・・・・・本当に、もうこれでおしまい?」

 ルイズはそれ以上は何も言わず、ただ心配そうな目で才人を見つめてくる。

 才人は自分の愛する少女を見つめ返す。

 自分のことを誰よりも愛し気遣ってくれる恋人を見て、才人の決意は揺るぎそうになる。

 だがそれでもこの数日考え、悩み苦しんだ末に下した結論は曲げられない。

「・・・ああ。伝えたかった事は、これで全部だ」

 話を強引に終わらせながらさりげなく視線を逸らし、才人は表情を隠す。

「・・・・・・そう。ならいいわ」

そう言うとルイズは、「みんなと一緒に、海に行ってくる」と才人から離れていった。

 

 歩き去るルイズの背中を眺めているうちに、ずっと心の内で大きくなっていた闇が牙を剥いた。自分の発した言葉で良心が抉られ、才人は思わず泣きそうになってしまった。

 “もし・・・・・・もしバレたら。ルイズは今度こそ自分を見限って、どこか遠くへ行ってしまうかもしれない”

 そんな想像が頭から勝手に出てきて、才人を激しく揺さぶる。

 怖い、嫌だ。離れたくない。

 現れた不安はすぐに大きくなって心を蝕んでいき、呼吸を荒くしていく。

 思わず遠ざかる小さな背中を追いかけようと立ち上がるが、座り直す。

 時間の問題だったのだ、と才人はひたすら自分に言い聞かせる。

 もしもここ、竜の巣で襲撃が行われなかったとしても、ティファニアはきっと使い魔に自分を召喚していただろう。それだけの強い意志と愛が、瀕死の重傷で虚ろな瞳からでも読み取れるほどに映っていたことを、才人は覚えていた。

 すべては運命、あるいは“虚無”の悪戯だった。

 才人は次第に湧きあがってくる激情を抑えきれなくなり、夢の世界へ逃げ込もうとする。

 だが遠くから聞こえる学院の仲間たちの楽しそうな声が、才人に現実から逃げるという選択肢を取らせてくれない。

「・・・・・・ゴメンな」

才人は無意識のうちにぽろりと一言、そう口にした。行き場を失ったどうしようもない感情が形をとり、目から溢れ出してくる。

「ごめんなルイズ。ゴメンな・・・・・・」

 自分以外は誰もいない、静まりきった洞窟。

 それでも誰にも聞こえないよう声を殺し、才人は泣いた。  

 

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