カスバの執務室
第7章 ネフテス統領の決断
才人が小舟に揺られているのと同時刻、カスバ───
───ビターシャルは足元から固めた空気を噴射しながら、文字通り廊下を飛んでいた。
「閣下は無事か!?」
防衛のため、扉の前に突っ立っていた衛士に尋ねる。彼が緊張で疲労しきった顔を縦に振ったので、ビターシャルはやっと息をついた。
「そうか、下がって休息を取っていてくれ。戦える戦士は一人でも多い方がいい」
戦士は再び頷くと、足早に休息室の方へと向かう。
(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、!?)
だが、そんな背中を見送る今頃、彼も疑いの範疇に入っているという事にビターシャルはようやく気づいた。
ビターシャルはダミアンと正面から対決し、見事打ち破ってこの場に来た訳ではない。
首都アディールの中だけでは、万人がビターシャルとほぼ同等の力を持つ。なので周囲を徘徊している衛士達を呼び寄せ、人海戦術で押し切ってくれと任せてきたのだ。
(・・・・・・しかし、あれだけの強力なメイジならば、一人ぐらい包囲網を突破してきてもなにも不思議はない・・・・・・!)
その一人が、瞬時にこの場にいる者を畳んで片づけた後、スキルニルで影武者を作る・・・・・・なんて、瞬き一つする間にでも可能だった。
徐々に鈍っていく自分の判断力に、思わず寒気を覚える。相手が敵かもしれない状態で軽薄に気を抜くなど、自分でもにわかには信じられない事だった。
(そんな不確定な根拠で、私は行動してしまっていたのか)
あの瞬間に攻撃でも加えられていたのならば・・・・・・と考え、すぐさま己を叱咤する。
ビターシャルは静かに湧く己への憤怒を抑えながら、ゆっくりと執務室の扉を押した。
執務室ではネフテス統領が、頬に手を当て思案顔をしていた。机には先程訪れた時にはなかった、大量の紙の束が積み上げられていた。
「ビターシャル君・・・・・・」
顔を上げたテュリュークはゆっくりとした動作で指を組み、その上に顎を乗っける。いつもの子供のような無邪気さはどこかへ行き、その眉間には年相応の皺が刻まれていた。
「・・・・・・どうされたのですか? 見たところ、蛮人どもの拘束は成功したようですが」
ビターシャルはガラス越しに地上を見やる。石畳に仰向けに転がったエルフ達の中心で、まさにいま大捕物が終わろうとしていた。
捕まった蛮人たちは、忌々しげにこちらを睨み上げている。敗因は恐らく魔力切れによるものだ。
・・・・・・精霊の力を分け与えてもらって呪文を行使する我らエルフとは違い、彼らメイジは自分の意思を魔力と変え使用する。もちろん精霊の力を借りるのも体力を消耗するが、彼らの魔力は一度なくなったらなかなか回復しない。にもかかわらず、その場に立っている衛兵の姿は半数ほど。
・・・・・・たった数人にこれだけの戦力を削られるとは、と眼下の光景に驚きながらも、ビターシャルは心を落ち着けて進言する。
「しかし、これだけの損害を受けても、追撃の余力は十分にあります。蛮人達の行方はすでに割れています。再び竜の巣に向かっていると見て、間違いないようですな」
「・・・・・・」
口ごもっているテュリュークに、ビターシャルは話の肝をぶつける。
「閣下、これは好機です。蛮人共は疲弊しきっているはず、閣下は早急に、エスマーイル殿に水軍の編成を要求するべきです!」
「そう。まさに、その追撃の事なんじゃよ」
やっと口を開いたテュリュークが言葉を終えるのと同時に、執務をこなすために置かれた机の下から、一体のアルヴィーが這い出てきた。それには蛮人の世界で見てきたものとは違い、瞳に豆粒ぐらいの魔法石が埋め込まれていた。
「これは?」
「そこから見える蛮人たちが、“ネフテスの統領に届けろ”と言って衛士に渡したらしくてな。怪しげな魔力も仕掛けも感じられないというから、すぐさまわしの所へ運ばれてきたんじゃよ」
(なんだこの人形は。・・・・・・何かが、違、う?)
ビターシャルが何者かの作為を感じた事に気づいたのか、テュリュークは首を縦に振ると、魔力を人形に送り始めた。
机に積んであった紙束と同じ高さのアルヴィーは、そのままトコトコと歩き出す。
そしてふと立ち止まったかと思うと、声が聞こえてきた。
“エルフの統領、テュリューク殿に次ぎます。私はロマリアの教皇で虚無の担い手、ヴィットーリオと言うものです”
優しく、そして底が見えない深さを持った声が聞こえ始める。ビターシャルは首筋を撫でられるような気味の悪さに耐えながら、少し雑音が混じったその声に耳を傾けた。
“あなたがたに三つ、お願いがあります。・・・一つ、我々は、貴方がたで言う“悪魔の門”に用があるのです。戦争をしにきたのでもなく、危害を加えるつもりなどありません。もしよろしければ、素通りさせていただきたい”
ふざけるな、という言葉をビターシャルは飲み込んだ。たかが事前に吹き込まれているだけの音声にかまう事はないと、いきり立つ自分をなだめる。
“二つ、逃走している虚無の担い手達に、追っ手を仕向けないでください。ご存じの通り彼らには重要な仕事がありますので、出来るだけ休息を取ってもらいたいのです。我々の“目的”が達せられれば、貴方がたの恐れる“大災厄”が起きることはありません。深い慈悲と譲歩を、我々は貴方がたに望みます・・・・・・。
そして三つ、捕まっている者達の身柄を解いてあげてください。彼等は私の命で動いただけの雇われメイジです。解放してくだされば、もう危害を加える事はありません・・・・・・。以上の三つが、我々の要請です。この通達をお聞き次第、すぐさま書簡にてお返事頂きたい。快いお返事を、お待ちしております・・・・・・”
一方的に要件を告げると、アルヴィーの瞳から光が消えた。用件は伝え終わったので自動的に切れたのだろう、プツン、と切断音が鼓膜に残る。
「・・・・・・こんな要望を我らが呑むとでも、連中は思っているのでしょうか」
ビターシャルは忌々しそうに人形を手に取ると、人形が受け取れる上限を越した魔力を流し込んで四散させようとした。しかし罪の無い道具に当たり散らそうとした自らの浅はかさを次の瞬間には恥じ、机の上に置き直した。
「閣下、こんな戯言に惑わされてはなりませぬ! 奴らは必ず大災厄を引き起こし、このサハラ一帯を更地にするつもりです!」
「それは当然じゃ。そのような確信も持てぬ話に乗り、ネフテスの民を危険に晒す訳にはいかぬ。既に断りと宣戦の布告をしたためた信書を送りつけておる」
「・・・・・・わざわざそのような真似をする必要は、あったのですか?」
「いかなる時も礼節だけは忘れてはならぬよ、それが筋というものじゃ。それにちゃんとした利点もある。・・・・・・もうそろそろあちらの方には届いておる頃じゃろうが、彼らがこちらに向かうにはまだ時間がかかる」
「・・・・・・つまり、今“竜の巣”へ向かえば、連合国相手に堂々と先手を打てると?」
ガンダールヴとハーフエルフの担い手を攫ってきたように、小国であるトリステインならばネフテスはどうにでも相手取ることができる。しかし今回は、ハルケギニアに住まう全ての人間と、サハラに住むエルフの事実上の総力戦である。
軽々しく“悪魔”たちに手を出せば、憤激した彼らがどういう手段を取ってくるかわからない。・・・・・・そう考えると、この老エルフの一手は堅実かつ強力無比なものであった。
「というより、先手どころか終止符じゃな。ということですぐに、きみが言ったとおりエスマーイルくんに頼むことになる。具体的な指示は直接話した方がよかろうから、呼び出してくれたまえ」
「はっ。・・・・・・ところで、蛮人たちの扱いはどのようになさるおつもりですか?」
ドアを開け、近くにいた衛士に「執務室に来るように」とのエルフ水軍総司令への言づてを頼むと、ビターシャルは話に戻った。
「二度も逃げられて、三度目も同様であれば笑い話にもならぬ。今回の目的は彼らの捕縛ではなく殲滅じゃ。鯨竜船ならば精霊石が消失しても大した問題はない。遠方からの砲撃を絶え間なく行えば、恐ろしい業を使う前に崩落した岩盤に埋まるであろうよ・・・・・・」
「・・・・・・それを先程、閣下はお考えになられていた。・・・・・・そうですね?」
ビターシャルの問いに、老エルフは頷いた。寂しそうな笑みが、そこにはあった。
「・・・・・・彼らの境遇を思うと、な。彼らは何も悪くない。我々が同じ立場に立たされたら、恐らく同じ結論に至るのじゃろうて。しかし、彼らはハルケギニアに住まう人間で、我らは砂漠の民エルフ。・・・・・・いくら同情し憐れもうと、その手を取ってやることはできぬ。・・・・・・博愛は『誰も、救えない』のじゃ、か、ら・・・・・・? ・・・・・・!!」
弾かれたようにテュリュークは、ビターシャルが先程置いた人形を掴んだ。先程自分の言葉に被せてきたのはこの人形だ。残留した魔力が人形を働かせた? いや違う。これを聞くのは先程聞いたのでもう2度目だが、この人形にそんな言葉は記録されていなかった。だとすれば、考えられる最悪の状態は・・・・・・。
「・・・・・・なるほど、元より相互の通信になっておったか。つまり先手を打たれたのは、こちらの方だったという訳じゃな?」
“・・・・・・さすがは老練と名高いネフテスの長、こうもあっさり見抜かれるとは思いませんでした”
「黙っておれば、まだ時間は稼げていたであろうに」
“政を執り行う身で聖職者のわたしと同じ言葉が出るような貴殿を、欺き続けられた時間はそう長くはなかったでしょう。・・・・・・それに、「それ」はわたしの言葉です”
「ふむ、確かに軽率じゃったな。わしのような矮小な年寄りが扱うには、その言葉はあまりにも重すぎるのう。これからは気を付けるようにするわい」
そう言葉を締めくくると、ネフテス統領はビターシャルが壊し損ねた人形を粉末へと変えた。水の精霊の力を行使し、人形に含まれる微々たる“水”を消し飛ばしたのだ。莫大な力を借り受けなければ為し得ない芸当。彼の心の内に秘められた静かな怒りが、いまふつふつと煮えたぎっていることが窺えた。
「閣下、これは・・・・・・」
「わしには彼らの目的しか分からぬ。この人形のことは、他ならぬ“蛮人対策委員長”のきみが一番良く知っているはずじゃ」
その言葉で我に返り、ビターシャルは思案を始める。しかし、自分が見たものが未だに信じられない。通信を行う魔道具は高い技術を要し、自分たちエルフですら量産は難しいのだ。ましてやそれを蛮人などが使っている? 本当に有り得るのだろうか?
疑問が次第に混乱に変わろうとしていくそのとき、ビターシャルの脳裏を一つの予測が過ぎった。
ガリア王国では狂った王と交渉するため、その姪を捕らえ監禁した事があった。そしてつい最近、その姪である青髪の少女の妹が狂王の次たる虚無の担い手であることも、ガンダールヴから薬で聞き出していた。ならば十分、その可能性はある。
・・・・・・“悪魔”の頭脳、ミョズニトニルン。そう。いまこの人形から発されている魔力に、ビターシャルは覚えがあった。
交渉の条件として成り行きとしてガリアの王に仕え、自分は命じられるがままに魔具や兵器を次々と造り、直接ではないとはいえあの大虐殺に手を貸した。
・・・・・・そしてこの人形からは、その強大すぎる破壊機器を難なく使いこなしていたあの“虚無の使い魔”と同じ波長の魔力が発せられている。彼ないし彼女ならば、遙か彼方から声を飛ばすのも難しいことではないだろう。
(しかし、だとしてもなぜ? 確かにこちらが先方の懇願を拒み、戦争を仕掛けたという証言を得た利はあるだろう。彼らにとってのこの戦には更なる大義名分が付与され、士気も上がるはず。・・・・・・しかし、それだけにしてはこの人形はあまりにも代償が・・・・・・)
「分からないかの? ならばほれ、外に目を向けてみたまえ。わしの予想が正しければ・・・・・・」
老エルフの言葉を待たず、ビターシャルは急いで窓に駆け寄る。そして、見た。・・・・・・窓越しに見るアディールの上空に連なる、無数の艦隊の姿を。
「・・・・・・そういう、ことか」
考えてみれば単純な事だ。彼らは自分たちを悩み考えさせ、隙を作ったのだ。この頭上にいる戦艦を、引っ張ってくるために。
「“悪魔”の魔法でここら一帯の空軍の司令も将校も揃って療養中、“あれ”はきみの管轄じゃよ。・・・・・・さあ、どうするのかね? わしは“彼ら”を知らない。きみが決めるのじゃ、蛮人対策委員長」
唐突に降ってきた重責に、さっと細身のエルフは顔を白く染める。
決める、自分が? この戦争の行く末を左右する、最初の一手を?
重い、あまりにも重すぎる。しかしビターシャルは小さく頭を振って襲ってくる竦みや怯えを払い、押し潰されそうな心を奮い立たせて窓の外を睨みつける。
・・・・・・いや、違う。惑わされるな。恐らくあれは・・・・・・。
彼がその可能性に思い至ったそのとき、慌てたエスマーイルが飛び込んできた。
「閣下、これは一体何事ですかな!?」
「ビターシャルくん」
老エルフが向ける言葉と視線。促されたビターシャルは一瞬戸惑ったが思い直し、説くようにエスマーイルに要請する。
「・・・・・・あれに向けての総攻撃の指揮を、お願いできますか」
指差すのは頭上の軍艦。それを聞いて「鉄血団結党」のトップは悲鳴を上げた。
「馬鹿な! あの大軍勢を相手にしろですと!! ビターシャル殿、いかに貴殿が蛮人への対策委員長だとしてもこれは、」
「横暴です」
今まで飽きるほど耳に入れてきた言葉を、ビターシャルは今度は自分から放つ。
「ですが私は以前このような状況の報告を、ガリアで聞いた事がありました。あれは恐らく、悪魔の魔法の一つです。幻影を作り出して空間に留めてあるに過ぎませんが、その魔法がかけられている以上、あの中には本物が潜んでいるということ。外見よりは与しやすいはずなので、早急に迎撃を行い確認を。混乱が広がり士気が下がれば、あちらの思うつぼです」
「いや、私の一存で決められる事では・・・・・・、私の権限は水軍にのみ及ぶ訳であって、空軍、陸軍を動かす訳には・・・・・・」
目の前のエスマーイルはしどろもどろな答え方をしている。それを見てビターシャルは自分が誰に見せた事もない、苦悶の表情を浮かべているのだと知った。
(まあ、当然の事か)
次から次へと矢のように降ってくる騒動、自分が死んだ時の為にガリアに預けた姪とその婚約者。あっさり捕まった虚無の担い手達、処刑寸前の救出劇。頭上に浮かぶ数多の軍艦。
・・・・・・振り返って整理してみると、この混乱の最中で普段と同様の行動を取れる訳がない。むしろ取り乱さなかった方が不思議なほどだった。
「・・・・・・その話、本当かね?」
「ええ、少なくともその様な魔法がある事は間違いありませぬ。幻影で本物を隠して引き連れてきたということもあるでしょうが・・・・・・」
「ならよい。その一縷の望みに賭けよう」
一言そう言うと、書類の山から適当に一枚の羊半紙を取り出した。すらすらと何かを書き付けると、それをエスマーイルに差し出す。
「エスマーイル殿、わしが持つ陸軍の権限、司令がいない場合の空軍の総権限を一時的に、貴殿に贈呈する。蛮人対策委員長であるビターシャル殿の指示通り、速やかに敵艦を砲撃せよ」
「・・・・・・はっ! 承知しました!」
唐突な指示とその重さに戦いたエスマーイルだったが、すぐさま部屋から飛んでいった。
・・・・・・だが、ビターシャルは動かない。
彼はただ呆然と突っ立って、空を眺めていた。
「これしか、道はなかったのでしょうか」
「それが我が民の生き残れる唯一の道ならば、致し方ないのじゃ」
老エルフは威厳のある統領としての顔で、ビターシャルに諭す。
「君はまだ若い。なに、早いか遅いかの問題だったんじゃよ。君が悩む事はない。それは、儂の仕事じゃ」
「・・・・・・すいません、閣下。大丈夫です、もう落ち着けました」
うわごとのように呟いていた彼の口調が元に戻ると、テュリュークは笑みを浮かべた。
「いいんじゃよ、怯えても。そうやって恐怖を認められるからこそ、未知を克服できるのじゃから。いかに大いなる意思の力を身に宿し、知識で己を飾ろうとも・・・・・・我らも彼らも結局、大して変わりはせんのだよ」
彼はそう言いながら、視線を頭上に浮かぶ無数の戦艦へと向けた。
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