第五話
表門まで残り五メートルのところに近づいた時点で、私は白いビニル袋が予想外にこんもりと膨れていることに気づいた。
結構な嵩がある、ということは一匹ではない。
悲劇的な結末を覚悟して、私はそのビニル袋に手をかけて表門から外し、持ち手を広げて覗き込む。
中には蜥蜴によく似た緑色の爬虫類が、三匹いた。
大きさはいずれも十センチ程度。
恐らく、卵から孵化したばかりの幼体だろう。
迷宮で珍しい卵を見つけた者が、好奇心から孵化させてみたところ、出てきたのが何の変哲もなさそうなただの蜥蜴だったので、興味を失って放棄した――そんなところだろうか。
それでも、真冬の深夜に園の表門まで袋に入れて持ってきて、わざわざ括りつけたことだけでも評価したい。
そうでなければ、この貴重な機会が失われるところだった。
事実を知ったら、彼あるいは彼女は仰天するに違いない。
三匹は鱗に覆われたお互いの身体を絡めあって、決して伝わらないはずなのに少しでも相手に暖を与えようとしているかのように見える。
身動きはしなかったが、お腹の緩やかな起伏から辛うじて生きていることが分かった。
私は大急ぎで外套の胸元をはだけると、そこにビニル袋を押し込んだ。
踵(きびす)を返し、そのまま飼育員控室に向かって全力疾走する。
私の眼に間違いがなければ、この三匹はただの蜥蜴ではない。
爬虫類の専門家でなければ分からない、背中の微妙な突起物が見えた。
それは「飛龍(ワイバーン)」の証(あかし)である。
孵化直後の眼が開いていない状態で、飛龍の幼体を手に入れることはまず出来ない。
飛龍は親子の情が深く、親龍は卵を決して身体から離そうとしないからだ。
この三匹の卵は、何かのトラブルで親龍が孵化寸前に死亡したケースだろう。
飛龍の幼体と知っていて手離すものはいないから、親龍がいなくなってから事情を知らない者が卵を見つけたことになる。
まあ、それはともかく、稀少動物の稀少な状態である。
孵化した直後の動物は、最初に目にした者を親だと認識する。
それを「インプリンティング」という。
インプリンティングによって人間に育てられた飛龍というのは、歴史的に見て前例がない。
飛龍の知性は高い。
飛龍と操龍士が完全に同期すると、誰にもそれを押しとどめることが出来ないほどの圧倒的な力となる。
しかし、それを成すことが出来たのは伝説の飛龍王クロフォードのみと言われていた。
それほど、飛龍が人間に心を許すことは有り得ない。
操龍を許したとしても、主は自分だと思っているのが飛龍だ。
しかし、生まれてからずっと人間に育てられたとしたらどうなるのか。
私は胸にしっかりとビニル袋を抱えて、盛大に白い息を吐き出しながら、前庭の中央にある木立を真っ直ぐに突っ切る。
迂回している間も惜しい。
細かい針のような葉が顔に刺さるが、それを気にしている場合ではない。
表門の開錠をすっかり忘れていたが、それどころではなかった。
*
この時の彼の行為が、彼と世界の運命を大きく変えることになる。
後年、大陸全土の覇権を争う三大国家の王子と王女に乞われて、その専任飛龍となり、常に過酷かつ非情な勢力争いの中心部を飛翔して、時代の趨勢を大きく左右した伝説の三飛龍がいる。
カイン、「全天の覇王」。
クイン、「蒼穹を統べる主(あるじ)」。
ケイン、「光と戯(たわむ)れる者」。
その三匹の育ての親である飼育員キインは、愛する彼らが互いに命懸けで闘う姿を、年老いた眼で憂鬱に見つめることになる。
しかし、その時の彼はまだ己の運命を知らない。
彼は顔中に引っ掻き傷を作りながら、ただ一心不乱に走り続けていた。
( 終り )
飼育員の憂鬱 阿井上夫 @Aiueo
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